85: 祈り





「―――エルダと、ライナスが……死んだ……?」
 蒼白の顔で立つユリアに、フィルラーンの塔に働く侍女二人は体を固まらせた。
「ユ…ユリア様、聞かれていたのですか」
 可哀想な程に二人はおろおろとする。きっとこの話がユリアの耳に入らぬよう、口止めされていたのだろう。
 だが僅かな間とはいえ、この塔に滞在していたエルダの生死に関する噂が立ち上った時、それを口にしてしまうのは無理からぬことである。彼女達が今回立ち話をしていたのを、たまたまそこに通りかかったユリアが聞いてしまったのだった。
 詳しい話を問い詰めると、二人の死は既にひと月も前の事だった。
 トルバで罪人として処刑されようとしていたエルダと、彼女を助けようとしたライナス。だが多くの兵士達を相手に敵う訳も無く、二人ともそこで命を落としたのだという。
 エルダが戦場を離脱してから、ずっと彼女の行方が気になっていた。けれどクリユスやロランに聞いてみても、彼らは分からないと首を横に振るだけだった。
 だが必ず戻ってくるとエルダは約束したのだ、きっといつかこの塔へ帰って来ると、ユリアはこの話を聞く直前まで、信じて疑っていなかったのだ。
 ―――――何て、愚かだったのだろう。

「私が……私がエルダを行かせたんだ」
 処刑の際にエルダにかけられた嫌疑は、フィードニアとの密通だという。
 ライナスとエルダがそんな関係である筈が無い。彼女は友の物だというドレスを片手に、戦場を離脱したのだ。罠に嵌められたのだということは明白ではないか。
「私の所為だ……私がエルダを死なせたんだな……」
 呟くユリアの肩を、ダーナがぎゅっと抱きしめる。
「違います、ユリア様の所為などでは決してありません」
 エルダ様が元々トルバの兵士だったことを、ユリア様は知らなかったのですから。彼女が命を狙われていることなどご存知では無かったのですから。ダーナは力を込めて言う。貴女は何も悪くないのだと。
 ダーナは優しい。いつも、どんな時でも私の味方をしてくれる。
 けれどダーナ、それは違うんだ。私に何の罪も無い筈がない。だって私はライナスから彼女を預かっていたのだから。そしてその時点で、私は彼女の命に対して責任を持つ必要があったのだ。
 事情は何も聞いていなかったとしても、フィルラーンの塔で預かって欲しいなどという事自体、彼女が何者かに追われる身である事に気付くべきだったのだ。
 だというのに、私は彼女を護衛として戦場へ連れ出した。それがそもそも大きな間違いだったのだ。
 エルダが元々トルバの兵士だった事実は、確かに知りはしなかった。その命を狙われている事も。
 だがそれが何なのだろう。何の言い訳になるというのだろうか。

 無知は罪だ。何も知らぬということは、時として取り返しようの無い罪を招くこととなる。
 そんなことは嫌というほど分かっていた筈なのに、何も知ろうとしなかった己は愚かだ。
 私の話を黙って聞いてくれた彼女のように、自分も彼女の話を聞くべきだった。そうしていれば、少なくともこのような最悪の結末を迎える事だけは、回避出来ていたかもしれないのに。
「済まない、ダーナ。少しの間一人にしてくれないか」
「ユリア様……」
 ユリアは部屋へ戻ると、エルダに暫く貸していた白いドレスを取り出す。彼女は手持ちの荷物が少なく、遺品になるものはこのドレス以外何も残されていなかった。
 それを手にしたまま、ユリアは祈りの間へ行く。
 祈る事しか出来ないのだから、せめて祈ろう。エルダとライナス、二人の魂が安らかに天の国へ行けるように。
「エルダ、教えてくれ……」
 涙がドレスにぽとりと落ちる。泣いてはいけない、私にそんな資格があるものか。
「私はもう誰にも死んで欲しくないんだ。……その為に、私は何をしたらいい?」
 その問いに、白いドレスは何も答えない。
「……もう、私の話を聞いてはくれないんだな……」
 泣いては駄目だと思うのに、次から次へと涙が溢れて止まらなかった。
 ユリアはドレスをぎゅっと抱きしめる。
 そして掠れる声で、祈りの言葉を口にした。







 口さがないものは、ライナスの事を裏切り者だと罵った。だがロランにしてみれば、そんな事を口にする者はフィードニア国王軍の人間では無い。ライナスの事を良く知っていたら、口が裂けてもそのような事を言えるはずが無いのだ。
「な、な、俺の言った通りだろう。あの娼館が怪しいと思ったんだ、俺。結局ライナス殿の女が内通者だったんだろう?」
 ロランは大きく溜息を吐く。前言撤回だ、言える人間もいるらしい。
「敵の罠に嵌められたに決まってるだろう。ライナス殿は女に騙されてフィードニアを売るような方ではない!」
「罠に? どういう事だよ」
 目をぱちくりとさせ、アレクは首を傾げる。仕方なくロランは、エルダがフィルラーンの塔へ匿われていた事や、ユリアの護衛となった経緯等、彼の知る限り全ての事をアレクに話した。
「へえ……暗殺部隊ねえ。お前達が出兵して行く前にちらっと見たけど、確かに綺麗な女だったよなあ。あんな女に誘われりゃあ、そりゃ男は付いて行くぜ。うん、違いないな」
 妙な所に納得し、頷くアレクである。
「ちえ…俺も美女が戦う姿を見たかったぜ。こういう時に限って城に留守番になるなんて、ツイてねえよ」
 アレクの所属する第二騎馬中隊は、先の戦いでは居残り組だったのである。
 普段ならば奇襲でも無い限り、戦場へ行くより城に残っている方が楽だとこの男なら喜びそうなものだが、今回に限ってはユリアの護衛に付くことになった謎の美女に興味津々だった為、出兵前からこうしてぶーぶーと文句を垂れていたのである。
「それにしても、そんな罠を仕掛けてくるとはなあ。この俺もいつ敵に狙われるかと思うと、おちおち夜の街をぶらつく事も出来ないぜ」
 怖い怖い、とわざとらしく身体をぶるぶると振るわせて見せる。
「安心しろ、お前なんか敵の眼中に入ってねえよ」
「何言ってんだ、この俺様を狙わずに他に誰を狙うってんだよ」
 そう真顔で言うこの男にも、そろそろ慣れてきてしまっている自分が嫌だと、ロランは思った。
 しかし次に狙われる人間が出て来るという危惧は、間違ってはいないだろう。それは、誰になるのか―――。
 ジェドが敵の罠に嵌る姿というのは、悔しいが想像が付かなかった。だとすると次の副総指揮官となったメルヴィン、騎馬隊大隊長ハロルド、歩兵隊大隊長ブノワ辺りだろうか。
 いや、ライナスの次に狙われる人物として、彼らは容易に想像が付き過ぎるかもしれない。敵はフィードニアを混乱させ、内部から分裂させようとしているのだ。どうすれば最も効果的にフィードニア国王軍を揺るがし、掻き乱す事が出来るのか。
「お! 俺良い事を思い付いたぜ。なあ、裏切り者を探すのは良いけどよ、うっかり者のお前はヘマして敵に捕まっちまいそうだからな。そういう時の為に、その裏切り者に付ける目印を考えておくってのはどうだ。友情に厚く心優しいこの俺様が、そいつの後を付けてお前を助けに行ってやるからよ」
 さも名案とでも言わんばかりに、アレクはどんと己の胸を叩く。
「………誰がうっかり者だ」
 ロランはぎろりと目の前の男を睨みつけた。ヘマをするというなら、この男の方こそ有り得そうな話である。
「大体目印って何だよ、鈴でも付けろってのか? そいつが大人しくその目印とやらを付けっぱなしにしてくれる訳が無いだろが、この馬鹿が」
 そう捲し立てるロランに、アレクは憤慨した。
「馬鹿とは何だよ、お前を心配してやってるこの俺の優しさが分からんとは、お前こそ大馬鹿者だ……!」
 馬鹿だ馬鹿だと繰り返し、舌を出して見せるこの男が、自分より二つ年上の人間だとはとても信じられなかった。

「――――アレク様、こんな所にいらしたのですか……!」
「あ、やべ……!」
 がちんと舌を噛み、痛そうに身体を曲げるアレクの襟首を、ユーグが掴む。
「訓練の時間はとっくに始まってるのですよ、何を油を売っているのです」
「ちょっと遅れただけじゃねえかよ。フィードニア軍がボルテンを攻めてる間、俺だって王都の警備だの訓練だので忙しかったんだ、ちょっと位羽根を伸ばしたっていいじゃねえかよ」
 不貞腐れるアレクの態度に、普段は下がっている目尻をユーグは吊り上げる。
「何がちょっと羽根を伸ばしても、ですか。私は知っていますよ、あなたがその警備の最中にしょっちゅう抜け出しては、ふらふらと遊び回っていた事を……!」
「げ……何でばれてんだ」
 赤くなった舌をぺろりと出す。
「お、お前と言う奴は……」
 ロランとユーグの二人に白い目で見られ、アレクは顔を引き攣らせた。
「分かったよ、戻ればいいんだろ」
 ユーグに半ば引きずられるようにして訓練場へ戻るアレクは、まるで大きな子供のようである。『内通者』探しに関して、何故かこの男と組む事になった己の不運を呪いたい気分だった。
 とはいえ、その『内通者』がユーグのじーさんだという可能性が薄くなったとアレクに告げた時点から、彼の中で内通者探しへの興味は薄れつつあるようだったが。
 それでいいとロランは思う。誰かの可能性を除外したいが為の捜索など、偏った見方しか出来なくなってしまうものだ。
「さて……」
 ロランは地図を取り出す。フィードニア国の王都ルハラの、城下町の地図である。
 この街の東地区にトルバ国暗殺部隊の長である男が居を構えていたと、エルダが言っていたのだ。
 彼女が指し示した場所は、ユーグのじーさんの住む家屋の、実に裏手二軒奥という場所だったのである。
 じーさんとアレクが出会ったのも偶然、じーさんとトルバ暗殺部隊の人間が居を構えた場所も、偶然近隣。それが全くの偶然などであるものか。
 アレクには悪いが、やはり今一番疑わしいのはユーグのじーさんである。
「ユーグのじーさん。トルバ暗殺部隊の長ベクト……」
 地図を見ながら、ロランは呟く。
 そこに居るのは二人の老人か、はたまた――――。
「……行ってみるか」
 地図を折りたたみ、腰に付けた小さな荷袋にそれを押し込むと、ロランはクリユスへの定期報告の為、一度兵舎に戻った。











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