110: ユリアの怒り





 マルセルがユリアを案内したのは、王城の一階にある、日当たりの良い客室だった。
 その部屋からはすぐ中庭へ出られるようになっており、その庭には色とりどりの花が植えられている。部屋を飾る調度品は美しく、その部屋は身分の高い者を持て成す為のものであることが、すぐに見て取れた。
 その部屋の隣にある、侍女用の少し小さめな部屋がダーナに宛てがわれ、そして廊下を挟み向かい側の部屋には、護衛としてバルドゥルが詰めることになった。
 フィードニアからやってきた他の兵士達は、どうやらティヴァナの兵舎でやっかいになっているようである。
「しかし、王に目通りも出来ぬとは、困りましたな」
 ユリアの部屋へやって来たバルドゥルが、白髪交じりの顎鬚を指でなでつけながら言う。
「そうなのです。王にお会いする事が叶わねば、同盟の交渉など出来ぬこと。何とかお会いする方法を考えねばなりません」
 紅茶を片手に溜息を吐くユリアに、ダーナが心配そうな顔をした。
「けれどユリア様、王子様はユリア様がティヴァナのフィルラーンになれば、王に会わせて下さると仰ったのでしょう? そんなの絶対に駄目です、絶対お受けしないで下さいませ」
「勿論、受ける訳が無い」
 ユリアは苦笑しながら、紅茶のカップを受け皿に戻す。
「王子も恐らく私がそれを了承するとは思っていないだろう。こっちが即答出来ぬ要求ばかりをして、一体何のつもりなのか全く解らないのだ」
「時間稼ぎをしているのかもしれませぬな」バルドゥルが言いながら額に皺を寄せる。「直ぐには返答が出来ぬが、かといって諦めて早々に帰られても困る、というようなことかもしれません」
「何なのです、それは」
「分かりませぬが、同盟の引き合いに出す程にクリユス殿に執着していることが、やや気になります。あの人はそこまでの遺恨を残すようなヘマをする方ではないように思うのですが」
「けれど実際処刑されるところを逃げてフィードニアへ来たのですから。女性相手となると昔から見境が無いのです、クリユスは」
「まあそうなのかもしれませんが」
 そう言いながらも、どこか納得出来ぬふうにバルドゥルは考え込む。
「それにしても、ここへやって来てから既に幾日も経っているというのに、こうして放っておかれるだけでティヴァナの者から一向に何の指示もなく、話し合いの場さえ設けてもらえないとは……」
「そうですわ、お庭は綺麗ですけれど、こう何日もお部屋に籠っていては飽きてしまいますわ。どうせ何もすることが無いのでしたら、折角ティヴァナへ来たのですから街を観光したいですわね、ユリア様」
 呑気そうにダーナが言う。
「観光……いや、それは流石にまずいだろう。そんな事をして遊び呆けていては、ティヴァナの者に我々は単なる物見遊山に来ただけの、名ばかりの使者だと思われてしまう」
「まあ、そうなのですか……」
 がっかりと肩を落とすダーナが、ユリアにはなんだか不憫に思え、慌てて付け加える。
「い、いや、同盟がうまく締結されれば、観光することも出来るかもしれないが」
「本当ですか?」
「ああ、多分」
 その言葉にぱっと笑顔になるダーナに、バルドゥルがついついといった感じに笑い出した。
「いや、失礼。どうやらユリア様はダーナ様にお弱いのですな」
「そうなのです、私が唯一逆らえぬ相手なのですよ、彼女は」
 笑う二人に、ダーナはぱちくりと瞬きをした。

「さて、しかし確かにこうして何もしないでいるのも勿体ない。そういえばティヴァナのフィルラーンにご挨拶もしていなかったな。一度訪ねてみようか」
 きっとこの連合国との戦いには、ティヴァナのフィルラーンも心を痛めているに違いない。上手くすれば、その方からティヴァナの王へ同盟を進言してくれるかもしれぬではないか。
 そう言うと、ダーナは一も二も無く頷く。
「まあ、良い案ですわ。そうですわね、そう致しましょう」
 そうと決まったら早いほうが良い。ユリアは早速に塔へ伺いを出し、次の日の朝には訪ねて行くことにした。
 今まで散々ティヴァナの豪奢ぶりに驚かされてきたが、フィルラーンの塔もまたしかりである。
 外観はフィードニアのそれとそう変わりはしないのだが、とにかく内装が豪華なのだ。
 ユリアがまず通された控えの間にさえ、王が使う調度品かと思われるような立派な机や長椅子が置かれていた。
「もうこれ以上驚くこともないかと思っていたのですが、やっぱりこの豪華さには驚いてしまいますね」
 うっとりと溜息をつくダーナに、ユリアは頷く。
「そうだな、どれも素晴らしいものばかりだ。しかしフィルラーンの塔には不必要な華美と思えなくもないが」
 この華美さに些かうんざりしてきた。そう口にした時、戸が叩かれ侍女らしき女性が控えの間へ入ってきた。
「お待たせいたしました、どうぞこちらへ」
 侍女は頭を下げるのとと同時に掌で廊下を指し示し、己についてくるように促した。
 ユリアは内心で「やっとか」と呟く。先に訪問の知らせをやってからここへ来ているというのに、ユリア達はこの控えの間に通されてから、既に一刻(一時間)以上も待たされていたのだ。
 長椅子から立ち上がり部屋を出ようとすると、侍女が二人を制止する。
「お待ちください、お連れの方をご案内することは出来ません。ここにお残り下さい」
「えっ」
 きょとんとするダーナの肩に、ユリアは手を添える。
「彼女は私の世話役です、一緒に連れて参ります」
 只の侍女と勘違いしているのかと思いそう口にしたが、相手の侍女は頑として首を縦に振ろうとしない。
「なりません、この塔の主がそれをお許しになってはおりません」
「けれど」
 尚も食い下がろうとするユリアを、ダーナが止めた。
「残念ですが、私はここでお待ちしておりますわ、ユリア様」
「いや、しかし」
 王へお目通りするのならともかく、同じフィルラーンに会うのに世話役のダーナが控え室で待たされるなど、彼女を軽く扱われたようでユリアには納得できなかった。だがそんなユリアの心など気遣いする風もなく、侍女はさっさと歩いて行ってしまう。
 仕方なく、ダーナを控えの間へ残したまま、ユリアは侍女の後を付いて行った。

 ユリア一人が通された謁見の間で、彼女はまた驚かされることになる。
 やっと目通りが叶ったティヴァナ国のフィルラーンは、寝台の天蓋のように天井から幾重にも垂らされた布の、向こう側に据えられた椅子に座っていたのである。
 こちらからその姿を見ることが出来るのは、赤や金の刺繍をふんだんに施された衣服と、扇子を持つ手のみだった。
「フィードニア国のフィルラーン、ユリアと申します。この度、フィードニア王の使者としてこちらへまかり越しました」
 スカートの裾を持ち上げ礼を取ったが、天蓋の奥は黙したままで返答がない。
 ティヴァナのフィルラーンは老齢であるとリュシアン王子が言っていたように、僅かに覗く手には深い皺が刻まれていた。もしや耳が遠く聞こえなかったのかと思い、今度は少し声を大きくして再び同じ挨拶を口にすると、しわがれた不機嫌そうな声が返ってきた。
「……何度も言わずとも聞こえておる。返答をせっつくとは、なんと無作法なことよ……不愉快じゃ」
「これは、申し訳ございません」
 まだ挨拶を述べただけだというのに早々に機嫌を損ねてしまい、ユリアは慌てて頭を下げる。天蓋の奥からは溜息が聞こえた。
「しかしそれも仕方のないことよの。神に仕えるフィルラーンでありながら、召使いのように王の使いなどで寄越される恥晒し者ゆえ」
「な……」
 ユリアは思わず我が耳を疑い、頭を上げる。
 今、恥晒しと言ったのか。
「い、いえ。使いに出されたのではありません。同盟を結ぶ事により、一日でも早く連合国との戦いが終わればと、私自らの意思でここへ参ったのです」
 王の使い走りをしていると勘違いなされたのかと思い、ユリアは弁明をしたが、ティヴァナのフィルラーンは不愉快気なその態度を変えはしなかった。
「自ら参ったじゃと? ならばなお悪いわ。フィルラーンは神にのみ身命を注げば良い、世俗の政に関わるなど卑しきことじゃ」
 そう言うと、ティヴァナのフィルラーンはすっと立ち上がり、彼女へ背を向ける。
「あ、あのっ……」
 まさかたったこれだけの面会で、もうお部屋へ戻られてしまうおつもりなのか。同盟に口を利いて貰うどころか、まだ本題を口にしてもいないというのに――――。
「どうかお待ち下さい」
 立ち去ろうとする老人を引き留めようと、ユリアは一歩前へ足を踏み出した。すると空気を切るような音が聞こえ、次の瞬間には額にぴしゃりと何か固いものが当たった。
「近寄るでない、汚らわしい」
 冷たく言い放ち、ティヴァナのフィルラーンは天蓋の更に奥へと消えて行った。
「な――――」
 ユリアは床に落ちた物に目をやる。そこには扇子が転がっていた。あのティヴァナのフィルラーンが、その手にしていたものだ。
 これを、投げつけられたのか。この私が。
 同じフィルラーンであるというのに顔も見せず、一刻以上待たされた上にたったこれだけの面会で去られ、挙句このような仕打ちを受けるのか。
(――――なんなんだ、この国は)
 一体、何だと言うのだ。


「まあ、どうなされたのですか。額が少し赤くなっておりますよ」
 早過ぎる程に早く戻ってきたことも含め、ダーナは目を丸くしながらユリアを出迎えた。
「こんな事は何でもない。だがダーナ、私は怒ったぞ」
「?」
 きょとんとして、ダーナはユリアを見上げた。
「ティヴァナにどのような思惑があり、何をしようとしているのだとしても、もうどうでもいい。私は私で、好きなようにやらせてもらう」
 いつまで経っても目通りさえ許さぬ王に、難癖ばかりつけてくる王子。矜持の高すぎるフィルラーン。
 誰もかれも勝手を言うばかりで、こちらの言い分に耳を貸そうともしないのだ。このままただ黙ってティヴァナに従っていては、いつになったら同盟を結ぶことが出来るのか分かりはしない。
 一日でも早く戦いを終わらせたいというのに、ティヴァナの都合などにいちいち合わせてなどいられるものか。ならばこちらはこちらで、勝手にやらせて貰うまでだ。
「なんだかよく分かりませんが、ユリア様のなさりたいようになさるのが一番だと思いますわ」
 ダーナがやはり呑気そうに言う。この国にいる者は腹の読めぬ者達ばかりだが、私にも味方はいる。緊張感の無いダーナの笑顔が、ユリアの心を軽くした。
「ダーナもそう思うか。そうだな、昨日は駄目だと言ったが、やはり街へ出て観光でもしよう」
「えっいいのですか?」
 ぱっと目を輝かせたダーナに、ユリアは強く頷いた。













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