98: 友の声2





 小雨が降る中、ロランの埋葬は彼の死を知る数人の手により、ひっそりと行われた。
 埋葬された場所は、ロランの双子の弟が眠る墓の、すぐ隣である。
 彼の死は伏せられている為、墓標にその名は刻まれていない。それでも戦場で倒れそのまま打ち捨てられる躯よりは、こうして埋葬されただけでも幸せなのだろうか。それとも戦場で死ぬ事が出来ず、軍人としては不幸なのだろうか。

「私は国王軍第四騎馬中隊第二小隊長、アレク・ハーディロンです。お願いします、ユリア様に会わせて下さい」
 アレクはフィルラーンの塔の扉を叩くと、中から出て来た侍女にユリア様への面会を懇願した。
 一介の兵士が突然訪ねて行きフィルラーンに目通り願うなど、無礼なのは充分に分かっていたが、それでも彼女を訪ねずにはいられなかった。
 待たされている間に別の侍女がアレクにタオルを持って来た。そこでようやく自分がずぶ濡れになっている事に気付き、このような格好で塔を訪ねた重ね重ねの無礼を悔いたが、もう今更どうしようもない、戻るつもりもないのだからと、腹を括ることにした。
 かつん、と音がし、その方向へ顔を向けると、階段からユリアが降りてくる所だった。雨で薄暗い塔の中でも金の髪は神々しく光っている。相変わらず綺麗な人だと、アレクは内心苦笑した。
「どうしたのですか、アレク? あなたが私を訪ねて来るなど、珍しい事……」
 大きな瞳が困惑の色をみせる。こうして面と向かうのは、彼女がカナルにあるハーディロン家に滞在した時以来だった。
「は……あの……」
 アレクは片膝を床に付けると、その場で低頭する。
「今日は、貴女にお願いがあって参りました」
「願い? 何でしょう」
「花を……塔の庭に咲く花を、摘ませて頂きたいのです」
「花?」
 ユリアは驚いたようにぱちぱちと目を瞬かせる。それもそうだろう、前触れもなく唐突に訪ねて来たかと思えば、フィルラーンの塔の花を摘ませろなどと、そんな訳のわからない事を言いだす奴なんか、今まで他にいた筈も無いのだ。
「私の、友が……死んだのです」
「――――――え?」
 少女は眉を顰めた。瞳に宿る困惑の色が、更に強くなる。
 言ってやりたい。ロランがどれだけ貴女を想っていたのか、どれ程の想いを心に秘めたまま死んでいったのか。
 それを貴女は知ってもいい筈だ。奴と同じ位苦しんだっていい筈じゃないか。何故あいつの死を秘密になんてしなくちゃいけないんだ?
 自分の心の奥に、暗い感情が生まれるのをアレクは感じた。
「私の―――」
 全てを話してしまおうか。そう思い口を開きかけた時、雨に濡れたアレクの髪から滴がぽとりと床に落ちた。その水滴に、彼は思わずはっとした。まるで誰かが流した涙のように彼には思えたのだ。
 そう、誰も望む者のいない涙のように。
「……ハーディロン家で飼っていた、私の犬が死んだと…そう連絡があったのです。奴は私の友でした。死に目に会う事が出来なかった分、せめてフィルラーンの塔の花を送ってやりたいと思ったのです。そうすれば、きっと奴の魂も清められるのではと……」
 彼女が悲しめば、ロランは救われるのか。彼女が涙を流せば俺は満足なのか。いいや、そんな簡単な事じゃない。
「まあ、そうなのですか。それはお気の毒に……」
 ユリアは幾分悲しそうな顔をしたが、アレクはロランの為に花を摘んで帰る事は諦めた。
 下手な言い訳をしてしまったものだ。よりにもよって犬の為にフィルラーンの塔の花を摘ませてくれとは、不敬にも程がある。
「ユリア様、申しわけありません。友の急な死の知らせに動揺し、大変無礼を……」
「どんな花が良いのですか?」
「――――は?」
「今塔の庭は花盛りです、沢山の種類の花が咲いていますよ。さ、こちらへいらっしゃい」
 にこりと微笑むと、ユリアはさっさと歩きだす。
「は……いえ、あの……」
 この無礼に目を瞑ってくれるという事なのか。追い返されても仕方がないと思っていただけに、思わず戸惑うアレクだったが、ユリアが構わずどんどん奥へ歩いて行ってしまうので、慌てて後を追い掛けた。

 広間を抜け廊下を渡り、ユリアは中庭へ出る扉を開けた。
 そこは塔を守るように木々に囲まれた、左程大きくは無い中庭だった。だがユリアの言うように、様々な色の花が見事に咲き誇っている。
 小雨は止み、雲の切れ間から光りが差し込んでいた。滴が花をきらきらと輝かせる。
「どんな花が良いですか? どれだけ摘んで行っても構いませんよ」
 言いながらユリアは庭に降り、自ら花を物色し始める。清めの儀式を行っている時とも、戦場へ赴いている時とも違う、どこか無邪気な感のする少女を、アレクは不思議な気持ちで眺めた。
「……では、白い花を」
 目に付いた花をアレクは手折る。白い花弁が幾枚も重なり、その中心の雌しべが赤く引き立つ、華やかな大輪の花だった。
「まあ…そう言えばあなた、ロランと親しかったそうですね」
「え?」
 ロランの名がユリアの口から発された事に、アレクは思わずどきりとする。
「やっぱり気が合うのかしら。ロランもその花が好きだと言っていたのよ」
 この場所で、以前ロランに少しだけ剣を習ったのだとユリアは言った。
「ロランが、この花を」
 手折った白い花を眺めながら、そうなのだろう、とアレクは思う。
 アレクはこの花を、目の前に立つフィルラーンの少女のイメージに近いと思って選んだのだ。きっとロランもそう感じたに違いなかった。
「この花が好きなんです」とユリアに告げるロランの姿を想像して、アレクは苦笑した。純愛過ぎてこそばゆい。身体のあちこちが痒くなってきそうだ。
「ありがとうございます、ユリア様。この花を頂いて行きます」
 いたたまれなくなったアレクは、早々にここから退散する事にした。
「一本だけで良いのですか? 遠慮せずとも良いのですよ」
「いえ、これで充分です」 
「そう……では」
 ユリアの白い指がアレクの方へ伸ばされる。何事かと一瞬驚き、思わず後ずさろうとしたアレクの耳に、清らかに流れるように紡がれた言葉が入ってくる。
 それは“清め”の言葉であった。ユリアはアレクの持つ花に手を軽く当てると、それを清めてくれていたのだ。
「ユリア様………」
 犬にやる為の花にフィルラーンが“清め”を行うなんて、聞いた事もない。それは嘘だと見抜いたのだろうか。それとも犬を友と言ったアレクの気持ちを尊重し、思いやってくれたのか。
 初めて会った時にも思った事だが、やっぱりどこか変わったフィルラーンだな、とアレクは思った。

 アレクは名の無い墓に、塔で摘んできた白い花を添えた。
 フィルラーンに清めて貰った花だ、献花としてこれ程贅沢なものは無いだろう。
「俺に感謝しろよ、この幸せ者め……」
 アレクは空を見上げる。すっかり晴れて、青空が広がっていた。
 全く、あんな清らか過ぎる女に惚れるロランの気がしれない。手の届かない聖女に惚れてどうするんだよ。やっぱり馬鹿な奴だ。
「馬鹿だけど…でもきっとお前は不幸では無かったよな」
 例え報われない想いでも、きっとそれは苦しみだけではなかったのだろう。アレクの“友”の為に、清めの言葉を贈ってくれたユリアを思い返し、彼はそう思った。
 ――――あの庭で、お前はきっと笑っていたんだな。
 それが分かっただけでも、充分な気がした。
「まあ、俺様という友想いの親友もいたんだ、幸せじゃない筈がないよなぁ」
 空に向かってアレクはがははと笑ってみせた。
 ぽたりと滴が地面に落ちる。
 晴れてるのにおかしいなと、アレクは一人呟いた。










 
 軍の兵舎へ戻ったアレクは、見知った顔が厨房の方へ歩いて行く姿を発見し、足を止めた。
「あれ、じーさん」
 声を掛けられ振り返った老人は、ユーグのじーさんである。彼は野菜を沢山詰めた籠を両手で抱えていた。
「こりゃ、アレク様」
 老人はアレクを認めると、籠を抱えたままお辞儀をしようとする。その拍子に籠から落としそうになった野菜を、アレクが慌てて受け止めた。
「こんな所で何やってんだ? じーさん」
「この野菜を城にお届けする所なのですじゃ。わしの商売で余ったもんですが、ユーグが皆さんにお世話になっとりますんで、せめてもの礼の代わりですで」
 わしにはこん位の事しか出来ませんで、とじーさんは照れたように笑う。
「へえ、律儀だなあじーさん。俺の親父なんか俺を軍に放りっぱなしにしたまま、手紙一つ寄越さねえけどな」
 よっぽど孫に再会出来た事が嬉しいのに違いない。目尻の垂れさがったじーさんの、この柔和な笑みを見ていると、ほんの少しだけ心が暖かくなった。
「重いだろ、俺が持ってやるよ」
「そんな、ハーディロン家の坊ちゃんにこんなもん持たせる訳には……」
「いーから、いーから」
 遠慮しようとするじーさんの手から、アレクは強引に籠を奪い取ると、厨房目指してさっさと歩き始めた。
「じいさん、また持ってきてくれたのか。助かるよ」
 兵舎にある厨房へ顔を出すと、中の人間がじーさんを認め破顔した。
「またって事は、じーさんしょっちゅう野菜持って来てんのか?」
 籠を受け取った厨房の男にそう問うと、彼はそうだと頷く。
「孫が世話になってるからって、もうこうして四、五回は持って来てくれてますよ」
「へえ……」
 アレクは籠からナスを一本取り上げると、それを眺めた。商売の余りと言うが、中々立派な野菜達である。余りというのは嘘なのかもしれなかった。
(十数年も前に生き別れて、やっと巡り合えた家族がこのじーさんで良かったな、ユーグ)
 今年の野菜の出来について話し込んでいるじーさんと厨房の男を眺めながら、折角だからここにユーグを連れて来てやるか、とアレクは思った。
 きっとじーさんは、ユーグの為にこうして野菜を運んで来てやってることを、本人には話していないに違いなかった。
 知ったらきっとユーグは喜ぶだろう。照れたり遠慮してみたり申しわけなさそうな顔をするだろうが、内心ではじーさんの良心を喜ぶ筈だ。そんなユーグをアレクは見たかった。

「ユーグ、今じーさんがここに……」
 兵舎に戻ったアレクは、扉を叩くのとほぼ同時にユーグの部屋の扉を開けた。
「わ…アレク様……?」
 慌てたようにユーグは足元を隠そうとする。その足に赤い血のようなものがついていたのを、アレクは見逃さなかった。
「アレク様、前も言いましたがノックをする時は扉を開ける前に……」
「おい、何だよその怪我は」
 説教の言葉を無視し、アレクはユーグに詰め寄った。
 自分の頭から血の気が引いていくのをアレクは感じた。ロランの肩にこびり付いた血が脳裏をよぎる。ロランが死に、更にユーグにまで何かあったらと思うと、恐怖で身体が震えそうになった。
「いえ、たいした怪我ではありませんから」
「いいから見せてみろよ……!」
 無理矢理足を掴むと、ズボンの裾を捲くし上げる。
「ちょっと、アレク様……」
 ユーグは痛そうに顔を歪める。右足の脛にあるその傷は、出血は左程でもなく、すでに乾いた血がこびり付いてる程度のものであったが、奇妙な傷口だった。
「……歯型……か?」
 一瞬獣に噛みつかれたのかとも思ったが、それはどう見ても人間の歯型のようだった。しかしそれにしては、随分深い傷口である。
 アレクが困惑した目を向けると、ユーグは幾分恥ずかしそうに目を伏せた。
「それが、その……。酒場の喧嘩に巻き込まれまして」
 酒場で男二人が大喧嘩をしている所に出くわし、それを止めようとしたが逆に巻き込まれてしまい、片方の男にこうして足を噛みつかれてしまったのだという。男は酷く酔っていたから加減というものが無く、これ程深い傷を付けられてしまったらしい。
「なんだそれ。お前らしくもない、間抜けな事をやっちまったもんだなぁ」
「はあ……面目も無い事です」
 ここぞとばかりに呆れた口調をしてみせるアレクに、ユーグが居心地の悪そうな顔をする。
「ふうん、だから俺に見せたがらなかったって訳か。たまにはこういうのもいいな、お前を馬鹿に出来る機会なんて滅多にないからな」
「アレク様……!」
 にやにやと笑うアレクにユーグが叱責するような声を出したが、今日ばかりは痛くも痒くも無い。
「何にしても医務室行ってちゃんと消毒して貰えよ。そんな傷だって、化膿すりゃやっかいな事にだってなりかねないからな」
「そうですね、そうします」
 そう言ってユーグは目を細めた。

 ユーグとの付き合いは、そろそろもう九年になる。アレクが十三の時に、彼はハーディロン家にやってきたのだ。
 護衛役と言えば聞こえはいいが、要はアレクの目付役だった。
 常に傍から離れず、勉学や剣の稽古をさぼる度に連れ戻された。アレクにしてみればやっかいな存在である、彼はユーグに対し何度も反発してみせたが、ユーグはアレクに対し、いつも真摯しんしだった。
 ハーディロン領主の一人息子であるアレクを真剣に叱責する者など、ユーグ以外に誰もいやしないのだ。反発する態度を取っていても、いつの間にか心の底では気を許していた。
 そのうちアレクがハーディロン領兵軍へ入軍すると、ユーグは彼の側近となり、部下となった。国王軍へ入軍すると決めた時、はやり彼は付いて来た。
 護衛役であり、目付役であり、側近であり部下でもある。そしてきっと、兄のような存在でもある。
 もしも――――万が一ユーグを失うことになったら、自分はどうなるだろうか。
 初めて出来た親友を失い、そして兄とも思う存在まで失ったら。
 それでも自分は、この国の為にこれからも戦っていこうと思えるだろうか。
 共に歩みたい友も、守りたい人も、信頼出来る相手も、その何もかもを失った時、俺は果たして何の為に戦うのだろう。














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