129: 終焉の時2





 フィードニア軍とトルバ軍の総力戦は、十日程続いた後にフィードニアの勝利で呆気なく終わった。
 兵士の数で勝っていたのはトルバの方だったが、先の総指揮官アイヴァンを欠いたトルバ軍は明らかに精彩を欠き、また新たな指揮官はフィードニアの総指揮官の猛攻ぶりに終始振り回され、圧倒のままに終結した。
 戦いに勝利したフィードニア軍は、トルバの王都へ入り王城を目指し進軍したが、中央の広場に差し掛かったところで一旦進軍を止め、皆で黙祷をささげるという一幕があった。軍が通り過ぎた後には、野で摘んだらしき花々が残されていたというのは、後々までこの街に残ることになる逸話である。
 トルバ国王城の門は固く閉められており、そこでも一戦が起こったが、フィードニアの勢いを削ぐことは出来ず、数刻の内に城門は開かれることになった。

 城内へ侵入してくる兵士たちの足音を、ベクトは王の居室へ続く扉の前で聞いていた。
 こういう結末を、あるいは予感していたのやもしれぬ。崩壊の音へ耳を傾けながら、ベクトはふと思った。
 フィードニアの王城へ侵入し、あの男と対峙してから。アイヴァンの死から。―――――いや、もしかすると、十二年前にフィードニアに潜りこんだ時から。
 その頃トルバでは、宰相ハイラム主導により各国の連合へ向けた計画が水面下で進められており、それらを優位に進める為、且つその中でトルバが優位に立つ為に、各国へ密偵を忍ばせようとしていた。
 だが無論の事、わざわざフィードニアになど、密偵を潜りこませるつもりは毛頭なかった。当時まだ小国だったフィードニアは、周りを強国に囲まれた中におり、いつ消え去ってもおかしくないような国だったからである。
 あの日、偵察に行ったのはほんの気まぐれである。猛獣であるミューマを数匹も倒し国王軍へ入ってきた子供がいるらしい、という戯言に興味が湧き、ちょいと見てみるかという軽い気持ちでフィードニアにやってきたのだ。
 少年は他の国王軍の兵士達と一悶着を起こしてた。やっかまれたか疎まれたか、数人の男たちに囲まれていたが、あっさりと撃退していた。
 成程、確かに腕はあるようだ。我が国の暗殺部隊にでも入れば、随分な手練れに育つことだろうが、しかしその獣を思わせる目は、国王軍などという正統な集団には相容れぬことだろうと思われた。ああいう目をした人間は、腕がどれほど立とうともいずれ集団からは排除されるものなのである。
 いずれ消え去る国だという印象はやはり消えなかったが、しかし少年の目は強く印象に残った。
 あの獣を上手く導ける者が軍内にいたならば、フィードニアは化けるやもしれぬ。そう思い念の為フィードニアに密偵を潜り込ませ、二年経たのちに未だ彼の者が軍内に留まっていることを知り、更に自分も入り込んだ。
 今思えばあの時、様子を見ようと思ったのが間違いだったのかもしれない。フィードニアが生き残ることが出来たならば、連合に加えれば役に立つだろうと思っていたが、クルト王は連合の下に付くことを良しとするような男ではなかったのだ。
 しかしそうと分かった時には、あのかつて小さな獣であった青年を頭に据えた国王軍は、既にトルバのみでは叩き潰すことが困難な程に成長していた。
 小さな獣は、いつのまにか獣の姿をした神、ケヴェル神へと成長を遂げていたのだ。

 あれから十二年、まさかあの小僧に我が国を喰われることになるとは、あの当時の自分には思いもよらぬことだった。
 ベクトがそう物思いに耽っていると、前方でかつんと物音がした。そちらへ顔を向けると、そこには剥き出しの剣を手にした闘紳ケヴェルが立っていた。
「……待っていたぞ、再び相まみえるこの時を」
 ベクトは男を見据えながら、ゆっくりとそう口にした。
「お前で最後だな」
 ジェドはつまらぬ仕事の一つでも片付けるか、とでもいうような口調でそう言った。暗殺部隊に身を置いてから数十年、この己を前にしてそのような態度を取った者は初めてである。ベクトは苦笑すると、剣を構えた。
「そうじゃ、わし以外にもう兵は残っておらぬ。だが最後の仕事は、ちと骨の折れる仕事になろうぞ」
 ベクトは低い前傾姿勢で、ジェドに向かい飛び掛かった。その勢いのまま突き出した剣を、ジェドは体を傾け難なく避ける。
 すかさず小剣を懐から出し喉元を狙い振り上げ、退いた先に数本の短剣を投げつける。そして再び剣で襲いかかった。
 ジェドはそれを剣で受け弾き返すと、反撃の剣をベクトに放つ。重く鋭い剣だったが、ベクトは力の流れに沿うようにそれを受け止め、そのまま右へ払った。
「ほう……」
 ベクトの繰り出す手管の数々に、ジェドの表情が幾分か楽しげになった。
「少しは戦えるらしいな」
 次の攻撃は、更に強く鋭さを増した。それもなんとか防いでみせ、再び反撃の剣を突きつける。
 己の剣は、トルバ国王軍のどの兵士が相手であろうと負けるところではない。その自負がありながらも、この数十年もの間暗殺部隊という影の存在であり続けた。
 その事になんら不満を抱いたことは無いが、しかし最後にこの大舞台に立つ誉れに喜びを感じていることもまた、事実である。
 しかも相手はケヴェル神の化身のごとき男である。この老いぼれの最後に、神はなんとも趣向の効いたはなむけを用意してくれたものだ。
 ベクトは両手を小剣に持ち替え、二つの剣で矢継ぎ早に攻撃を繰り返した。その全てをジェドは受け止める。
 楽しい。誰かと剣を交えていて、こんな感情を覚えるのは初めてのことだ。圧倒的な力を前にすると、人は敗北感よりもむしろ、清々しさを感じるものらしい。
 更に強い剣が、ベクトを襲う。
 二度、三度と剣を受け、この破壊的な力を流し切ることが出来なくなった。
 四度目にベクトの剣先が弾け飛び、五度目に彼の体を貫いた。
 投石機で巨大な岩を何度も打ち付けられたような感覚だった。このような弱き剣では、成すすべもない。
「ふ……こんな老いぼれでは、足止めにもならんかったのう……」
 静かに横たわるベクトを見下ろしながら、ジェドは剣についた血を振り払い、鞘へ納める。
「ふん…しかし貴様以上にこの俺を足止め出来る者もおるまい」
 そう言うと、ジェドはベクトの横を通り過ぎ、王の居室へ続くその扉を開いた。
 老爺はそれを横目で見やりながら、口の端を吊り上げる。
「最後に、一つ言うておこう……。ロドリグに……ユーグには気をつけよ。あやつは狂気の男じゃ…何をしでかすか分からぬ……」
 足音が遠ざかっていく。その言葉をジェドが聞いたかどうかは分からぬが、それはもうベクトの関与するところではなかった。
 明るい陽射しが窓から入り込んでいる。
 この老いぼれの最後には勿体無い良き日和だと、ベクトは思った。







 街の聖堂の鐘が鳴り響いた。時を告げる音とも違う。戦いが終わったか、と何の感情も無くロドリグは思った。
「何をしている、早く次の街へ移るぞ」
 トルバ国宰相であったハイラムが、二人の小さな王子を両脇に連れ、ロドリグを促した。
 王城から逃げ出して十日余り、幼い子供を連れての道程である為、通り過ぎた町々はまだ数ヶ所といったところだ。予定では一旦グイザードへ落ち延び、様子を見て安全な場所へ身を隠し、そしてトルバの残党を集めるつもりでいる。―――――――らしい。
「どうぞ、お好きなようにどこへなりとも行って下さい」
「なんだと?」
 無礼な物言いに、ハイラムの眉が吊り上がる。だがロドリグにしてみれば、もうそんなことは知った事ではなかった。
「おや、今の鐘が聞こえませんでしたか? あれは戦いの終わりを告げる鐘―――つまりもうトルバという国は存在しないのです。俺があんたに付き従う必要は、もう無いってことだよ」
「な……何を言っているんだ、貴様は……っ」
「あーもう、五月蠅いなあ」
 ロドリグは剣をすらりと抜くと、ハイラムへ突きつけた。二人の子供がきゃあ、と声を上げ、ハイラムの後ろへ隠れた。
「ベクト様に王子を守るよう言われたからここまで大人しく付いてきたけど、べつにあんたを守れとは言われて無いんだ。つべこべ言うと殺しちゃうぞ」
「な……な……」
 ハイラムは顔を蒼褪めさせ、がたがたと震えた。彼が人を殺すことに躊躇する男ではないことを、この老人ははよく知っているのだ。
「俺はあの男を殺しに行く。ああ、これってあんたの最後の命令でもあったな。そいつは聞いてやるから、王子はあんたに任せるよ」
 勝手にそう決め、ロドリグは老人と子供にくるりと背を向ける。
「じゃあな、まあせいぜい頑張って生き延びなよ」
「く……さんざん目を掛けてやった恩を忘れよって、勝手にしろ……!」
 ハイラムの捨て台詞は、もうロドリグの耳には届いていなかった。彼の意識は既にフィードニアに向いている。
 正攻法ではあの男に勝てぬことは、もう十分理解した。ならば、正攻法でなければいいだけの話だ。
「さあて、あいつの弱点ってなにかなぁ〜」
 誰にだって、弱点の一つや二つは必ずあるものだ。あの化け物のような男だって、それは例外ではない筈である。
 必ずあの男の躰に剣を突きつけ、臓物を引きずり出してやる。その時を想像すると、楽しくて笑いが止まらなかった。












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