131: 月光の下 「ジェド……? どうして、なぜ、ここに…?」 間違いなく、そこにジェドが立っている。 いや、だがそんな筈がない。彼は今頃軍を率いてフィードニアへの帰路についている筈なのだから。 もしかすると、逢いたさのあまりに私は夢でも見ているのだろうか。そうならば随分はっきりとした夢だ。 「なぜだと? この俺がこんな所へわざわざ物見遊山に来ると思うのか。お前を迎えに来たのだ、帰るぞ」 「えっ……」 迎えに来た? この男が私を? ―――ますます夢だとしか思えない。 だが二の腕を掴まれたその痛さが、これが現実のものだとユリアに告げた。 「本当にジェドなのか……?」 何を言っているんだ、とでも言いたげにジェドは片眉を顰めた。 「それ以外誰に見えるというのだ」 「いや、しかし。ならば軍は…フィードニア軍はどうしたのだ」 「全ての国が降伏するまでコルヴァスに待機させていたが、今はハロルドが率いて国へ戻っているだろう。俺はそのままここへ来た。お前を、連れ戻す為に」 どくん、と心臓が強く鼓動を打った。 ―――――――お前を連れ戻す為に。 どういう意味だろう。なぜわざわざジェドが私を迎えに? 終戦を告げる報がティヴァナへ届いたのと同じ日にジェドがここへやってきたということは、彼は各国の降伏の目途が立った時点で既にここへ向かっていた筈だ。そして終結の報を得ると、即座に城へやって来た、そういう事なのだろうか。 私の為に、一日でも早く迎えに来ようとしてくれたのか。私を憎んでいる筈のジェドが、どうして。 「さあ、帰るぞ。早く支度をしろ」 「あ…いや、待ってくれジェド。迎えに来てくれたのはありがたいが、私は今帰る訳にはいかないんだ」 「なんだと?」 「当然だろう、私は同盟の人質としてここにいるのだ。連合国との戦いが終わっても、両国の同盟はこれからも続く。勝手に帰る訳にはいかぬではないか」 「人質」 ふん、とジェドは鼻で笑った。 「ここの王には明日話を付けに行く。ならば良いのだろう」 「いや、それに私は王に…次の王の戴冠式に出席すると約束してしまったのだ」 「お前は」 その声に怒気が籠る。ぴりりと空気が震えた気がした。 「帰りたいのか帰りたくないのか、どっちなのだ」 「それは、もちろん。帰りたいに決まっている」 二度とフィードニアへ戻れぬかもしれぬと覚悟はしてこの国へきたが、それでも戻れるのならば戻りたい。ジェドの側にいたい。そんなこと、当たり前じゃないか。 「ならばつべこべ言わず俺の言う通りにしろ。いいか、明日またここへ来る。それまでに荷物を纏めておけ、いいな」 「わ……分かった」 ユリアが素直に頷くと、ほんの少しジェドが笑った気がした。再び心臓が跳ね上がる。いったい私の心臓はどうしてしまったのだろう、破裂しそうで苦しかった。 「また来る」 そう一言残し、ジェドはひらりと木の枝に飛び移ると、そのまま城壁の向こうへ消えた。 一人残されたユリアは、急に全身の力が抜けその場にしゃがみ込んだ。たった今ここで起こった出来事を、どうしても信じることが出来ない。今のは本当にジェドだったのだろうか。もしや月の女神が見せた幻だったのでは無いだろうか。 「ユリア様、どうなされたのですか」 ダーナが呼ぶ声も、どこか遠いものに感じられた。 「なぜ中庭などに…何かあったのですか?」 夜は少し冷えますから、一先ず中へ入りましょう。そう言いダーナはユリアを立たせようとする。 「ジェドが」 「え?」 「ジェドがここに来たんだ。私を、迎えに来たって……」 「まあ、本当なのですか!」 何の疑いも挟むことなく、ダーナは顔を輝かせた。 「こんな遠くまでわざわざ迎えに来て下さったのですか。ユリア様のことをずっと気に掛けていて下さったのですね、ジェド様は」 「い、いや……」 顔が上気するのを感じ、誤魔化すようにユリアはすっくと立ち上がった。 「そ、そんな訳無いではないか。ジェドのことだ、王にでも命じられて嫌々来たに決まっている」 「はあ…そうでしょうか」 ダーナは首を傾げたが、ユリアはそれに気づかないふりをした。 そうだ、そうに決まっているではないか。ジェドが私の為にわざわざここまで来る筈がない。余計な期待などを持ったところで、結局傷つくのは己なのだ。 湧きあがる喜びを何とか鎮めようと、ユリアは必死に己に言い聞かせる。だが胸の鼓動を抑えることは、中々できなかった。 ジェドは公言通り翌日の朝に再びユリアの元へやってきた。 そしてユリアに案内させ王城の謁見の間へ行くと、事前の正式な申請も無いまま王へ面会を求めた。 「連れて帰る?」 無礼な訪問にも関わらず面会に応じてくれたリュシアン王は、ジェドの言葉にぽかんと口を開けた。 「ああいや、失礼。それは確かに、フィルラーンである彼女をそう長くお預かりしている訳にもいくまいとは思っていたが……。ではなるべく早急にお返し出来るよう、貴国とも調整することにしよう」 「調整? 今日このまま連れて帰るゆえ、その必要はありませぬな」 しれっとそう口にするジェドに、再び王は唖然とした表情になる。 「いや待て、今日このまま? 馬鹿な、そのような非礼が許される訳がなかろう」 「そうですかな」 どう考えても非礼であるというのに、悪びれることなく悠然としているジェドに、横に立つユリアの方が冷や汗が止まらなかった。 「そうであろうが、そもそも彼女は両国の同盟の証しとしてここにいるのだ、勝手に帰るなどという身勝手が通る筈が無いだろう」 「同盟の証……それについてはご安心を、クルト王はいずれ王の姪をこちらに嫁がせるつもりでいるゆえ」 「王の、姪……」 初耳だったのだろう、突然降って湧いた婚姻話にリュシアン王は目を見張った。 「クルト王にはご息女がおらぬゆえ実子ではないが、王族には変わりない。不足はありますまい」 「それは……いや、だがそれならばそれで、その婚姻が成るまでは彼女をここへ留まらせるのが道理というものであろう」 至極当然の主張をする王に、ジェドは眉根を寄せる。 「ふむ……貴公は何か、勘違いをされているのではあるまいか」 「なんだと?」 「先程から貴公の話を聞いていると、まるで彼女が人質であるかのように聞こえますな。しかし彼女は同盟締結の為の使者であって、それ以上でもそれ以下でもない」 「ジェド!?」 ユリアは堪らず声を上げたが、「お前は黙っていろ」とジェドに一蹴された。 「神の子であるフィルラーンを政治利用するなど出来よう筈がない。今回は、あくまで王の書状を彼女が貴国へ届けただけに過ぎぬことです。フィルラーンを人質とするような不遜極まりない行為など論外、そうではありませぬかな」 「な……」 リュシアン王は怒りを露わに顔を赤くさせたが、ジェドの言葉には確かに正当性があり、反論の余地がなかった。ユリアが同盟締結の為の使者であると同時に、人質としてここへ来たことは所詮暗黙の了解とするところでしかなく、このように人質ではないと公言されれば向こうは引き下がるしかない。特にフィルラーン相手のことであるから、尚更である。 ではあるが、しかしこれでは余りに身勝手が過ぎるではないか。 「ジェド、やはり私はもう少しここへ……」 「いいえ、ユリア様。もう良いのです、これ以上お引止めは致しません」 ユリアの言葉を遮り、初めて会った頃のような冷笑をリュシアン王は浮かべた。 「成程、これが貴国のやり方ということか」 冷ややかな目をジェドへ向けると、皮肉気に王はつぶやく。 「フィードニア国王軍総指揮官ジェド……聞くに違わぬ不遜さよ。神をも恐れぬのはお前の方であろう、フィルラーン殺しというのも、ただの噂話ではあるまい」 「え………」 王の発した言葉が、直ぐには理解出来なかった。 「今、何と……?」 ―――――フィルラーン殺し? ユリアはゆっくりと隣に立つジェドを見上げた。彼は反論するでもなく、ただじっと王を見据えていた。 |
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