152: 決断 フィードニア王城の地下牢に、石壁を打ち破ろうかという轟音が鳴り響いた。 もう何度目か分からぬその音に、普段のクリユスならば「お前の馬鹿力でその鉄格子も折れ曲がって、脱獄出来るのではないか」などという嫌味の一つでも口にするのだが、流石に今はそんな余裕が無かった。 味方に付けてある看守から、逐一外の状況は知らせを受けていた。ティヴァナは既に兵を動かし、フィードニアは明日にでも出兵するという。 両国の同盟は完全に破綻したのだ。戦いを止める術は、最早残されていない。 「くそ……!」 クリユスは壁を拳で殴りつけた。 あと一日、いやあの夜が明けさえすれば、全てはクリユスが作った筋書通りに事が運んでいた筈だったのだ。 ユリアとジェドが結ばれ、そしてジェドはフィルラーンを国から奪った罪で国王軍から追放される。そうすればクルト王はティヴァナとの戦いを断念し、同盟関係を維持せざるを得なくなったのだ。 ユリアに幸せを与えられ、祖国も守る事が出来た。全てが丸く収まっていたのだ。それを。 「甘かった……国境警備隊に追いやったメルヴィンを、クルト王にこんな形で利用されるとは」 おかしいとは思っていたのだ。国境警備隊に居るメルヴィンを、わざわざ王都へ呼び戻しておきながら、少々の失態であっさりと王族位を剥奪し放逐した。あのクルト王のことだから、何かを狙っているとは思っていたのだ。だが何を狙おうと、ジェド殿が罷免されればフィードニアには最早、ティヴァナと同等に戦えるほどの力は残らない。そう考えメルヴィンのことなど放っておいたのが間違いだった。 「メルヴィンに監視を付けておくべきだった、いや、いっそのことさっさと始末しておけば……」 己の詰めの甘さが狂おしいほど腹立たしい。所詮は己も、クルト王の手の上で踊っていたに過ぎぬということか。 敗北感に打ちのめされているクリユスの隣の牢で、ラオが叫んだ。 「おいクリユス、過ぎたことで今更悔やんでる場合か。それより何とかならねえのかよ、こういう時こそお前のいつもの悪知恵を働かせろ」 「悪知恵とは、失礼だな」 クリユスは溜息を吐くと、自嘲した。 「こうなったらもう、戦いを止めるのは無理だ。せいぜい戦いが長引き、疲弊した両国が再び同盟を望むようになることを祈るだけだな」 「そんな悠長なことを言ってる場合かよ。くそ、こんな時に動けねえとは……!」 歯痒そうに鉄格子を殴りつけると、ラオは再び叫んだ。 「五月蝿いぞ、随分血の気が余っているようだな」 そう口にしたのはクリユスではない。 牢の入り口の扉が開かれ、そこから現れたのはジェドだった。 「ジェド殿、どうしてここに……」 困惑するラオに、ジェドは手にした鍵を投げて寄越した。 「そんなに暴れたければ戦場へ来い。夜が明けたら出兵する、己の身の潔白は己で証明するんだな」 それだけ告げると、ジェドはさっさと部屋を出て行こうとする。 「ジェド殿、いいんですか、勝手に俺をここから出して。……もし、俺がティヴァナ側に付いたらどうするんですか」 「何を言っている」 ジェドは顔だけラオの方へ向けた。 「お前は俺の直属部隊長だろう、つべこべ言わずにさっさと来い」 「は……はい!」 ラオは鉄格子の隙間から腕を出すと、先程の鍵で不器用に錠を外す。 「おい、ラオ。お前、まさかティヴァナと戦うつもりか?」 牢から抜け出るラオに、クリユスは問いかけた。それがどういうことか、分かっているのか? ラオはクリユスの前へやってくると、こちら側の牢につけられた鍵も開けた。 「そうだ、だがお前は好きにしろ」 「いいのか、それで。俺達の祖国だぞ」 立ち去ろうとするラオの肩を、クリユスは慌てて掴んだ。 「俺だって戦いたい訳じゃない。だがジェド殿に付いて行こうと決めた時、俺は祖国を捨てたのだ。何れこういう事態が起こったとしても、俺はジェド殿の直属部隊で在り続けると、その時心に誓ったのだ」 迷いの無い瞳で、ラオはクリユスに笑いかけた。そうなのだ、ラオはこういう男なのだ。 「じゃあな、次会った時はもしかしたら敵同士かもしれないが、そうなっても手加減はしないからな」 そう言い、ラオは今度こそ地下牢の扉を潜り抜け、ジェドの背中を追いかけた。 開かれた扉を眺めながら、クリユスは自問した。 ――――俺はここを出て、どこへ向かえばいいのだろうか。 祖国のため、ティヴァナへ戻りフィードニアへ剣を向けるのか。 それともユリア様のため、祖国の どちらも大切で、故にどちらも守りたいと思い今まで苦心してきたのだ。 どちらかを切り捨てることなど、出来る筈が無い。 だが両国の同盟が破綻した今、それでも選らばねばならぬのだ。 ティヴァナか、フィードニアか――――。 天井の隙間から、微かに明かりが差し込んできた。 既に夜が、明けようとしているのだ。 * 武具や剣、荷物を手早く纏め、慌てて外へ出てみると、既に出立準備を終えた兵士達が勢ぞろいしていた。 「ラオ、お前……」 驚いた顔で、ハロルドが駆け寄ってくる。 「牢からどうやって出てきたんだ、まさか脱獄して来たのか?」 「いや、そんな」 「俺が出したのだ」 馬の身体を撫でながら、ジェドが答えた。 「戦場で俺について来られる奴はこいつしかいないからな」 当然のように言うジェドに、ハロルドは困惑顔になる。 「いや、しかし……」 「この男にはティヴァナの内通者の疑いがかかっております。そのような者をティヴァナとの戦いに連れて行くのですか。私は反対です、戦場で敵に寝返るやもしれませぬぞ」 第二騎馬中隊長マルクが割って入った。 確かにユーグというトルバの密偵が、フィードニア国王軍に紛れ込んでいた記憶もまだ新しい。警戒して当たり前だろう。 だがジェドはそんなマルクの心配など取り合わず、ふん、と鼻で笑った。 「もしこの男が裏切ったら、この俺が殺してやるまでだ。それで問題無いだろう。それとも、まだ不服か?」 ジェドにじろりと見られ、マルクは首を縮めた。 「い、いえ。総指揮官殿がそこまで仰るのでしたら……」 不服そうな顔をしてはいたが、ジェド相手にそれ以上ごねることが出来ず、マルクはしぶしぶ引き下がった。 「しかし、いいのか」 ハロルドが眉を顰める。 「相手はお前の国だぞ」 ハロルドも元々はフィードニアの敵国の兵士だったのだ。祖国を失ってからフィードニアに入ったのだとはいえ、自国を負かした国の兵士となることには葛藤もしただろう。 ましてやラオは直接その手で祖国と戦おうとしているのである。ラオの気持ちを 「いいのです、今の俺はフィードニアの兵士ですから。相手が誰であろうと、敵となったからには剣を向けるだけです」 迷い無くそう告げると、ハロルドは苦笑しラオの肩を叩いた。 「お前は根っからの軍人だな。分かった、今よりお前の郷里は忘れよう。戦場でお前に配慮も遠慮もしないぞ、それでいいな」 「は、勿論です」 ラオは頭を下げた。それでいい、気遣われ後方に配置などされては堪らない。最前線で、ジェドと共に戦うことを選び、今ここに居るのだから。 ハロルドは話は済んだとばかりにラオから離れようとし、ふと辺りを見回した。 「おい、クリユスはどうした。一緒ではないのか」 ラオがいるのなら、当然クリユスもここにいるのだろうと思っているらしいハロルドに、一瞬言葉に詰まる。 「いや、クリユスは……」 あいつは恐らくこの戦いには来ないだろう。 ティヴァナを守るため、今までずっと苦心して来たのだ。早々に祖国を裏切りフィードニア側に付いたラオとは違うのだ。 同盟が破綻したとはいえ、今更ティヴァナに剣を向けることなど出来ぬだろう。 「あいつはこの戦いには……」 「―――――私はここにいますよ、ハロルド殿」 涼やかに響くその声に、ラオは驚き振り返る。 すると人混みの中から、愛馬を引き武具を身につけたクリユスがこちらへやって来た。 「クリユス……お前、なんで」 呆気に取られていると、クリユスはラオの肩に軽く拳を当てた。 「何を驚いている。俺がティヴァナ側に付くと思っていたのか?」 「いや……」 というよりも、どちらかを選ぶことなど出来ないだろうと思っていたのだ。そんなラオの心が分かったのか、クリユスは口の端を吊り上げた。 「―――俺もお前と同じだ。フィードニアに来た時から、ティヴァナに戻るつもりは無かった。いや…そもそも国を出た事さえ、ここへ来るための口実だったのだ。罪の意識故に尚更、ティヴァナを守りたいと思っていた。だがそれ以上に、守りたいものがある」 涼やかに笑うと、クリユスは兵士達の前に進み出た。そして、声を張り上げる。 「皆、我等ふたりはティヴァナとの繋がりを疑われ、つい昨夜まで捕らえられていた。皆の中にも、我等に疑念を抱く者がいるだろう。しかしそれは誤りだ。確かにティヴァナは我等の祖国だが、かの国とは既に決別している。我等が忠誠はフィードニアにあることを、あまねく神々に誓おう……!」 しんと静まりこの男の言葉に耳を傾ける兵士達を前に、クリユスは一つ咳払いをした。そして悪戯っぽい笑みを浮かべると、続けた。 「いや…フィードニアに、というのは違うな。そもそも、ティヴァナもフィードニアも関係無い。このクリユスの忠誠は、ただユリア様お一方に捧げているのだ。俺は最初から言っていた筈だ、ユリア様をお守りするついでに、フィードニアもお守り申し上げるとね」 そう言い片目を瞑って見せるクリユスに、兵士達は一瞬呆気に取られたように目を丸くしたが、次の瞬間には、辺りにどっと笑いが溢れた。 「いや、確かに。確かに初めからそう言っていたな」 笑いながらブノワが口にする。 「そうでしたな。ではフィードニアは、ユリア様をなんとしても失わぬようにせねばなりませんな」 フリーデルが珍しく笑みを見せ、相槌を打つ。 そもそもメルヴィンの言を信じ、二人を疑っていた者など、そう多くは無いのだろう。 クリユスの戯言に乗っかり、これで水に流してしまおうという事らしい。 「クリユス隊長、ラオ殿」 名を呼ばれ振り返ると、クリユスの部下であるバルドゥルが、呆れた表情で立っていた。 「あなた方という人は…クルト王がお二人を牢へ入れたのは、あなた方が祖国と戦わずに済むようにという配慮もあったのです。それなのに、わざわざ己から出てくるとは」 「そうだったのか?」 ラオにとって喰えぬ男だという印象しかないクルト王の、意外な気遣いに驚いていると、見透かしたようにバルドゥルは苦笑した。 「クルト王は非情な方ではありません。まあ、確かにチョロチョロと動かれては邪魔だったというのもありますが」 飄々と言うバルドゥルに、クリユスは肩を竦める。 「クルト王には負けたよ。こうなった以上は二心無くフィードニアに仕える。もう俺の監視はしなくとも良いよ」 「そうですな、ではこれより私は唯の貴方の部下に戻ることにします」 にこやかに笑みを浮かべ、バルドゥルは頭を下げた。 バルドゥルが王の監視役だということを、いつから気付いていたのか。はたまたクリユスが気付いていたことを、バルドゥルは知っていたのか。顔色一つ変えぬ食わせ者二人に、ラオは苦笑するしかない。 「皆、揃ったか!」 ハロルドが声を張り上げた。 とたんに和やかだった空気がぴりりと引き締まり、皆がハロルドへ視線を向ける。 「これからの戦いは、今まで以上に厳しいものになるだろう。だが、どれだけ戦況が過酷を極めようとも、最後に勝利を手にするのは我等がフィードニアだ。我々は強い、それを忘れるな」 「おおーーー!」 湧き上がる声と共に、兵士の皆が天に向け拳を突き上げる。 己を鼓舞するため、ラオも皆に習い拳を挙げた。 |
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