151: フィードニア王の返答 「なんですと」 軍議室に集まった国王軍の重鎮達の間に、ざわりと動揺が走った。 「それは本当ですか、クルト王が、本当にそう仰られたのですか」 ブノワを筆頭に、その場にいる兵士達が皆、ハロルドに詰め寄っている。 同盟の約定を破ったメルヴィンを、フィードニア国王軍はついに連れ戻すことが出来ず、逃亡を許すという不覚を取った。それに激したティヴァナが、代わりとなる王族の首を差し出すよう要請して来たのが先日の事だ。そしてその答えを、フィードニアの王が今日、ハロルドに下したのである。 「本当だ。クルト王は罪なき者の首を差し出す事など出来ぬと仰った。どうしても寄越せというのならば、全ての責は国王である己にある。故にクルト王自らの首を差し出すと、そう仰られたのだ」 「馬鹿な!」ブノワが吼える。「クルト王の首など、差し出せる訳が無い! お止めしたのでしょうな、ハロルド殿」 「無論だ」 ハロルドは机を拳で叩いた。 「どうして国王軍が、おめおめと自国の王の首を他国へ差し出せると言うのだ。それ位ならば戦いを選ぶ、同盟破りの謗りなど、最早知ったことではない!」 その言葉に、ブノワが深く頷いた。 「よくぞ仰られました、それでこそ誇り高きフィードニア国王軍の兵士と言うものです。皆、我等がフィードニアは、今よりティヴァナ国を敵国と見なす、異存は無いな」 「ありませぬ。クルト王は弱小だったフィードニアを強国へと生まれ変わらせた御方です。そのような偉大な王の首を差し出しては、フィードニア国王軍は後世まで汚名を残すことになりましょう。ならば骨身を失うまで戦う覚悟です」 フリーデルが真っ先に賛同の意を表し、それに続き皆が次々に手を上げる。 「私も賛同致します」 「私もです。いや、我等だけでなく、恐らく民だとて王のお言葉を知れば同意するに違いありません」 「そうだ、その通りだ」 湧き上がる声に答えるように、ハロルドが手を上げた。 「ではフィードニア国王軍は、ティヴァナの要請を拒否し、これより戦闘準備を始める。皆、休息は終わりだ。また暫く忙しくなるぞ!」 「おおーー!」 高らかに告げられた会戦への意向に、皆が奮起した。それに習い、バルドゥルも賛同の拳を挙げる。 恐らくティヴァナの王は、代わりの首という妥協案を一応提示することにより、一方的にフィードニアを攻める訳ではないことを諸外国に示したのだろうが、クルト王はそれを利用し、逆にフィードニア軍を奮起させてみせたのである。あの若き王よりも、我等が王の方が一枚も二枚も上手なのだ。 バルドゥルはこの成り行きをクルト王へ報告する為に、未だ湧き上がる軍議室をそっと抜け出した。 ――――あと少しです、クルト王。 喜びを噛み締めるように、バルドゥルは歩を早めた。 ――――遠きあの日に誓った、無謀とも思える大望が叶う時まで、あと少しの所に来ています。 ティヴァナとの戦いは、勿論簡単では無いだろう。だがそれでも、いつ消えるかも解らぬ小国であったかつての、あの絶望の日々を思えば、希望に満ち溢れているとさえ言えるだろう。 先を急ぐ彼の足取りは、決して軽いものではなかったが、それでも迷いなく真っ直ぐ前へと向かっていた。 * 『同盟の約定を破った首謀者の代わりに、王族の首を差し出せ』というティヴァナからの要請を、フィードニアは拒否した。 ティヴァナはその文言通り、通達から二十日過ぎた後に兵を動かし、現在フィードニアの傘下にあるトルバ領を攻撃した。これにより、二大国の同盟は事実上の終わりを告げたのだった。 「なんてことでしょう……」 ダーナが不安気に瞳を揺らした。 「折角連合国との戦いが終わったというのに、どうしてこのような事になるのでしょうか」 胸の前で祈るように手を組み、ユリアを見上げる。その彼女の小さな肩に手を置きながら、ユリアも眩暈を覚えた。 ティヴァナとはこれから長きに渡り、ずっと友好国で在り続けられると信じていたというのに。戦いは終わり、国々は平和を取り戻し、皆が幸せに暮らせる世の中になるのだと、これからは全てが良くなっていくのだと、そう思っていたのに、どうして。 「こうなった以上は仕方が無い、こちらも剣を向けられ黙ったままでいる訳にはいかんからな。国王軍は明日にでも出兵する」 淡々と告げるジェドに、ユリアは青褪める。 「明日、そんな急に……お前も、行くのか」 「当然だろう、この俺が行かなくてどうするというのだ」 「それはそうだが……けど」 あれから城内はずっと慌ただしくて、ジェドと二人きりで会う機会が取れずにいた。ユリアの気持ちも、誤解も何一つ話せていないというのに、明日には戦場へ行ってしまうというのか。それだけは嫌だ、ちゃんと自分の気持ちを告げなくては。 「ダーナ、済まないがジェドと二人で話をしたいんだ。少し席を外して貰えないか」 不安げな表情のダーナを一人にするのは少し気が引けたが、それでも今を逃したら、もうジェドと話をする機会は望めないだろう。ダーナはぱちりと瞬きをすると、何かを察したように笑顔を作り頷いた。 「はい、分かりました。では私はお茶の用意をして参りますね」 そう告げると、そそくさと部屋を出て行く。いつもの様に、何も聞かずにユリアの行動を全て受け止めてくれる彼女に、心の中で感謝した。 「それで……だな、ジェド」 しかしいざ二人きりになってみると、何から口にすべきか迷い、すぐに言葉が出て来ない。二人の間に束の間、沈黙が流れた。 「なんだ」 「あの、この前の……あの夜のことなのだけれど」 促され思いきって顔を上げると、ジェドは小さく肩を竦めユリアを見下ろした。 「そんな顔をするな。心配せずとも、この俺の命をお前にくれてやると言った、あの言葉を忘れてはいない。ティヴァナとの戦いが終わったら、必ず戻って来てお前に殺されてやる」 「あ――――……」 やっぱり、あの時ユリアの告白は聞こえていなかったのだ。 「ち、違うんだジェド。私はお前の命なんか欲しくは無い。私は―――――」 慌てて訂正しようとしたが、ジェドの目を真正面から見詰めると、とたんに鼓動が高まった。だがここで怯んでは駄目だ。言わなくては、自分の正直な気持ちを。 自分の耳で聞えるほどに脈打つ心臓を落ち着かせる為、ユリアはゆっくりと息を吸い込み、そして目を瞑った。 「わ――――私だって、お前が好きなんだ、ジェド」 言ったとたんに、火を噴きそうな程に顔が赤くなった。ああ、けれどとうとう告げられたんだ。沸き起こったのは、恥ずかしさよりも喜びだった。 ジェドはユリアの言葉をどう思っただろう。緊張や期待を 「ジェ…ジェド?」 ジェドは手をユリアの頭に乗せると、苦笑した。 「嘘を付くな、ユリア。俺がお前に愛を告げたからといって、俺への憎しみに罪悪感を持つ必要など無い。それがフィルラーンの慈悲というやつなのかも知れないが、心にも無い愛を示されても迷惑だ」 「え」 ぽかんとしていると、ジェドはユリアの頭から手を離し、くるりと背を向けた。そしてそのまま行ってしまいそうになる。 「まっ待って、ジェド。そうじゃない、私は――――」 慌てて追い縋るようにジェドのマントを掴む。 どうして、なんでそうなるんだ? 「私は、本当にお前の事が好きなんだ」 行く手を阻むようにジェドの正面に回りこむと、再び彼は肩を竦めた。 「そうか」 ならば―――とジェドは手を伸ばし、ユリアの腕を掴む。ぐいっと引き寄せられ、次の瞬間には彼の腕の中にいた。 「ジェドっ、なっ…何を」 もがくユリアを面白がるように、口の端を吊り上げる。 「この俺を想っているのだろう、ならば何を嫌がるんだ」 「それはそうだが、でもこれは」 違うではないか。お前は、私の言葉を信じていないのに。反論しようとするユリアの言葉を、ジェドは遮った。 「ユリア」 ふと笑みを消し真面目な表情になると、ジェドはユリアを見詰めた。 「戦場から帰ってきたら、恨み言でも何でも聞いてやる。だから今は、少しだけ我慢しろ」 「ジェ……」 顎を持ち上げられ、ジェドの顔がゆっくりと近づいて来る。ユリアは目を瞑った。 (ジェド―――) 頭の奥が痺れて、もう何も考えられない。広い背に手を伸ばすと、幸福とも不安ともつかぬ強い感情がユリアを襲った。 |
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