77: 風の行方





文 後陣が陣を張った場所は、ボルテンの王都より五リュード(6キロメートル)程離れた位置で数刻前から始まった戦いの、その戦場いくさばを一望する事が出来る小高い場所だった。
 エルダは馬上でユリアの居る天幕と付かず離れずの距離を保ったまま、この戦いをじっと見下ろしていた。
 後陣を守る他の兵士達がちらちらと好奇の目を向けてきたが、エルダはそれには構わなかった。女が一人戦場に混じっている異質さは、トルバの領兵軍に居た時でも同じだったのである。国王軍とはいえ反応はどこでも同じなんだなと思っただけだった。
 両軍はジェドと彼の直属部隊である第三騎馬中隊を先頭にして、激しくぶつかり合っている。
 現在の形勢だけを見てみると、一見フィードニア軍の両端はボルテン兵に押され下がっているように見えるが、両端が下がっているというよりは、第三騎馬中隊がボルテン軍へ喰い込んでいるというのが実際の所であろう。
 初め先陣を切って飛び出した一個中隊を見た時、エルダは己の目を疑ったが、どう見てもそれは第三騎馬中隊の旗であり、その一番先頭にいる一騎は総指揮官であるジェドに他ならないのである。
 音に聞くフィードニアの英雄という男は、なんという無謀な戦いをするのだろうか。初めて彼の戦い振りを見たエルダは、驚嘆と共に呆れる気分になった。
 そんな戦い方をして、よくも『この俺の命を誰が奪えるというのだ』などと平気な顔で言えるものである。今この戦場の中で一番死に近い場所で戦っているのは、彼自身であろうに。
 それでもあの男は、己よりもユリアに『悪い風』が吹く可能性の方が高いと、本気で思っているのだろうか。

 エルダはちらりとユリアの居る天幕を見やる。
 結局ユリアの戦場行きを止めることは出来なかった。ナシス様の先読みの話と、それによりジェドがユリアの身を心配しているのだという事を彼女に話しはしたが、ユリアはそれを一蹴したのだった。
「あの男が私の心配などする筈が無い。総指揮官としてフィルラーンを死なせる訳にはいかないから、そのような事を言っているだけだ」
 ユリアはそう言い捨てた。
「いえ……ですが私には、それだけでは無いのではと思えるのです」
「エルダ、お前にも話しただろう、ジェドが私を憎むに至った経緯を」
「それは……ですが……!」
 尚も食い下がろうとするエルダの言葉を遮るように、ユリアは力なく首を横に振った。そしていいんだ、とつぶやく。
「いいんだ、エルダ。私の気持ちを知っているからといって、私に気を使う必要など無い」
 淋しそうに笑うユリアに、エルダは反論の言葉を呑み込んだ。
 そうでは無いと言いたい。だがジェドの気持ちに確証がある訳でもないのに、勝手な憶測でユリアの心をかき乱すべきではないのかもしれない。淡い期待を持たせておいて、だが万が一それが自分の思い違いであったなら、ユリアを今以上に傷付ける事になるのだ。
 そう、その時は思った。だが――――。

 再び戦場へ目をやり、エルダはぎくりと体を強張らせた。今まで戦場に散らばっていた無数の旗とは違う旗が、右方に突如現れたのだ。交じわう二本の剣と鷹の旗印―――グイザード国の旗だ。
「誰か、伝令を……!」
 叫んだが、既に遅かった。グイザード軍はフィードニア軍に守りの陣形を取らせる隙を与えず、軍の脇腹へと突っ込んでいく。
 攻撃を受けた第二騎馬中隊は堪えきれず引く形になり、そしてジェドの直属部隊と、第七騎馬中隊が本軍から分断された。
「ジェド殿………!」
『次の戦いには悪い風が吹くと―――』
 ジェドの言葉が頭を過ぎる。悪い風とは、もしやこの事なのか。だとすればやはりジェドの命こそが危ないという事になる。
 エルダは馬の手綱を握り締めた。自分が行ってどうにかなる筈も無いのは分かっていたが、無意識の内に馬を戦場へと走らせていた。
 だが少し駆けた所で、エルダは目の前に飛び込んできた新たなグイザード軍の出現に、慌てて手綱を引く。一個中隊には満たない程の兵ではあるが、明らかにユリアの居る後陣に向って進んでいた。
 まさかフィルラーンの少女が居ると知っていて、本当に攻撃しようというのか。そんな馬鹿な――――。
 背中にざわりとした悪寒が走る。
『悪い風』は果たしてジェドに向って吹くのか、それともユリアに向って吹くのか。
「―――敵兵が現れたぞ、皆、命に代えてもユリア様をお守りしろ……!」
 エルダは駆け戻ると後陣を守る兵士達に向って叫んだ。
 後陣に居るのは二個小隊のみ。だがそれでも精鋭を集めた国王軍である。片や相手は左程名も聞かぬ領兵軍の、しかも一個中隊足らずの兵である。数で負けたとしても、兵力でそれ程の差もあるまい。
 後陣のフィードニア兵が進み出て、守りの陣形を取る。エルダはその脇に交じると剣を引き抜いた。
 何としてでも、ユリア様の身を守ってみせる。彼女に悪い風など吹かしてなるものか。
 兵士達は鬨の声を上げ、エルダは彼等と共に、敵軍へ向い駆けた。

 

 一人、また一人と、エルダの剣は敵兵の喉を正確に捕らえ、馬上から落としていった。
 万が一にでも敵兵を取りこぼし、ユリアのいる天幕へ近づけさせることなど、あってはならない。フィードニア軍を突破しようとする敵兵がいれば、すぐさまそちらへ馬をやり、一刀のもとに切り捨てた。

 戦いながら、エルダは己の剣に手応えを感じていた。自分はトルバの領兵軍に居た頃よりも、確実に強くなっている。敵と剣を合わせる度に、そう実感した。
 暗殺部隊での訓練に耐えたせいというのもあるだろうが、何より、どの兵士もライナス程に速く、重い剣を振るう者など居りはしないのだ。
 戦える、と思った。自分は国王軍の兵士達に比べて劣ってはいない。その思いはエルダの心を少なからず高揚させた。
 
「――――おい、お前、名前を何と言う」
 剣を振るいながら、フィードニア兵士の一人がそう声を掛けてきた。大方、女がでしゃばるなとでも文句を言いに来たのだろうと内心舌打ちをしたが、ここで味方同士揉めていても仕方が無い。エルダは敵兵の剣を弾き返しながら、短く己の名だけを答えた。
「そうか、俺の名はフランク。俺達国王軍の兵士を差し置いて、胡散臭い女の傭兵なんぞがユリア様の護衛に付くなど、どれだけ役に立つものかと思っていたが、お前、中々やるな」
「え……」
 思わず男の方へ顔をやると、男はにっと笑った。
「俺よりも―――いや、もしかするとうちの小隊長殿より強いかもしれん」
 他の奴にはこんな事を俺が言ったなどと喋るなよと、フランクは幾分照れ笑いの様相で言い、そして再び敵兵の中へ消えていった。
 国王軍の兵士に、私は認められたという事なのだろうか。
 よく見ると、周りの兵士達のエルダを見る目が、いつの間にか好奇や胡乱うろんな者を見る目とは、少しばかり違ってきているようにも思えた。
 胸が熱くなる。
 戦えるかもしれないと、再び思った。
 このフィードニアの兵士達と共に、私は戦っていけるのかもしれないと。










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