92: 裏切りの友





「おい、クリユス。どういうつもりだ……!」
 扉を殴るようにノックし入ってきたラオは、鼻息荒く眉を吊り上げ、いかにも怒りの形相といった体であった。
 来ると思っていた、と内心でクリユスは肩を竦めた。
「どういうつもりとは、何のことだ」
「しらばっくれるな、メルヴィン殿が罷免審議に掛けられている、あれは何だ。フィルラーンの世話役を襲った現行犯だと? どうせお前のしわざだろうが、どういうことだ……!」
 憤怒のあまり、ラオは顔を真っ赤にした。
「確かに彼を現行犯で捕まえ護衛兵に引き渡したのは、フリーデル殿とこの俺だが。それだけでまるでメルヴィン殿を陥れたかのように言われるとは、心外だな」
 ラオはあくまでもとぼけようとするクリユスの胸ぐらを掴むと、彼をぎろりと睨みつける。
「ダーナの頬が腫れていた。問い質しても何でも無いと答えるばかりだったが、強姦未遂でメルヴィンが掴まったと聞いて解ったぜ。こんなにタイミング良くメルヴィンの罷免騒動が起こるだなんざ、お前が仕組んだに決まっている。お前がどう策を弄そうが勝手だが、くだらねえ事にダーナを巻き込むな……!」
 ラオの拳がクリユスの左頬を捕らえ、身一人分弾き飛ばされた。身体が壁にぶつかり、その衝撃で肩も打ち付ける。
 一発殴られる位の覚悟はしていたが、この様子だと医務室送りにされるかもしれない。眩む頭を押さえながら、クリユスはやれやれと溜息を吐く。
「痛た…この、馬鹿力が」
 血の滲む口の端を手の甲で拭い、クリユスはゆっくりと立ち上がる。次の拳が飛んでくるのを、今度は流石に身を捻り避けた。
「ああ、その通りだ、全て俺が画策したことさ。既にフィードニア軍にメルヴィン殿は必要ない。いや、居るだけで有害なのだ。だから退場してもらったのさ」
「だからといって、ダーナを利用する事は無いだろうが」
 歯を剥くラオに、クリユスは幾分冷徹とも見える目を向ける。
「――――言っただろう、俺はいつかダーナ嬢を利用すると。それが嫌ならさっさと自分のものにしてしまえとな」
 その台詞にラオは目を見開き、再び拳を振り上げかけた。だが彼はそれを振り下ろす事無く、代わりに自嘲じみた笑いを漏らす。
「……ああ、そうだな。お前を許すことが出来なくとも、お前が俺の友だということに変わりは無いと俺は答えた。その通りだ、お前が俺の友であることに変わりは無いが、それでも俺はお前を許せない。―――暫く、距離を置かせてもらうぞ」
「……分ったよ」
 こうなることも、予想は出来た。
 それでも自分は彼女を利用し、そして全てが思った通りになっただけなのだと、部屋を出て行くラオの背中を眺めながら、クリユスは思った。








 ロランは家屋と家屋の間に身を潜ませ、数軒先にある一軒の家の様子をじっと伺っていた。
 場所はフィードニア城下町の東地区。トルバ暗殺部隊の長であるベクトという名の男が、仮の住まいとして使っているとエルダが教えてくれた家である。
 現在、家の中には人のいる気配があった。この家の様子を伺うこと十数回、いつも人気無く静まり返っていたこの家に、初めて何者かの存在を感じたのだ。ロランは己の心が高揚するのを抑えきれなかった。
 今踏み込めば、捕まえられるかもしれない。だが事を急いてしくじれば、もう二度とこんな好機は巡ってこないかもしれないのだ。ここは慎重に事を進めなければならなかった。
 敵は暗殺部隊の長なのだ、侮って一人で踏み込むのは危険である。ここは一旦戻って応援を呼ぶべきか。いや、しかしここを離れているうちに、姿を消してしまうかもしれない。
 さあ、どうする―――。
 ロランが思案していると、問題の家屋の前に一つ、人影が止まった。
 仲間か、と思い慌てて視線を戻し、そのままロランは目を見開いた。思わず声を出しそうになるのを、彼は必死で抑えた。
 ベクトの家の前に立つのは、すらりとした体躯の若い男だった。手には何か紙袋に入った荷物を抱えている。
 男はその家の戸を二、三度叩いた。中から声がし、男は躊躇無く戸を開けると、家の中へ滑り込んで行った。
(―――――何故)
 ロランには今己が目にしたものの状況が、直ぐには理解出来なかった。
 掌にじんわりと汗が滲む。
(何故、お前が)
 冷静になれ、きっと何かの間違いだと、彼は頭を横に振った。だがそうしてはみても、トルバ暗殺部隊長の元へ行く理由など、一つしか思い浮かばない。
 裏切り者が内部にいる、その言葉がぞわりとロランの脳内を駆け巡った。
(馬鹿な、馬鹿な、馬鹿な)
 お前だったのか。連合軍と密通していた裏切り者は。
(そんな、馬鹿な)
 予想などしてもいなかった。ベクトの家へ今しがた入って行った男は、彼の不肖の相棒でもあった、アレクだったのだ。


 ロランは冷静になる為に、一旦その場を離れた。この状況で踏み込んだ所で、ベクトを捕らえられるとも思えない。いや、中に居るアレクを見てしまったら、瞬時に頭に血が上り、ベクトなどそっちのけで彼を問い詰めにかかりそうである。
(今のは、一体どういう事なんだ)
 一先ず中央区外れの飯屋に入ると、どかりと席に座りこみ、彼は再び思案した。
 あの馬鹿のことだから、ユーグのじーさんの家と間違えて訪ねて行ったのかもしれない。なんといっても、じーさんの家からベクトの家は裏手二軒奥という近さなのだ。
 そう思い、何とか最悪の結論に辿り着くのを避けようとしている己に、ロランは思わず苦笑する。
 だったら奴は何故あれ程躊躇無く中へ入って行ったのだ、もし間違えていたのなら、入って直ぐに慌てて出て来ただろうに。
 考えれば考える程、結論は一つしかない気がした。
 裏切り者がアレクだったのだと思えば、色々な事に辻褄が合ってくるのだ。
 そもそもハーディロン領主であるハーディロン家の正式な後継者である身分も、国王軍に潜り込むには実に便利な身分である。連合国がそんなアレクに目を付け、彼にカナルという小さな街以上の領土を約束し、協力させるという事も充分に考えられる。
 
 思い返せば、ユーグのじーさんに偶然出会ったのはアレクなのだ。
 ユーグのじーさん宅の近隣には、トルバ暗殺部隊の長ベクトが居を構えている。それはじーさんの家に遊びに行く事を口実にすれば、あの辺りをアレクがうろついてもなんら怪しまれる事が無いという事だ。つまりはベクトとこっそり連絡を取りやすいという事になる。実際、アレクはユーグのじーさんの家に頻繁に遊びに行っているようだった。
 更にはアレクの訓練嫌いである。あいつはしょっちゅう訓練をさぼっては、ユーグに叱られていた。そういうだらしの無い男を装い、実はその間にトルバの密偵としての仕事をしていたと考えられなくはない。
 連合軍にこちらの内情が筒抜けになっていた、あのボルテンでの戦いの時、アレクはその戦場に居た。
 そしてライナスとエルダが敵の手に落ちた時、アレクの隊は遠征には参加しておらず、フィードニアで待機していた。ユーグも言っていたではないか、その間しょっちゅうさぼって姿を消していたと。アレクには二人を罠にかける時間があったのだ。
 そういえばあいつは内通者について、やけに『ライナスの女』が犯人ではないかと口にしていた。それはつまりライナス自身の失態を追及しようとするものであり、それが皆の耳に入れば、裏切り者で疑心暗鬼になっているフィードニア国王軍内部を、更に撹乱させるものだったのだ。
 では内通者探しを一緒にやると言ってきたのも、どこまでロランがその事に関して掴んでいるのか、探りを入れる為だったのか。

「くそ……!」
 裏切り者がアレクでは無いと指し示すものが、何一つ思い浮かばない。逆に考え付く全ての事が、裏切り者がアレクであることを肯定していた。
 だというのに、それでもロランはあの男を疑いたくなかった。どうか違ってくれと願ってしまう。
 そんな己にロランは苦笑し、出された酒を一気に煽った。
 いつの間にか、それ程までにアレクに心を許してしまっていた。そんな己に、ロランは愕然とした。











「それで、話とはなんだ」
 ユリアが述べる挨拶の言葉を早々に遮り、クルト王は単刀直入に用件を問うてきた。
 珍しく王の執務室を訪ねてきたユリアを、彼は面白そうに眺める。
「はい、話というのは他でもなく、ティヴァナ国との同盟についてでございます、クルト王」
 ユリアは真正面からクルト王を見つめ返した。「ほう」と王は更に楽しげな顔になる。
「ライナス様の死や、内通者の疑惑など、フィードニアは今混乱の中にいます。更には連合国との戦いにも疲弊してもおりましょう。このままではフィードニアが勝利を続けていくのは、難しいのではないでしょうか」
「確かに、ジェドの力を持ってしても、今後は厳しい戦いになるやもしれぬな」
 クルト王は、まるで人事のように言った。
「故にティヴァナと同盟を結べと申すか。しかしティヴァナとの同盟は一度破綻しておる、口で言うほど簡単な事ではないぞ。ましてやそのようなこと、フィルラーンのお前が口出しする事では無い。それでもこの俺に進言しようというからには、何か考えでもあるのであろうな」
 そう言いユリアを見つめる眼光は、刃のように鋭かった。その目に怯みそうになる心を、ユリアは必死で抑える。
わたくしを、使者としてティヴァナへお遣わし下さいませ。フィルラーンならば無下に切り捨てたり、門前払いにしたりはしない筈。交渉の機会さえ与えられれば、きっと同盟を結ぶことも可能になりましょう。この戦いでティヴァナも疲弊している筈です、味方が欲しいと思っているのは、恐らく我が国だけではないかと」
「お前が行くと申すか。確かにフィルラーンならば、ティヴァナもその固い門扉を開かずにはおれぬだろう。しかし使者として出向き、その後すんなり帰れるとは限らぬぞ。同盟の代わりに人質とされることも、十分考えられる」
「承知の上です」
 ユリアはきっぱりと言い放つ。
「この戦いが終わるまで……ともすれば二度とこの地へ帰り来ることは無いかもしれぬ事も、承知しております。けれどそれ以上に、私はこの戦いを早く終わらせたいのです」
 ユリアはもうこれ以上、誰一人として死んでほしくは無かった。
 大国二つのこの同盟が成れば、連合国の意気は大きく削がれることになる。上手くいけば連合国に勝機無しと判断し、このまま白旗を上げてくれるかもしれない。そうはならなくとも、この戦いは今までよりも遥かに早く終結を迎えることになるだろう。
 そして戦いが無くなりさえすれば、ジェドはあの村へと帰ることが出来るのだ。
 大切な人達を守るため、己にいったい何が出来るのか。これがユリアの出した結論だった。














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