86: ユーグとダドリー 「それにしても、私の祖父に会いたいだなんて、一体……」 東地区を歩きながら、ユーグは幾分怪訝な表情をする。 「いや、アレクがお前とじーさんが似てる似てるってあまりにいうからさ、ちょっと見てみたくなってな」 まあ、要は暇人なのさとロランは笑ってみせた。 折角そのじーさんの処へ訪ねてもおかしくない人間がいるのだ、ロランは彼に付いて行くことにより、正々堂々と乗り込む事にしたのだった。 「それならいいのですが……その……」 ユーグはその続きを口にするのを少し 「私の祖父を、敵国からの間諜だと疑っているのでは……?」 ロランは内心でひやりとした。アレク、あいつまさか。 「ユーグ……それ、アレクから聞いたのか?」 「いいえ、そうではありません」 ユーグは少し顔を緩める。 「アレク様は私の祖父が見つかった事を、ただ純粋に喜んで下さっています。一見分かりにくいですが、お優しい方なのですよ」 そう笑った後、再びユーグは顔を曇らせた。 「けれど私にはアレク様のように、心から私の祖父という存在を信じる事が出来ないのです。先程ロランさんに聞いた問いは、常に私の心の中で反芻されている事です。だって十七年間その生死さえ分からなかった祖父が、私が国王軍へ入軍したとたんに現れるなんて、余りに都合が良すぎるでしょう? ロランさんもそう思われたから、祖父に会いたいなどと言われるのではないですか?」 「……い、いや、待てユーグ」 真剣な眼差しをするユーグの目の前で、ロランは手を大仰に振ってみせる。 「違う違う、俺のは単なる好奇心だよ。お前と同じ細い目が四つ並ぶなんてのが、面白い光景だと思っただけだ」 「けれど……」 「考えすぎだぜ、お前。そんな思い詰めるなって。運良く出会えたんだ、もっと喜べよ」 ユーグの背中をばんと叩き、陽気な顔を作った。そして慌てて話題を変える。 「それよりさ、お前俺と同じ国王軍の小隊長なんだから、俺に敬語使う必要なんか無いんだぞ」 「あ、いえ、そんな。私はアレク様のついでに入軍出来たようなものですから。小隊長の座も、特に秀でた所もない私には勿体ない位で……」 「何言ってるんだよ、アレクは関係ない、お前の実力だろ」 確かに何かに特出した所は無いが、全てをそつなくこなす器用さと、それらの腕前は確かなのである。謙遜なのか、孤児だったというその身が己を卑下させるのかは分からないが、何にしてもアレクにこの殊勝な態度を少し位は見習わせたいものだと、ロランは思った。 「あ、ここです、ロランさん」 そう言うと、ユーグは一軒の 「へえ、ここが」 既に一度調査をしに訪れている場所ではあったが、ロランは初めて来たという顔をしてみせた。 襤褸は襤褸だが、屋根の傷んでいた箇所は新しい瓦に取り換えられており、隙間風の入りそうな壁には板が打ちつけられていた。きっとユーグがじーさんの為に直したのだろう。 ユーグが戸を叩き訪問を告げると、直ぐに中からじーさんが顔を出す。 いかにも嬉しそうに顔を綻ばせるそのじーさんは、後ろにいるロランを見つけると首を傾げた。 「ダドリーさん、こちらはアレク様のご友人の、ロランさんです。突然の訪問申し訳ありません、丁度ここの近くに来たもので、立ち寄らせて頂きました」 自分の実の祖父に対するにしては、余りに丁寧にユーグは挨拶をする。ダドリーというのはどうやらこのじーさんの名のようである。『お祖父さん』とは呼んでいないようだった。 「そうですか、アレク様の。ユーグの大切な方のご友人なら、わしにとっても大切な方ですで。どうぞ、汚い所ですが、お上がりください」 二人を家に上げると、じーさんはいそいそと茶の用意をする。孫の訪問に嬉しくて堪らない、といった様子だった。 「ユーグ、腹は減っていないか、丁度魚介を煮たスープを作ったんじゃ。ロランさんもどうぞ、なんもないけども、このスープだけはわしの自慢ですで」 お構いなく、というロランの言葉は無視され、じーさんは台所から鍋を掴んで持ってくる。 スープの注がれた皿を前に、ロランは警戒心から直ぐには手を付けなかったが、ユーグは構わず口にした。そして「毒は入っていませんよ」と目配せをする。 「ロランさんも遠慮なさらず、どうぞ。ダドリーさんのスープは凄く美味しいんですよ」 にこやかに笑うユーグに肩を竦め、ロランもそれを口にした。 「へえ、本当に旨いな」 干したトマトと魚介を煮込んだらしいそのスープは、出汁が良く出ていて旨かった。思わず感嘆の声をあげると、じーさんが嬉しそうに目を細めた。 成程、細い目を更に細くして笑うその顔は、アレクの言う通りにユーグとそっくりである。 「まだ沢山ありますんで、幾らでもお替りして下され。ユーグもほれ、たんと飲め」 「あ、はあ」 飲んだ先から器にスープを注ぐじーさんに、ユーグは少し困った顔をしつつも、注がれるままに飲み干している。ロランと目が合うと、彼は幾分照れたように下を向いた。 「ところで、じーさんとユーグは十七年ぶりの再会らしいな。それだけ長い間生き別れていて、ここ王都でばったり再会するなんて、奇跡みたいな事もあるもんだ」 いかにも感心したように、ロランは言ってみせる。 「はい、それはもう今でも信じられん位で。もしやこれは夢じゃなかろうかと、毎朝目が覚めるたびに冷や汗が出とります」 言いながら、じーさんは嬉しそうに目尻を下げる。 「アレク様とあん時ぶつからんかったら、今でもまだ孫を探しとった所でしょう。聞けばそもそもユーグがここ王都へ来る事になったのも、アレク様が国王軍へ入軍するのに付いて来たそうで。何から何まで、アレク様には感謝せんといけません。これも神様のお導きなんでしょうなあ……」 手を合わせ拝む仕草をするじーさんの目は、僅かに涙が滲んでいた。 そんなじーさんの肩にユーグは手を伸ばそうとし、だが少し躊躇ったあと、彼はその手を引っ込めた。まるでそうする事が、罪悪な事であるかのように。 ――――お前は気付いているんだろうか。 何食わぬ顔でスープを飲みながら、ロランは思う。 『心から祖父という存在を信じる事が出来ない』とお前は言ったが、今じーさんと同じように目尻を下げている自分に、お前は気付いているんだろうか。 信じる事が出来ないというのは嘘だ。きっともう既に、ユーグはじーさんを信じてしまっている。だけど密偵の存在が明らかになっていない今、近づいて来る人間を不用意に信用する訳にはいかないと、己に言い聞かせているだけなのだ。 国王軍の兵士としては、その判断は正しいと言える。だが個人的にはじーさんをダドリーさんと呼び、一歩距離を置くしかないユーグの姿が、痛々しく思えてならなかった。 (くそ………!) このじーさんを疑いたくない。正直、ここへ来るまではトルバ暗殺部隊の長ベクトの正体がこのじーさんなんじゃないかと疑っていたが、今はどうしてもそうは思えなかった。いや、思いたくなかった。 (万が一にでもこのじーさんが密偵だったとしたら、あの涙が演技だったとしたら、俺は連合軍を許せねえよ) じーさんにあれこれと世話を焼かれ、『お構いなく』と素っ気なく言いつつも、ユーグは照れたように頬を赤らめる。 じーさんが密偵では無いことを証明するために内通者を探そうとするアレクの気持ちが、悔しいが今は分かってしまう。 ユーグに『お祖父さん』と呼ばせてやりたいと、スープを眺めながらロランは思った。 じーさんの家から戻った翌日、アレクが血相を変えてロランの部屋の扉を叩いた。 「何だ、朝っぱらから五月蝿いな」 扉を開けた途端、強引に部屋の中へ入ってきたアレクに胸倉を掴まれる。 「お前、ユーグのじーさんの家に行ったんだってな。どういう事だよ、お前まだじーさんを疑ってるのかよ……!」 怒りを露わにするアレクからは、いつものへらへらとした笑みが一切消えていた。 「おい、落ち着けよ。俺はただ……」 「お前じーさんが密偵だっていう可能性は無くなったって言ってたじゃねえか。あれは嘘だったのかよ、この嘘つきが……!」 その言葉にむっとして、ロランは思わず無用な訂正をする。 「無くなったとは言ってない、可能性が少なくなったと言っただけだ」 「何だと……」 アレクが更に力を入れたらしく、掴まれた襟元が喉を締め付ける。苦しくなり、ロランは彼の肩を突き飛ばした。 「待てって言ってるだろ。俺は確かにじーさんを疑ってたよ、だけど」 「もういい、調子のいいことを言って影でこそこそ嗅ぎ回りやがって、見損なったぜ」 「な……」 「もうお前とは絶交だ、俺は俺でじーさんの無実を証明してみせるからな、見てろ」 言うだけ言うと、アレクは叩きつけるように扉を閉め、さっさと部屋を出て行った。 「か…勝手にしろ……!」 ロランは残された部屋で、一人叫ぶ。 人の話を聞きもせず、いつもいつも自分勝手なんだ、あいつは。 「何が絶交だよ、餓鬼かっていうんだ」 こっちこそ、初めからあんな男と組むつもりなんて更々無かったのだ。寧ろ邪魔な奴がいなくなって、清々するというものだ。 「あー良かった、これで仕事がやりやすくなるぜ」 ロランは誰もいないその部屋で、誰かに言い訳でもするかのように、そう呟いた。 |
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