7: 密約





「ラオ、クリユス。この国を――この国の軍を、どう思う?」
「どう…とは、また漠然とした質問だな」
 ラオは長椅子の背にもたれたまま、首を捻った。

 ユリアはフィルラーンの塔の客間に、二人を招いた。
 殆ど使われる事の無い部屋ではあるが、埃ひとつ無く綺麗に保たれている。

「そうですね。王都に来る前に、この国も少し見て回りましたが――国の大きさにしては、軍の規模は小さいように思われましたが」
「ふむ、そうだな。言われてみれば、国境沿いの領地は中々屈強そうな軍隊を置いてあったが、後は大した軍備をいて無かったな」
「流石だな、よく見ている」

 ユリアはダーナの入れてくれた紅茶を口にした。
「そう、この国の軍隊の規模だけを見ると、ティヴァナ国に比べ余りにも見劣りするだろうな。―――だがそれにも関わらず、この国はどんどん大きくなっている。 何故だか、分かるか」
「フィードニアの英雄の話は、只の噂話でも無いという事ですね」
 クリユスは興味深そうな顔をする。
「…けどなあ、一人で城を落しちまうって噂のヤツだろ。いくらなんでもそれはちょっと荒唐無稽過ぎる話だぜ」
「確かにそれは話が大きくなり過ぎだが……だが、その英雄が他国の城を攻める時、供に連れて行く兵士の数が極端に少ないのは事実だ」
「――――成程、それが真実だとすれば」
 クリユスは組んでいた自身の足を解くと、少し前へと身を乗り出した。
「出兵する数が少なければ、その分の兵力を守りに充てる事が出来る。 国境沿い、王城の守りを厚くし、後は…そうですね、英雄自体の名が最大の圧力になってくれるでしょう。土地毎の領主が持つ私兵もある事ですし、それで充分でしょうか。 国全体の兵士の数や軍備が少ないから、金も最小限で済む。結果的に国力が上がって行くと言う訳ですね」
「…その通りだ」
 見事にフィードニア国の現状を言い当てる推測力の高さに、ユリアは少し驚かされた。
 以前から聡い男だと思ってはいたが、どちらかと言うと、女性を口説く話術に長けた部分を目にする機会の方が多かったのだ。

「名実共にまさに英雄という訳か。そりゃすげえな、そいつが居ればこの国も安泰って事だ。そんなに凄い男なら、一度俺も剣を交えてみたいもんだな」
 ラオは嬉しそうに言う。
「お前は強い相手と聞くとそれだ。 だが話はそう単純じゃ無いんだよ、ラオ。…どうやら私には、ユリア様のお話が見えてきましたよ」
 クリユスはユリアを見詰めた。
「それだけの英雄が、この国に反旗をひるがえしたらどうなるか―――違いますか、ユリア様?」
「そうだ。今やこの国は、王でさえ英雄の――ジェドの言いなりになっている。私にはそれが怖い。もしジェドがこの国に剣を向けたらどうなる。あの男に頼り切っているこの国は、一気に滅びの道を行くのみではないか」
 ユリアは、紅茶の器を皿の上へ置いた。

「―――私は、この国の軍を本来有るべき強さに戻し、そしてジェドをこの国王軍から追放したいのだ」

「追放――――」
 ラオが渋い表情をした。
「その英雄とやらは、この国を強くした立役者だろう。なのに追放までしなきゃならん危険人物なのか? 軍が強くなり、尚且つその男も居れば最強の軍になりそうなものだが」
「ほほう。副総指揮官にまでなりながら、国外逃亡する身となった己としては、その英雄に同情してしまうという訳か」
 面白そうに言うクリユスに、ラオは怒りの視線を向ける。
「お前はあの場で処刑されたかったらしいな。今からでも遅くは無いぞ、俺の剣のさびになりたければ、何時でもそう言え」
「おお怖い、冗談も通じない石頭では、女性にもてる筈も無いぞ、ラオ。 ―――さて、戯言はさて置き、私も追放には賛同しかねますね。下手に外に出して他国の兵士となられては、それこそフィードニアにとって仇なす事になりましょう。 フィードニアに留めないのなら、殺すべきです」
『殺す』などという物騒な話を、クリユスはまるで日常の会話でもするような口調で、事もなげに言った。

「殺せるものなら、だ。……あの男を殺せる者など、神以外に私は心当たりが無いな。 それにラオ、いくら軍が強くなったとしても、ジェドが軍に留まっている以上、結局あの男に頼る形は変わらないだろう」
「神以外殺せぬ男だと? 良くも言ったものだ」
 ラオが口笛を吹いた。
「益々面白い。 ユリア、俺に早くその男を会わせてくれないか。 それ程の腕をこの俺自身で確かめてみたい」
「止めておけ、死ぬ事になるぞ。 私は冗談や誇張で言っている訳ではない、あの男は只の人が敵う相手では無いんだ。…………ミューマという獣を知っているだろう?」
 知らず、ユリアの手が震えた。
「鋭い牙と爪を持つ凶暴な獣ですね。一匹のミューマが現れて、村が全滅したという話も聞きます」 
「そんな獣を、あの男は事もなげに倒してみせたのだ。―――僅か十一歳の時にだ」
「十一。それは――信じがたい話ですが……」
「信じられなくとも、事実なのだ。それでその才能を認められ、あの男はこの国王軍へ入ったのだから」

 その強さを一番知っていたのは、この私だったのだ。 
 ユリアは重苦しい気持に包まれた。

「――――まあいい、これからの事は追々詰めていく事にしよう。 それより、まずはお前たち二人を国王軍へ入れる事が先決だ。 それから、どうやって軍の強化について王を説得するか―――。現状では無駄金を出させようとするのと同じ事だからな。王にとって、軍の強化にどんな旨味を付ければ良いのか……」
「そうですね、今はやらなければならない事が多い。英雄の扱いの議論など、まだ事も始まっていない今、する意味はありません」
「まあ、そうだな。軍を強化するというのは、面白い。そこまでは俺も無条件に協力するぞ」
 ラオは至極愉快そうに笑った。

 扉を叩く音がし、ダーナが顔を覗かせた。
「あの、お話の最中、申し訳ありません。ユリア様、明日の舞踏会の衣装を合わせて頂きたいのですが……」
「ああ…そうでしたね、明日の夜でしたね……」
 さぞ屈辱の夜となる事だろう、とユリアは自嘲した。
 だが、ふと思い直す。
「いや…だが丁度良い。二人とも、私の客人として一緒に舞踏会に出るといい。王や貴族に顔を売る好機だ」
「舞踏会……それは素晴らしい」
 クリユスは、喜色をあらわにした。
「おいおい、またティヴァナ国の時と同じ事をしてくれるなよ。 今度処刑される事態に陥っても、俺はもう二度と助けないからな。いいか、絶対に、俺はお前を助けねえぞ!」
 ラオは自身の指を、クリユスの面前へ突き付けた。
「おや、これは友達甲斐の無いことを言ってくれるではないか。――――だがそれは無用の心配だ、ラオ。同じ過ちを犯す程、俺は愚かな男では無いよ」
 本当だろうな、と問いかけるラオに、クリユスはにやりと笑い返した。
「本当さ。手を出しては不味いお方が相手の時は、もう二度と他人にばれるような失敗はすまい。……密む恋というのも、また甘美なものではないか」
「こ―――この、何が心配無用だ!」
「きゃあっ! だ…駄目です、落ち着いて下さいっ!」
 剣を鞘から抜こうとするラオを、ダーナは慌てて止める。
 そんな二人を余所眼に、クリユスはゆっくりとユリアの方へ顔を向けると、にこりと笑った。
「―――冗談ですよ、ユリア様。 私はこの国から出て行くつもりはありませんからね。……貴女がこの国にいる限り、何時までも貴女のお傍に……」
「ああ―――私も、そうあってくれれば良いと願っているが……」
「おや、つれない事を仰る。貴女がそう私にお命じになれば、このクリユス、命を賭してもそのお言葉を守るものを」
 ユリアは苦笑した。
「妙なものだな、お前が口にする女性への甘い言葉は、確かに聞きなれたものだが―――数年前は自分へ向けられる事は無かったというのに」
「……まあ、貴女は当時幼くていらっしゃいましたからね。ですが、今は立派な淑女になられた」
「私も成長したという事か」
「それはお綺麗に成長なされましたね。―――ですが……」
 クリユスは、言葉を切った。 そして何でもありません、と微笑む。

 二人と出会ったのは、ユリアが九歳の頃。フィルラーンの修業をしていた頃のことだった。
 フィルラーンは数が少ない為、修業を積める場が各国にある訳では無い。ここハイルド大陸東方の地では、ティヴァナ国国境沿いにある施設一か所のみであった。
 各国のフィルラーンはそこで修行し、それを終えると国へ戻るのだ。
 そこは中立の地であり、どの国であろうと侵すことの出来ない、聖なる地であった。

 ユリアはその日、ティヴァナ国の国境近くのヨサという名の町へ、お使いに行っていた。
 だがそこでユリアは、見知らぬ男に荷物を盗まれてしまったのだ。
 ユリアが途方に暮れていると、その荷物を取り返してくれた二人の男がいた。 それが、このラオとクリユスだったのだ。









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