33: カナル街へ4
カナルの街へ戻ると、祭壇の置かれた広場で、清めの儀式が執り行われている最中だった。 先の戦いに参加していなかったロランにとっては、今回の清めの儀式は関係の無いものではあったが、ユリアの姿を見たいが為に祭壇の端に立ち寄った。 祭壇の上に立つ少女の金の髪が、日の光を受けて輝いている。 その姿を見て、彼は先程リョカ村で感じた心の中の鬱屈した気分が、霧が晴れるように無くなって行くのを感じた。 だがそれとは別に、何か違和感を感じる。 流れる金の髪。―――そうだ、彼女は権威の象徴である筈の、ラティを外してしまっているのだ。 公の場で、しかもこのような大勢の兵士たちの前で、一体何故―――。 驚愕し壇上を呆然と見上げるロランに向け、一人の男が手を上げた。彼は気さくな笑顔を寄越してくる。ハーディロン家の嫡男、アレク・ハーディロンだ。 「よお、護衛が姫を置いてどこへ行ってたんだよ。まあお陰で俺が変わりに彼女の護衛を勤められた訳だけどな」 姫、という言い方が小馬鹿にしているようで、ロランの気に障った。 「……それは失礼致しました、アレク殿。手間をお掛けしたようで」 「おいおい、よせよ敬語なんて。小隊長とはいえ国王軍様だろ、あんたが俺に敬語を使ったら、俺もあんたに使わないといけなくなるじゃないか」 「はあ……」 何なんだ、この男は。 嫌に軽い口を吐くこの男が、ロランは気に喰わなかった。 「で、どこに行ってたって?」 「……あんたには関係ないだろ」 「お。なんだ、女か?」 にやにやとアレクは笑う。どいつもこいつも、皆言うことが変わらない。 ロランが黙っていると、アレクは詰まらなそうな顔で鼻の頭を掻いた。そして腕組をし、壇上のユリアに視線を戻す。 「あんな綺麗な女が近くにいたら、他の女が見劣りしちまうよな。 かといっていくら良い女でも抱ける訳じゃあるまいし、護衛役も役得だか何だか分からんな」 「抱――何言ってるんだ、貴様」 ロランは腰に こんな男こそ、不敬罪で切り捨てられるべきなのだ。 だが伸ばした手を、ロランは辛うじて押しとどめる。 清めの儀式の最中に、血を流す訳にもいかなかった。それに相手はハーディロン家の子息である。無礼討ちで通る相手では無い。 ロランは拳を握りしめ、ただ相手の男を睨みつけた。 「おっと…何だよ、怒ってんのか? もしかして本気でフィルラーンに惚れちゃってんの? 馬鹿だなーお前」 「そんな事では無い、お前になど分かってたまるか」 ヘラヘラと笑うアレクの胸倉を、ロランは掴む。そして声を落とした。 「二度とユリア様に対して無礼な口を叩くな。これ以上彼女を侮辱するのなら、もう二度とその口を開けないようにしてやるぞ」 凄むロランに、アレクは三度瞬きをした後、肩を竦めた。 「怖い怖い、分かったよ。冗談が通じない男だな、あんた」 胸倉を掴まれた手を振りほどきながら、アレクは嫌そうな顔をしたが、だがにやついた表情は変わらずその顔に貼り付いている。 「しかし、彼女は変わったフィルラーンだな。清めの儀式の為に自ら王都を出るフィルラーンなんて、聞いたことも無い。ましてや兵士達の前でラティを外してみせるなんてな。見ろよ、兵士どもの心酔しきった顔を。まるで天上の神が地に降り立ち、目の前に現れているかのようじゃないか」 見渡すと、確かに兵士達はそんな目でユリアを見ている。 それもそうなのだろう。ユリアはフィルラーンには珍しく、民衆の前にその姿を現す事が多いのだが、しかしそれは王都内に限った事なのだ。外の民にとっては、神の子である彼女の存在は神にも等しい。 そんな存在が、自分達の為にわざわざこの地まで足を運び、そして権威の象徴であるラティを取ってみせる。神が己に手を差し伸べているような感覚に陥っても不思議では無かった。 まして彼女のあの美しさだ。 ロランは日の光を受けて輝くユリアを見上げ、目を細めた。 こんな儀式、早く終わらせて王都へ戻りたい―――。 ユリアを崇める男共を見るうちに、何故だか急に苛立ちを感じた。 ユリアが祈りの言葉を紡ぐのを止め、錫杖を置いた。清めの儀式が終わったのだ。 祭壇上から彼女が降りてくるのを迎える為、ロランは祭壇の下へ駆け寄る。だが階段を降りる少女の手を取ったのは彼では無く、アレクだった。いつの間にか、あの男は階下に陣取り、そして澄ました顔で彼女に手を差し伸べていた。 「お疲れ様でございます、ユリア様。こうして間近で清めを受ける事が出来、兵士達は感激しておりましたよ。どれだけ礼の言葉を尽くしても、言い足りない程です」 「そうですか、ですが そういうユリアの目が、ロランを捉えた。彼女はアレクの横をするりと抜けると、ロランの目前までつかつかと歩いて来、そして怒った顔をみせた。 「ロラン、お前は―――」 ここで辺りを気にするように、彼女は小声になる。 「今まで何処に行っていたんだ、急に居なくなっては心配するではないか…! 第一お前は私の護衛でここへ来ているのだろう、断りも無く勝手に傍を離れるな」 「心配――して頂いたのですか……」 申し訳ないという気持ちより、嬉しさが勝った。 傍を離れるなという言葉がロランの中で反芻される。鼓動が早まるのを、彼は抑えきれなかった。 「当り前だろう。それにアレクにも迷惑を掛けたのだ、お前の代わりに護衛を務めてくれたのだからな。お前からも礼を言っておけ」 「はい、それはもう」 気に入らない奴ではあるが、彼女がそういうのならば、礼くらい幾らでも言ってみせるというものだ。 丁重に礼を述べるロランを、アレクは奇妙なものでも見るような目で見返してきたが、それもロランには気にならなくなっていた。 どれだけ不快な男であろうと、どうせ王都に戻ってしまえば関係のない男だ。せいぜい戦場で顔を合わすのみである。 そしてこの男がユリアとこのように再び会い交える事など、二度と無いに違いなかった。 「で、どこへ行っていたんだ? またクリユスの用事か」 王都へ戻る為、荷物を再び馬車へ運び込むロランへ、ユリアが話しかけてきた。 「ええ、まあ…」 ロランは言葉を濁す。クリユスに頼まれた仕事をしていると彼女に言ってはいるものの、フィードニアの軍人をこそこそと調べ回っているのだという事は、知られたくなかった。 「ユリア様、荷物を運び終わりました。いつでも出発出来ますが」 「そうか。 ダーナ、本当にカナル街を見て回らなくて良かったのか? 私は王都以外の街を気ままにうろつく事など出来ないが、ダーナだけでも楽しんでくれば良かったのに」 ユリアが清めの儀式を行っている最中、ダーナはハーディロン邸で待機していたらしかった。 「まあ、ユリア様が職務に就かれている時に、私だけ遊んでいる訳にはまいりませんわ…! それに一人で街へ行っても、きっと楽しくありませんから」 「そうか…」 ユリアは残念そうな顔をする。 世話役のこの少女が喜ぶ所が見たかったのかもしれない。彼女はそういう素振りを見せる事がよくあった。 「ではハーディロン公へ挨拶して参ります。ユリア様が戻られる時は、見送りしたいと仰っておりましたので」 「ああ、では私も―――」 ユリアがロランと共にハーディロン邸の門を潜ろうとした、その時。 「―――ユリア様……!」 少し離れた雑踏の中から、ユリアの名を呼ぶ女の声が響いた。 その声の主は真っ直ぐにユリアを見詰めている。女はユリアをその目で捉えたまま、雑踏から抜け出して来た。 華やかなカナルの街には不似合いな、みすぼらしい格好をした中年の女だ。恐らく農婦なのだろう。洗ってはいるようだが、その服には土の色が染みついていた。 「ユリア様、お久しぶりでございます…!」 女は感慨深げな表情で、ユリアの方へ歩み寄ってくる。 「―――ユリア様、お知り合いの方ですか…?」 ロランがユリアの方を振り向くと、そこには驚愕の顔のまま固まった彼女が居た。 「あ………あ………」 彼女の顔からは血の気がみるまに失われてゆく。こんなにも狼狽するユリアの姿を見るのは初めてのことだった。 「止まれ、何者だ」 咄嗟にロランは剣を抜き、近づいてくる女へ剣先を向けた。彼女のこの態度を見る限り、女がユリアにとって友好的な存在であるとは思えない。 だがユリアは剣を持つロランの手を掴むと、顔を小さく横へ振った。 「や…止めろ、ロラン。剣をしまうんだ」 「ですが」 「いいんだ、知っている方だ」 「………そうですか」 ロランはしぶしぶ剣を鞘へ納める。その瞬間、女はユリアの元へ駆け寄ると、彼女の足にすがりつくようにして跪いた。 「ああユリア様、お会いしたかったです。ユリア様、私を――私の村をお助け下さい。ねえ、助けて下さいますよね。貴女は慈悲深いフィルラーンであるのだから」 足にしがみ付かれているユリアは、身じろぎする事も出来ず、固まった表情のままただ女を見下ろしていた。 女が顔を上げ、媚びるような眼をユリアに向ける。 だが合わさった目を恐れるように、ユリアは顔を逸らした。 「も……申し訳ありません……。私には、己の自由になるものなど何も無いのです……」 「何を言うのです。フィルラーンは国の宝なのだから、何でも思うがままなのでしょう。贅を尽くした物に囲まれて過ごしているのでしょう? 貴女が今そうして居られるのも、私たち親子の犠牲の上にあるのだから、少し位私達に慈悲を下さっても良いでしょうに…!」 「それは、分かっています……ですが私には……」 ユリアは肩を震わせ掠れた声で言う。 これ以上黙ってみている事が、ロランには出来なかった。 「おい女、無礼打ちにされたいか。そうで無ければ、早々にここから立ち去れ…!」 ロランは再び剣を抜き、女へ突き付ける。 女は「ヒッ」と裏返った声を上げ、ユリアから慌てて離れた。 「止めないか、ロラン……!」 青褪めた顔のままユリアがそれを咎めたが、最早大人しく従うつもりはロランには無かった。 相手がユリアにとってどんな存在なのかは知らないが、そんな事はどうでも良かった。ただ彼女に害を成す人間であるならば、排除するのみだ。 「ダーナ様、ユリア様を連れてハーディロン邸へ入っていて下さい」 「あ…っ。は、はい……!」 不安げな表情をしたまま立っていたダーナが、その言葉に背筋を伸ばす。彼女はユリアの背中を押すようにして、ハーディロン邸への門を潜るよう促した。 「お待ちください、ユリア様…! 私を見捨てるというのですか…! 私から息子を奪っておいて、よくもそんな仕打ちが出来たものだ…! この恥知らず……!」 女はユリアの背中へ向かい、外聞も無く叫ぶ。その顔は、醜悪に歪んでいた。 「黙れ、これ以上は聞くに堪えん。ユリア様を愚弄するなど、許し難い罪であるぞ…!」 ロランは剣を構え、女を睨みつけた。女は弾かれたようにその場から逃げ去る。その姿は、直ぐに雑踏の中へ消えて見えなくなった。 「何だと言うんだ、全く……」 ロランは誰もいなくなった屋敷の前で、一人呟く。 ユリアの故郷はもっとずっと南の地であり、更には幼少の頃からラーネスへ行っていた彼女にとって、カナル街は見知らぬ土地の筈である。 なのにこんな処で知り人に出くわすなどという事があるのだろうか。 しかも、あのような因縁めいた事を口にする女と、である。 (―――リョカと言い、この辺りの土地はどこか謎めいている) ロランは剣をしまい、ユリアを迎える為屋敷へと足を動かした。 分からない事をあれこれと今考えてもしかたがない。 とりあえず、ここで自分が見聞きした事を全てクリユスに伝える。己が果たす役割は、ただそれだけだ。 ユリアの過去に何があろうと、ロランにとっては何の関係も無かった。それが何であれ、彼女に対する忠誠心が薄れる事などありはしないのだ。 自分が仕えているのは、今己の目の前に立つ、彼女自身でしかないのだから。 |
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