70: ユリア2





 私はそれから毎日、ジェドの居るあの大きな木の下へ遊びに行った。
 ジェドはもう「ここへ来るな」とは言わなくなったが、剣は私が行くと直ぐに鞘へ納めてしまった。けれど彼と友達になれたのだ、それでも一向に構わなかった。
 彼は口数の少ない少年だったが、いつも黙って私の話を聞いてくれた。そしてたまに目を細め、ぎこちなくだが笑ってくれるのだ。それが私には嬉しくて堪らなかった。
 
 ジェドは少し不思議な少年だった。
 彼という少年が如何に不思議な少年だったか、それを物語る話は色々あるのだが、これを一つ一つ語ると長くなるので、少しだけ話しておこうと思う。
 あれはそう、いつものように木の下に二人並んで座り、私が色々な話をジェドに向かって喋っていた時の事だ。その木の脇を、野兎がぴょんと駆け抜けて行ったのを、私は発見した。
「あ……うさぎ……!」
 私は立ちあがり、最初にここへ来た時も、野兎を追っかけていたのだという事をジェドに話した。そして再び兎を追いかけようとした私に、ジェドは「兎が欲しいのか?」と呟き、傍にあった小枝を拾うとひゅっとそれを投げた。
「あ………!」
 枝は素早く駆ける兎に、見事に当たった。兎は倒れたまま、ぴくりとも動かなかった。
「…うさぎ、死んじゃったの?」
 ジェドは倒れている兎を片手で掴むと、おろおろとする私の前にそれを突き出す。
「気絶しているだけだ。待ってろ、今(さば)いてやる」
 事もなげにそう言うと、ジェドは剣を鞘からすらりと引き抜いた。
「やだ……! だめ、殺さないで……!」
 慌てて兎にしがみつき、首を横に振る私に、ジェドは首を傾げる。
「変な奴だな…お前がこれを食べたいと言ったんじゃないか」
「食べたいなんて言ってないもん……! 殺しちゃだめよ、かわいそう」
「可哀想……?」
 ジェドは眉根を寄せた。どうやら彼にとっては「食糧は食糧」であるという概念しか無いらしく、私が口にした言葉がよく理解出来ないようだった。
「かわいそうだよ、だってこの子が死んじゃったらこの子の家族が悲しむもの、殺しちゃだめ……!」
 私はジェドの手から兎を奪い取ると、ぎゅっと抱きしめた。
「家族……こいつが死ぬと、なんで悲しむんだ?」
 少年は困惑した表情になる。私は言葉の通じない異国に突然来てしまったような、そんな不安感に襲われて泣き出した。
「殺しちゃいや、かわいそうだよお……!」
 ただわあわあと泣き出す私に、ジェドは慌てて剣を収めた。
「わ、分かった。分かったから泣くな。もう殺さない」
「………ほんとうに?」
 ぐすぐすと鼻を鳴らしながら、私はジェドを見上げた。ジェドは困った顔にぎこちない笑顔をくっつけ、私の顔を覗き込む。
「本当だ、お前が悲しいなら殺さない」
「約束だよ?」
「分かった、約束する」
 私が笑顔になると、ジェドは安堵の顔になる。
 その時、私が抱きしめていた兎が目を覚まし、ぴょんと腕から飛び出して行った。

 ここで一応断っておくが、ジェドは普段はとても優しい少年だったのだ。ただ、動物を愛でるという感覚は持ち合わせていないようだった。
 だがそれも私が不思議に思うだけで、単に生活習慣の違いというだけの話だったのかもしれない。今こうしてこの話をしてみると、大した逸話では無かったようにも思う。しかし私にとってはこの時のことが、とても強烈に印象に残っているのだ。

 そしてもう一つ不思議な事と言えば、それはジェドのあの強さである。
 彼の剣舞はただ動きが美しいだけでなく、他者を圧倒する程にとても強いのだという事を知ったのは、私がジェドと仲良くなってから一ヶ月ほど経った頃だった。
 どうしてそういう経緯いきさつになったのかはよく覚えてはいないが、ジェドが数人の村の大人達―――と言っても、当時の私には大人に思えたというだけで、恐らくそれも十五、六歳位の少年達だったと思う―――に回りを囲まれている所に、私は居合わせてしまったのだった。
 その様子が、皆で仲良くジェドと遊ぼうとしているのでは無い事は、幼い私でも分かった。彼らはそろって木の棒を手にし、ジェドを睨みつけていたのだ。
 当時のジェドは十一歳。回りを取り囲む男達とは、身長も体格も明らかに差があり、しかもジェドは武器になるようなものを何も手にしてはいなかった。
 ジェドの元へ駆け寄ろうとする私に、彼は「近づくな」と目で合図を寄こした。そして次の瞬間、一人の男が持つ木の棒が、何かに弾かれ宙へ飛んだ。
 ジェドがその棒を掴み、男達が慌ててジェドへ棒を振り下ろす。棒を手にしたジェドは、くるりとその場で体を回転させた。
「あっ―――!」
 私は驚き、思わず声を上げた。何がどうなったのか、気づいた時には男達が皆、その場に倒れていたのだ。
 瞬く間の出来事だった。
「し……死んじゃったの……?」
 ジェドが無事で安堵したものの、倒れている彼らが心配になり、私は聞いた。
「気を失っているだけだ、すぐ目が覚める」
 約束したからな、とジェドが小さく呟いた。
 それまで“何故が急に皆が倒れだした”としか認識出来ていなかったが、それはジェドの手により起こった事態なのだということに、私はここでようやく気付いた。
 それ程にジェドの動きは早かったのだ。
「……………俺が怖いか?」
 ジェドは聞いた。
「ううん」
 私は首を横に振る。
「ジェド、すごいね、強いね…!」
 私は興奮して言った。まるで母がよく話してくれた物語に出て来る、悪い人間をやっつける魔法使いみたいだと私は思った。あっという間に男達を倒したその動きが、幼い私には魔法じみて感じられたのだ。
「…別に、たいした事じゃない」
 ほんの少し、ジェドは照れたように頬を赤くした。

 この頃になると、ジェドの笑顔にいつも張り付いていた、ぎこちなさが消えていたように思う。
 私がジェドに会いに行くと、少年は目を細めて笑ってくれた。そして時には頭を撫でてくれたりもした。
 相変わらずジェドはいつも一人でいたが、そんな事は全く気にならなかった。寧ろ他の子に邪魔されずにジェドと遊べる事を、私は喜んでさえいたのだ。
 私達は誰も来ないその秘密の場所で、沢山おしゃべりをし、遊び、暖かい日差しの下で眠ったりした。
 毎日が楽しくて仕方がなかった。

 私はいつか、彼に聞いた事がある。
「そんなに強いのに、王様のけらいにならないの?」と。
 折りしもこの一年半程前に、平民出身でも国王軍の将校職へ就く事が可能となったのだが、勿論この時の私はそんな事を知っていてこう聞いた訳ではない。幼い子供の純粋さで、当然腕のある人間は国王を守る騎士になれるのだと、ただただ信じ込んでいたのだ。
 だがジェドは既にそれらの事を十分理解出来る歳だった。理解出来た上で、それでも国王軍というものに興味は無いようだった。
「別に、そんなものになりたいとは思わないな」
 この村から出るつもりはないと、ジェドは言った。
「家族が、いるからな」
 空を見上げながら、ジェドはぽつりと呟く。
 彼は家族をとても大切にしているようだった。
 王城へ上がることよりも家族と共に暮らす事の方が大切という気持ちは、正に今フィルラーンとなるため両親と離されようとしている私には、よく解った。
「そっかあ…じゃあしかたがないね。ジェドが王様のお城に行ったら、またいつか会えると思ったけど」
「え…? また、いつか?」
 少年は困惑の顔になる。フィルラーンというものの自覚が全く無かった私は、ラーネスの地へ行く途中にこの村へ立ち寄っているだけなのだという事を、ジェドに今まで話したことが無かった。私自身が、本当にフィードニアの地を離れることになるという実感が無かったのだ。
 だがこの時思い出したようにそれをジェドに話したのは、前日の夜「隣国の戦況が安定してきた」ことを叔父が母に話しているのを聞いたからだった。この国を出ることになるのは、そう遠くないだろうことを、幼いながらに私は感じ取ったのだ。
 もしジェドが国王軍へ入軍し王城へ上がれば、そこでまた会う事が出来ると私は期待した。けれどその為に彼が家族から離れなければならないのだとしたら、それは悲しいことだ。とても残念だけれど、諦めようと私は思った。いつかまた私の方からこの村に会いに来ればいいのだと。
「もう少ししたら、ふぃるらーんの修行をするのにラーネスへ行かないといけないの。でも終わったら、ぜったい一番にジェドに会いに来るからね」
 私がそう話すのを、ジェドは瞬きもせずに聞いていた。
「フィルラーンの、修行……。なんで、お前がそんなものにならないといけないんだ? そんなの、止めればいい。ここに居ればいいじゃないか」
「だめなの。私がそこに行ってふぃるらーんにならないと、お母様の病気がなおせないの」
「……そうなのか?」
「うん……」
 私は悲しくなってきて俯いた。私だってずっとここに居たかった。母とジェドと、ずっと一緒に居たかったのだ。
 ジェドと過ごした時は短かったが、私はこの少し不思議な少年が大好きになっていた。それこそ、両親と同じ位に。
「城か……」
 ぽつりと、ジェドが独り言のように呟いた。そしてそれからは何を話しかけても上の空で、一切の口をつぐんでしまった。
 その日は二人で、ただ空に浮かぶ雲を眺めていた。

 リョカ村で過ごした数ヶ月間。その日から、残りの日々を私は大切に過ごした。
 あの事さえ無ければ、この数ヵ月は私の中にもジェドの中にも、幼い頃の懐かしい思い出として、輝きを放つ記憶となっただろうか。
 あの事さえ無ければ―――――。
 
 その輝ける大切な日々は、軽率な私の行動により、最悪な形で終わりを迎えたのだ。











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