122: 武勲





 スリアナ国王都の街門の前には、約五万程の軍隊が列を並べ守りを固めていた。
 何が二万の援軍だ、とアレクは思う。たかだが二万の兵をカベルから借り受けたところで、元々たったの二個中隊の別働隊、つまりは二千の兵しかいなかったのだ、スリアナ軍の半分にも満たないではないか。
 ジェドに弟子入りしてからというものの、命の危機を感じることばかりで何一つ良いことがない。あの時に戻れるものならば、ジェドに弟子入りをした自分を殴ってでも止めてやるものを。
 アレクは今、強くなる為にこの国で一番強い男に剣術を習おうなどと安易な事を思い立ってしまった己の選択を、深く後悔していた。
「おい、武勲を立ててみせろよ」
 ジェドがアレクに向かい、片方の口の端を吊り上げながらそう言った。
「は……」
 青褪めながら、アレクは下を向く。
 弟子入りを受け入れてもらう代わりに、次の戦いで武勲を立ててみせろと言われていたことを今更ながらに思い出した。あの言葉は本気だったのか。
 もしここで武勲を立てられなかったらどうなるのだろう。それを想像すると、血の気が引いた。
 最悪殺されるかもしれない。それは被害妄想でも考え過ぎでもない、ジェドに言われていた毎日の鍛錬をほんの少しさぼった位で、彼はミューマの谷に放り込まれたのだから。
 ミューマは肉食の凶暴な獣である。一匹で村を壊滅されられるらしいその獣が生息する谷へ、あの日アレクはジェドに連れて行かれ、こう言われたのだ。
「訓練など不要なほど腕に自信があるのだろう、ならばミューマの一頭や二頭、倒してみせろ」
 無論その場で土下座し許しを乞うたことは言うまでもないが、それで許してくれるほどにジェドは寛容ではなかった。頭を地面に擦りつけるアレクにかけた、彼の次の言葉はこうである。
「ミューマが不足ならば俺が相手をしてやる。言っておくが手加減は一切しないから、そのつもりでかかってこい」
 そう剣を引き抜いたジェドを前にして、アレクは泣く泣くミューマと戦う事を選択した。ジェドと戦えば万に一つも命は無い。しかしミューマ相手ならば万に一つは生き残れるかもしれないと思ったのだ。
 それから先は、思い出すだけで総毛立つ程に恐怖の戦いだった。長い牙と鋭い爪を持つ獣を前にして、何度死を覚悟したか分からない。
 戦うというよりは、飛びかかってくるミューマを何とか避けるだけで精一杯だった。それでも一応倒すことが出来たのは、ひとえに運が良かっただけに他ならない。アレクが避けた先にたまたま突き出た木の枝があり、それに運良くミューマが目を突き刺しもんどりを打っている所を、ようやく首を撥ねてみせただけなのだ。
 今でも、こうして生きていることが奇跡としか思えなかった。
 その後、仲間の血の匂いに集まってきた数匹のミューマを、ジェドは事もなげに倒してしまった。ミューマよりも凶悪な獣が近くにいた。それ以来アレクは、ジェドには今後決して逆らうまいと心に誓ったのである。
 

 その凶悪な獣―――いや、ジェドを先頭に、フィードニア軍はスリアナ軍へ総攻撃をかけた。
 生きて帰る為には何とか武勲を立てねばならない。武勲、というからには、小隊長くらいの首を取ったくらいでは恐らく駄目なのだろう。かといって大隊長なんかを狙えばこっちの首が危うい。狙う首は中隊長辺りが妥当なところだろうと、アレクは目星を付けた。
 彼は戦場を見渡す。
 最初に青の鎧に青のマントを身に付けた男が目に入ったが、即却下した。その男は中隊長ではあるが、戦場において名の知れた男であった。同じ理由で右方に見えた黒地に金が入った鎧の男も却下した。名を上げることなど望んではいない。兎に角中隊長でさえあればいいのだ、中隊長職位の中でも、名など馳せていない末端位に位置する中隊長が望ましい。
 そう思いながら隈なく戦場を見渡し、そして左方向奥にうってつけの中隊を発見した。その中隊長の名は特に聞き覚えも無く、中隊自体の動きにも精彩が無かった。
「ヴェルナー隊長、第二小隊は左方向へ移動します」
 そう告げ、アレクがさりげなく目的の中隊へ向かい移動しようとしたその時、突然その進路にラオ率いる第三騎馬中隊が割り込んできた。スリアナ軍の中央部を叩くつもりらしい彼らは、そのまま猛攻を始めた。
「おい、ちょっと」
 左へ向かう筈が、味方に押され右方向に流されている。元に戻ろうと必死になったが駄目だった。弾き出された先で出くわしたのは、先程彼が却下した青い鎧の男だった。
「おいおい、冗談だろう」
 慌てて回れ右をしたアレクだったが、
「逃げるのか、腰抜けめ」
 という侮蔑の声に立ち止る。確かに彼は腰抜けではあったが、矜持の人一倍強いお坊ちゃんでもあった。
「なんだと? もう一度言ってみろ」
「何度でも言うてやろう、貴様のような腰抜けはとっとと家に帰って母親の乳でもしゃぶっているがいい」
「黙れ、この……!」
 挑発だと分かってはいたが、止まらなかった。アレクは剣を握りしめ、青い鎧の男に向かっていった。
 少しくらい他国に名が知られているからって、なんだ偉そうに。
 どれだけ強いのか知らないが、お前はミューマよりも強いのか? お前はミューマの谷に放り込まれた事があるのかってんだよ……!
「うおぉおおお……!」
 アレクは思い切り剣を振り下ろす。ギン、と高い音が響き、受け止められた渾身の剣は簡単に弾き飛ばされた。
「………!」
 彼は必死に次々と剣を振るったが、それらもことごとく弾かれた。
 ―――――いったい、俺は何をやってるんだろう。
 我に返ったアレクは、内心で激しく後悔していた。馬鹿じゃないのか、俺。こんな相手に勝てる訳ないじゃないか。見ろよこの腕の太さを、素手でも簡単に俺の首なんかへし折っちまいそうじゃないか。
 しかし今更後悔した所で遅いのである。こちらが怖気づいたのを感じ取ったのか、それとも弱者をいたぶるのにも飽きたのか、相手は守りから攻撃に転じた。
 鋭い剣がアレクの首を目掛けて飛んでくる。慌てて避け、次の一撃を予測し態勢を立て直す。
(――――――あれ)
 思っていたよりも、次の攻撃が遅かった。アレクは些か余裕の面持ちでそれを避ける。
 青い鎧の男は、こんな小物の男などさっきの一撃で首を撥ねられると思っていたのだろう、その目には驚きの色が浮かび上がっていたが、それ以上に驚いていたのはアレク自身だった。
 再び襲い掛かる剣を、今度は剣で弾いてかわした。これも想定したものより重く響かなかった。何故だろう、左程強さを感じない。名を馳せてはいるが、名だけの男だったということなのか。
 そう思い、だが直ぐに思い直す。そんなことは無い筈だ、先程までの戦いを遠くで見ていた限りでは、響く名の通りの強さを見せていた。だが、それならこれはいったい、どういうことなんだ?
 剣を合わせながら、ふとアレクはあることに思い立った。
 ――――そうだ、この男は確かに弱いのだ。ジェド殿よりも、ずっと弱い。
 このふた月の間、ずっとジェドと剣を合わせていた。剣といってもジェドが手にしていたのは木の剣だったり、ともすれば木の枝であったりしたが、それでもこの青い鎧の男よりも何倍も鋭い剣だった。
 勿論ジェドの剣に敵ったことなど一度たりともなく、一方的に打ち据えられて終わることばかりだったが、それでもいつの間にか、彼の剣の鋭さや激しさ、重さには慣れていた。目の前の男がどれ程強くとも、ジェドより強くは無い。ならば恐れることなど何もないではないか。
 アレクは相手の剣を弾くと、再び攻撃をしかけた。しかしこれも簡単に躱される。
 向こうの動きははっきりと見えるが、かといって現時点でのアレクの攻撃が簡単に通用する程甘い相手でもない。
(落ち着け、俺)
 相手の動きは見えるんだ、だったら隙も見付けられる筈だ。
 何度も何度も打ち合って、極限の緊張と疲労に気が遠くなりかけたその時、その瞬間はやってきた。
 青い鎧の男は剣を大振りし、態勢を戻すのが一瞬遅れた。アレクはその瞬間を見逃さなかった。
 彼は態勢を低くし男の懐に潜り込むと、そのまま一気に剣を突き上げた。剣は鎧の隙間を抜け、男の腹部を貫通する。男は低い呻き声と共に、それでも剣を振り上げたが、それより早くアレクは剣を引き抜き、さらに首へとどめの剣を突き刺した。
 青い鎧を纏った大きな体がぐらりと揺れ、馬から崩れ落ちる。 わあ、と辺りに歓声が沸き起こった。
 全身から汗が流れ落ちていた。アレクは震える手をじっと見詰める。
 勝ったのか、本当に?
 ぼんやりと顔を上げると、離れた場所で戦っているジェドと目が合った気がした。こっちを見て、少し頷いたようにも見えた。
 ――――認めてくれたのか。あの男が、この俺を。
 ぎゅっと拳を握りしめる。胸の奥底から歓喜が沸き起こってきた。
 ああそうだ、俺は勝ったんだ。他国にも名が知れ渡る程の男に、この俺が。
「うおおぉおおおお……!」
 アレクは拳を天に突き上げ、雄叫びを上げた。今まで戦場でこれ程に気分が高揚したことは無い。最高に気持ちよく、最高に誇らしかった。そう、次の瞬間に、あるものを彼の目が捕えるまでは。
「―――――――!」
 歓喜から一転、アレクの体は凍りついた。 ぞわりと、全身の毛が逆立つ感覚がアレクを襲う。
 再び手が震えた。ただし今度は恐怖でも安堵でもない。怒りの為だ。

 この戦場に、ユーグがいる。
 かつての友であり、宿敵であるユーグが、そこに居た。













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