94: 困惑





「おいロラン、鬱陶しいからあれを何とかしろ」
 第一小隊を訓練していたロランに、バルドゥルがそう話しかける。彼が親指で指し示した先には、アレクの姿があった。
 先程からずっと、彼ら第一小隊から少し離れた場所で、こちらを伺うようにうろうろとしているアレクの存在に気づいてはいたが、ロランはあえて無視していたのだ。
「何で俺が。知りませんよあんな奴、放っておけばいいんです」
「あいつはお前に用があるんだろう、いいから行け」
 そうバルドゥルに背中を押され、しぶしぶロランは馬を下りアレクの下へと歩いていく。
「何の用だよ」
 ロランはつっけんどんに言う。元々喧嘩していたのもあるが、裏切り者の疑いをこの男に持っている今、アレクにどう接したらいいのか分からなかった。
「べ、別にお前に用があった訳じゃねえよ。バルドゥル殿の訓練を見てただけだ」
 話しかけられたアレクは、不貞腐れたように顔を背ける。
「用が無いならこんな所でさぼっていないで、自分の隊の訓練に戻れよ」
「さぼってなんかねえよ、休憩中なんだ」
「ああ、そうかよ。じゃあ勝手にしろ」
「あ―――おい!」第一小隊へ戻ろうとするロランに、アレクが慌てたように声を掛けた。
「……何だ」
 振り返ると、アレクは再び顔を背ける。
「その……何だ。……お前が謝るんなら、許してやってもいいんだぜ?」
「何?」
「ユーグのじーさんは密偵じゃないって、お前の間違いを認めるんなら許してやるって言ってるんだよ!」
 言ったあと、アレクはこっちの様子を窺うように、目だけを動かしロランを見る。
 まるで喧嘩の後、仲直りをしたいが素直になれずにいる、そんな小さな子供のようだった。

「…………」
 眩暈がした。この男の姿はどこまでが真実なのか。こんな風に不器用に接してくるこの男の、その全ては演技なのか。
 それとも素である部分と、かたや裏切り者である卑劣な部分が彼の中に混在するのか。
 どこまでが偽りで、どこまでが本当のお前なんだ。
 疑いたくない。それでも俺は、疑わなくてはいけない。この葛藤さえも、既にアレクの術中に嵌っているということなのだろうか。
「うるさい……」
「え?」

 ――――――なあ、一体何が真実なんだ。お願いだから、答えてくれよ。

「五月蠅いって言ってんだよ、誰がお前に許して欲しいなんて言った? いつも勝手な事ばっかり言いやがって、お前の事なんか、知ったことか……!」
「な――――」
 アレクは驚いたように目を見開く。そして二、三度瞬きをしたあと、顔を赤くし口を曲げた。
「そうかよ、そうかよ! お前なんかもう相棒でも何でもない、調査でも何でも、一人で勝手にしろよ……!」
「何が相棒だ、お前に協力なんていつ頼んだんだよ? 俺は最初から一人でやってるんだ」
「何だと、この―――」
「何だよ」
「おい、止めないか」
 互いの胸倉を掴み合う二人を、バルドゥルが止めに入る。
「けど、バルドゥル殿、こいつが」
「いい加減にしないか、これ以上部下の前でみっともない姿を晒すんじゃない」
「あ……」
 振り返ると、遠巻きにこちらの様子を窺っている第一小隊の部下達が、彼らの上官達の掴み合いの喧嘩を、じっと見守っていた。
 普段ならば「またいつもの喧嘩だ」位に思っただろうが、ここ最近の二人のぎすぎすとした雰囲気を感じ取っているらしい彼らは、どこか不安気だった。
 ただでさえ『裏切り者』の存在のせいで、軍内が浮足立っているのだ。これ以上雰囲気を悪くするのは得策ではない。
「済みません、バルドゥル殿」
 大人しく詫びるロランを尻目に、アレクはふんと鼻を鳴らす。
 まだ何か悪態をつくつもりなのか口を開きかけたが、しかしバルドゥルに睨まれ黙りこんだ。
「あ、あの。申し訳ありません、アレク様が何か……?」
 ユーグが騒ぎを聞きつけ、慌ててやってくる。
「別に俺は何もしてねえよ!」
「あ、アレク様……! 本当に、申し訳ありません、ロランさん」
 肩を怒らせ大股で立ち去るアレクの後を、ユーグはこちらに頭を下げたあと、慌てて追った。
 その背中を見ながら、ユーグだってアレクと同じく裏切り者かもしれないのだ、とロランは思う。
 ユーグにはハーディロン家に仕えていた恩義がある。たとえそれが国に対する裏切り行為であろうとも、ゆくゆくはハーディロン家の為になるのだと思えば、その手を悪事に染める事は充分考えられるのだ。
 とはいえ、本当にアレクに従いフィードニアを裏切っていたのならば、アレクが訓練をしょっちゅうさぼってはいなくなるなんて事を、わざわざロランに愚痴る筈もないのだが。
「くそ……!」
 考えれば考える程、頭がおかしくなってきそうだ。ロランはもやもやするものを振り払ってしまいたいとばかりに、己の頭をぐしゃぐしゃと掻きまわした。

「ところでロラン、お前内通者を調べているそうだな」
 些か唐突にバルドゥルがそう口にする。
「バルドゥル殿、何故それを……」
「クリユス殿に聞いたのだ。お前一人の手には余ると思われたのだろう、手伝ってやって欲しいと言われたのだ」
「クリユス殿が」
 その言葉には、幾分自尊心を傷つけられた。今までクリユスが命じてきたことは、全て自分一人でこなしてきたのだ。今更手助けを寄越すなど、信用されていないのと同じように感じられた。
「内通者の尻尾を掴んでいると言ったそうだな、どこまで調べたのだ?」
「いえ……それは」
 それに今はまだ、自分の中でも整理が付いていないのだ。アレクが内通者だと、確たる証拠を掴んだわけでもない。
「まだ確証があるわけではありませんので、もう少し調べたら報告します」
「ロラン、しかしだな」
「お願いしますバルドゥル殿、もう少し時間を下さい。もし違っていたら、関係の無い奴を犯人に仕立て上げる事になってしまう」
 違う可能性があると、まだ信じているのか。それともただ単にこの一件を他の人間に任せたくなかったのか、ロラン自身にも分からなかった。
 だが今は話したくない、それだけだった。
「………仕方が無いな」
 諦めたようにバルドゥルが溜息を吐く。
「分かった、今はまだ聞かないでおこう。だが事が事だ、何かあったら一人で動くな、俺に直ぐ知らせろよ」
 ロランの肩に手を置くと、じっと顔を覗き込んでくる。いつもどこか飄々としているバルドゥルが、いつになく真剣な顔をしていた。
「いいな、ひとりで無茶はするな」
「……はい」
 仕方無くロランは頷く。
 だがもしアレクが本当に裏切り者であったなら、せめて俺自身の手であいつを捕まえる。
 それがほんの僅かでも友であった男への、自分なりのけじめのように思えた。














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