164: 軍議






 夜半、戦地後方にあるフィードニアの陣営で、上級将校のみが一つの天幕に秘密裏に集められた。
 集った面々は誰も彼もが重々しい顔付きをしている。嘗て無い事態に皆、動揺を抑えきれずに居た。
「……ジェド殿が倒れたというのは、確かなんだな」
 眉間に深い皺を寄せながら低い声で問うハロルドに、ラオとクリユスは頷いた。
「確かです。嘗て間諜としてフィードニア国王軍に入り込んでいたユーグが、この戦場にも紛れており、彼の者の剣に身体を貫かれた所を、遠目ではありますが確かに見ました」
 クリユスが答えると、その場にざわめきが起こる。
「馬鹿な、ユーグごときに……!」
「総指揮官殿が負けるなど、信じられん。有り得ぬことだ」
 口々に否定する言葉に、クリユスは静かに首を横に振る。
「信じられぬことではありますが、事実なのです。私が見たところ、ジェド殿は全く抵抗をしておりませんでした。何かユーグに弱みを握られでもしたのかもしれません」
「あの男に弱みだと、それこそ有り得ぬことだ」
 歩兵大隊長ブノワが憤慨してそう口にしたが、クリユスには一つだけ思い当たることがあった。いや、ジェドの弱みなど、一つしか思い当たらないと言った方が正しいか。
(――――ユリア様に、何かあったのでは)
 そう思うと居ても立ってもいられない。あの時、ユーグが手にしていた物を見て、ジェドは動きを止めたように見えた。金色に光るあれは、ユリア様の髪では無かったのか―――。
 真偽を確かめに今すぐにでもフィードニアへ戻りたい所だったが、この状況で戦場を離れるわけにもいかない。焦燥感が募るばかりだ。
「ユーグの剣に倒れ、それでその後ジェド殿はどうなったのだ。安否さえわからんのか」
 ハロルドの問いに、第四騎馬中隊長ヴェルナーが遠慮がちに答える。
「負傷された後、落馬した所を見たという者がおりますが…何しろ敵兵に阻まれ近づけなかった為、確かではありません」
「なんと…ティヴァナに既に首を取られているということは無いだろうな」
 渋い顔をするブノワに、ハロルドは首を横に振る。
「いや…もしそうであったなら、とっくにティヴァナは陣営に首を掲げ、こちらに降伏を要求してきているだろう。俺ならそうする、敵の士気を下げるにはそれが手っ取り早い」
 確かにそれはそうだろう。ジェドはフィードニア軍にとって、ただ総指揮官であるだけではない。英雄であり、ケヴェル神であり、絶対の信頼を寄せる存在であるのだ。そんな存在が敵の手に落ちたとなれば、士気が下がるどころの話ではない。
「いいか、なんとしてもジェド殿を探し出せ。深手を負いどこかに身を隠しておられるのならば、少しでも早く保護し命を救うのだ。最早命が絶たれているのだとしても、万が一にもその首が敵の手に渡ることなどあってはならん」
「は、直ちに諜報部隊を捜索に当たらせます」
 フリーデルは頷きそう言ったが、しかし、と続け眉間の皺を深くする。
「表立って捜索する訳には参りませぬな。ジェド殿の身柄がこちらに無いことを、みすみすティヴァナに知らせることとなってしまいます」
「ああ、それは拙い。ジェド殿が負傷していることは目撃者も少なからずいるから隠せんが、命に関わる怪我ではなく、無事だと思わせねばならん。敵側にも味方側にもだ」
「ではジェド殿はフィードニアの陣営で治療中と噂を流しましょう」
 クリユスが言うと、そうしてくれ、とハロルドが頷いた。
「――――いいか、この事はここに居る者意外には決して漏らすな。たとえ自軍の者にだろうとだ。いいな」
「は」
 皆が声を揃え答えたところで、ハロルドは椅子にどかりと座ると、盛大に髪を掻き毟り舌打ちをした。
「ええい、くそ! まさかこんな事態になろうとはな。あの、ユーグの奴めが、次々にやってくれるものだ」
 忌々しげに吐き捨てると、ふと思い出したようにラオに顔を向けた。
「そういえば、ユーグはどうなったんだ。倒したのか」
 話を向けられ、ラオはおもむろに頷く。
「ああ、倒しましたよ、アレクの奴がね」
「そうか」
 ハロルドが、いや皆の表情が幾分か和らぐのが見て取れた。
「ついに悲願を果たしたか。せめてもの救いだな、十分労ってやれ」
「ま、そうですね」
 ラオはそっけなく答えたが、アレクの頑張りを一番近くで見てきたのはこの男なのだ。この僥倖を誰よりも褒めてやりたいと思っているのだろうが、それを素直に口に出来る関係性ではないようだ。
 これでジェドさえ無事だったならと、つくづく思わずにはいられない。ユーグとの決着はティヴァナとの戦いには直接関係は無いが、それでも勢いづくことにはなっただろう。
 気付けば議題は今後の戦略に移っていた。しかしジェドを欠いての戦いとなることに、誰も彼もが今後の苦戦を思い沈み込んでいる。
 ジェド一人に頼る軍隊への危惧は、ジェドを排斥する為にユリアが用意した大義名分ではあったが、ここに来て本当にそのような事態に陥ってしまったことに、どこか皮肉を感じた。勿論ジェドがいなくとも、現在のフィードニア軍は十分に強大だが、それでも精神的な打撃は避けようが無かった。
(――――いったい、どこに居るのですか、ジェド殿)
 ジェドの不在を、いつまでも隠し通せる訳も無い。誤魔化し続けられるのも良くてひと月、いや半月程度しかもたぬかもしれない。それまでにジェドが見つからなければ、何か別の対策を考えねば。
(――――いや、そんなことよりも……)
 クリユスは知らず、唇をぎゅっと噛み締めた。
 もし貴方に万が一のことがあったら、私はどうユリア様に告げればいいのですか。貴方はユリア様を悲しませるおつもりですか。こんなにあっさりと死ぬなんて許さない。貴方は必ず生きて、帰って来ねばならぬのだ。
 今や信じておらぬ神にさえ縋り祈っていると、隣に座るラオが彼の心を見透かしたように呟いた。
「あの男が、死ぬもんかよ……」
 憮然とした表情のラオに、クリユスは頷いた。
「ああ、そうだな。ジェド殿がこんな所で死ぬわけが無いな」
「あんな不遜な男がやって来たら、天の国だって嫌がるってもんだ」
「違いないな」
 思わずくく、と笑うとブノワから叱責の視線を受け、クリユスは小さく肩を竦めた。

「クリユス、ちょっといいか」
 軍議が終わり天幕を出ようとしたところで、ハロルドに声を掛けられた。
「なんでしょうか」
 立ち止まると、傍に寄ってきたハロルドは言いにくそうに言葉を濁す。
「ちょっとお前に相談があるんだが……いつまでもあの方に頼るのもどうかと思うしな、これは最後の手段として、聞いて欲しい」
「はい」
 先を促すと、ハロルドはクリユスに近付き耳打ちした。
「――――しかし、ハロルド殿、それは」
「不遜なのは百も承知だ。危険な目に合わせるということも」
「だが兵士の士気を高めるには、それが一番手っ取り早い……」
 不甲斐ないな、と苦笑するハロルドを前に暫く逡巡し、そして頷いた。
「ならばその時は私に行かせて下さい。説得し、無事ここまでお連れします」
「正直お前にここを抜けられるのも痛いが、それが一番良いだろうな。頼む」
「はい」
 了承すると、ハロルドはクリユスの肩を軽く叩き、天幕から出て行く。気は進まなかったが、フィードニアに戻ることが出来るのはありがたい。それに勝利の為に使えるものは何でも利用するというハロルドの判断は、総指揮官として正しいものだ。しかしそうなる前に、ジェド殿が無事戻ってくれればいいのだが……。
 クリユスは天幕を出ると、柵の向こうに広がる戦場へ目をやった。動く人影は無い。飲み込まれそうに深い暗闇が、どこまでも続くばかりだ。












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