6: 再会





「まあ、なんて見事な細工の櫛なのでしょう…! ほら、見て下さいユリア様」
 ダーナは歓喜の声を上げる。
「ええ、本当に素敵な櫛ね。これはあなたの栗色の髪に良く映えると思うわ」
「ま、まあ…っ何を仰るのです、滅相も御座いませんわ…! 私のように地味な顔の者では、この美しい櫛の引き立て役になってしまいます。ユリア様なら、きっとお似合いだと思うのですが」
「何を言うの、付けてみてもいないのに。お貸しなさい、付けてあげるから」
 ユリアはダーナの手から櫛を取り上げると、それを彼女の髪へ挿した。
「ああ、ほら。とても素敵よ」
「ほ、本当ですか…?」
 ダーナは少し照れたように、顔を赤くした。

 二人は王城の裾に広がる城下町の、商店が立ち並ぶ賑やかな中央区に、お忍びで遊びに来ていた。塔に籠っていては体に良くないと、ダーナが連れ出したのだ。
 城と街を覆う壁に囲まれたこの城下町までは―――中央区限定ではあるが―――ユリアも護衛を付けること無く出歩く事が出来るのだった。
 ただ、私用で出掛ける時は今回のようにお忍びという形になる為、フィルラーン特有の装いであるラティは身に付けず、街娘と同じ簡素な衣装を着る事になる。

「あ、ダーナ。待ってこちらの髪飾りの方も…」
「ユ、ユリア様…! これでは立場が逆ですわ、私よりもユリア様の髪飾りのお見立てを…」
「良いではないの。今は二人とも只の町娘なのだから」
「まあ、ユリア様ったら」
 出掛ける時は、あまり乗り気では無かったユリアだったが、ダーナとの買い物は楽しかった。
 フィルラーンの能力を持って生まれなかったら、こんな風に街娘として暮らしていたのだろうか。

 考えても仕方のない事だ。とユリアは思う。
 ユリア自身、フィルラーンとしての誇りは十分に持っている。だが、ふとそんな事を考えてしまう自分がいる事も、また事実だった。

「ユリア……? ――――ユリアじゃないか…?」

 男の声が、ユリアの名を呼んだ。
 そちらへ振り向くと、そこに傭兵風の身なりをした男が二人立っていた。
 一人は二メートル近いであろう身の丈をした、岩のような身体つきをした男。
 黒い髪を無造作に短く刈り、着古して少しよれた衣服からは、身なりに無頓着な様がありありと表れている。
 かたやもう一人は、岩のような男と似た服を着ているというのに、どこか小奇麗で清潔感があった。
 岩の男程では無いがスラリと背が高く、金色の髪は後ろで束ねられている。すっと通った高い鼻に、菫色をした涼やかな瞳。
 整ったその顔は、ナシスとはまた違った種類の美青年だった。

「なんですか、あなた方は……!」
 ダーナが、庇うようにユリアの前へ出た。
 彼女は見慣れぬ男に警戒心をあらわにしているが、ユリアはその男達を知っていた。 
 ―――だが、この場に居る筈も無い男達だった。

「心配せずとも良いのですよ、ダーナ。私の昔の知り合いです」
「え…ユリア様の……?」
「久しぶりだな、ユリア」
 岩の男が豪快に笑う。
「おいラオ。今はもう見習いでは無い、立派なフィルラーンでいらっしゃるのだ。ユリア様とお呼びするべきだろう」
「ああ、そうか。いや…けどなぁ…」
 困惑した表情の男に、ユリアは思わず苦笑する。
「別に構わない。ラオ、クリユス、久しぶりだな」
「三年ぶりといったところですね。貴女は相変わらずの…いや、前にも増して美しくていらっしゃる」
 金髪の青年は、優雅な仕草でユリアの手を取ると、そこへ口づけた。

「あっ…あの…! こちらの方達は、ユリア様とどのようなお知り合いで…」
 堪りかねたように、ダーナが口を開く。
 突然現れた胡散臭い男達と、自分が仕えるフィルラーンとがどうしても結びつかないようだった。
「あなたに紹介しましょう。こちらの黒髪で岩のような男がラオ、そして金髪ですみれ色の瞳の男がクリユス…」
「初めまして、クリユスと申します。これはまた、可愛らしいお嬢さんでいらっしゃる」
 いつの間にかすっとダーナの前に歩み寄っていたクリユスは、お辞儀と共に魅惑的な笑みを彼女へ向けた。
「その髪に挿されている櫛も、良くお似合いですね。貴女のような可憐な方に身に付けて貰ったその櫛は、どれだけ幸せな事でしょうか」
「まっ…まあ、そんな…」
 顔を赤くし、慌ててうつむくダーナの横で、ラオが「頭が痛い」とばかりに片手で自身の額を押さえた。
 そして、呟く。
「……また始まった」

「あああああ、あの。ユリア様……」
 賛辞の言葉を次々と繰り出すクリユスに、ダーナが困惑の目をユリアに向けた。
「クリユス、私の大切な世話役をたぶらかすのは止めてくれないか」
「誑かすとは、お言葉ですね。私は思ったままを素直に口にしているだけだというのに」
 数年ぶりの再会ではあるが、以前と全く変わっていない。
 ユリアは軽く溜息をついた。
「……ダーナ、胡散臭く見えるけれど、これでもクリユスはティヴァナ国の弓騎馬隊大隊長で、ラオは副総指揮官なのです」
「え…ティヴァナ国って……フィードニアに負けない大国では無いですか…! そこの大隊長に副総指揮官……この方達がですか?」
 ダーナは信じられない様子で、二人の男を交互に眺めた。

「い…いや、それが……」
 ラオがばつの悪い顔で、頭を掻いた。
「……実は、今はもう違うんだ。見ての通り、只の傭兵稼業ってヤツでよ」
「なっ…何だって……? 何故…冗談だとしたら、笑えない冗談だぞ、ラオ」
 ラオは渋い表情をする。
「冗談でこんな事を言うか。何より副総指揮官の立場だったら、ティヴァナ国から随分離れたこのフィードニアの地で、こんな風にふらふらと物見遊山なんか出来るものか」
「そ…それは、そうだが……では、何故そんな事に」
 ユリアの問いにラオは一瞬言葉に窮し、だが直ぐに諦めたように肩を竦めた。
「……隠していてもしょうがない。いやお前にも危害がかからないよう注意して貰わんといかんからな…」
「おいラオ。お前はこの俺を危険人物のように言うつもりか」
「その通りだろうが…!」
 ラオはクリユスを睨みつけたが、クリユスは素知らぬ顔をしてみせる。

「……二人とも、話が見えないぞ」
「つまり…」ラオは咳払いをし、ユリアを見返した。
「クリユスが―――この男が、事もあろうに王の娘に手を出してしまったのだ。 それが王に露見し、そのお怒りを買う事になった。クリユスは捕えられ、処刑を言い渡されたのだ。全く弁解のしようも無い事態だ、俺はせめて命だけはと嘆願したが、許される訳もない。後はただ、処刑されるのを待つしかなかった。……しょうがないから俺はこいつを牢から助け出し、そのまま国外まで逃亡して来たのだ」
「な…………………」
 開いた口が塞がらないとはこの事だと、ユリアは痛感した。
「いえ全く了見の狭い王でした。例え王であろうと、人の恋路を邪魔立てするとは……無粋だとは思いませんか、ユリア様」
「クリユス…! お前のその恋路の所為で、今までどれだけ大変な目に遭ったと思ってるんだ!」
「ああ、はいはい。お前は五月蠅いね、ラオ。姑もかくやだ」

 言い争う二人を前にし、ダーナがおずおずとユリアに尋ねた。
「あの…ユリア様……。本当に、本当にこの方達とお知り合いなのですか……?」
「………………どうなのでしょう……人違いのような気がしてきました……」
 ―――頭が痛い。
 ユリアはそっと額を抑えた。








「ともかく、ここで立ち話をしているのも何だろう。積もる話もある、私の所へ来ないか。あそこは使っていない客間も沢山ある事だし、暫く泊って行くといい」
「私の所って―――フィルラーンの塔だろう? 馬鹿を言うな、そんな所へ泊めてもらう訳に行くか」
 ラオは心なしか青ざめた。
「何を言う。私の客だ、何を遠慮する事があるのだ」
「そうじゃない………つまり、フィルラーンの塔ってのは、女が多く勤めているんだろう……?」
「……………………」
「……………………」

 三人の視線を受けたクリユスは、憤慨した表情を作る。
「失礼ではありませんか、私は強姦魔では無い。そこに女性がいたからと言って、私が何をすると言うのですか。言っておきますが、女性の同意無くしてそういう事になった事など、勿論只の一度もありませんよ。私はただ、美しい女性を見たら美しいと、私の心を純粋に相手にお伝えしているだけなのです」
 クリユスはユリアの手を取ると、彼女の瞳を覗き込んだ。
「何より、貴女にまでそのような下劣な男だと思われていては、このクリユス生きている価値などありません。ならばいっそ、この私に死ねとお云いつけ下さるといい」
「わ―――分かった、分かったから、その手を離してくれないか」 
ユリアは握られた手を振りほどく。
 その様を見ていたダーナが、突然笑い出した。

「ユリア様、面白いお方とお知り合いなのですね……!」
「いや、あんたも笑い事じゃ無いんだぞ、十分こいつの口車には気を付けてくれよ……ええと、ダーナって言ったか?」
「あ、はい。ユリア様のお世話役をさせて頂いております。宜しくお願い致しますね」
 ダーナはラオに深くお辞儀をした。
「ユリア様のお客様でしたら、私にとっても大切なお方です。精一杯御世話させて頂きますね」
「あ…いや、まだ世話になると決まった訳じゃ…」

「――――いや、やはり泊って貰おう。 お前たち二人を、私の客人として皆に知らしめたいのだ」
「知らしめる―――何だ、何を言っている?」
「ティヴァナ国から出奔しゅっぽんしたと言うのなら丁度良い。お前たちも何時までも傭兵などでいたい訳ではないだろう。このフィードニア国の―――それも国王軍へ、入りたくは無いか」
 ラオとクリユスが、軽く目を合わし頷いた。
「フィルラーンの推薦なら、確かに話は早い―――成程そういう訳だな」
「それは勿論願っても無い事です。―――実は私たちも、貴女のつてをお借りしたかった所だったのですよ」
 クリユスは菫色の瞳を細くした。
「とはいえ、フィルラーンである貴女においそれとお目にかかれる筈も無い。どう接触を図ろうかと思案していたのですが―――それがこんな所で偶然に出会え、しかも貴女からそのような提案を頂けるとは。これは運命としか言いようがありませんね」
「運命―――――そう、神の思し召しなのだろう」
 神が自分を後押ししてくれているのだと、そうユリアには感じられた。

 ―――――私の心は決まった。

「私は味方が欲しかった。私はこの国の、この軍の体制を変えたいのだ。―――だが私は無力だ。私ひとりの力では、戦う事が出来ない。だから二人に力を貸して欲しい。―――協力して、くれるか」
 クリユスが、ユリアの前に跪いた。
「私が女性の願いを断れるとお思いですか…?」
「―――まずはお前の話を聞こう、ユリア。お前が一体何をしようというのか―――」
 ふと、ラオはダーナを見る。
 ダーナがどこまで関与しているのか、それとも知らず巻き込む事になってしまっているのか、測りかねたようだ。
「私の事はお気にならさないで下さいませ。 私は何も聞きません。ただ、ユリア様のお傍に仕えるだけです。今までも、これからも」
 
 ユリアは空を見上げた。
 この国にとって、一番良い事は何か――――。
 有るべき形に戻すのだ。 ただ、それだけの事なのだ。


 ―――――そして、私はこの運命から逃れる事が出来る。









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