148: 約定破り






 私も、お前のことを愛している。

 そうユリアが口にするのと同時に、辺りに鐘の音が鳴り響いた。
「なっ…何だ?」
 こんな夜更けに似つかわしくない、街中に響き渡ろうかという大きな鐘の音に、ユリアは不安を覚えた。
「戦いを告げる鐘だな」
 ジェドは身体を起こすと、即座に剣を手に取りユリアの身体の上から降りた。
「戦いって…連合国との戦いはもう終わったんだろう、いったい何が起こっているんだ?」
 肌けた服を直しながら問うと、ジェドは首を横に振る。
「分からん。傘下の国が無断で戦いを起こすことは禁じられているが、そんな報告は受けていないからな。無論フィードニアが兵を動かす話など聞いてはいない」
「ならば何で…」
 どうして、戦いの始まりを告げる鐘なんかが鳴るんだ?
 やっと平和な日々が取り戻せたと思ったのに、またどこかで戦いが起こるのだろうか。
「不安そうな顔をするな、唯の間違いかも知れんからな。何が起こったのか確認して来よう」
 さっさと部屋を出て行こうとするジェドを、ユリアは思わず呼び止めた。
「あっ…ジェド、待って…!」
 その言葉にジェドは振り返ったが、その続きを口にすることが出来なかった。こんな時だというのに、さっきのユリアの告白の返事を聞きたいというのは不謹慎だろうか。
「いや、何でも……」
 口ごもるユリアに、ジェドは片方の口の端を吊り上げた。
「続きはまた今度だな、今夜は大人しく塔へ戻れ」
 続き。
 その言葉の意味を理解し、ユリアはかっと赤くなった。
「ばっ馬鹿、さっさと行け!」
 手元にあった枕を投げつけると、ジェドはそれをひらりと避け、笑いながら部屋から出て行った。
 何なんだ、こんな時に。あの男こそ不謹慎だ。
 赤くなる頬を押さえ、ユリアはベットから降り、枕を拾い上げる。それをぎゅっと抱きしめると、彼の名をそっと呟いた。
 私を愛していると言った言葉は、本当だろうか。本当にあの男が、この私を想ってくれているのだろうか。今まで冷たい目しか向けられていなかったというのに、本当に?
 だが思い返してみれば、その言葉とは裏腹に、ジェドには何度も助けられて来た。何時だったか、敵の軍隊長を目前にしながらも、ユリアを助けるために引き返してきてくれたこともあったし、遠いティヴァナの国まで迎えにきてもくれた。
 ならば信じていいのだろうか。私を愛していると言った、その言葉を。
 けれど―――と、ユリアはふと思う。彼女が決死の覚悟で告げた愛の言葉に、何の反応も見せなかったジェドに一抹の不安を覚えた。本当に愛しているのならば、もう少し喜びを見せるとか、動揺するとか、何らかの反応があってもいいのではないだろうか。それが無いのは、やはりそれが偽りの言葉だからなのではないのか。
 素直に信じたいが、どうしても不安のほうが先に立ってしまう。こんな可愛くない性格の私の、どこを好きになってくれたというのだろうか。
 ユリアは不安を振り払うように、顔を横に振った。こんなことを考えるのはよそう。きっとあの鐘の音で慌しく出て行ってしまったから、反応する暇などなかったのだ。きっとそうだ。
 今日は言われた通り、大人しく部屋へ戻ってジェドからの報告を待とう。あの鐘の音も、間違いだったら良いが。そう考え直した時、何かが心の中で引っかかった。
 待てよ、鐘の音?
 あの時、ユリアの告白と同時に鳴り響いた鐘の音を思い出す。もしかすると、そもそもあの鐘の音の所為で、私の言葉がジェドには聞こえていなかったのではないのか―――。
 そうなのだとしたら、あの無反応さには納得がいくではないか。
 ではジェドはまだ、ユリアが自分のことを殺そうとする程憎んでいると思っていることになる。“続き”というのは、甘い言葉ではなく、命をくれてやると言ったその言葉の方の意味なのか。
「そんな……」
 折角やっと想いが通じ合ったと思っていたのに、もしかすると通じていなかったのかもしれない。その可能性に愕然とした。
 そんなのは嫌だ。勘違いされている状況に、もう一秒だって我慢していられなかった。
 もう一度、きちんと向かい合って話をしなくては。そして再び伝えるのだ、お前のことを、愛していると。
 そうしたら、ジェドは驚くだろうか、喜んでくれるだろうか。私に笑いかけてくれるだろうか。それとも……。
 期待と不安が入り混じり、胸の鼓動は中々静まってはくれなかった。

 








 ハロルドが軍議室へ行くと、そこは既に上級将校達が顔を揃えていた。
 ティヴァナとの同盟を期に終結した筈の戦いが、何故か再び起こったことを告げる鐘の音に、皆一様に戸惑いの顔をしている。
「いったい何が起こった。何だ、さっきの鐘は?」
 続いてやってきたジェドに問われ、ハロルドは一瞬ぎくりとしたが、それを表に出さぬようにして首を横に振った。
「分かりません、まだ第一報が入っているだけのようです。それによると、旧トルバとベスカの国境線で、両国の警備隊が衝突したようです」
「なんと、トルバの国境線ならば、我がフィードニア軍の管轄地ではないか…!」
 話に割り込むように、ブノワが吼えた。信じられぬといった風に、頭を横に振る。
「国境警備隊が勝手に他国とやりあうとは、信じられぬ馬鹿者だ。いったいどこの警備隊だ、厳罰に処せねばならぬ!」
 ブノワが激高することは左程珍しいことでもないが、今回の事に関してはハロルドも同感である。
 旧トルバは現在フィードニア領、片やベスカはティヴァナの傘下にある国なのだ、事と次第によっては、同盟にひびが入る重大事にもなりかねない。
「理由如何によっては無論厳罰は免れぬが、しかし先に手を出したのがフィードニアでさえ無ければまだ良いのだ。万が一にもそうでない場合は、警備隊の処罰だけで済む問題ではないな……」
 それを考えるとぞっとした。
 同盟が締結されてからまだ日が浅く、しかも表向き同盟の使者とはいえ実質人質であったフィルラーンのユリア様は、ジェド殿が連れ帰って来てしまっている。代わりに王の姪がティヴァナの王の下へ嫁ぐ話になっているらしいが、未だ準備中によりそれは成されていない。
 そんな危うい時期に、万が一戦いを仕掛けたのがフィードニアという事になったら、約定破りと各国にみなされても仕方ない事態である。最悪、現在フィードニアの傘下に下っている国々が、全てティヴァナへ付く可能性だってあるのだ。
 そうなればフィードニアに最早未来はない。たった一つの警備隊の失態の為に、己が身を捧げた国を滅ぼされてなるものか。祈りに近い思いで、ハロルドはそれが杞憂であることを願った。
 事の重大さに緊迫の空気が張り詰める中、フリーデルが部屋へ飛び込んで来た。
「第二報が入りました、場所は旧トルバのコラン領です。コラン国境警備隊がベスカと現在戦闘状態にあります。コラン国境警備隊の隊長は―――」
 珍しくフリーデルは言いよどみ、いつもより更に深く眉間に皺を寄せる。
「メルヴィン殿です。メルヴィン殿率いるコラン国境警備隊が、メノティクスの刻(20時)にベスカの国境内へ侵入し、攻撃を仕掛けた模様です」
「なんだとっ……」
 ハロルド含め、その場にいる全ての者が愕然とした。最悪も最悪、想像よりもっと深刻な事態だった。よりにもよって、あの男が、王族の人間が約定を破るとは。
「馬鹿な、メルヴィン殿はスリアナとの国境沿いにある警備隊居られた筈では?」
 騎馬第四中隊長ヴェルナーが差し挟んだ問いに、フリーデルは頭を振る。
「クリユス殿の処刑騒動の一件から後に、更に遠方のベスカの国境へと移されたのだ」
「なんと……ではその腹いせということでしょうか。なんと短慮な」
 騎馬第二中隊長マルクが顔を赤くしそう憤怒する。口火を切ったように次々と皆が騒ぎ始めるのを、ハロルドは手で制した。
「待て、ここで騒いでいても何も収まらん。フリーデル、諜報部隊を送り更に詳しい情報を集めろ。状況によっては兵を出しコラン国境警備隊を捕らえねばならん」
「捕らえるとは…相手は王族ですぞ」
 ブノワの顔色が変わった。尊貴派のブノワにとっては王族に剣を向けるなど、考えられぬことなのだろう。だがそんなことを言っていられる状況ではないのだ。
「そうだ、王族だ。よりにもよって王族のメルヴィン殿が約定を破りティヴァナへ剣を向けたのだ。国境警備隊が勝手にやったことでは話が通らん」
「しかし、幸いにもメルヴィン殿は現在王族位を剥奪されております。王族とは関係ないと主張すれば良いのでは」
 マルクがそう主張したが、ハロルドは首を横に振る。
「そんな話が通るものか。いや、寧ろそれを口実として戦いをしかける為に、予めあの男の王位を剥奪したのだと思われかねん。そうなったら益々約定破りの謗りを受けることになる」
「馬鹿な、我らは潔白だというのに!」
「そのように卑怯な真似をしたなどと思われるのは我慢がならぬ」
 再び口々に騒ぎ始める皆の前に、ハロルドは声を張り上げる。
「その通りだ、今はフィードニアに約定を違えるつもりなど無いことを、各国に示さねばならん。その為には、メルヴィン殿を捕らえることも考慮せねばならんのだ」
「いや、待たれよ」
 ブノワは立ち上がると、諌めるような視線をハロルドに寄越した。
「王族に剣など向けては、潔白を示すどころか寧ろ我らが反逆の罪を問われかねませぬぞ。そのような重大事、我らだけで決断など下せませぬ」
 その言葉に、ハロルドの言葉に同意しかけていた周りの兵士達が、冷水を浴びせられたような顔になった。
「は、反逆とは……」
「万一そうなったら、我らはどうなるのだ」
 とたんに及び腰になる兵士達に、ハロルドは内心で舌打ちした。
 ここでぐずぐずとしていて、取り返しの付かぬことになったらどうするのだ。国が無くなったら反逆も糞も無いんだぞ。底辺を味わったことの無い国王軍の貴族共め、もっと危機感を持ちやがれ!
 そう怒鳴りたくなるのをぐっと我慢し、ならば、と続けようとした時、別の声が被った。
「ならば王に判断を任せれば良いのだ」
 ハロルドは顔を上げた。今まで黙っていたジェドが口を開いたのだ。
「そうですね、確かに王の命によりメルヴィン殿を捕らえるのであれば、我らも兵を動かしやすい。それに対外的にもティヴァナ側を攻めたのは王家の意向では無いことを示せましょう。ブノワ、それなら文句あるまい」
 視線をやると、ブノワは仕方無いとばかりに頷く。
「王の命ならば従うまでです」
 他の者も皆同様に頷いた。
「では今から王に会って来よう。ハロルド、お前も来い」
「は」
 踵を返すジェドに、ハロルドは慌てて付いて行く。
 ――――――もしやこれは、己の欲を膨らませた罰なのだろうか。
 先を歩く彼の背を眺めながら、ふとそんなことをハロルドは思った。
 ジェドが今夜起こす筈であった不祥事を、問題視して騒ぎ立てるだけでいい。そうクリユスは言った。それだけでこの男は国王軍総指揮官から失脚し、その座にこの俺が座ることが出来るのだと。
 ジェドがどんな不祥事を起こすのかなどは一切聞かされてはいなかったし、協力するかどうか返答もしていなかったが、それでも明日になれば自分は間違いなくクリユスの期待通りの行動を取っただろう。
 だがその夜に、この事態である。分不相応な座を狙った己に、神が怒り罰を下されたとしか思えなかった。やはり身の程を知り、今の座で満足するべきだったのだろう。
「所詮唯人が神に成り代わるなど、無理なのだ……」
 つい口に出た呟きに、ジェドが振り返った。
「何だ」
「あ、いえ。唯の独り言です。……さあ、急ぎましょう。事は急を要しますからな」
 そう言うと、ハロルドは足を速めた。











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