81: 終日の灯1





 目が覚めた時、エルダは牢の中にいた。
 明かり取りの為の小窓から外を覗くと、風に吹かれ棚引くトルバの旗が見えた。
 久しぶりに戻ってきた故国ではあったが、それはエルダの胸中に何の感慨も沸き起こすことはなかった。
 牢に入れられてから幾日も経ち、そして二十日余りが過ぎた時、両手を後ろ手に縛られ、トルバの兵士に外へ連れ出された。
 連れて行かれた場所は、王城の門から真っ直ぐ一本の道で繋がった先にある、城下街の中心でもある広場。そこに設置された、処刑台の上である。
 ―――そんな気はしていた。
 エルダはふと自嘲する。
『効果的な死』がエルダに与えられた唯一の仕事だったと、あの男は言った。トルバの牢の中で目覚めた時、それがどういう事なのか薄々気づいてはいたが、どうやら当たりだったらしい。
 処刑台の上に登らされると、その場で足枷を嵌められ、更に紐を解かれた両腕と首も、大小3つの穴が開いた一枚の大きな枷により固定させられた。
 処刑台の下へ野次馬のごとくに集まった民衆を前に、一人の兵士が高らかにエルダの罪状を読み上げる。曰く、
「この者は崇高なるトルバ国兵士であったにも関わらず、敵国の国王軍副総指揮官と密通し我等の情報をことごとく流し、ひいては我が国と同盟関係にあるボルテンを陥落せしめるに至らせた国賊である。その罪は重く、極刑を持ってしかるべきとする」
 一昼夜この処刑台の上に晒され、明日夕刻に処刑される。それがエルダに下された処断だった。

「良い顔になったじゃないか」
 マリーを殺したあの男が、相変わらず顔に笑みを貼り付け、エルダの横にどかりと座った。
 良い顔、とは、エルダの顔に付けられたいくつかの痣を差して言っているのだ。
「大人しく皆のいいなりになっていれば良いものを、抵抗するから無駄に痛い目に会う。馬鹿だな」
 楽しそうに笑う男の顔に、エルダは唾を吐きかけた。
「ふん、打ちひしがれている私の顔でも見に来たのか。生憎だな、あれ位の事には慣れている。貴様があの場に居れば、その喉元に喰らい付いてやったものを、残念だ」
「ちえ、詰まらない女だ。あの女は楽しかったのにな」
 聞かずとも分かる。マリーの事を言っているのだ。エルダの心に再び憎悪という火が灯る。
「…………き……さま」
「そうそう、そういう目をしてくんなきゃな」
 男は眉一つ動かさず、頬に付いた唾を拭った。
 殺したい相手がこれだけ近くに居るというのに、この男に斬りかかるどころか、身動き一つ取る事も出来ない。悔しくて堪らなかった。

「――――最初から、密通者として処刑する為だけに、私を暗殺部隊へ入れたのか」
 その問いは答えを求めるというよりも、ただ確認の為に発したものだった。
「ああそうだ。お前もやっと己の立ち位置が分かったようだな」
 分かってはいたが、その返答はやはりエルダの心を傷付けた。だがそれを顔に出せばこの男を喜ばせるだけである。彼女はただ黙って前を見詰めた。
「あのライナスという男が、お前に会いにあの娼館へ通っているという、その事実だけが欲しかった。いいや、通わなくとも、一度でもあそこへ誘い込む事が出来れば、店の主が口裏を合わせる手筈だった。それだけでも我々の計画には事足りていたが、お前は思っていたより上手く働いてくれたよ。期待以上の事をしてくれた、褒めてやるよ」
 くくく、と男は笑う。
 そうとは知らず、国王軍副総指揮官暗殺という大任を与えられたと喜び、そしてまんまと『ライナスの女』になった。
 あまつさえユリア様の護衛として戦場へ出向き、フィードニア兵士達にもこの「エルダ」という女剣士の名を知らしめてしまった。
 内通者の存在で揺れている今のフィードニア国王軍に、トルバの女兵士が自軍の副総指揮官との密通という嫌疑にかけられ、処刑されたという情報が届いたら、幾らそれが信頼している上官だったとしても、果たして疑心を持たずにいられるだろうか。
 彼らは「エルダ」という女が架空の人間では無い事を知っている。兵士である事も知っている。ライナスがトルバの女兵士に情報を漏らしていたのだと、そう思う者も出て来るに違い無いのだ。
 なんということだろう。役に立つどころか、この私の存在自体がライナスに汚名を被せることになってしまうとは、思いもしなかった。
 副総指揮官の裏切りが軍内にどんな影響をもたらすのか、それは考えるまでも無い事だ。内部は分裂し、恐らくライナスは失脚するだろう。
 それが分かっていながら、身動き一つ取れず明日の処刑をただ待つしかない自分には、それらを止める手立ても無く、詫びる事すら出来ないのだ。
 悔しかった。泥沼でもがきながら生きてきた。その末に、やっと大切な人達に出会えたと思っていたのに、その彼らをも泥沼に引きずり込むことになってしまったのだ。
 私達は出会わなければ良かったのだ。初めて会った時、ライナスは私を捕らえるべきだった。殺すべきだったのだ。そうすれば、こんな事にはならなかったのに。

『――――俺の女になれ、エルダ』
 ライナス。
 だというのに、それでも今お前に会いたい。

 彼にとって己は負の存在でしかないと分かっているのに、それでももう一度会いたいと願ってしまう。なんて私は利己的なのだろう。
 ―――ああそうだ、私はお前を愛しているのだ。そのことに、今やっと気づいた。
だがたった一言のこの想いすら、お前に伝える事が出来ない。

「お前が今何を考えているか、当ててやろうか。あのライナスという男のことだろう」
 男はエルダの顔を覗き込みながら言った。
「五月蝿い、どこかへ行け……!」
 この男にその名を口にして欲しくなかった。それだけで、彼の名が汚れる気がしたのだ。
 吠えるエルダに、だが素知らぬ顔で男は続ける。
「もしかしたら、最後に一目会えるかもしれないぜ」
「――――な、んだと」
 ざわりと悪寒が走った。この男が言うのだ、それは彼に会えるという、その言葉通りに甘いものである筈がない。
「お前を二十日余りも牢へいれ、更に勿体つけてこの処刑台の上に一昼夜晒しているのは何の為だと思う? お前が捕らえられ処刑されるという話が、ボルテンに居るフィードニア軍に届けられるのに十日強、そこからこのトルバまで駆けつけるのに更に十日。お前を助けに来るのに、十分な猶予をあの男にやってるって訳さ」
「な………」
 マリーでエルダを誘い出し、この上更にライナスをまで誘き出そうと言うのか。怒りが沸いたが、だが代わりにエルダはふんと笑ってみせた。
「そうそう貴様の企み通りになりはしない。ライナスは己の立場を忘れ、部下達を遠征の地へ置きざりに一人隊を抜けるような、愚かな真似をする男では無い。残念だったな」
「ふーん」
 男は幾分肩を竦める。
「―――まあ、それならそれで構わねえよ。お前という小さい餌にしては、もう充分な獲物が引っ掛かってるからな。こっから先は只のおまけだ。そうなったら面白いってだけの話だ」
「面白い、だと? 何をふざけた事を……!」
 マリーをむごく傷付けた事も、遊んでやったなどと抜かしたのだ、この男は。人の心を弄び、喜んでいる。この男の薄ら笑いが、とても正気とは思えなかった。
「私はお前達の駒ではない、マリーも、ライナスもだ……!」
 男に掴みかかりたかった。怒りの余りじっとしていられず両腕を思い切り揺すってみたが、枷がそう簡単に外れる筈も無く、ギシギシと音を立てただけだった。

「――――そこで何をしている、ロドリグ」
 唐突に掛けられた声の方向へエルダが首を捻ると、トルバ国王軍の軍服を着た男がこちらへ歩いて来るのが見えた。その顔には見覚えがあった。エルダが領兵軍兵士だった頃は、遠くからその姿を眺める事しか出来なかった、遠く、憧れの存在である。そう、トルバ国王軍総指揮官アイヴァンであった。
 ロドリグというのは勿論エルダの名では無い。今エルダの横で薄ら笑いを浮かべる、この男の名らしかった。もっとも、暗殺部隊の人間は幾つも名前を使い分ける事が多い。それが本当の名かどうかは解らないのだが。
「これはアイヴァン殿、この罪人は元々我ら暗殺部隊の人間、云わば仲間だったのです。処刑を前にして声をかけるくらいの情けを頂きたいものですな」
 ――――何が、仲間だ。
 エルダは毒づこうとしたが、アイヴァンと目が合い口をつぐんだ。アイヴァンはじっとエルダの顔を見詰めると、眉間に皺を寄せる。
「この顔の痣は何だ。初めにお前が捕らえて来た時には無かった痣だ」
「さて」
 ロドリグは飄々とした顔をする。
「これだけの綺麗な女ですからね。ただ処刑されてしまうのも勿体ないと、貴方の部下達が悪戯をしたようですが」
「何だと、貴様我ら国王軍を愚弄するのか……!」
 アイヴァンが怒声を上げたが、ロドリグはその態度を崩さない。
「本当の事ですよ。牢番達を問い詰めるといい、この女に反撃された傷がある筈だ。立派な国王軍兵士様達も、下衆びた者がいるもんですね」
「く………」
 アイヴァンはロドリグを睨みつけると、再びエルダの顔を見る。
「例え罪人と言えど、女をこのように傷付けるなど、軍の、いや男の恥だ。女―――エルダと言ったな。俺の部下が済まない事をした。必ず探し出して処罰する、許せ」
 そう良い背を向けるアイヴァンに向かい、エルダは堪らず叫んだ。
「アイヴァン殿―――私は確かにトルバを裏切りフィードニア国についたけれど、トルバの情報など流してはおりません……!」
 アイヴァンがちらりとエルダの方へ振り返るのが見えたが、その間にロドリグが立ちふさがる。
「罪人は総して己の罪を認めないものです」
 エルダの言葉をアイヴァンがどう捉えたのか、その表情はロドリグの影となり彼女には見えなかった。
 勿論そう叫んだ事により、処刑を止めるよう彼が取り成してくれるとは思ってはいない。だがこのアイヴァンという男に、少しでも己の潔白を伝えたかったのだ。
 良かった、とエルダは思った。
 昔からずっと憧れていたトルバ国王軍の、その総指揮官である男があのような一本気の通った男で良かったと、エルダは切に思う。
 良い思い出の無かった故国だったが、ああいう男がいたのだという事が、エルダの心を深く慰めた。











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