5: 少年と少女





 暗闇の中に少年が立っていた。
 少年は一人、剣を振るう。

 少年がその剣を動かす度、辺りに舞い散る木の葉が、真っ二つになって落ちた。
 その動きは美しく、まるで踊っているようだとユリアは思った。

 ふと、少年はユリアに気付き、破顔した。
 少年はユリアに向かって手を振る。

 ―――ああ、これは夢だ、とユリアは思う。

 その時、金色の髪の少女がユリアの体をすり抜け、少年の元へ走って行った。
 少女は少年より更に幼く、林檎のような赤い頬をしている。
 少女は無邪気に笑っていた。

 突然、強い風が吹き、木の葉がユリアの視界を奪った。
 それが収まった時には二人の姿は既に無く、ユリアは暗闇に一人になった。

 ―――誰かいないの…!?

 ユリアは叫んだ。

 するとそれに応えるように、背後からぱたぱたと走る足音が聞こえた。
 振り返ると、先程の金色の髪の少女が、嬉しそうにここから駆け去って行こうとしていた。
 ぞくり、とユリアの背筋が冷たくなる。
 少女がどこへ向かおうとしているのかが、ユリアには解った。

 ―――駄目………! そっちへ言っては駄目よ……!

 ユリアは必死に止めようとしたが、少女はユリアの手をすり抜けて行った。
 ユリアは強い恐怖に駆られた。

 ―――駄目だってば…! そっちは駄目よ、戻って……!

 叫ぶ、叫ぶ、叫ぶ。
 だが声は少女へ届かない。

 少女の往く手に、恐ろしい牙と爪を持った猛獣が、のそりと現れた。

 ああ―――駄目、駄目よ……!
 ユリアは必死に手を伸ばす。


 駄目―――――それ・・を殺しては駄目…………!


 辺りが、急に光に包まれた。







「ああ………夢を見ていたのか………」
 爽やかな朝の光とは裏腹に、ユリアは重苦しい気分で目覚めた。
 寝ながら汗をかいたらしく、体はじっとりと濡れている。不快だった。

 汗を流す為、ユリアは浴室へ向かい湯浴みをしたが、それでも頭の重苦しさは取れなかった。
 濡れた髪を拭きながら、ユリアは窓辺に立ち外を眺める。
 穏やかな風が心地よかった。

 フィルラーンの塔は六階まで有り、地下が清めの儀式の場、一階と二階は広間や客間、面会の間等、ある程度解放された空間になっている。
 そして三階は、フィルラ―ンの世話をする選ばれた少数の女性達が住み、四階に食事の間や浴室等が、五階にはユリアの、六階にはナシスの居室がある。
 ユリアは今、四階談話室の窓辺にいた。

「お早うございます、ユリア様」
 茶色い髪を両耳の下で束ねた、茶色い瞳の少女が、愛くるしい笑顔を向けてくる。
「お早う、ダーナ」
「朝食の用意が出来ておりますよ。今すぐお食事になさいますか?」
「ええ、そうね。そうするわ」

 彼女の名はダーナ。ユリア付きの世話役である。
 世話役と言っても、下級ではあるが貴族の娘である。それなりの身分が無くては、フィルラーンの傍に仕える事は出来ないのだ。

 ふと、ダーナはユリアの顔を覗き込み、怪訝な表情をした。
「ユリア様、どうかされましたか? 顔色が優れないようですが…」
「ああ…いえ、何でも無いのよ。ちょっと悪い夢を見たものだから」
「悪い…まさか何か悪い事が起こる前兆では…」
 ダーナは軽く眉をひそませた。
「何を言うの、ダーナ。私にはナシス様のような先読みの力など無いのですよ。そんな能力を持っていない事など、あなたも分かっているでしょうに…」
「まあ、分らないではありませんか。ユリア様の眠っていた能力が、今この瞬間に現れたのかもしれませんわ」
「何を馬鹿な事を…」
 そんな事はありえないとユリアが言いかけた時、その言葉を攫うように、低い声が後ろから響いた。
「フィルラーンの能力は生まれついてのもの。突然その能力が生まれる事も、増える事も無い。だからフィルラーンは貴重なのだ」
 声の主に、ユリアはあからさまに顔を顰しかめて見せる。
「こんな所までずかずかと入り込むとは、どこまで図々しいのだ、お前は」
「あらまあ、早速悪い事が起こりましたわ。ユリア様、やはり先読みの力かもしれませんよ」
 ダーナがユリアに耳打ちをした。

「聞こえてるぞ、ダーナ」
「きゃっ…申し訳ありませんっ」
 悪びれた様子もなくダーナは笑う。その様にジェドは苦笑してみせた。
「ダーナ、俺にも朝食を用意してくれないか。朝の訓練を終えて腹が減っているのだ」
「あ…はい、少しお待ちくださいね」
 下がろうとするダーナを、ユリアは制した。
「そんなもの兵舎で取ればいいだろう。誰がお前などと一緒に食事を取るものか」
「あそこの飯は不味いのだ。一緒に食べたくなければお前が後で食べればいい事だろう、一々煩うるさい女だ」
「何だと……!」
 言い争いを始める二人を仲裁するかのように、慌ててダーナが間に入る。
「あの、とにかく食事のご用意を致しますね。盛り付けるだけですから、直ぐにご用意出来ますので」
 ダーナは言うと、早々に部屋を出て行った。

「面白い娘だ。ユリア、お前もあの明るさを見習うといい。たまにはお前も笑って見せたらどうなのだ。朝からその仏頂面は見るに堪えんな」
「なら朝からこんな所へ来なければいいだろう。私だとて、お前の顔さえ見なければ仏頂面にならずに済むのだ」
「そうだろうな」

 ジェドは手を伸ばすと、ユリアの髪に触れた。
「何をする……!」
 ユリアは咄嗟にその手を払いのけた。
 ジェドの目に、苛立ちの色が混じる。
「朝から湯浴みとは、優雅なものだ。兵士達が朝から汗まみれになっているというのにな」
「……わ、私は……」
「フィルラーンは余程暇と見える。丁度良い、お前に最適な仕事を与えてやろう」
 ジェドは踵を返すと食事の間へ入って行き、そしてユリアの為に既に並べられている皿の前へ、無遠慮に座った。

「ふん、勿体を付けたように言うが、最初からその話をしに来たのだろう?」
 言いながら、ユリアはジェドから離れた席に座る。
「―――数日後、城で戦勝の祝いに舞踏会を執り行うらしい。貴族共の暇つぶしだ、胸くそ悪いが俺が出ない訳にもいかん」
「―――――断る」
「まだ何も言っていないだろう」
「言わなくても解る。また私に見世物になれと言うのだろう、英雄を称えるフィルラーンの役をやれと」
「その通りだ。今回ばかりはナシスよりもお前の方が役に立つ。女のフィルラーンの方がな。いくらナシスが女のようにか細くとも、この俺が男の手を取って踊る訳にもいくまい」
「無礼な事を言うなといっているだろう…! 誰がお前のような男と踊るものか、考えただけで寒気がする」
「―――全く、小うるさい娘だ」

 ジェドは自身の目の高さまで持ち上げたスプーンを、皿の上に落とした。
 それは高い音を立て皿を割り、テーブルの下に落ちる。

「―――俺に逆らうなと言っただろう。それ位の事も覚えられないのか、お前は」
 冷たい目だ。この目が、ユリアは恐ろしかった。
「一々逆らう煩い口ならば、また塞いでくれようか」
 ガタリと、ジェドは席を立つ。
 ユリアも咄嗟に席を立った。
「やっ…止めろ、私に触れたら国賊なのだろう。だからイアンを殺したのだろう、お前が…! 私に触れるのなら、お前も死ぬのだろうな…!」
「―――この俺を、誰が殺せるというのだ」
 ジェドは馬鹿にしたように笑った。
「それとも、お前がこの俺を殺すか?」
 ジェドはユリアの方へ歩み寄ってくる。ユリアはその反対へと逃げた。
「こ…殺してやりたいとも。お前など、死ねばいい…!」

 ジェドは歩みを止めると、くつくつと笑い出した。
「良く言った、神に仕える女が人を殺したいとはな。お前も聖女とは名ばかりの、汚れた女に過ぎんということだ」
 侮辱され、カッと頭に血が上る。
「だっ…誰が言わせているのだ。お前さえいなければ、私はこんな……!」
「フィルラーンの資格を失っても良ければ、いつでも俺を殺すがいい。女の手にかかって死ぬのも一興だ」
 笑いながら、言う。
 そんな事が出来る訳が無いと、分かっていて言うのだ。

 この男が、憎い。
 どす黒い感情が、自身の内側に小さく宿っているのを感じる。
 ああそうだ。この私に憎しみという醜い心を植えつけるこの男が、殺したいほど憎い。
 確かに自分は汚れている。神に仕えるフィルラーンの内には、あってはならない感情を持ってしまっているのだから。

 ―――この男をどうにかしなければ、私は一生この醜い心から逃れる事は出来ないのだ。
 そしてそれは、フィルラーンとして、一生不出来な存在でいなければならないという事を意味する。

 この男をこの城から―――このフィードニア国王軍から、追放する事が出来たら。
 そうすれば、自分にとってもこの国にとっても、全てが上手く行くに違いないのだ。

「まあ、ユリア様のお皿が…!」
 食事をワゴンに乗せ押して来たダーナが、割れた皿を見て驚きの声を上げた。
「どうしてこんな事になっているのです? ああ、ユリア様のお気に入りのお皿だというのに…」
「悪いな、俺が割ってしまったのだ。スプーンをうっかり落としてしまってな」
「まあ、スープもまだ入っていないというのに、スプーンを持ってお待ちだったのですか? よっぽどお腹がお空きだったのですね、直ぐに代えのお皿を…」
「いい、そのパンだけ貰って行く」
 ジェドは籠に入ったパンを掴み、かぶり付いた。
「いいな、ユリア。これもお前の仕事だ、舞踏会には必ず出席しろ」
 そして用は済んだとばかりに、部屋を出て行く。

「ユリア様、今日はそちらの席で食事なさって下さいね。危険ですから、こっちに近づいてはいけませんよ。破片は直ぐに片付けますから」
「ええ…お願い…」

 だが折角ダーナが用意してくれた食事も、喉を通らないだろう事がユリアには分っていた。









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