87: 苦戦 副総指揮官の死により弱っているフィードニアを、連合国が見逃すわけも無く、カベルとグイザードの連合軍がフィードニアの国境を進入し攻めてきた。 ライナスの仇を取りたいフィードニア軍は、ここでトルバが出てくる事を望んでいたが、主力をティヴァナとの戦いに注ぐトルバ軍はやはり今回も動きを見せなかった。 「けど、どうやら今回はそれだけが理由という訳でも無さそうだぞ」 そう諜報部隊である第五騎馬中隊の一人が声を落として言った。 「なんでもトルバ国王軍総指揮官が急死したそうなんだ。原因は分からないが、それでトルバ国王軍は今現在混乱の中にある。だからフィードニア侵攻出来る状況にないのさ」 「急死……」 ロランもまた、声を落とし呟いた。 フィードニアの主力者の死と時期を同じくして、敵国の主力者も命を落とす。それが本当ならば、フィードニアは随分と戦いの神に好かれているものだ。 だがライナスの死と、トルバ総指揮官の死の痛手は同じではない。トルバには連合国という、複数の後ろ盾があるのだから。 フィードニアの北東で両軍はぶつかった。 ここでの戦いは、大方予想していた通り、いやそれ以上に散々たるものだった。 敵に単独で突っ込んで行くジェドの部隊のフォローを、メルヴィンは一切しなかった。己の周りに厚く兵を固め、まるで総指揮官であるジェドとは別軍であるかのような采配を振るう。 メルヴィンは戦場で彼らを完全な孤軍にしたばかりか、あまつさえ彼らの邪魔に成りさえするような動きをしばしばして見せた。 それらは明らかに総指揮官ジェドへの反意であろう。だがそうまでされても当のジェドは、怒るでも無く、メルヴィンを諌めるでも無く、我関せずといった調子で孤軍を貫き、ただ只管に動き回るのみだった。 そして総指揮官を無視してまで取ったメルヴィンの策といえば、ロランの目から見ても愚策ばかりなのである。 フィードニアは連合軍の動きに簡単に翻弄され、以前であれば防げていたであろう攻撃をまともに受け、痛手を負った。 このままではいかんと、仕方なくブノワは歩兵隊を、ハロルドは騎馬隊を、そしてクリユスは弓騎馬隊をそれぞれが独断で指揮し、何とか連合軍を押し留めていたが、それらを上手く総指揮する者がいなければ、纏まる筈が無いのは当然のことである。そして国王軍内でさえこうなのだから、数多の領兵軍は戦う道筋を失い、ただただ戦場を奔走するしかないといった始末だった。 「無茶苦茶だ……」 ロランは剣を振るいながら、そう呟かずにはいられなかった。これだけ酷い戦いは、ロランが経験する中では初めての事である。 誰でもいい、誰でもいいから、メルヴィンに変わってこのフィードニア軍を采配してくれ。 ロランは心の中でそう強く願う。 ふと、彼の視界の中にジェドが率いる第三騎馬中隊が見えた。 (――――そうだ、この男がいるじゃないか) 大体それは総指揮官であるジェドの仕事の筈ではないのか。今メルヴィンに代わり指揮を執れるのは、あの男しかいないというのに、何故この現状を持ってしても動こうとはしないのだ。 そう思い、だが直ぐにその考えを頭の中から打ち消す。 ここでジェドに立たれたら、それこそ英雄の存在が軍の中で益々強くなってしまうだけなのだ。逆にあの男に対する反感がこれで増せば、それは英雄失脚の道に繋がるのである。 だというのに一瞬でもジェドに頼ろうと考えた己が、この上無く恥ずかしく、腹立たしい。 (イアン、済まない……) まるでその一瞬の心の動きが、弟の仇に対してほんの少しでも心を許してしまった行為に思えて、罪悪感が心を それにしても、ライナス一人がいないだけでこうも崩れてしまう。フィードニアとは、それ程に脆い国であったのだ。 物臭で飄々としたあの男が、フィードニアにとってどれ程の存在であったのか、改めて彼は思い知った。 「おい、アレク……!」 ロランは前方で戦っていたアレクに向かって大声で叫ぶ。 とっさにその声に振りかえったアレクは、背後から襲い来る敵の剣を慌てて受け止め、薙ぎ払った。 「ぼけっとしてるなよ」 いつもの調子で声を掛けるロランを、アレクはぎろりと睨み付けた。 「余計な事をするな、お前の手なんか借りてたまるか……!」 「な……」 こんな時に、何を言っているんだ。 ふんと顔を背け、アレクは再び敵と剣を合わせる。 信じられない、とても部下のいる小隊長の態度とは思えない。 「この、餓鬼が……!」 メルヴィンの采配が期待出来ぬ分、せめて兵士同士の結束を固めねばならぬ今だと思うから、こっちが折れてやったというのに。何なんだ、あの態度は。 周りを見ると、結束どころか見えぬ裏切り者の存在に、兵士達はぎすぎすとしていた。 「本当に、無茶苦茶だ」 額から流れ落ちる汗を拭い、ロランは終わりの見えぬこの戦場を、ただ眺めるしかなかった。 「これではこの戦い、どうにもなりません。ハロルド殿、貴方が総指揮を執られませ」 日が沈み、両軍が互いの陣営へ引き上げたその夜半。夜陰に隠れ、クリユスはそうハロルドに囁いた。 「私が。いや、しかし……」 ハロルドは驚いた表情で、クリユスと、そしてそこにいるもう一人の男、ブノワの顔を見比べた。 「わしも異存はありませぬ。今まで何度となく窮地を脱してみせたハロルド殿なら、この場も上手く切り抜けられるでしょう」 ブノワはハロルドの視線を受け止め、頷いてみせてから、一つ溜息を漏らした。 「……しかし、メルヴィン殿がこうも指揮の執れぬお方だとは……。あのクルト王の従弟であらせられるのだから、もう少し才のある方だと期待していたというのに」 いかにも残念そうにブノワは顔を顰める。 クリユスにしても、ここまで使えぬ男だとは思っていなかったが、そもそも期待してもいなかった。しかしブノワは副総指揮官としての地位を得たメルヴィンが、もしかしたら責任感からその才を現すのではないかと、少しは期待していたらしい。 だが実際は己の身を守る事だけに必死になり、かといって頼るべき総指揮官を支える事もせず、後は子供の戦争ごっこのように、ただ闇雲に兵士を敵に突っ込ませ、潰されそうになったら慌てて引くという愚策を行うのみである。 そしてその上、思うように動かぬ兵士どもが悪いのだと、責任を転嫁し部下を激しく叱責するのだ。 これでは王家への忠誠心に厚い、然しものブノワの心も離れるというものである。 「ですがあくまで副総指揮官はメルヴィン殿なのです。彼を差し置いて大隊長でしかないこの私が総指揮を執るなど……。ましてや私はその職にも就いたばかりですし、何より内通者の疑いも完全に晴らしてはおりません。ここはやはりジェド殿を説得し、彼に執って頂くのが本来の姿ではないでしょうか」 「そう出来るものなら最初からそうしている。だが肝心のジェド殿に総指揮を執るつもりが全く無いのだから、仕方が無いのだ」 そう言うブノワに、クリユスも頷く。 「ですが表立ってハロルド殿に総指揮を執って頂くのは、メルヴィン殿への反逆とも取られかねません。ですからこうして夜陰に乗じて密談をしているのです。つまりは形的には今まで通りメルヴィン殿の総指揮の元、それに大きくは外れず、ですが良策へと貴方が軌道修正するのです」 「なんと………」 ハロルドは幾分呆れたような顔をする。 「そのような難事を俺にやれと」 「貴方ならばやれますよ」 ハロルドの肩へ手を置き、クリユスはにこりと微笑んだ。 「私達への指示は、我らだけの合図を決めておき、それで全て指示して頂きます。決して口に出し指示してはなりません。いいですね」 ハロルドは暫く考えた後、意を決したように「分かった」と答えた。 それでいい。 クリユスは笑みを作ったまま頷いた。それ位の事はやってのける男でなければ、ライナスの後など任せられぬのだ。 「必ずや我らフィードニアに勝利を」 「勝利を」 三人は暗闇の中、拳を合わせる。 ―――――そして、フィードニア国王軍総指揮官の座も。 |
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