73: 調査






「あの娼館、やっぱり怪しいぜ」
 そうしたり顔で言うアレクに、ロランは冷たい眼差しを向けた。
「お前はただあれこれと理由をつけて娼館に通いたいだけじゃないか」
 やっぱりこんな奴と組むんじゃなかったと、ロランは激しく後悔する。いや、そもそも組んだつもりは無いのだが。
「まあ、話を聞けって。俺が情報収集した所によるとだな……」
 アレクは周りをはばかるように、ロランの耳に顔を近づけると、声を落とした。
「―――あのライナス殿の女って奴、既にあの店から姿を消してるんだよ。間違いない」
「…………」
「俺達が内通者を調べ始めたとたんに姿を消したんだぜ、内通者はその女に違いないぜ」
「…………」
 得意げなアレクの顔に、ロランは思い切り溜息を吐いた。
「お前な…ライナス殿が自分の女に内部情報をべらべらと喋っちまうような男だと、本気で思っているのか? そうなのだとしたら、もうお前との付き合いもこれまでだ。国王軍から出て行け……!」
「おっ……おい、声がでけえよ」
 慌ててロランの口を塞ぐと、アレクはきょろきょろと周りを窺った。幸い辺りに人影は無い。

 今二人は、フィードニア城下町の東地区に居る。
 二人が『内通者』を探しているのは内密の行動なのだ。どこで誰が聞いているか分からないこの状況である、ロランは大人しく口をつぐんだが、アレクなんかにたしなめられてしまった事に腹立ちを覚えた。
「俺だってライナス殿が喋ったとは思ってねえよ、けど、喋らなくても漏れる事もあるだろう。通いつめてる男が突然来なくなりゃあ、奇襲攻撃を仕掛ける為の隠密出兵も、推測くらい出来んだろ」
 それは一理ある。だが『ライナス殿の女』は密偵では無いだろうと、ロランは思っている。何故ならばその女は今、フィルラーンの塔にいるからだ。
 怪しい女だと、あのエルダという女に噛み付いてはみたものの、ライナスがフィードニアに害を成す人間を、よりにもよってフィルラーンの塔へ招き入れるとは思えない。あの塔に相応しい人間だとは到底思えないが、少なくとも密偵という線は無い筈である。
 しかしそういう女を塔に匿っている事は、内密の話なのだ。その事をアレクに説明する訳にはいかなかった。
「分かった、お前はその娼館を調べてみろ。俺は俺で別を当たる」
「ああ、分かった。待ってな、俺様がばっちり内通者を見つけ出してやるぜ」
 アレクは意気揚々と自分の胸を叩く。いつもながら、どこから来るのか分からない意味不明な自信である。
 だが今回に限ってはそれ幸いというものだ、これで厄介払いが出来るのだから。
「ここで別れよう。ユーグのじーさんの所には、俺一人で行ってくる」
「………お前一人で大丈夫かよ。じーさんにいきなり掴みかかるなよ。お前、短気だからな…」
 この男に心配顔されるのは不本意以外の何物でもない。
「するかよ、お前じゃあるまいし」
「ただ単に、ユーグのじーさんが内通者じゃないって事を確認しに行くんだよな?」
「そうだ。少しでも怪しい人間は全て調べる。そうして一人一人可能性を潰していけば、最終的に内通者が浮かび上がってくるんだ。―――お前もじーさんの身の潔白が証明された方が、すっきりするだろう」
「……そうか、そうだな」
 アレクは納得したように頷き、にっと笑った。
「じゃあ俺は俺の仕事をしてくるぜ」
 そう言いながら、アレクはひらひらと手を振ると、軽い足取りで南地区へ向かって行った。


 ロランは東地区にある、一軒の小さな家屋の前で止まった。手入れが行き届いておらず、朽ちかけていると言ってもいいその家は、いかにも老人の一人暮らしに相応しい佇まいである。ここが、ユーグのじーさんの家なのだ。
 けれどその戸を叩く事無く、ロランはそのまま通り過ぎた。そして七軒離れた、向かい側の家の戸を叩く。
「はいよ」
 声がして、中から中年の女が出て来た。見知らぬ男が訪ねて来た事に、女は訝しげな顔をする。
「七軒隣に赤い花を植えてあるあの家の、向かい側に住んでる老人について話を聞きたいんだが」
 ロランは腰に挿した警備兵の剣をちらつかせる。ここに来る前に警備隊の屯所に立ち寄って、無断で拝借して来たのだった。
 女はそれにちらりと目をやると、とたんにその顔に好奇の色を浮かべた。じーさんとは見知った顔ではあるが、それ程親しくも無い。これくらいの距離の人間が、色々と話を聞くには良いのだ。
「いいけど。あのじいさん、何かやったのかい?」
「あの老人があの家に住み始めたのはいつだ?」
 女の問いには答えず、「余計な詮索はするな」という顔を作って質問を始めた。警備兵の態度といえば、こんな感じだろう。
「さあ…六、七年にはなるんじゃないかい」
 女は幾分不満げな顔にはなったものの、大人しく返答をする。
「六、七年? それは本当か?」
 嘘をついてやる義理なんかありゃしないよと、女は口を曲げた。確かに、その様子に嘘は見られない。
 ならば七年前にトルバから戻って来たと語った、じーさんの身の上話と合致するということか。それは少々肩透かしであった。
 疑いを晴らすために、ユーグのじーさんを調べるのだとアレクには言ったものの、実際あの出来過ぎな再会が全くの偶然だとは、ロランには到底思えなかった。
 だからあのじーさんがここに住むようになったのは、長くとも連合国の同盟が水面下で動き始めた、ここ二年以内のことだろうと思っていたのだ。
 しかし七年も前から住んでいたというその話が本当ならば、少なくとも密偵としてここに移り住んだという可能性は、極めて低くなる。七年前のフィードニアは、まだ国が生き残る事に必至になっていた頃であり、トルバのような大国からわざわざ間諜を送られるような、そんな注視されるべき存在では無かったからだ。
「ではもう一つ、あの老人に身内がいるなら、その話も聞きたいのだが」
 はて、と女は首を傾げる。
「ずっと独り暮らしだからねえ、いないんじゃないのかい。……ああ、けどそういえば、ずっと前に行方不明になった孫を探してるような事を、確か聞いた気がするよ」
「孫を…それはいつの話だ」
「もう何年も前かね。そうそう、最近たまにあのじいさんを訪ねて来る若い男がいるよ。じいさんに似た顔をしてるから、その孫が見つかったのかねえ」
 ユーグの事だ。本当に何年も前から孫のユーグを探していたのだ。
 話を聞けば聞く程、じーさんが密偵である可能性が薄くなっていく。

 念の為に辺りの家を数軒訪ねてみたが、答えはどれも同じようなものだった。
 近隣の数人ならともかく、じーさんと口も聞いた事が無いであろう距離の家も訪ねてみたのだ。フィードニア王都内で他国の密偵がこれ程多くの人間と口裏を合わせる事は、不可能に近い筈である。都合良く現れたその不自然さを考えるとどうにも納得し難いが、ユーグのじーさんを連合国軍からの密偵と見なすのは、どうやら見当違いだったと判断するしかないようだった。
 いや、思えば逆に連合国側の密偵も、これ程あからさまに怪しいと思える接触の仕方など、してくる筈も無いのかもしれない。
「仕方がない、他の人間を当たるか……」
 ロランは独り呟くと、東地区を後にする。
 これを報告する時に間違いなくするであろう、「そら見た事か」というアレクの得意気な顔を想像すると、それだけでげんなりと、足取りが重くなるロランだった。








「あのエルダという女、一体何なんですか?」
 内通者に関する現時点での報告をクリユスに済ませた後、思い出したようにロランは憤慨した。
「俺もただライナス殿のお知り合いであるとしか聞いてはいないよ。困った事に、それはユリア様も同じらしい。よくよく懲りない方だ……」
 クリユスは小さく溜息を吐いてみせた。その言葉にロランも大きく頷く。本当に、簡単に人を信用してしまうのだ、あの人は。
「だが一つ確かな事は、あのエルダという女性はトルバ出身だということだ。幾ら訓練しても、身に染み込んだ訛りを完全に消すことは難しいものだ」
「トルバの?」
 また、トルバである。ユーグのじーさんも十年もの間トルバに行っていたのだ。だが、怪しい所はどこにも無かった。
 あのエルダという女にしても、トルバと聞いて更に怪しさは増したが、それでも内通者では無い筈である。
 トルバの名があちこちでちらついているというのに、「内通者」の影さえ掴むことが出来ない。どうにも気持ちが悪かった。
「よりにもよってこの時期、トルバ出身の女性をフィルラーンの塔へ招く……。ライナス殿は一体何をお考えなのか……」
「全くです。しかも、娼婦なんかを……」
「娼婦?」
 今度はクリユスが聞き返した。どうやら初耳であったらしい。
「はい、ライナス殿が通いつめている娼館があると、アレクの奴が以前言っていたのです。目当ての女の顔は奴も見ていないみたいですが、恐らくあの女に違いありません」
「娼婦ね……成る程、そういうことか」
 クリユスは自分の顎に手をやり、少し考えるような素振りを見せると、一人納得顔になった。
「え? 隊長、どういうことですか、何か分かったんですか?」
「……トルバの国王軍には隠密組織として暗殺部隊があるということを聞いたことがある。中々腕の立つ女性が一人そこにいて、暗殺方法はベットの中…という話もな」
「それが、あの女だと」
「恐らくな」
 クリユスは言いながらにやりと笑った。
「恐らく彼女は暗殺目的でライナス殿に近づいたのだろう。だが今こうしてライナス殿に庇護されフィルラーンの塔にいる。つまりはトルバを裏切った為に、彼女も今や追われる身なのだ。 殺す筈の相手と愛し合ってしまうとは、中々甘美な物語ではないか」
「かん……何を呑気な事を言っているのですか! 暗殺部隊の人間ならば、トルバに背いた振りをしてフィルラーンの塔へ潜り込んでいるのかもしれないじゃないですか。ユリア様にもしもの事があったら……!」
 それならあの女が密偵だった方がまだましだった。暗殺者がユリアの近くにいるなんて、考えるだけで総毛立つ。
 急いで上官の部屋から出て行こうとするロランを、まあ待て、とクリユスが止める。
「わざわざ手の込んだ策を弄してまで、連合軍がユリア様を暗殺する理由などどこにある? 例え戦女神と崇められようとも、今現在のユリア様を暗殺した所で、フィードニア軍は憤怒こそすれ、戦力も士気も低下などはしない」
「それは……そうかもしれませんが」
 フィルラーンがいない国は滅びるとされているが、フィルラーン暗殺と国の滅亡が直結する訳ではない。戦術としてフィルラーンの命を狙うと言うのは、少し考えにくい事である。
「けれど、ナシス様なら……。そうだ、先読みの力を持つナシス様なら、暗殺する理由はあるのではないでしょうか。もしも戦況を先読みされたら、敵にとってはやっかいな筈。フィルラーン暗殺という禁忌を破ってでも排除しておきたいと考えても不思議ではないのでは」
 敵が狙うとするなら、ユリアよりナシスだ。フィルラーンと聞くと、ロランにとっては殆どお目に掛かった事の無いナシスより、自分が命を捧げる思いでお仕えするユリアを直ぐに思い浮かべてしまうが、連合国にとっては間違い無くナシスの存在の方が大きい筈だ。
「それならそれで、ユリア様がフィードニアで唯一のフィルラーンになられるだけ……」
「え?」
 ぽつりと呟かれたその言葉に、思わずロランは目を見開らく。その様子を見ながら、クリユスはふっと笑った。
「大丈夫だ、暗殺するつもりでフィルラーンの塔に潜り込んでいるのなら、とっくに手を下されている。それにあのエルダという女性には監視を付けている。彼女が不審な動きをしたら、我々の所にすぐ報告が入る」
「そう、ですか」
 さっきの言葉は、冗談だったのだろうか。まるでナシス様が暗殺されてしまった方が、好都合とでも言わんばかりの言葉は。
 いや、冗談に決まっている。そんな神に背くような不遜な事、本気である筈が無いじゃないか。
 一々間に受ける自分をからかっているのだ、この人は。全く人が悪い―――。
 ロランは頭を振り、笑顔を作る。
「では俺は引き続き、内通者を調べる事に専念します」
 言いながら、クリユスの部屋を後にした。
 そして思い出す。フィードニアにでもクルト王にでも無く、ユリア様唯一人にお仕えするのだと、王の御前で公言したと聞く、そのクリユスの言葉を。













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