130: 祝宴の夜






 トルバに勝利したフィードニアは、同盟の約定に則りティヴァナと交戦中であるコルヴァス国へ攻撃を仕掛けた。
 これによりコルヴァスはティヴァナに費やしていた兵力の半分をフィードニアに注がねばならなくなり、僅か六日後には白旗を振ることになった。
 東国側の同盟を主導していたコルヴァスが陥落したことにより、他の国々も追随し降伏を始め、その二十日後には、全ての国がフィードニア、ティヴァナ両同盟国への追従の意を示した。
 戦いが終わったのだ。

「……本当なのですか」
 ユリアはリュシアン王が今しがた告げた言葉が俄かには信じられず、思わず聞き返した。
「本当ですよ、ユリア様。連合国は連合解除し、全ての国が我ら同盟両国の配下に収まることを受諾しました。……戦いが、終わったのです」
「戦いが、終わった……本当なのですね」
 声が震える。どれだけこの時を待っていただろう。しかも各国が揃って降伏したというのなら、戦死者の数は随分抑えられたに違いない。それがフィードニアとティヴァナの同盟の結果だというのなら、使者としてこの地へやってきた自分の役割も、なんとか果たすことが出来たということだ。
 ほっと安堵の表情を浮かべたユリアに同意するように、リュシアン王も笑みを見せる。
「私もこれで少しは肩の力を抜くことが出来そうです。先王の死と、妹の死を近々公表することになるでしょう」
「まあ、では王座に正式に即位することが出来るのですね」
「はい、不肖の王ではありますが」
 偉大な先王の後を継ぐ重圧が、幾分その笑みをぎこちないものに変えたが、それでも清々しさは消えていない。苦境を乗り切ったという自負が彼の中に芽生えたのだろう、彼の目はしっかりと前を見ている。
「本当は戴冠式での清めの儀式を貴女にお願いしたいところなのですが、それをしてしまうと我が国のフィルラーンの機嫌を損ないますからね。貴女は城下の民に人気がありますから、残念です」
「まあ…そう仰って頂けるのは嬉しいですが、やはりそうなさる方がよいと思います。戴冠式などという重要な式典で他国の者が出しゃばる訳には参りませんから」
「はい、そうですね」
 そうは口にするものの、落胆の表情を隠しもしないこの若き王が、なんだか少年のようにあどけなく見えて可笑しかった。
「けれど戴冠式の末席には、同盟国の使者として私も加えて頂けると嬉しいです」
「ええ、はい、それは勿論です」
 再び笑顔になるリュシアン王に、堪えきれずユリアはぷっと吹き出してしまった。
「え、なんですか?」
「いえ、ごめんなさい、最初にお会いした時のリュシアン王と、あまりに印象が違うものですから」
 初めて謁見の間で対峙した頃の彼は、ユリアに対し終始尊大で冷徹な態度を取っていた。だがこうしてみるとあれは、ティヴァナの現状と弱みを晒さぬ為の外交手段の一つだったのであり、今のこの姿が本来の彼なのだろう。
「……あの時は非礼の数々、本当に申し訳ありません。いつか謝らねばと思っていたのです。大国ティヴァナの威厳を見せねばと、ただただ必死だったのです」
「分かっております。必死だったのは私も同じですから、気にしてはいません」
「それならば良いのですが」
 そうしてバツの悪そうな顔から、安堵の表情になる。よくよく表情の変わる人だ、この人の良さそうな青年が、同盟国としてあのクルト王と渡り合わねばならぬとは、些か心許なくはある。
 だから、なのだろうか。
 ふとクリユスの顔が浮かんだ。だからクリユスは、ジェドを排することでクルト王の力を削ぎ、フィードニアをティヴァナの属国という形に持ち込ませたいのだろうか。そうして両国の釣り合いを取り、共存を図ろうとしているのだろうか。
 だとしたら、クリユスの一連の態度にも納得がいく。いいや、それ以外の答えなど考え付かぬではないか。
 これまではフィードニアを属国とするなど、到底受け入れられぬと思っていたが、ユリアの中にティヴァナに対する情が芽生えてしまった今となっては、それで両国が上手くいくのなら、それでも良いのではとさえ思えてしまう。
 だがそれすらもジェドを国王軍から解放してあげたいという、己の利己的な言い訳なのだろうか。





 その夜、急遽王城にて祝宴が開かれることとなった。
 といっても大半の兵士達はまだ戦場から戻ってきてはいないので、政務官を中心とした少人数での宴ではあるのだが。
 ダーナもユリアと共に宴席に招かれたが、彼女はこれを固辞し、こちらの方が性に合っているからと城の侍女達と共に裏方で忙しなく働いている。
 ユリアも招待にはありがたく応じたものの、酒には手を付けず―――ジェドに言われたからという訳では無いが―――早々に退席し自分の部屋へ戻った。まだ終戦の実感が無いユリアにとっては、今は華やかな場にいるよりも、一人静かに喜びを感じていたかった。
 ダーナはまだ祝宴の場に残っているので、ユリアの部屋は真っ暗だった。開け放たれた窓や中庭へ続く扉から、月明かりが部屋の中に差し込むくらいだ。
 ユリアは手に持っているランプの灯りを、部屋のあちこちに置かれたランプへ移して回る。一つ、また一つと火を点けていき、四つめのランプへ火を点けようとした時、彼女はその手を止めた。
 ―――――――誰か、いる?
 中庭の方に、誰か人の気配を感じた。
「誰だ、そこに誰かいるのか……!」
 ユリアはランプをかざし、声を張り上げた。
 もしやトルバの密偵がまだ城の中に残っていたのだろうか。それとも。
 船の上でユリアに襲い掛かってきたあのユーグの顔が頭にちらつき、ぞっとした。
 今夜は警備の手も祝宴の広間に集まっており、この辺りの警備はいつもより手薄だ。恐らく今警備兵を呼んだとしても、助けは間に合わないだろう。
 どうする、どうしたら逃げられる? やっと戦いが終わったのだ、あともう少しでジェドを軍から解放してあげられるかもしれないというのに、こんなところでむざむざと殺される訳にはいかない。
「誰なんだ、隠れていないで、出てこないか……!」
 足音がした。こちらへ近づいてきているのだ。恐怖は感じたが、だがそのゆったりとした足音は、刺客のそれでは無いような気がした。
 そもそも殺意を持った刺客ならば、ユリアに気配を悟られるような真似をするだろうか?
「……もしかして、クリユスか……?」
 以前も突然庭に現れたことを思い出した。多いに希望が含まれた予測だが、可能性が無くはない。
 足音が止まった。風が吹く。ひらりと舞うカーテンの奥に、赤い闇のようなマントがはためくのが見えた。
「―――――なぜここでその男の名が出るのだ」
 不機嫌そうな低い声が闇の向こうから聞こえた。その声は、彼女が良く知る声で。

 ―――――――まさか。

 ユリアは扉のところへ駆け寄った。

 ――――――こんな所に、いる訳がない。

 中庭の月明かりの下に、男が立っていた。
 深紅のマント、黒い髪。ここにいる筈がない、その男が。














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