132: 去る景色






「今のはいったい、どういうことなのですか」
 隣に立つジェドが口を開かないので、ユリアはリュシアン王に向き直り尋ねた。
「おや…貴女は御存じではありませんでしたか。まあ、そうでしょうね、忌むべき話だ、軍内の機密として葬ったのでしょう」
「忌むべき話……」
 その言葉がユリアに重く伸し掛かる。聞きたく無い、だが聞かずにいることも最早出来ない。
「この男は数年前、侵略したリストリアという小さな国のフィルラーンを、無慈悲に殺しているのです」
「な……」
 受け入れがたい内容に、ユリアは愕然とした。フィルラーンは神の子である。それが事実ならばジェドは最大の禁忌を犯したことになる。
「本当なのか…ジェド」
 恐る恐る聞くユリアに、ジェドは眉ひとつ動かさない。
「その通りだ、だから何だ」
 なんでもないことのように言うジェドに、眩暈を覚えた。
「なぜだ、なぜフィルラーンを……なぜそのような禁忌を犯した。」
「禁忌だと?」
 ジェドは鼻で笑うとユリアを冷たく見下ろした。
「多くの兵士を殺せば英雄になり、フィルラーンひとりを殺せば咎人か。命の重さは身分により随分と変わるらしい」
「そのような皮肉を言っている場合か。そもそもフィルラーンであろうが無かろうが、戦う術を持たぬ相手を殺したことに違いは無い。それは人道にももとる行為ではないか!」
「この俺に剣を向ける相手は誰であろうと殺す。それがフィルラーンであろうがなかろうが、関係など無い」
「剣?」
 ジェドはほんの少しだけ、息を吐いた。
「全てのフィルラーンが、お前のように清らかである訳では無い。その絶対的な地位を失いたくないと欲にしがみつく者もいる。あのフィルラーンもそうだった、王の首を取ろうとした俺に向かい、剣を手に飛び掛かってきた。殺意を持ち剣を手にしたフィルラーンは、既にもうフィルラーンなどではない。だから殺した。それだけの話だ」
「そんな……けど」
 次の言葉を上手く続けることが出来なかった。殺意を持ち剣を手にしたフィルラーンは、既にもうフィルラーンではない。そう口にした時のジェドは、まるで忌むべきことを口にしているかのようで、ユリアの胸に鋭く突き刺さった。
 私欲で剣を手にしたフィルラーンと私は、何も変わらない。いいや、私はもっと罪深い。私も己の欲の為に。ジェド、お前の笑顔が見たいという、たったそれだけの事の為に、戦いを招き多くの命を犠牲にしたのだから。
「確かにフィルラーンは矜持が強い。母国を失くし他国へ移ったところで、その国にフィルラーンがいれば所詮二番手、そのような扱いを受けることを良しとしない者も多いだろう。しかしそれが嫌ならばラーネスへ戻り新たなフィルラーンの教育係となる道しか無い。どちらも受け入れがたく、自決する者もいると聞く。そのお方のように錯乱する者もいるだろう。だがそれでも聖なるフィルラーンに違いはない、殺していいという話にはならぬ」
「見解の相違だな」
 二人の男がそう睨み合うのも、ユリアはもう聞いてはいなかった。
「自分に剣を向ける者は……自分の敵となる者は、それが誰であろうと許さぬのだな、お前は。誰であろうと、殺すのだな……」
 知らず口からこぼれていた。自分でも何を言っているのか分からない。止めなければと思うのに、それでも止めることが出来なかった。
「それが私でも、お前は躊躇することなく殺すのだろうな……」
 恐ろしくてジェドの方を見ることが出来ず、ユリアはずっと地面を見つめていた。
「くだらぬことを聞くな」
 そう口にしたジェドが、どのような表情をしていたのかは分からない。だが恐らく、いつもの嫌悪に満ちた顔をユリアに向けているのだろう。
 自分で口にして、自分で傷ついていた。別に自分はジェドにとって特別な人間ではないのだから、寧ろ憎まれた存在なのだから、そんなこと聞くまでもないことではないか。
「残酷な男だな」
 捨て台詞のようにそれを口にし、ユリアはその場を後にした。

 部屋へ急ぎながら、ユリアは深い自己嫌悪に苛まれた。
 残酷なのは私だ。ジェドを戦場へ引きずり込んだのは、周りを取り巻く全ての敵を殺して生きる道へといざなったのは、この私自身だというのに。その私がどうして彼を責めるような台詞を言えるというのだ。どうしてあんな事を口にしてしまったのだろう。
 部屋に戻ると、ダーナが荷物を纏めていた。彼女はユリアを認めると、先程まで笑顔だった顔を、心配そうに曇らせた。
「どうなされたのですか、ユリア様。何故そのように悲しそうな顔をなされているのですか」
 ダーナの優しい言葉に、思わず涙が零れた。
「どうしよう、ダーナ。酷いことを言ってしまった、私はきっとジェドを傷つけた」
 一度溢れた涙は、もう止めることが出来なかった。後から後から零れ落ち、頬を伝う。
「私はいつもそうだ、自分を守るために相手を責め、傷つける。酷い言葉を口にしてしまう」
 そうと分かっているのに、止める事が出来ない。折角迎えに来てくれたというのに、何故こんなことになるのだろう。
「ダーナ、どうしよう。私はどうしたらいいのだろう」
 泣きじゃくるユリアの頭を、ダーナは優しくそっと撫でた。
「まあ、ジェド様と喧嘩をなされてしまったのですね。でもそのようにお泣きにならないで下さいませ、ユリア様。仲直りなど簡単なことです。今仰られたことを、詫びたいというそのお気持ちを、そのままジェド様にお伝えすればいいのですよ」
「でも…詫びたからといって、それでジェドが許してくれるとは思えない」
 鼻をぐすぐすと鳴らしながら、ユリアは言った。私達の溝は、そんなに簡単に埋まるものではないのだ。
「一度で許して頂けなくとも、分かって頂けるまで何度でも気持ちをお伝えすればいいのです。そもそも口にしなければ、何も伝わらないのですよ」
 それに、とダーナは続ける。
「詫びても許しては貰えないと思うのは、案外こちらの勝手な思い込みだったりするものです。そのように決めつけては、それこそ相手に失礼というものではありませんか?」

 ユリアは顔を上げた。今までそんな風に考えたことなどなかった。ダーナは聖女のような微笑みを返す。彼女は、こんなに大人な女性だったのだろうか。
「そうだな……うん、そうだ、そうする。ちゃんとジェドに謝ろう」
 例え許して貰えなくとも、気持ちが伝わらなくとも、それでも何度でも謝り続けよう。幼少の時に犯した私の過ちを口にする勇気はまだ出ないけれど、それでもいつかそれも誠心誠意詫びるのだ。
「そうなさりませ」
 ダーナはいつものように、ころころと無邪気な笑顔をみせた。
 気持ちはすっかり明るくなっている。彼女が本当の姉のように思えて、今まで以上に好きになった。


 程なくして、ユリアはジェドと共に城を出た。
 こちらの数々の非礼にも関わらず、城を出るユリアにリュシアン王は声を掛けてくれた。
「色々ありましたが、貴女には感謝しています。今後貴女の国と戦うような事態にならぬことを、切に願っております」
 王が含むような目をちらりとジェドに向けたことに、ユリアは気付かない振りをした。
「ええ、私もです」
 固く握手を交わし、ユリアは城を後にした。
 馬車の外に流れるティヴァナ独特の景色は、幼き日々にクリユス達と過ごした思い出を脳裏に蘇えらせる。
 恐らくもう二度とこの地へ戻ってくることは無いだろうと思うと、少しばかり名残惜しさを感じはしたが、それでもやはり、己の居るべき場所はフィードニア以外にありはしないのだ。そう、ジェドがいる、あのフィードニア以外には。
「なんだ」
 向かい側に座るジェドが、仏頂面でユリアに視線を寄越した。言われてジェドをずっと凝視していたらしき自分に気付く。
「あ、いや……フィードニアに、帰れるんだなと思って」
 何を今さら、というように眉を動かし、ジェドは「そうだな」とだけ口にした。
 横に座るダーナが「今です」とばかりに目配せを送ってきたが、今この場で詫びの言葉を口にすることは中々出来なかった。
 ここでは落ち着かないし、やはり船に乗ってからにしよう。そうだ、船の上では、必ずジェドに謝るのだ。
 そう決意を胸に秘めたユリアを乗せ、馬車は港へ向かう。
















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