111: 城下街のフィルラーン





 翌日、ユリアとダーナは難色を示すバルドゥルを説き伏せ、城をこっそりと抜け出して城下街の市場へとやってきた。
 街の中心部だけあって、そこは多くの人々で賑わっていた。
 ティヴァナ国は金色の髪の者が比較的多いため、フィードニアでは人目を惹いたユリアの髪も、左程目立つことなく人混みに紛れることが出来る。ラティさえ被っていなければ、フィルラーンだと気付かれることもなかった。
「まあ、見てくださいユリア様、変わった色の魚が沢山並んでいますわ」
 ダーナがはしゃいだ声を上げる。
「ああ、ティヴァナはここより南東にある島々との交易が盛んだからな、変わった物が沢山入ってくるんだ」
 幼少の頃、今のダーナのように珍しいものを目にしてははしゃぐユリアに、クリユスがその都度色々と教えてくれたものだった。
 そういえば、とユリアはふと思う。クリユスはいったい今どこでどうしているのだろうか。下手にティヴァナへ入り込み、国王軍の兵士に捕まらねばいいが。
「しかしユリア様、このようなところへ来ていったい何をなさるおつもりなのですか。まさか本当に観光に来られた訳ではないのでしょう」
 護衛にとついて来たバルドゥルが、手にしていた皮細工の小物を陳列棚に戻し、ユリアにそう問いかける。
「まあ、見ていて下さい」
 そうにこりと笑顔で返すと、ユリアは先程からダーナが夢中になっている髪飾りの店へと歩いていった。

 無論ユリアにとって観光はついでに過ぎない。目的は人々が集まる場所に来ることであり、ついでにダーナを喜ばせたかっただけなのだ。
 この辺りでいいだろうか。周囲を見渡しながら、ユリアは心の中で呟く。
 道の両側に店がずらりと立ち並ぶ通りを抜けると、中央に噴水が設けられた広場に出た。ティヴァナ城下街の至る所から伸びた主要な道が、全てこの広場に繋がっている、あらゆる人々が交差する場所だった。
「ここで待っていて下さい」
 ユリアは荷物をバルドゥルに預けると、袋からラティを取り出し、それを頭に被った。そしてそのまま広場の中央へとゆっくり歩いていく。
 最初にそのラティに気付いた者は、目を丸くしその場に固まった。次に気付いた者は、見間違いだろうかと何度も掌で目を擦っている。
 ざわめきが起こり、それは瞬く間に広場中へ広がっていった。
 ユリアが中央の噴水の前に立ち、振り返った時、人々は我に返ったようにその場に跪き、慌てて頭を下げた。
 ざわめきはまだ収まらない。何故こんな所に突然フィルラーンが現れたのかと、混乱しているようだった。
「――――私は」
 ユリアが口を開くと、ぴたりと辺りが静まり返った。凛とした声が、その場に響く。
「私は王の名代としてここティヴァナ国へ参りました、フィードニア国のフィルラーンです」
 ユリアは目の前で平伏している商人らしき男の前にしゃがみ込むと、肩に手を置き顔を上げさせた。
「頭を下げる必要はありません、私は皆さんの目を見て話がしたいのです」
「えっ……あの」
 とまどうように、男は隣の男と顔を見合わせる。
「他の皆さんも、どうぞ顔を上げて私の話を聞いてください」
 その言葉におずおずと頭を上げる者が、ちらほらといた。王城の外となると、フィルラーンを目にした事すらない者が殆どなのだろう。フィルラーンと対峙したことが初めてなのだから、王城の者のように頑なに『フィルラーンの顔を直視することなど出来ぬ』などという意識は、寧ろ薄いようである。
「我がフィードニア国は現在、連合国との度重なる戦いにより多くの命を失うこととなりました。恐らくこの大軍を誇るティヴァナであろうとも、失われた命は少なくは無いのでしょう。いいえ、敵味方に限らず、今も争いの中大切な命が失われているのです。このような事態に神はお心を痛め、お嘆きになっておられます。故に一日でも早く、この戦いを鎮めねばなりません」
 以前はあれ程神を騙ることに抵抗を感じていたというのに、今では平気で皆を欺き神の言葉を口にしている。罰を受けることはとっくに覚悟しているものの、余りの業の深さに自嘲しざるを得ない。
 だがそれらの思いは表へは出さずに、ユリアは続ける。
「フィードニアはティヴァナとの同盟を望んでいます。我が国とティヴァナ国が手を結べば、連合各国を我ら二国が両側から挟み込む形となり、彼らに大きな圧力をかけることになるでしょう。中にはその圧力に耐えかね、連合から脱退する国も現れるかもしれません。いえ、そうならなくとも、少なくともこの戦いを早期に決することは出来るのです。―――――皆さん」
 ユリアはそこで一旦息をつくと、ラティを頭から外した。そしてゆっくりと聴衆に向かって頭を下げる。
「どうぞ両国の同盟の為、この私に皆さまの力をお貸しください」
 辺りは水を打ったように静まり返っている。皆一様に目を丸くし、今目の前でいったい何が起こっているのか、理解出来ずにいるようだった。
 最初に声を上げたのは老人だった。跪き、頭を地面に擦りつけて震えるように声を絞り出す。
「ど、どうか、フィードニアのフィルラーン様、貴女様こそ御顔をお上げ下され。貴女様にそのようなことをさせては、わしらが神の御怒りを受けてしまいます」
 その声が皮切りとなったのか、赤子を腕に抱く女性が、おずおずといった感じにユリアに問いかけた。
「あ……あの、力を貸すというのは、私たちはいったい何をすればいいのでしょうか……」
 ユリアはその女性を見つめると、にこりと微笑みを向ける。
「簡単な事です。皆さん一人一人が、両国の同盟を心から望んで頂ければ良いのです」
「そ、それだけで宜しいので?」拍子抜けしたような声が、違う方向から聞こえた。「たったそれだけの為に、フィルラーン様が俺たちに頭を下げるなんて、いったい……」
 困惑する声に、だがユリアが説明をする必要は無かった。既に民衆の口火は切られている。
「そういやあ、俺の店に来る国王軍の兵士が言ってたのを小耳にしたんだけどよ、どうも国王や上のお方達はフィードニアとの同盟に難色を示しているらしいぜ。成り上がり国と同盟を結ぶのは、プライドが許さないからだって話だ」
「なんだそりゃ」不満げな声が広場に飛ぶ。「そんな詰まらねえ理由で戦いを長引かせてるのか、うちの国王軍は」
「俺は王城へ同盟を結ぶよう訴えてみるぜ、フィルラーン様に頭を下げさせて、黙ってる訳にはいなかいだろ」
「そりゃあいい、そうしようぜ」
「だったら私も訴えるよ。一人より二人、二人より沢山の声が集まる方がいいだろ」
「そうだそうだ、俺も付きあうぜ!」
 城へ訴え出ようという声がどんどんと広がっていき、次第にそれは広場を埋め尽くした。
 再びユリアは、頭を下げる。
(―――――どうだ、ティヴァナの国王)
 ユリアはラティの内側で、ぎゅっと手を握りしめた。
(湧き上がる民意をどれだけ無視することが出来るのか、じっくりと見せてもらおうではないか)
 わっと湧き上がる歓声に答えるように、ユリアは皆に笑みを向けた。





「凄いですわユリア様、街の皆さまをすっかり味方におつけになって」
 とても感動しましたと、城に戻るまで何度もダーナは繰り返した。
「流石はフィードニアの戦女神ですな、実に痛快でした。では私は詰所で待機しておりますので、何かありましたらお呼び下さい」
 ユリアの部屋の前まで来ると、バルドゥルは一礼し詰所代わりの部屋へ戻っていく。ユリアもダーナと共に、己に宛がわれた部屋の扉を開けた。その時、突然ダーナがユリアの腕にしがみつき、震える手で庭の方を指差した。
「―――ゆ、ユリア様、あそこにどなたかがいらっしゃいます」
「し……静かに」
 人差し指を口に当て小声でダーナにそう告げると、ユリアはそっと窓際に近寄る。
 ユーグかもしれない。
 ユリアの命を狙う刺客の顔が頭に浮かんだ。あの男ならば、警備の手が厚い王城の中であろうとも、潜り込むことが出来るのかもしれない。じわりと掌に汗が滲む。
 庭に、人影が見えた。
「あ―――――」
 中庭の花に埋もれるようにえられたベンチに、優雅に座っている男がいた。
 金の髪を頭の後ろで括り、傭兵のような恰好をした、背の高い菫色の瞳の男――――。
「く……ク、クリユス……!」
 思わず大声を上げてしまい、慌てて口を押えた。すぐ向かいの部屋にいるバルドゥルに聞こえていなければいいが。
 こちらに気付いたクリユスが、これまた優雅に手を振った。ユリアは慌てて庭へ出ると、彼の元へ駆け寄る。
「こっこんな所で何をしているんだ。いや、ともかく部屋の中へ入れ、誰かに見つかったらどうするんだ」
「大丈夫ですよ、この庭は客室専用の庭なので、他の場所からは見ることが出来ない作りになっていますから」
 そうは言うが万が一ということもある。ユリアはクリユスの腕をひっぱると、急いで彼を部屋の中へ押し込んだ。
「あらまあ、クリユス様!」
「これはダーナ嬢、お元気そうで何よりです」
「そんな呑気なことを言っている場合か。お前、どうやってこの城に入り込んだんだ。誰にも見つからなかっただろうな」
 その言葉に、クリユスは「心外だな」とでもいうような顔をする。
「これでも元ティヴァナ国王軍弓騎馬大隊長だったのですよ、王城への抜け道くらい熟知しております。―――それより、ユリア様」
 言いながらクリユスはくく、と笑う。
「先程の城下街での演説、拝見致しましたよ。中々大胆なことをやられたものです。このクリユス、感服致しました」
 面白そうに言うクリユスに、ユリアは肩を竦める。
「何を言う、お前が今までに私にやらせてきた事を、再びやってみただけではないか」
 フィルラーンであることを利用し、まるで神の言葉を伝えているかのように錯覚させておきながら、敢えて皆の前に頭を下げてみせる。民衆にしてみれば、それは即ち神に頭を下げられているようなもの、誰がその言葉に逆らえようか。
 それらは全て、クリユスに散々教え込まれてきた、人心を掌握する術なのである。
「その調子でこれからも民衆を味方にお付け下さい。ティヴァナはいずれ、貴女の前に膝を折らずにはいられなくなるでしょう」
「そうならばいいが。しかしクリユス、ティヴァナの者は食わせ物ばかりだ。そうすんなり事が運ぶかどうか」
「心配する必要はありませんよ。貴女は己を信じ、これからもご自分がなさりたいようになさっていて下さい。道はいずれ、開くでしょう」
 そう言うと、クリユスはいつもの調子で片目を瞑ってみせる。
「さて、それでは私はそろそろ失礼致します。今日はユリア様の顔を見に伺っただけですので」
「えっどこかへ行くのか」
 部屋を出て行こうとするクリユスに驚き、慌てて引き留める。
「追われる身だというのに、ここを出てどこへ行くというんだ。ここに居ろ、私が匿ってやる」
 腕を掴むユリアに、クリユスは苦笑すると、そっと彼女の頭を撫でた。
「魅力的な申し出ではありますが、そのような訳にはいかないでしょう。勝手に別の客間を使ってはすぐに怪しまれてしまいます、ここに居ることをバルドゥルに知られる訳にもいきません。それとも私を貴女のお部屋へお泊め下さるおつもりですか」
「え……あ、いや」
 何も考えずに発した己の言葉に、ユリアは顔を赤くする。いつまでも子供だと思われたに違いない。そう思うと恥ずかしかった。
「私ならば大丈夫です、捕まるようなことにはなりません。それでは、また」
それだけ言うと、クリユスは再び庭の花々の中へと消えて行った。突然現れたかと思うと、まるで風のようにするりと消える。ここへ来てからのクリユスは、どこか捕らえどころが無かった。
「まあ、慌ただしいことですね。折角お茶を入れましたのに」
 残念そうに言うダーナに、ユリアも頷く。
「まったくだ、聞きたいことも色々あったというのにな」
 このティヴァナの地で、いったい彼が何をしているのかは相変わらず分からない。だが己を信じ、自分のやりたいようにやればといいという彼の言葉は、今のユリアにはありがたかった。
 今はただ、己が出来る全てのことを、最善を尽くしてやるしかないのだ。













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