74: 自分の居場所





 フィルラーンの塔で働く侍女から来客を告げられ、エルダは塔の一階広間へ向かった。
 ライナスだろうかと思ったが、あの男だったらわざわざ侍女を通さずとも、エルダの部屋までずかずかとやってくる筈である。けれどあの男以外にエルダを呼び出す者も思い浮かばなかった。
 訝しく思いながら入口前の小広間へ向かうと、そこで待っていたのは以前一度だけここで会ったことのある、茶色い髪の男だった。名を、確かロランといった筈だ。
 男はエルダの顔を見るなり仏頂面になったが、それはこちらも同じこと。眉間に皺を寄せながら、エルダは形だけ挨拶の言葉を述べた。

「――――お前、トルバの暗殺部隊の人間だそうだな」
 エルダの挨拶を遮る形で、男は唐突にそう言う。
「――――な………」
 何故、分かったのか。驚き目を見開くエルダを眺め、男は舌打ちした。
「やっぱりそうなのか。トルバからの刺客がライナス殿を騙して、まんまとここへ潜り込んだという訳だ。――――言え、何が狙いだ」
 腰に佩いた剣をすらりと抜くと、ロランは剣先をエルダに突きつける。暗殺部隊に居た事に確証があった訳では無く、カマを掛けられたのだ。それにうっかり反応してしまった己の愚かさをエルダは呪った。
「……狙いなど無い。そこから逃げ出した私を、ライナスがここに匿ってくれただけだ」
「それをどうやって証明出来る? お前がユリア様に害を成す事は無いと」
「私が、ユリア様に?」
 馬鹿な、と言いたいところだが、逆の立場であったなら自分もそれを一番に危惧するであろう。敵国の暗殺部隊の人間が、国の中枢に近い所に潜り込んでいるのだ、それを知って安穏としていられる者などいる筈が無かった。
「ユリア様は得体の知れぬ私を無条件で受け入れて下さった。それを裏切るような真似など決してしない。―――だが、幾ら口でそう誓った所で、お前は信用などしないだろうな」
「勿論だ、口だけなら幾らでも偽りを語れる。その言葉を証明する事が出来ぬのなら、お前を切り捨てる。万が一にでもユリア様を裏切る可能性のある人間を、捨て置くことは出来ない」
 ぎらりと目を光らせるロランを、エルダはどこか羨ましい思いで眺めた。
 自分が心から仕えたいと思える存在が居るという事は、軍人にとってなんと幸せであることか。トルバではそう思える存在についぞ出会う事が叶わず、そして今や逃亡者であるエルダには、もう望むべくも無い事なのだった。

「――――ならば剣を持てぬよう、私の腕をやろう。それで足りぬのなら、私の足も共にくれてやってもいい。それならばユリア様に害を成す事も、逃げる事も出来まい」
「……本気で言っているのか?」
 ロランは探るような視線をエルダに寄こす。
「冗談でこんな事を口にはしない」
 軍人として生きる事ももう無いのであれば、戦う為の手足など必要では無い。それで他意など無い事を証明出来るのならば、悪くない取引だと思えた。
 元々一度死を覚悟した身である。このままこの男に切り殺されたとしても、それはそれで構わないとも思ったが、ただ、もう少しだけ、ほんの少しだけでいいから、ユリアの傍に居て、彼女の話を聞いてあげたかった。他の誰にも心内を打ち明ける事が出来ず、独りで戦う彼女の心を。
「ふん……ではお前の利き腕をもらおうか。言っておくが、俺はお前を女だとは思っていない。ただの脅しとは思わぬ事だ」
「分かっている」
 エルダに突き付けていた剣を鞘へ戻すと、そのまま背を向ける。
「付いて来い、兵舎にある鍛錬場へ行く」
 フィルラーンの塔で血を流す訳にもいかない。頷くと、大人しくエルダはその背に従った。






 訓練場は王都の外に有るが、それとは別に国王軍兵舎の一角に据えられている、鍛錬場と呼ばれる屋根付きの建物があった。
 軍隊としての訓練を行う訓練場とは違い、ここは個人が自主的に鍛錬を行う為の場所らしい。だが今この場には、誰もいなかった。昼間なのだから、皆訓練場の方へ行っているのだろう。
「―――――さあ、いつでもいいぞ」
 エルダはその場に跪くと、右腕を真横に差し出した。
「……言っておくが、片腕を落としたところでお前に付けた監視は無くならないぞ。利き腕が無くとも、まだもう一つの腕がある。幾ばくかの時間をやるだけだ」
 ロランは言いながら、再び鞘から剣を抜いた。
「それでいい、充分だ」
「そうか、では行くぞ――――――歯を、くいしばれ………!」
 エルダはスカートの裾を噛みしめる。
 剣が頭上高く上げられ、そして振り下ろされた。

「―――――――――!」

 覚悟した痛みは、エルダを襲わなかった。
「ち……少しは顔色くらい変えやがれ」
 勢いよく振り下ろされた筈の剣が、エルダの腕からほんの指一本の所で止まっている。
「……何故、止めた」
 ロランは剣を下げると、代わりに指をエルダに突きつける。
「――――馬鹿か、お前は。片腕を切り落としたお前の姿なんぞを見たら、ユリア様が卒倒されるではないか。しかもユリア様に責められるのは、この俺だぞ。何で俺がそんな事をしなくてはいけないんだ……!」
 ひとしきり怒鳴ったあと、ロランは深い溜息を吐く。「何が腕をやるだ。全く、怖い女だな」
「……裏切らないという証拠が欲しいと言ったのはお前ではないか。私には他に思い浮かばなかったのだ」
「思い浮かばなかった、ね……」
 言いながら、馬鹿にしたような顔になる。
「その愚直さといい、暗殺部隊という言葉に迂闊にも反応してしまった事といい、お前、暗殺者としては三流だな」
「余計な世話だ」
 確かに自分は暗殺者には向いていないと自覚はしていたが、この男に言われると妙に腹が立った。
「お前が暗殺部隊で使われていた理由は、その綺麗な容姿と、そして少しばかり使える剣の為だけだろう。そんな女を、俺だったらフィルラーンの塔へ送り込むなんていう重要な仕事は与えない。 ―――まあ、それが証拠って所だな」
「―――――え?」
 どういう事だと聞き返す言葉を無視し、ロランは鍛錬場に置かれている剣を掴むと、エルダへ放った。剣先が潰された、訓練用の剣だ。
「お前の腕前を見せて貰う」
 同じ剣を抜くと、ロランは問答無用でエルダに向かい切り込んできた。
 とっさに手にした剣でそれを払い、後ろに飛び退くと、相手に向けて剣を構える。
「何の真似だ…!」
 問うたが、やはりロランはそれには答えない。次の攻撃を交わすと、エルダは仕方無く反撃に出た。
 放った剣を、ロランの剣が受け止める。キン、と音が響き、易々と弾かれた。体勢を整える暇も無く、次の剣がエルダを襲う。
(――――強い)
 少し手を合わせただけでも分かる。かつてエルダが所属していた、あのトルバの領兵軍にいた一般兵士達とは、やはり格が違うのだ。
 伊達に国王軍の小隊長ではないという事か。
(――――けど、戦えない訳ではない……!)
 エルダは再び剣を振るう。
 ライナスと対峙した時の、あの圧倒される程の威圧感は、この男には無い。この強さは、まだ手の届く距離にある。
 数度剣を交じわせた時、一瞬ロランの左脇に隙が見えた。
 放とうとしていた剣をとっさに軌道修正させ、エルダは彼の左脇を思い切り突いた。だがロランはそれを紙一重で避けると、そのままエルダの懐に入る。
 慌てて体を捻り、ロランの剣を避けようとやみくもに振った剣が、彼の剣のつばに掠った。欠けた破片がロランの頬を切る―――。
「あ………」
 次の瞬間には、ロランの剣がエルダの首に宛がわれていた。
 やられた。
 エルダは剣を地面にことりと落とすと、両手を軽く上げる。
 一瞬見せた隙はわざとだったに違いない、そこに自分はまんまと誘い込まれたのだ。
「ち……やっぱり安物だな」
 ロランは欠けた剣の鍔を眺めそう悪態づくと、頬ににじむ血を拳で拭う。
「だが女にしては中々やるではないか」
「負けて褒められても厭味なだけだ」
 エルダはふん、と顔を背ける。悔しい。だが楽しかった。
 強い者と戦うのは楽しい。暗殺などやはり性に合わない。こういう剣のやりとりこそが、自分が求めるものなのだ。
「お前の剣は暗殺者のものでは無いな。暗殺部隊に入る前は軍隊にいたのか」
「………そうだ、トルバの領兵軍にいた」
「軍人か。……軍人ならば、仕える人間が欲しくは無いか」
「それは……」
 当然だ。国の為でも、誰の為でもなく振るう剣など、何の価値も無い。だが、もう私には。
 俯くエルダの前に、ロランは立った。

「―――――ユリア様の為に、働かないか」
「―――――え……?」
 エルダは顔を上げ、ロランの顔を凝視した。
 僅かな期待が頭を過ぎり、胸の鼓動が速くなる。 
「剣を合わせて、お前は小細工の出来る女では無いと思った。剣の腕も立つ。それに何より、お前は主の為に命を捨てられる人間だ」
 ロランはエルダの右腕を掴む。
「一度捨てたこの腕で、ユリア様をお守りしろ」
 掴まれた腕を眺めながら、エルダはゆっくりと瞬きをした。
 ――――私が、ユリア様を。
 心の中に光が差す。
 ただ生きる為に剣を持った。けれどただ闇雲に振るう剣は、生きる糧には成りえなかった。国王軍へ入りたいと願ったのは、エルダを虐げた人間を見返してやりたかっただけで、国の為に仕えたいと思った訳ではない。
 心はいつもかつえていた。自分の居場所を求めていた。


『この話は、今まで誰にも話した事は無い。けれどお前になら、話せるかもしれない』
 そうして心内を吐露した、あの少女の姿を思い出した。
 ああそうだ、私以外に彼女の本心を知る者は、誰もいないのだ。あの孤独な少女を、私以外の誰がお守り出来るというのだ。
 私の主。私がお守りするフィルラーンの少女。

 やっと自分の居場所が見つかったのだと、エルダは思った。











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