41: 覚悟
「――――――私に、戦場へ行けというのか」 国王軍からの正式な使者としてフィルラーンの塔へ現れたクリユスに、一体何事かと面会してみれば、彼が告げた話の内容はとんでもないものだった。 「戦場と申しましても、後方で待機し兵士達を見守っていて頂けるだけで良いのです。神の子であるフィルラーンのユリア様が傍に居るだけで、兵士達の心は支えられるのですよ」 「馬鹿なことを言うな、戦場へ出るフィルラーンなど、聞いたことも無い」 「前例がないからこそ意味があるのです」 クリユスはユリアの手を取ると、にこりと微笑んだ。 「戦場などと聞いてご心配なさるのも無理はありません。ですが警護の者は充分付けますし、何よりこのクリユスが、命に代えても貴女をお守り致します…」 「だが、しかし………」 ただの試合でさえ戦いなど見ていたく無いというのに、戦場になど行ける訳が無い。戦場という殺し合いの舞台へこの身を置く事を考えると、それだけでユリアは眩暈を起こしそうだった。 そんな彼女の心を知ってか知らずか、クリユスは彼女の手を離すと、自身の額に軽く指を当て、小さく溜息を漏らす。 「フィードニア国王軍を大きなものとし、統制の取れた軍へと成長させる為には、ユリア様のお力が必要なのです。―――それは貴女がお望みだった事である筈ですが……そこまでのお覚悟はありませんでしたか」 「クリユス」 狡い男だ。そう言われてしまったら、ユリアの性格上なおも嫌だとごねられる訳が無かった。 「―――剣を習えと言ったのも、試合を最後まで見ていろと再三言っていたのも、この為か」 その問いに、クリユスはただ笑顔を見せただけだった。 だが恐らくはその通りなのだ。かなり初期の頃から―――ひょっとすると、クリユスが入軍試験を受けていた時から既に、ユリアを戦場へ出す事を考えていたのだろう。 ラオとライナスが試合を行っていた時、ふと死んだイアンを思い出し青ざめたユリアに、クリユスは塔へ戻るなと言い放ったのだった。先の国王軍入軍試験もまた、しかりである。 試合観戦ごときで気分を悪くしていては、戦場になど行ける筈が無い。 戦いにユリアを慣れさせようとしていた訳だ。 クリユスがこうと決めたのなら、ユリアにそれを逃れる術があるとは思えなかった。 元々国王軍強化はユリアが望んだこと。もしユリアが戦場へ行く事を拒否したなら、彼はもう自分に二度と協力してくれないかもしれないのだ。 だが、それにしても戦場へとは――――。 己にはそれしか道が無いのだと、頭では理解してみたものの、感情が付いていかない。 分かったと、その一言をユリアは直ぐには言えずにいた。 その時、扉の向こうでずかずかと足音を立てて歩く音が聞こえた。 フィルラーンの塔で、こんな無遠慮に我が物顔で歩く無礼者など、一人しかいない。 間もなくしてユリア達の居る面会の間の扉が、ノックも無く開かれた。現れたのは、やはり予想通りの男である。 「おい、この女を戦場へ連れて行くなどと、くだらぬ策を考えたのはお前だな。この俺に報告も無く決定とはどういうつもりだ……!」 部屋へ入るなり、ジェドが吼えた。 「これはジェド殿……申し訳ありません。いつものように、好きにしろと仰られるかと」 「ふざけた事を言うな、このような策許可は出来ん。女など戦場に連れていけるか……!」 「しかし…王には既に許可を取っておりますが」 「何だと?」 先に王から口説くとは、相変わらずの用意周到さである。 だが明らかに怒気を帯びたジェドに対し、良くもそれをぬけぬけと言えたものだと、ユリアは感心をした。ぴりりと張りつめた空気の中、彼女は息をする事さえ 「小賢しい男だな。この俺に逆らうか」 ジェドは威嚇するようにクリユスを睨みつける。 「いえ、そのような」 取り成そうとするクリユスに対し、ジェドは顎を動かし扉を指し示した。 「――――もう良い、お前にはこれ以上用はない。さっさとここから立ち去れ」 「ジェド殿、ユリア様の件でしたら」 「――――聞こえ無かったのか。この俺が消えろと言っているのだ……!」 ユリアとジェドの間を遮るように前に歩み出たクリユスに、ジェドの怒号が走った。それは雷鳴を思わせるような怒号だった。 「は……」 流石のクリユスも、こうなったジェドに逆らえる筈も無い。ユリアに何か言いたげな視線を寄越したが、諦めたように踵を返し一礼すると、部屋を出て行った。 「………まさかのこのこと戦場へ出て行こうなどと、思ってはいまいな」 二人残された部屋で、ジェドが冷たい視線をユリアへ寄越す。 「無礼な言い方をするな。私だとて、行きたくて行く訳では無い。……だが王が許可を出したというのなら、最早私が行く事は決定なのだろう」 「フィルラーンが戦場に出るなど有り得ぬ話だ、断れない筈が無いだろう。足手纏いを連れて戦場へ行くなど俺は御免だ、付いてくるな」 ユリアだとて、心の底から行きたくないと思っているのだ。だというのに彼女を責めるような口振りのジェドに、ユリアは腹が立った。 「戦場へこの私が赴いて役に立つ事があるなどと、私だとて思ってはいない…!だが私が兵士達の為に祈る事で、兵士達の心が安らぐのだと、クリユスが……」 ユリアの台詞は、叩き割られた花瓶の音によって遮られた。面会の間に飾られていた花瓶を、ジェドが突然床に叩きつけたのだ。 驚きの余りその場で固まるユリアを、ジェドは睨みつける。 「――――クリユスクリユスと五月蠅いのだ、お前は……! お前はあの男が言えば何でもやるのか……!死ねと言えば死ぬのか、抱かせろと言えばあの男に体を預けるとでも言うのか……!」 「な………」 よりにもよって、何という下世話な事を言い出すのだ、この男は。 「愚かな事を口走るな。クリユスが、そのような事を言い出す訳がない…!」 「口にせずともそう思っている。男など皆同じだ」 「何という事を―――」 彼を侮辱するこの男が許せない。怒りの為、ユリアの体が小さく震えた。 知らずのうちに、掌をジェドの頬へ向け放っていた。この男を引っ叩いてやりたかった。 だがすんでの所でその手はジェドに掴まれ、それは叶わなかった。 「――――離せ……!」 振りほどこうとすると、ジェドが手に力を入れた。締め付けられる手首の痛みに、ユリアは顔を顰める。 「振りほどいて見せろ」 言いながら、ジェドは薄く笑う。 からかっているのか―――。 ユリアはジェドから離れようともがいたが、その手を振りほどく事は出来なかった。 「――――掴まれた腕を振りほどく事も出来ない。そんなお前が戦場でどうやって身を守るのだ。戦いが始まれば戦士は皆、お前になど構っていられぬぞ」 「そ……そんな事、分かっている……! いい加減離さないか……!」 「離せと言って素直に離す敵がいるのか?」 ジェドが馬鹿にしたように鼻で笑った。 「お前は何も分かっていない。戦場で敵に捕まれば、どのような事になるのか―――」 ユリアを掴む反対の手が、彼女の顎を掴み上を向かせる。 「あっ―――」 ジェドの唇が、ユリアのそれを塞いだ。 「い、やだ………!」 一度ならず二度までも、この男にこのように好きにされようとは―――。 愛などという物は存在しない、相手を屈服させる為だけの口付けに、屈辱と怒りが彼女を支配する。ジェドに対する憎しみで、胸が潰れそうに苦しかった。 「お前を殺してやりたい」 ジェドを睨みつけるユリアの瞳から、一筋の涙が流れた。 「やってみろ。俺を殺す事が出来るなら、戦場へ行っても兵士として十分戦えるであろうさ」 くく、とジェドは笑う。 「―――だが神の子で無くなったお前を、戦女神などと 再びユリアに口づけると、ジェドはやっとユリアを解放した。 力が抜け、少女は床へと崩れ落ちる。 何故涙が流れるのだろう、とユリアは思った。 怒りの感情が溢れて泣くのか、それとも己の不甲斐なさが悔しくて流れ落ちるのか。もうそれすらも解らなかった。 ただ、こんな男の為に、こんな風に泣く事は二度としたくなかった。 戦場へでもどこへでも、行こうとユリアは思った。 この男から逃れられるのならば、この苦しみから解放されるのならば、どんな事でもしてみせよう。 クリユスの指し示す道が己の進む唯一の道。後戻りする道など、既に残されてはいないのだ。 ――――――覚悟は出来た。 |
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