123: 対決





 何故スリアナ国との戦いの場に、ユーグがいるのか。
 一瞬疑問には思ったが、そんなことはアレクにとってどうでもよかった。あの男はユーグに間違い無い、どれ程意外な場所にいようとも、この俺が奴の顔を見間違える筈がないのだから。
「おいアレク、どこへ行く!」
 隊を離れ飛び出したアレクに、彼の上官であるヴェルナー中隊長が制止の声を掛けたが、ユーグの事で頭の中が一杯になっている青年の耳に、その声は届かなかった。
 彼は己の小隊を放り出し、ただ闇雲にユーグの居る場所へ向かい、単身で馬を駆けさせる。
「ユーグ……!」
 アレクの叫び声に気付いたユーグは、こちらに馬首を向けた。それにより見えた彼の右半身には、有るべき腕が無かった。ユーグは左腕で剣を振り、両足で器用に馬を繰っていたのだ。
 勝てるかもしれない、とアレクは思った。あれから何があったのか知らないが、利き腕を失ったユーグは大幅に戦力が低下しているに違いない。方やアレクは、先程青い鎧の男を倒したことで、自信を付けていた。
 これならば、勝てるかもしれない。いいや、勝つのだ、勝ってみせる。今この場で何としてもユーグを倒し、ロランの仇を討つのだ。
 アレクは駆ける馬の勢いごと、体当たりするようにユーグの首目掛けて剣を振るった。
 ユーグはそれを剣で受け止める。二人の剣は拮抗し、合わさったままの状態で、ユーグはアレクの目を見ながら薄ら笑いを浮かべた。
「坊ちゃん、これはお久しぶりです。こんな所でお会いするとは、奇遇ですねえ」
 ゆっくりと、嘲るようにユーグはそう口にした。
「黙れ、俺をそんな風に呼ぶな!」
 そう彼に呼ばれていた幼少期が懐かしく、少しでも動揺してしまいそうになる己が嫌だった。
 アレクは更に両腕に力を込めたが、それでも片腕のユーグは涼しい顔でそれを受け止めている。先に根負けし、剣を弾いて一歩後ろに下がったのは、アレクの方だった。
「く、この……!」
 アレクは再びユーグに襲い掛かる。
 にやにやと笑んだままのユーグと合わす剣は、余りに手応えが無かった。放った剣の勢いはまるでユーグの剣に吸収されてでもいるかのように、全て力を失った。大人と子供が戦っているようなものだ、まるで相手になっていない。
(―――――そんな、馬鹿な)
 アレクの腹の中にひやりとしたものが落ちた。
 幾らなんでもこんなに差がある筈ない。こんなに手が届かない相手の筈がねえよ。
 アレクが信頼する“ユーグ”であった頃、この男が本来の実力を隠していたことを、彼も頭では分かっていた。しかしそれにしても彼の知っている“ユーグ”と実力の差があり過ぎた。
 それにあんな風に卑怯で卑劣なことを平気でしてのけるような男が、こんなに強いのだとは認めたくなかった。強い男は、ジェドのようにもっと堂々としているものじゃないのか。
「くそっ……!」
 先程の青い鎧の男との戦いで勝ち得た自信は、既に消え失せていた。焦りの余り、アレクの剣は乱雑になる。
 ユーグは溜息を一つ吐くと、興味を失ったとばかりに笑みを消した。
「少しは強くなったかと思いましたが、こんなものですか。全く残念です、もう少し楽しませてくれるかと思ったのに」
「何だと」
 激情に任せ再びユーグに飛びかかったアレクだったが、次の瞬間に彼の剣は手から離れ宙を飛び、咽喉元にはユーグの剣が突き付けられていた。
「お前みたいな弱い奴はとっとと殺しちゃいたい所だけど、その不幸面した顔が愉快だから、もう少し生かしておいてやるよ。――――それに、今はお前の相手をしてやる暇も無いからな」
 そう言うと、ユーグは両足で馬に合図を送り、器用にくるりと方向転換した。
「おい、待てユーグ……!」
 慌てて追いかけようとしたが、身体が上手く動かなかった。
 アレクの身体は、絶望に竦んでいた。


 方やジェドを追ってスリアナ軍の中央部に突っ込んでいった第三騎馬中隊は、駆逐の勢いで敵を次々と切り伏せていた。
 今まで死線を何度も越えてきた彼らにとって、倍程度の敵など恐るるに足りぬことだった。
 もう少しでスリアナ軍の総指揮官に手が届く、そう嬉々と剣を振るっていたラオの目の端に、今ここに居る筈が無い男の姿が目に入り、彼はそちらへ首を向けた。
(ユーグ?)
 それは以前フィードニア国王軍に密偵として潜り込んでいた、トルバの暗殺部隊員であるユーグに見えた。
 国王軍に居た期間は長くはないうえラオにとっては特に親しい仲でもなかったので、初めは見間違えかもしれぬとは思ったが、何となく心にひっかかりを覚えもう一度目を凝らしてみた。
 間違いない、ユーグだ。だが、何故こんな所に?
 スリアナ国の援軍として来たのならば、もっと多くの兵士達と共に来ていることだろう。だが周りを見渡してもトルバの兵士は他に誰一人としていないようである。
 単身でこの場に乗り込んできたらしき男にラオは疑問を感じたが、彼の視線の先を追ってみてその目的を察知した。
「ジェド殿!」
 ラオが声を掛けるのと同時に、ユーグは腰袋から数本の短剣を取り出しジェドに向かって放った。敵味方入り乱れているこの戦場で、その短剣は見事に辺りの兵士達をすり抜けジェドを襲う。
 無論の事、ジェドは振り向きざまに全ての短剣を叩き落としたが、その飛剣の驚くほどの正確さにラオは思わず舌を巻いた。
「よぅ、久しぶりだなぁジェド。この片腕の礼をしにきたぜ」
 ユーグは目を血走らせて言う。余りに自然に馬や剣を扱っていたため気付かなかったが、ユーグには片腕が無かった。
 礼、ということはジェドが切り落としたということなのか。牢から脱獄した時には腕はあった筈だから、脱獄後に二人はどこかで対決をしていたらしい。
 副総指揮官であったライナスの次の標的として、ジェドを付け狙っているのだろうか。
 だが敵意が漲る目を向けるユーグに対し、ジェドは関心なさげに彼に一瞥をくれただけで、再びスリアナ軍との戦いに戻っていった。
「おいおい、無視しようっていってもそうはいかないぜ」
 ユーグは馬を走らせると、剣を手にジェドに躍りかかる。ジェドはそれを弾き返すと、しかしやはりユーグに向かうことなくスリアナ兵士に剣を浴びせ続けた。
 ユーグは唾を吐き捨てると、目をギラリと光らせる。
「無視しようっていってもそうはいかないって言っただろう。俺はお前を殺す為に戻って来たんだからなぁ……!」
 再びジェドに向かって行ったユーグは、今度は執拗にジェドに攻撃を浴びせた。これには流石にジェドも相手せざるを得なくなり、五月蠅そうに剣を合わせたが、どこか手こずっているように見えラオは意外に思った。
 ユーグは確かに強いのだろうが、それでもジェドと対等に戦える程だとは思えない。しかし今の二人の戦いを見ると、ジェドの実力を知らぬ者の目には、彼がユーグに押されているように映るに違いなかった。
 どこか居心地の悪い思いで二人の男の戦いを眺めていると、ふとラオの頭の中にある考えが浮かんだ。
 そうか。ひょっとするとジェドは……。
「ほらほら、どうしたんだよフィードニアの英雄殿。防戦一方じゃあその名が泣くぜぇ」
 ぎゃはは、と下卑た笑いをユーグはする。更に激しさを増してゆくユーグの剣に、ジェドは思案顔で肩を竦めた。そして次の瞬間には、まるでラオの考えを肯定するかのように、ジェドの剣がユーグ自身ではなく、彼の剣を真っ二つにした。
「な……っ!」
 折られた剣に一瞬ユーグは驚愕の表情を見せたが、すぐに短剣へと持ち替え再び臨戦態勢を取る。しかしジェドは追撃することなくユーグから背を向けた。
「おい待て、どういうつもりだ。何故この俺と戦おうとしない、たかだか腕一本を取った位で、勝った気にでもなっているのかよ!」
 叫ぶユーグをジェドは冷ややかに見返すと、呟くように言った。
「お前を倒すのは、この俺ではない」
「何?」
 訝しげな顔をするユーグの後方で、ヴェルナー中隊長が声を張り上げた。
「ユーグだ、トルバの密偵がいるぞ。捕えろ!」
 その声に舌打ちを一つすると、ユーグは馬首の向きをくるりと変えた。
「いいか、覚えていろ。次は必ずお前を殺す、この俺を生かしたままにしていることを、必ず後悔させてやるからな……!」
 そしてそのまま、戦場の中に溶け込むように消えた。




「馬鹿野郎、何をやっているんだ……!」
 ヴェルナーの拳を受けたアレクの身体が、後方に大きく吹っ飛んだ。
 とたんに頬が腫れあがったが、それも仕方の無いことであろう。こともあろうに戦いの最中で己の小隊を放り出し勝手な行動を取ったのだ、同情の余地は無い。
 本人もそれを分かっているのだろう、珍しく言い訳一つせず殊勝に項垂れていた。
「いいか、フィードニアに戻ったらそれなりの処罰を受けて貰うからな。せっかく総指揮官殿から中隊長の座を頂けるところだったものを、これでは台無しだ。この、馬鹿が……」
 言葉尻に情が含まれているのを、ラオは感じ取った。どうやらヴェルナーはアレクの昇進を本人以上に喜んでいたようである。いい加減で調子のいい男ではあるが、何故か人に好かれる性質たちなのがアレクの強みであろうと、ラオは思った。
「すみませんでした……」
 アレクは力無く言う。そして頭を下げたまま、ジェドの方へ向き直った。
「ジェド殿……俺、強くなります。もっと、強くなります」
 責務を放棄し上官の期待を裏切ってまで追ったユーグに手も足も出なかったのだ、悔しくて溜まらないのだろう。アレクは掌をぎゅっと握りしめながら、絞り出すようにそう言った。
「そうしろ」
  ジェドはそっけなくそう言っただけだったが、いつかアレクがユーグを倒す日がくるだろうことを、この男が信じて疑わずにいるのをラオは知っている。
 がんばれよ。
 今はただ、頭を垂れ地面を見詰めるしかない男の背に、ラオは心の中で激励を飛ばした。













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