53: 白い、手





 連合国軍との戦いは、ユリアという女神の登場でフィードニア軍が奮起した事をきっかけに、形勢が逆転することになった。ハロルド率いる第七騎馬中隊が敵の主力部隊に奇襲を掛け、痛手を負わす事に成功したのだ。
 撤退する連合国軍を追撃しボルテンを攻め落とす余力は、前半に受けた痛手により既にフィードニアに残されてはいなかったが、あれだけ敗色の濃かった状況からの勝利に兵士達は歓喜の声を上げるのだった。
 今回はこれで充分だと、クリユスは思った。
 敗走しなければそれでいい。それよりも今回の戦いで、ユリアをきっかけに戦いの流れが変わったという事が重要なのだ。
 そもそもフィードニアは優秀な指揮官がそれなりに揃っており、兵士達も鍛えられている。規模が小さくはあったが、質は悪くは無かったのだ。
 だが英雄を心の拠り所にし過ぎる所がある為に、今回のようにしなくても良い苦戦を強いられてしまうことになる。
 まあ、今回ばかりはそのおかげで容易たやすく女神を祀り上げる事が出来たのだが。

「兵士どもは女神女神と……あの女が一体何をしたというのだ、戦って勝利したのは我らだというのに、まるでユリア様一人の手柄のようではないか」
 戦地からの帰路、馬を休ませる為休息を取っていた時、メルヴィンがユリアの乗る馬車を見ながら不満げに言った。
 その言い方ではまるで貴様が多くの手柄を立てたようではないかと、クリユスは心の中で毒づく。実際戦いの間この男が何をしていたのか、クリユスには思い出すことが出来なかった。
「だいたい元からあの女は気に入らんのだ。国王の従弟であるこの俺に対してまで、高慢な態度を取るのだからな。それを女神などと持て囃されては、更に思い上がるではないか」
 国王の従弟であるとはいえ一介の兵士に過ぎぬメルヴィンよりも、フィルラーンであるユリアの立場の方が上になるのは、当然の事である。思い違いをしているのは他でもない、この男の方なのだ。
「メルヴィン殿、お声を小さくなされませ。そのような事を周りに聞かれては、兵士達の反感を買いましょう。―――それに兵士達がユリア様を女神と讃えるのは、貴方にとっても悪い事ではありませんよ」
「何だと?」
 クリユスは愛馬のたてがみを撫でていたその手を止めると、声を落とした。
「ユリア様の存在が大きくなればなる程、逆に英雄という名の存在が薄れて行く事になるでしょう。それは彼の力を削ぐ事にもなり、総指揮官位から失脚して頂く際に、我らに有利に働く事になるのです」
「……そうか、成程な」
 メルヴィンは総指揮官という言葉に反応を示すと、納得したように頷いた。

 フィードニア軍で発言力を持つようになった今では、クリユスはこのメルヴィンという存在を左程必要としてはいなかった。
 この男をいつまでも大隊長の座に座らせておくつもりは無かったが、国王の従弟という立場はまだ幾らでも使い道があるであろうし、逆に本人が思っている程軍内への影響力がある男でもない。暫くこのまま放っておいても問題は無いだろうと思えた。
 目障りになったら、それはその時の事である。

 ふと、水を持ちユリアの乗る馬車へと歩いて行くロランの姿が目に入った。
 ロランが声をかけ、馬車の窓が開かれる。クリユスが今立っている場所は、馬車の後方に位置している為、中の様子は分からなかった。
 ただ、ロランが差し出す器を受け取る為に、馬車の窓から伸ばされた白い手だけが見えた。
 ロランが笑う。ユリアが何か声を掛けたのだろうか。
「―――――るのだ、クリユス?」
「……え?」
 問われた言葉が分からず、とっさに困惑の顔を作ってしまったクリユスに、メルヴィンが訝しげな顔をした。
「ああ…申し訳ありません、少し考え事を……。何か」
「一体いつになったら総指揮官を失脚させる事が出来るのだと、言ったのだ。どうした、お前が呆けるとは珍しい事があったものだな」
「いえ……何でもありません、失礼致しました。……そうですね、まだ暫く時は必要でしょう。せめて連合国軍との戦いに、フィードニアが勝機を見い出すまでは……」
 クリユスは馬車から視界を外し、メルヴィンと向き合う。
 だが白い手だけが、残像のようにクリユスの目の奥に焼き付き、消えなかった。




 王都に戻ったクリユスを迎えたのは、一人出兵に参加する事が出来ず、さぞや腐っているであろうと思っていたラオの、晴れやかな顔だった。
 その態度に怪訝な表情をしたクリユスに、ラオはエルウンゴン山で起こった出来事を話した。曰く、エルウンゴン山を越え攻めてこようとしたスリアナ軍を、ジェドと第三騎馬中隊のみで打ち倒したのだという。
「―――なんだと」
 話を聞いていたクリユスは、嬉しそうに語るラオとは裏腹に、眉間に皺を寄せる。
 冗談ではない。このまま行けば兵士達に、『英雄がいなくとも、女神がフィードニアに勝利をもたらせてくれる』という思考を植え付けることが出来たものを、ここであの男に活躍されてはそれも台無しではないか。
 本軍が出兵する時は、参戦の意思を全く見せていなかったから油断していた。せめて今回だけは大人しくしてくれていれば良いものを……。
「くそ……!」
 クリユスは己の拳を握りしめる。
 あの男だけは、行動が全く予測出来なかった。
 出来るものなら今直ぐにでも軍から追い出してしまいたい。英雄といえど、ただ失脚させるだけで良いのなら、手段さえ選ばねばやりようなど幾らでもあるのだ。
 だがまだフィードニア軍にはあの男が必要だった。彼を失脚させても、肝心のフィードニアが倒れてしまっては意味がないのだ。
 暫くはジェドに戦力となって貰わねばならないが、それもこちらの思惑の範囲内で戦ってくれればいい事なのである。予想外の行動を勝手に取られる事は、許し難いことであった。
 考え込むクリユスに対し、ラオが己の頭を片手で掻き毟り、呟いた。
「―――なあ、ユリアと総指揮官殿の両方を立てる訳にはいかんのか」
「馬鹿な事を言うな、戦女神と軍神が戦場に揃っていては、兵士達はどちらを崇めればいいのか迷う事になる。そしてそれはいつか二つの派に分かれ、内部の亀裂を引き起こす事にもなりかねんのだ」
 崇める対象は一つで良い。尚且つそれは、最終的にユリアでなければならないのだ。
「しかしな……」
 ラオの言葉を遮るように、クリユスの自室の扉が叩かれた。彼が返事を返すと、ロランが顔を覗かせる。
「クリユス隊長、ユリア様から塔へ来るようにとのご伝言が来ておりますが」
「ユリア様から……そうか、分かった。直ぐに行くとお伝えしてくれ」
 強引に彼女を女神に仕立て上げた己を怒っているに違いないと、クリユスは苦笑した。
 だが責められようと、非難の目を向けられようと己の行動を止めるつもりなど、更々無かった。
 逆に非情な男だと思われていた方が、今後やり易くなるというものであろう。

「ラオ、そういう訳だから、話はまた今度だ」
 言いながら部屋を出て行こうとするクリユスの背に向かい、再びラオが呟いた。
「俺は最近、お前を見ているのが辛いよ……」
「何を……」
 振り返ると、ラオが肩を竦め困ったような目をこちらに向ける。
「お前、自分が思ってるより、案外不器用な男だぜ」
「――――――――お前に言われたくは無いな」
 そりゃ確かにそうだ、とラオは笑った。









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