32: リョカ
リョカは小さな村だった。 カナル街から半刻程馬を走らせた所にあるその村は、だがカナルに比べ余りにみすぼらしく思えた。なまじ近い所にある分、その華やかさと侘しさが一層際立って見えるのだ。 それに本来であれば、このリョカもカナルと同様に栄えていてもおかしくない筈だった。そう、クリユスの言うことが正しいのであれば。 ロランはこの殺風景な村をぐるりと見渡し、恐らくここには一軒しかないだろうと思われる飯屋の中へ入った。 店の主人らしき男は客と同じテーブルに座り、親しげな様子で相手と話しこんでいる。 客はその一人だけだった。 朝食には遅く、昼食には早い時間ではあるが、例え繁盛する時間帯であったとしてもあまり客は入らないだろう事が、隅の机にうっすら被った埃から伺えた。 一階は飯屋、二階は宿屋なのだろう。上へ続く階段が店の奥にある。だがこの分だと、そちらも利用客は少ないだろうと思えた。 主人は見慣れぬ客をじろりと見ると、愛想悪く「何にするんだ」とだけ言った。 裕福な観光客には明らかに見えないロランの身なりから、金を落とさない客だと判断したのだろう。 彼は今、武具を脱ぎ、町民が着るような簡素な衣服を身に着けていた。 無愛想な男だが、他に客がいない以上、この二人の男に話を聞くしかしょうがない。 「なあ、フィードニアの英雄の故郷がこの村だって聞いたんだけど、本当なのかい?」 ロランは二人の男が座る席の、その左隣に位置する机に腰掛けると、店主に向かい適当な料理を注文した。 それを受け、厨房へ戻ろうとのっそり立ち上がった男に、彼は気さくな口調で問いかける。 「何だって?」 店主が胡散臭そうな目を向けてきた。 「いやさ、カナルの祭壇を見に行ったら、そこでそんな事を小耳にしたもんだからよ。これは英雄の故郷も見ておかなきゃってもんだろ? だからわざわざここまで足を運んだのに、この寂れようじゃなあ」 頭を掻きながら、彼は困惑した表情を作ってみせる。 店主はふん、と鼻を鳴らした。 「そりゃあ英雄の故郷だったらこんな寂れきったままの筈は無いよなあ。国からそれなりな恩恵も与えられるだろうしよ」 そう言う男の顔には、皮肉めいたものが滲んでいた。 「国からの恩恵?」 首をかしげるロランに、もう一人の男が口を開いた。 「知らねえのか? 一昔前――もう十数年前になるが、今までは貴族しか将校職に就けなかった国王軍が、平民出身でも実力次第で将校職に登用される事になったのは――まあ知ってるな? その時、王はもう一つ布令を出したのさ。それだけの能力を持つ者を排出した家と村には、報奨金を与えるとな」 「へえ…知らなかったな。今はもう無い制度だろ、それ。十数年前って言ったらこの国も潰れる寸前だったって言うじゃないか。国も必死だったんだな」 本人では無く、家と村に報奨金を与える。なるほどなとロランは思った。 折角の逸材がいたとしても、若い働き手を失って困る家族や村がその人物を出したがらない可能性は少なからずある。けれどそれを余る金が手に入るとしたらどうだろう。困窮している家や村程、その申し出は魅力的であるに違いない。 だがそれ程の恩恵が与えられたとして、それでも家族は愛する息子や夫を兵士にする事を嫌がるかもしれない。だから村にも報奨金をという話になるのだ。 こういう村社会では、村全体で決められた事に個人が逆らえる筈もなかった。 「話の流れからすると、じゃあこの村はその報奨金ってのを貰ってないって事か。小隊長どころか総指揮官、この国を救った英雄だもんな。報奨金はそりゃ凄い金額だろう。それを貰ってこんな寂れた村でいる訳もないもんなぁ…。じゃあ英雄の故郷ってのは只の法螺話だったんだな」 クリユスの勘が珍しく外れたということか。だったらこんな所に何時までも居る必要もない。ロランが腰を上げかけたその時、店主が運んできた料理を机に無造作に置いた。 そして憎々しげに呟く。 「――あの糞餓鬼は、裏切り者なのさ」 「え?」 「あの糞餓鬼はな、育てて貰った恩も忘れて、親とも、この村とも勝手に縁を切りやがったんだ。そうして報奨金を独り占めしやがったのさ……! 何が英雄なもんか」 店主は吐き捨てるように言う。もう一人の男も、眉間に皺を寄せていた。 「ちょ…ちょっと待てよ、じゃあ英雄の故郷がこの村ってのは本当なんだな?」 「そうだ。ジェラルドの奴は、確かにこの村の出さ。ふん、あの化け物が、戦いで人を殺せば英雄とはな、良い御身分だぜ」 店主の言葉に、ロランは軽く混乱した。 「待ってくれ、ジェラルド? 誰の事を言っているんだ、あんた。フィードニアの英雄の名前はジェドだぜ? まあ、確かにちょっと似た名ではあるが―――」 「ジェドだと? そうかあの餓鬼、親だけでなく、親から貰った名前まで捨てやがったのか。――まあ、聖人面で英雄と祭り上げられる男の正体が、只のイカれた人殺しだとばれるのが嫌だったんだろうがよ」 言いながら店主は一人納得する。 (只の人殺し―――) ジェドが国王軍へ入ったのは、たった十一歳の少年だった筈だ。そんな子供が、村の人間にここまで言われる程の事をしたというのだろうか。それはロランの中では、少々考えにくい事だった。 しかもその少年の名はジェラルドという。全く訳が分からない。 この男の言う人物は、本当に自分が知るフィードニアの英雄と同じ人物なのだろうか。 「なあ。人殺しって…それは、どういう事なんだ?」 「だから、あの餓鬼はなあ―――」 「おい、よせ。喋り過ぎだぞ」 店主が口を開こうとするのを、もう一人の男が 見もしない男に喋りすぎた。―――いや、物見遊山でぶらついて来ただけの、見知らぬ他人だからこそ、思わず気楽に喋ってしまった。店主からはそんな感じが伺えた。 「あ、ああ―――。何でもねえよ、小僧。 兎に角、確かにここは英雄の故郷かもしれないが、今は全くあの男とは関わりの無い土地だ。他にそれ以上話す事はねぇな」 「なんだよ、詰まらねえな」 ロランは肩を竦め、随分冷めてしまった豆の煮物を口にした。 これ以上あれこれ詮索しても、怪しまれるだけだろう。ここで聞ける話はここまでという事か。 机に金を置き、今度こそロランは立ち上がった。 「こちそうさん。ま、折角だからぶらりと村を回ってから帰る事にするよ」 「あ、おい小僧。村を回るのはいいが、村の奥から谷に続く道へは出るなよ。そこはミューマの住処になってるからな」 「ミューマ? こんな人里近くに住処があるのか」 ミューマという獣は、肉食で凶暴な性質を持つ獣である。 「ああ、だが谷の手前にミューマが嫌がる匂いを放つ、月霊草が植わっているんだ。だからこの村へ近づいて来る事は無い」 「へえ…分かった、気をつけるよ。忠告ありがとな」 ロランは店を出た。 そういえば、ジェドが国王軍への入隊を許可されたのは、ミューマを倒してみせたからだと聞いた。 ミューマはどこにでも現れるというものでもない。ジェドがここの出身であるという話に、それは上手く符合する。 谷へと続く道は、村を出て直ぐの所でロープが張られ、塞がれていた。 『ここから先はミューマの生息地により、立ち入りを禁ず』と書かれた看板も置かれている。 ただ、塞がれているといっても、道の端から端に三本のロープが張られているだけで、それはその道へ入らせない為というよりは、看板へ注意を促す為の物に過ぎないようだった。 意志を持って越えようと思えば、簡単に向こうの道へ出る事が出来る。 十二年前、僅か十一歳の少年はこの小さな村から抜け出し、そして名声を手に入れるため、ここを超えたのだろうか。 店主の言う通りなら、少年は親を、村を裏切り、名声と共に金をもその手にしたということだ。 そして己の罪を捨て去るように、ジェラルドという名さえ捨て去ったのだ。 それはあの傲慢な英雄に似つかわしい逸話だと思った。そう思う一方で、だがどこか違和感を感じてならい。それが何なのかは自分の中でも上手く言い表す事は出来ないのだが。 ロランは村をぐるりと回り他の村人にも話しかけてみたが、結局、飯屋で聞いた以上の情報を得る事は無かった。 この村は余所者に対して、警戒心を露わにする者が多い。閉鎖的な村だと、ロランは思った。 建てつけの悪い建物の窓が、カタカタと鳴っている。 空は気持ちよく晴れているというのに、何故か霧が掛かっているかのような重苦しさを、この村に感じた。 英雄の事をあの店主は只の人殺しだと言い放った。 ロランも確かにジェドの事を、彼と同じように只の人殺しだと思っている。何が英雄なのだと。 だがあの店主の言葉には、何か気分の悪いものを感じた。 『あの化け物が、戦いで人を殺せば英雄とはな―――』 ロランは思わず息を吐きだす。この村で深呼吸をすると、陰鬱なものまで吸い込みそうな気がした。 |
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