40: 信仰





「ダーナを呼び出したのはお前だな」
 先程から笑いを堪えるのに必死な様子のクリユスに、ラオは睨みつけながら言った。
「さて、何のことだか」
「とぼけるな、そうでなければあれ程タイミング良く、裏庭なんぞにダーナが現れる訳がないだろう…!」
 この憎たらしい金色の頭めがけていつ振り下ろそうかと、拳を握りしめるラオを余所眼に、クリユスは優雅に茶を啜っている。
 そして至極残念そうに言った。
「ああいう事でもなければ先に進まない、鈍い友人を心配したのだよ。 ―――だが、その展開は予想していなかったな。清い交際ならとは、ダーナ嬢もなかなか罪深い事を言う」
 そう言うクリユスの目は笑っている。こいつの話に乗った自分が、つくづく馬鹿だったのだ。

 だがダーナの件はともかくとして、ジェドと対峙出来た事は貴重な体験であった。剣を持ちもしない相手に一撃で倒された情けなさを、彼は心に刻み付ける。
 想像を遥かに上回る、圧倒的な強さだった。あの男に付いて行こうとするなら、自分が今まで考えていた以上にもっと強くならなければならないのだ。
「結果的にはこれで良かったんだ。いつ死ぬか分からん男の帰りを、心配しながら待たせる訳にもいかん」
 言いながら、己の台詞にそれもそうだとラオは納得する。
 つい勢いでダーナを口説いたものの、死に一番近い部隊へ身を置こうとしている己が、帰る場所を欲するなど矛盾しているではないか。
 力が抜けたように、椅子代りにクリユスのベットへ腰掛けると、傍らでクリユスは小さく溜息を付いた。
「……お前にはそういう女性が必要だと思うけどな。待っている女性がいると思えば無茶もしないだろう」
 だが無茶をしなくてどうやってあの男に付いて行けるというのだ。
 ラオがそう言うと、クリユスは微かに眉を潜ませた。

「しかしフィルラーンのユリア様はともかく、ダーナ嬢のような可愛らしい女性が一生独身を心に決めているなど、余りに勿体無いとは思わないか」
 尚も食い下がるクリユスに、ラオは少しばかり苛立ちを感じる。
「だったら俺にどうしろと言うんだ。相手がそう言っているものを、無理矢理襲えとでも言うのか」
「何を言う。無理矢理などと、この俺の美学に反する事だ」
「だったら黙っていろ!」
 もうこの話は終わりだと、ラオはベットから立ち上がる。
 クリユスは茶を机に置くと、もう一度溜息を吐いた。
「あれだけの御膳立てをしてやって、女性一人口説き落とせないとは、我が友ながら情けない」
「……お前は俺に喧嘩を振っているのか? だったら拳で来い」
 くつろぐように窓枠に肘を持たれかけ、足を優雅に組んでいる目の前の男に向かい、ラオは両の拳を構えてみせた。
 今日のこいつは嫌にしつこかった。一体何なんだ。

「俺にとってもダーナ嬢は可愛いのだよ、ラオ。彼女は大切な友人だ。……だから彼女を利用したくなど無い」
 クリユスは窓の外を眺めながら、独り言のように言った。
「……何の話だ?」
 ゆっくりとこちらへ目線を移すクリユスの目には、先程までのようにからかう色は無く、真剣な眼差しをしていた。
「―――彼女がユリア様の傍に居る限り、俺はいつか必ず彼女を利用するだろう。俺自身がそんな事はしたくないと、どれだけ思っていたとしてもだ」
 お前ならそれが解るだろう、とクリユスは言った。使える人間がそこに居れば、躊躇ためらわず使う。己はそういう人間なのだと。
「好きな男と結ばれる事より、ユリア様に仕える事を選んだ少女だ。ダーナ嬢はユリア様の為なら、恐らく何でもやるだろう。そんな存在を利用せずにいられる筈が無い。その時は必ず来る。――――必ずだ」
 言いながらクリユスは立ち上がると、ラオの胸倉を掴み顔を寄せた。
「――――それが嫌なら本気で彼女を口説き落とせ」

 どういう理屈だというのだ、それは。
 無茶苦茶な事を言う、とラオは思わず苦笑した。
 そんな芸当がこの俺に出来ないと分かっているのに、この男はそれを言うのだ。―――いや、言わずにはいられないのだ。
 色々と小賢しく策を巡らすくせに、片や一度情を覚えてしまった人間にはとことん弱い。こいつはそういう男なのだ。本来策士には向いていない男なのだろうと、ラオは思う。
 そしてそれは、ラオだけが知っている、クリユスの一面なのだった。

「俺にお前の真似が出来るもんか。このまえダーナを口説いた、あれが俺の精一杯の本気だぞ。どう頭を捻った所で、あれ以上の口説き文句がこの俺に吐けるものか」
 ラオは片手で頭を掻く。
「心配するな。お前といつか袂を別つ日が来ようが、いつかお前を許す事が出来ない時が来ようが、それでもお前がこの俺の一生の友だという事に変わりはない」
「………………………」
 クリユスは小さく笑うと、ラオの胸を軽く殴った。
「気味の悪い事を言うな、誰がそんな心配をしている。俺は万一ダーナ嬢に嫌われる事があったらと思うと、夜も眠れぬのだと、そういう話をしているのだよ」
「ああ、そうかよ」

「クリユス隊長、おいでですか」
 台詞と共にトントンと扉を叩く音がした。
 クリユスが返事をすると、彼の部下であるロランが顔を覗かせた。
「あ…これはラオ殿もおいででしたか。丁度良い、これから軍議を執り行うので、軍議室へお集まり下さいとの事です。どうやらテナンへの出兵が決まったようで」
 テナンは先の戦いでフィードニアが落としたシエン国の、更に北にある国である。
「そうか」と答えるクリユスの顔は、いつもの自信に満ちた彼の顔だった。





 ボルテンとベスカの二国が新たに同盟連合へ参入した。
 これで連合へ加入していない国は、フィードニアとティヴァナを除き、テナン、リュオード、ネカテの三国である。
 ネカテは左程大きな国では無い。この国が連合へ下るのも時間の問題だろうと思われた。
 ティヴァナが連合国と小競合いをする中、フィードニアは隙を突くようにテナンを攻撃し、それに勝利した。
 更なる勝利に、国民は沸き立つ。
 領土だけを見れば、ハイルド東大陸随一の大国ティヴァナに、今や肩を並べているのだ。

「最早このフィードニアに敵などおらぬわ。連合国とて恐るるに足らん、所詮烏合の集まりに過ぎぬわ」
 酒宴の席で、そう言いがははと豪快に笑ったのは、歩兵隊大隊長ブノワだった。
「左様でございますとも、我らにジェド殿がいる限り、フィードニアに敗北などありません」
 答えたのは第一歩兵中隊長ドゥーガルである。
 確かにジェドの戦いぶりは、先のシエン戦で見せた勇猛ぶりと同じく激しく、その姿はやはり軍神を思わせた。
 今更驚きはしないが、先陣を切ったのはやはりジェドとラオ率いる第三騎馬中隊であり、他の隊はとにかく彼らが動きやすくなるよう敵を撹乱する事に終始した。
 現状はジェドが居てこそのフィードニア国王軍なのだと言わざるをえないだろう。

 帰国した国王軍の戦勝祝いの為、王城の広間で祝いの宴が開かれていた。
 幾つものテーブルが並び、銘々が好きな所に座り酒を手にしている。
 クリユスはブノワの直ぐ隣にあるテーブルに、ラオと共に座していた。

「―――ですが少々ジェド殿に頼り過ぎるのではないでしょうか」
 クリユスは杯を手にしたまま、呟くように、だがはっきりと言った。
「何だと」
 ブノワは明らかに不快な顔をし、半ば睨みつけるような視線をクリユスへ寄越す。
「我らは何もジェド殿一人に戦いを押しつけている訳では無い。寧ろジェド殿が自分の好きなように戦われるから、それを我々が必死に補佐しているのだ」
「確かに、それはそうなのでしょうが。…ですが私は戦い方の是非を論じている訳ではありません。一国二国を相手にするなら良いですが、このままでは連合国に勝利する事など、私には無理なように思えてなりません」
「何を言う。我らフィードニア国王軍を愚弄するか、この余所者が……!」
 ブノワの声に怒声が混じる。彼らの近くで酒を飲んでいた兵士達が、何事かとこちらへ顔を向ける。

「連合国との戦いの為、国王軍の強化を進めている。それだけでは不満という事か?」
 口を挟んだのはライナスだった。 あちこちの席を移動しながら兵士達を労っていたライナスが、今はクリユスの近くの席を陣取っていた。
 もっとも、ライナスが近くに来たのが分かっていて、彼はこの話を持ち出したのだが。
「確かに今、国王軍の強化を進めてはいます。今後徐々に兵士も補強されて行くでしょう。―――ですが入軍試験を繰り返し、我が国が十分な兵力を蓄えるのを、連合国が悠長に待っていてくれるとは思えませんね」
「ほう……ではどうしろというのだ?」
 クリユスが語るにつれ機嫌が悪くなって行くブノワに対し、ライナスは面白そうな顔をする。
「シエンと、今回の戦いで落としたテナンの、主だった元領兵軍軍隊長を国王軍へ入れるのです」

 国が落ちた時、通常王家に連なる者は処刑され、国王軍の要人は同じく処刑されるか囚われの身となる。
 そして各領主達は領地取り上げとなり、領兵軍の兵士は国境警備等、王都とは遠い場所へ遣られる事が多い。
 今回の元シエン兵も、例に漏れる事無くフィードニアの各国境警備へと回されていた。

「ふ―――ふざけるな……!」
 ブノワは立ち上がると、大きなその拳で机を叩き怒鳴った。
 宴の席に居る面々の視線が、一気に彼に集まる。
「言うに事欠き、シエンの兵士を我が国王軍へ入れるだと? 余所者など貴様らだけで十分だ、これ以上フィードニアを穢されてたまるか……!」
「ブノワ殿の言われる通りだ。そもそもシエンの兵士などを国王軍へ入れるとは、みすみす刺客を内部に招き入れるようなものではないか…! 余所者など信用出来ぬ、貴様同様にだ…!」 
 ブノワが顔を赤黒く染め憤怒し、ドゥーガルがたたみ掛けるように捲し立てた。

 ブノワもドゥーガルも、四十後半と五十過ぎの、共に古い慣例に重きを置く人間である。平民出身のジェドが総指揮官であるのにも、内心は快く思ってはいないのだろう。だがそれでも、彼もフィードニア本国の人間である。クリユスとラオがフィードニア国王軍へ入るまで、国王軍の将校達は皆、小国であった頃のフィードニア国内出身の者達だったのだ。
 故に他国出身のクリユスやラオが我が物顔でフィードニア国王軍に居座り、この上更に余所者を入れろと言いだした事に、怒りも心頭に発したといった所だろう。

「しかし実力のある兵士を、ただ国境警備の職に就かせている程の余裕や暇など、我が軍には無い筈です。それをしないでいるのは、やはりジェド殿に頼ろうとする意識が拭いきれていないからなのではないでしょうか」
「何をほざくか、この無礼者が……!」
「まあ落ち着け、ブノワ」
 いきり立つブノワをいさめると、ライナスはクリユスに顔を向ける。
「だが実際、元シエン領兵士をフィードニア国王軍へ入れたとして、その男達も今まで敵対していた国の軍で、そう易々と武勲を立ててやろうという気にもならんだろう。いくら腕の立つ者を入れた所で、足並みが揃っていなければ邪魔なだけだ」
「確かに、そうですね。兵士の数が多くなればなる程、統制は取り難くなります。ましてや他国の兵士が入り混じれば尚更。―――ですがさまざまな立場の人間が志を同じくする方法が、一つだけあります」
「何だ?」
 クリユスは口の両端を吊り上げた。
「―――――信仰ですよ」
「信仰」
 どういうことだという顔を、ライナスはした。
 クリユスが次の言葉を発するのを、男達は静かに待っている。
 彼はまるで勿体つけるように、一言一言をゆっくりと話した。

「自分の信ずるものの為に、己の命さえ捨てても構わぬと思えるものが、兵士達にあれば良いのです。このフィードニアに、そんな信仰の対象となり得る存在を作り上げるのです」
「くだらん、そんな都合の良いものがある訳ないではないか…!」
 聞く耳持たぬと、ブノワが腰を上げる。
「それが、あるのですよ。既にこのフィードニアに」
 クリユスはにこりと笑って見せた。

「フィルラーンのユリア様。彼女を、我がフィードニアの戦女神に仕立て上げるのです」

 今までずっと黙って話を聞いていたラオが、僅かに顔を曇らせクリユスを見詰める。
 だが彼はそれには構わず、その場にいる者にひっそりと話し始めた。―――彼の計画の全てであり、ほんの一部分であるその話を。









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