142: 公開処刑





 クリユスに会うにはどうしたらいいのか。王の一任状を持つメルヴィンの命を前にして無理が通せる人物といえば、ユリアにはジェドしか思い浮かばなかった。
 だがジェドがユリアの頼みを――しかも己に何の理も関心も無いことを――すんなり聞き入れ協力してくれるとはとても思えない。どうしたものかと逡巡したが、結局他に良い考えが思い浮かばず、そしてこのままじっとしてもいられずに、兵舎の方へと足を運んだ。
「ユリア様、どなたかにお取次ぎ頂けるよう、お願いして参りますね」
 ここに来ても未だ踏ん切りが付かないでいるユリアの心を知ってか知らずか、ダーナはさっさと兵舎の門番に話を付けに行く。フィルラーンの来訪を知った兵士達が慌ててやって来て客間へ案内しようとしたが、ユリアはそれを固辞した。中でゆっくりと茶を飲んでいられるような気分では無かったのだ。
 幾分緊張した面持ちで待っていると、暫くの後にジェドが訝しげな表情をしながら現れた。こんな時だというのに心臓が騒ぎ出すのを、ユリアは必死に押さえつける。
「………何の用だ」
 ユリアの顔を認めると、片眉を僅かに顰めながらそう問うた。不機嫌そうにも見えるが、ユリアの突然の訪問を迷惑がっているというよりは、ただ困惑しているだけのようにも感じられた。ジェドがフィルラーンの塔へ来ることは度々あるとしても、こちらから彼を訪ねることなど初めてなのだから、当然と言えば当然の反応だろうか。
「あ、あの……それが、お前に頼みがあってだな……」
「なんだ」
 ユリアはごくりと唾を飲み込むと、意を決して顔を上げた。
「実は…牢に入れられたクリユスにどうしても会って話をしたいのだが、メルヴィンの命で誰も牢に通させて貰えないのだ。だがお前が相手なら、看守も止められはしないだろう。だから私と一緒に、牢へ行ってはくれないか」
「断る」
 にべもなくジェドは言った。ユリアの頼みに気分を害したのか、どこか視線が冷たくなった。
「何故俺がそんな事をしてやらねばならんのだ。あの男のことなど、知った事では無い」
「ジェド、けれどクリユスはお前の部下ではないか。ティヴァナの密偵だなんて、そんなの濡れ衣なんだ」
 すがろうとするユリアの手を、ジェドは振り払った。
「それは俺が判断することでも、お前が判断することでもない。捕えられた以上然るべき取り調べを受け、無実だというのならばそこで潔白を訴えれば良い」
「それはそうかも知れないが…それでも私は、クリユスに会わなくてはいけないんだ」
「くどいぞ、帰れ」
 ジェドは素気無くユリアに背中を向けると、さっさと兵舎の奥へ戻ってしまった。
「ユリア様、どう致しましょう」
 肩を落とすダーナに曖昧に頷き返し、ユリアも項垂れた。断られると思ってはいたが、これ以上他に手立てが思い浮かばない以上、やはり落胆してしまう。
「そうだな…とりあえず、もう一度牢へ行ってみよう。何度も頼めば看守も、僅かの間くらい目を瞑ってくれるかもしれない」
 無駄かもしれないが、それでも何もしないよりはマシだろう。早速牢の方へ向かおうとした時、兵舎の外から慌てて駆け込んできた兵士がいた。
「大変だ、クリユス隊長が処刑されるぞ……!」
「えっ……」
 一気に血の気が引いた。今処刑と言ったのか。そんな、馬鹿な。
「待って、どういう事ですか」
 先程の兵士を慌てて捕まえる。兵士は蒼褪めていた。
「そっそれが、ティヴァナの密偵となりフィードニアを陥れた罪により処刑すると、たった今メルヴィン殿が命を下されたのです。クリユス隊長は今、城下街の広場に連れて行かれました。見せしめに民衆の前で公開処刑にするのだと」
「そんな、馬鹿な……。まだ取り調べも何も行われていないと聞いています。事実を何一つ明らかにしていないのに処刑になるなど、そのような事あってはならぬ筈です」
「そうなのですが、王の一任状を持つメルヴィン殿の命は王の命。誰も逆らえぬのです」
 兵士は己の不甲斐なさを責めるような口調で言い、悔しそうに唇を噛み締めた。
「ユリア様、急いで城下街へ参りましょう」
 ダーナの言葉にユリアは頷く。
「ああ、処刑なんてさせてたまるものか。何としても止めるんだ」
 半ば駆けるようにして、二人は城下街へと急いだ。



 城下町の広場は、噂を聞きつけた人々で既に溢れ返っていた。
 中央を見ると、そこには処刑台のようなものが簡易的に設置されており、傍らには斧を手にした執行人と、縄で縛られたクリユス、それにメルヴィンの姿が見える。
 クリユスの顔は額や頬、口元などあちこちに傷を負っており、赤く腫れ上がっている。牢に入れられている間彼がどんな目に合っていたのか、想像するだけで怒りが沸き起こった。
「許せない、なんて酷いことを……」
「ユリア様」
 青褪め肩を震わせるダーナの手をぎゅっと握り、ユリアはクリユスを見据えた。その時、ふとクリユスと目が合った気がした。
「罪人よ、最後の機会を与えてやろう。その罪を認め、両国の同盟を汚すティヴァナの卑劣な行為をここに告発するならば、処刑だけは免れるやもしれぬぞ。言っておくが返答の如何によらず、罪は既に確定している。これは最終通告だ、認めぬというのならば、この場で貴様の首を刎ねることとする」
 広場に響き渡るメルヴィンの言葉に、クリユスは顔を上げると高らかに言い放つ。
「何と言われようとも、そのような事実はありません。私は今までフィードニアの為に尽力を注いで来ました。その事に恥じることなど何一つ無く、例え首を刎ねられようとも、嘘の証言をしこの場を逃れるなどということは出来ぬのです」
 あまりに毅然としたその態度に、ユリアでさえ思わず、ティヴァナで会ったあのクリユスは幻だったのではないかという錯覚を覚えてしまう。ここにいる民衆も同じように、クリユスが冤罪にかけられていると感じてくれていればいいのだが。
「愚かな男よ、あくまで白を切るというのだな。よかろう、ならば貴様の命もこれまでだな」
 嬉々として言うメルヴィンの方へ、クリユスは首を向ける。
「致し方ありません……ですがその前に一つお願いがあります。死ぬ前にフィルラーンに私の魂を清めて頂きたいのです。神の国へ行く前に清めの儀式を受けることは、囚人であろうと認められている筈です」
「ふん……まあいいだろう。誰か塔へ行き、フィルラーンにここへお越し願え」
 近くにいる兵士が頷くより早く、ユリアがこの声に答えた。
「その必要はありません。私はここにいます」
 凛とした声が広場に響き、ユリアの存在に気付いた人々が慌てて道を空けた。あっという間にクリユスの居る処刑台まで道が出来る。
「これはフィルラーンのユリア様、丁度良い所にいらしたものです。お聞きの通りこの罪人が、処刑の前に“清め”を望んでおります。お願い出来ますかな」
「お断りします」
「……は?」
 意味を図りかねたのか、メルヴィンは呆けたような顔になる。それを横目で見ながら、ユリアはクリユスの前に立った。
「清めの儀式など必要ありません。何故なら彼は無実であり、ここで処刑されることは無いからです」
 途端に民衆の間に、ざわめきが起こる。ユリアは今の己がフィードニアの民に支持されている事も、彼らに少なからず影響を与えることが出来る事も、十分理解していた。少なくとも、この王の従弟よりは。
「なっ…何を言われているのだ貴女は。罪人を庇いだてするとは、貴女も無事では済みませぬぞ」
 怒りを露わに、メルヴィンがユリアに詰め寄ろうとする。ユリアは小さく息を吸い込むと、遠くの人々にまで届くように、声を張り上げた。
「いいでしょう、彼が罪人だとするのなら、彼をこの国に招き入れたこの私も罪人だということです。彼がこの国を陥れたというのなら、私が陥れたということなのです。故に彼を処刑する前に、この私を処刑しなさい。彼一人を神の国へ行かす訳には参りません」
 わっと民衆の声が沸いた。人々は、冤罪だ、フィルラーンを殺す気か、と騒ぎ始める。その声は更に他の者へも伝染し、日頃の貴族階級への鬱憤も相まってか、どんどんと激しくなっていく。収集が付かなくなっていくこの事態に、このままメルヴィンが一旦ここを引いてくれるといいのだが、とユリアは期待したが、彼は顔を赤くし兵に命じた。
「何をしている、皆を黙らせよ。この罪人を庇いだてする者は皆罪人だ、歯向かう者は皆捕えよ!」
「は…!」
 兵士達が一斉に民衆を捕え始めた。方々から悲鳴が上がり、たちまち広場が混乱に陥ってゆく。
「なんてことを……メルヴィン、止めなさい。民を捕えるなど、どうかしています」
「これはおかしなことを。その民を扇動し巻き込んだのは、貴女ではありませんか」
 メルヴィンは酷薄な笑みを浮かべた。なんてことだろう、クリユスを助けるどころか民まで巻き添えにしてしまうとは。己の失態に成すすべもなく、ユリアはただ蒼褪めるしかない。
「止めなさい、止めて……!」
 叫ぶその声は人々の声に掻き消され、誰の耳にも届かなかった。


「何をしている。これは何の騒ぎだ……!」
 その時だった、喧噪を打ち消す怒号が広場に響いたのは。
 その声の威圧感に、まるで時が止まったかのように人々が動きを止めた。先程までの喧騒が嘘のように、一瞬にして辺りが静まり返る。
「ジェド」
 その名を呼ぶと、涙が出そうになった。先程までの不安がすっと消え去り、安堵感が心を満たしていく。
 ジェドはまっすぐに処刑台へ歩み来ると、広場をぐるりと見渡してから、メルヴィンへ目をやった。
「今すぐこの騒ぎを止めさせろ。貴様はいったい誰の許可を得てこの男を処刑しようとしているのだ。国王軍弓騎馬隊大隊長を軍法会議にもかけず勝手に処罰するなど、この俺が許さん」
 ジェドに睨まれメルヴィンは一瞬怯んだが、それでも己の矜持の強さが勝ったのか、直ぐに気を取り直し懐から王の任命状を取り出した。
「許可だと? この男の処分はこの私が王より一任されているのだ。つまりこの私の命は王の命、誰にも許可など取る必要はないわ……!」
 勝ち誇ったように言うメルヴィンだったが、ジェドは鼻で笑うとその任命状を取り上げる。
「この紙切れは最早無効だ。この男の処遇は国王軍総指揮官であるこの俺が引き受ける。王には既に許可を貰っているからな」
「な……っ」
 任命状を一思いに破るジェドに、メルヴィンは飛び掛からんばかりに憤怒した。
「何をするっ。嘘を付くな、そのような事がある筈ないではないか!」
「嘘ではありませぬぞ、メルヴィン殿。王は先程貴方を密偵嫌疑取調べの責任者から解任致しました。これはその証書です」
 言いながら現れたのはバルドゥルである。メルヴィンは彼が手にする証書をまじまじと見つめると、そんなものは認めぬと言わんばかりに首を横に振る。
「そんな馬鹿な、何かの間違いだ、そうであろうバルドゥル」
 どこか縋る目をするメルヴィンを前に、バルドゥルは肩を竦めた。
「間違いなどではありませぬよ。少々手前勝手が過ぎましたな、折角王がお与えになったこの機会に然るべき采配を取っておれば、国王軍復帰も叶ったやもしれませぬのに。権威を笠に着るだけの無能な者というのは、王が一番お嫌いになるのです」
「なんだと、無礼な―――貴様、貴様がそもそも……!」
 喚くメルヴィンを冷たく見下ろしながら、バルドゥルは言った。
「そうそう、言い忘れておりましたが、今回のこの騒動に王は大変ご立腹なされております。貴殿の王族位も剥奪なさると仰せでした。これから余程の武勲でも上げねば、王都への復帰は難しいでしょうな」
「王族位を、剥奪だと―――馬鹿な、何を言っている。何を言っているんだ、貴様は!」
 咄嗟にメルヴィンは腰に履いた剣に手を伸ばそうとしたが、それより早く剣を抜いたジェドに、剣先を突きつけられた。
「何をしている。王の任命状が無効になり王族位も失った今、お前は唯の国境警備隊長にしか過ぎん。その剣を抜けば不敬罪で処刑されても文句は言えぬぞ。それが嫌ならばとっととこの場を立ち去るんだな」
「な……っ」
 目前に突き付けられた剣先に、メルヴィンはさあっと顔を蒼褪めさせる。そしてよろめく様に二、三歩後ずさると、今度は顔を真っ赤に染め二人を睨み付けた。
「くそっ、貴様ら覚えていろよ、このままでは済まさぬからな……!」
 捨て台詞を残し、民衆の中を強引に掻き分け逃げ去っていく。その事態に人々はわっと歓声を沸かした。

「クリユス、大丈夫なのか」
 クリユスに駆け寄ると、彼は苦笑して肩を竦めた。
「大丈夫ですよ、貴女にこの見苦しい姿をお見せするのは心苦しい限りですが」
 そう言い、腫れて傷だらけの顔を痛そうに顰めさせる。身体を縛る縄も随分きつく締め付けてあるようで、苦しそうだった。
「待っていろ、今解いてやるから―――」
 ユリアは縄を解こうとしたが、兵士に止められた。不服そうな目を向けると、ジェドがちらりと目を寄越す。
「おい、兵士を睨むな。この男の身柄をこの俺が預かることになっただけで、罪が晴れた訳では無い。再び牢へ戻るだけだ」
「そんな……じゃあ、せめて牢まで付き添っても良いか? クリユスに話があるんだ」
「………好きにしろ」
 それだけ言うと、ジェドは背を向け歩き出した。
「あっ……ありがとう、ジェド……!」
 その背に向けユリアは慌てて声を掛けたが、ジェドは何の反応も見せず、そのまま立ち去ってしまった。
 先程訪ねた時はクリユスのことなど知った事ではないと口にしていたが、結局はこうして助けてくれたのだ。彼の優しさに触れた気がして、ユリアは心が温かくなる。
 思えば私が窮地に立たされた時、いつもジェドが助けてくれていた気がする。私のことを憎んでいる筈なのに、どうしてこんな風に守ってくれるのだろう。フィルラーンだから、それだけなのだろうか。
 それとも、幼き頃のあの懐かしい日々を、少しは良い思い出として、胸の奥にしまってくれているのだろうか。もしそうであったなら、どれだけ救われるだろうか。
「では、そろそろ我らも……」
 兵士が遠慮がちに言い、クリユスを牢へ連れて行こうとする。
 その時クリユスが少しよろけたので、ユリアは慌てて彼を支えた。
「……ユリア様、一つ貴女にお願いがあるのです」
 クリユスはユリアの耳元で囁くように告げる。
「なんだ? なんでも言ってくれ」
 ユリアが顔を上げると、クリユスは小さく微笑んだ。

「―――――ジェド殿を、殺して下さいませんか。貴女の、その手で」












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