62: 内通者





 クリユスはこれ以上のボルテンへの侵攻を中断し、一旦ここは引き揚げることを主張した。
 内部に敵と内通している者がいるのかどうかは置いておくとしても、こちらの動きが読まれている事は確実なのである。既に今回の攻撃は奇襲には成り得ないのだから、少数に抑えた兵でこれ以上進行する事は得策ではないと、ライナスも判断した。
 張った陣を撤収していると、ロランが不貞腐れたようにしているのを、クリユスは見てとった。
「なんだ、引き返すのが不満か?」
 声を掛けるクリユスに、ロランは表情を取り成そうともせず「そうではありません」と言った。
「俺もここは引くのが正しいと思います。不満なんて…」
「では何だ、何を不貞腐れている」
 男の機嫌なぞ正直どうでも良かったが、何か言いたげにちらちらとこちらを見て来るロランが鬱陶しくて、仕方が無くクリユスは彼に声を掛けたのだった。
 不満があるなら視線などよこさずに、単刀直入に言って貰いたいものである。女性から寄越される視線ならば気持ちがいいが、相手が男となると気持ちが悪いだけなのだ。
「………何故、隊長はあの時、ユリア様を助けに向かわなかったのですか」
 視線を余所へやったまま、ぽつりとロランは呟いた。
「何?」
「新たに現れたボルテン兵が、ユリア様のいる陣営に向かっていった時、我らの隊が直ぐに助けに行ける位置にいたというのに……何故引き返さなかったのですか」
 今度は睨みつけるように、クリユスを見た。
「なんだ……ユリア様の騎士になり損ねて拗ねていたのか」
 呆れたようにいうクリユスに、「違います!」とロランは吼えた。
「敵を目前にしながら、彼女を助け出す為に取って返した英雄を、他の兵士達がどう言っているか隊長はご存じ無いのですか…? 流石我らが英雄だと褒め称えているのですよ……!」
 今まで何者にも従わず、ただ我が道を進んでいたジェドが、敵を倒す事よりフィルラーンの少女の命を優先させたのだ。初めて彼らの上官に人間味を見い出す事になり、ただ強くあるだけで無く、優しさも持ち合わせているのだと兵士達は感動さえ覚えているのだと言う。
 我らの目的は英雄をその座から引きずり下ろすもので、名を高める事では無い筈だとロランは叫ぶ。自分が隊長へ付いて行っているのは、そんな事の為では無いのだと。
「その通りだな、ロラン。―――だがよく考えてみろ。あれで名を高める事になったのは、果たしてジェド殿だけなのか?」
「え?」
 ロランは訝しげな顔をする。他に誰がいるのだという顔である。
「確かに今回の事で、ジェド殿の新たな一面を兵士達は知っただろう。だがそれよりも重要な事がある。―――そう、ジェド殿とユリア様の立場関係が、あれによりはっきりと変わったのだ」
「それは……どういう」ロランはぽかんと口を開けた。

 今までは英雄という冠を被ったジェドの前に、フィルラーンのユリアが跪いていた。それは明らかに英雄ジェドの方が立場が上だという事を、皆に知らしめていた。
 だが今回そのジェドが、目前にした敵よりもユリアを守る事を優先したのである。つまりは「戦女神」であるユリアがそれ程に重要な人物であると、英雄自身が新たに知らしめてくれたという訳なのだ。――――彼ら自身の本意は兎も角として、兵士達は潜在的な意識の中で、これらの事実をそう受け取るに違いなかった。
「これでジェド殿に心酔している兵士達も、自然とユリア様にも一目置く事になるだろう。名を高めたのは、ジェド殿より寧ろ、ユリア様の方なのだよ」
 にやりとクリユスは笑う。
 新たなボルテン兵が出現したあの時、勿論クリユスは直ぐ様に引き返そうとしたが、それと同時に先陣で戦っていたジェドが動いたのを見てとった。
 それはユリアを助けに戻ろうとしての行動であると、クリユスは即座に察知し、故に自身が引き返す事を止めたのだった。
 ロランはこれらの説明を聞き一応の納得はしてみせたものの、それでも尚すっきりとしない表情をしていた。
『ユリア様の騎士になり損ねて拗ねていたのか』という言葉を彼は否定してはいたが、恐らく心の底ではそういう想いもくすぶっていたに違いない。目の前のご褒美を欲しがる餓鬼だなと、クリユスは思った。

「それよりも、何故ボルテンがユリア様のいる陣営を狙ったのかが気になるな…」
 ロランに話し掛けるというよりは、独り言のようにクリユスは言った。
 ユリアを戦女神と崇めている事は、今現在ではフィードニアの、更には国王軍内部だけの話に過ぎぬ事であり、他国の耳に既に入っているとは少々考えにくい事なのである。
 先の戦いで確かにユリアは戦場に姿を現したが、そもそもフィルラーンが戦場にいること自体が有り得ぬ事なのだ。再びこの戦いへ同行しているとは、およそ考えつかぬ筈であった。
 フィルラーンとは、その存在がいなければ国は穢れ滅びるとさえ言われる、いわば国の宝なのだ。戦場などに連れ出し、万が一にもその命を危険に晒すような事など、あってはならぬ崇高な存在なのである。
 そう、もしクリユスが敵側の人間であったなら、フィルラーンが戦場に現れたなどという話自体信ずる気になれなかっただろう。せいぜい偽者をしたてあげた、敵側の何らかの作戦かと疑う位だ。
 ―――それ程の存在だからこそ、逆に彼女が戦場に同行している事が兵士達にとって、神が同行しているが如く効果的になるのである。
 ボルテンにはあの場にユリアが居た事など、想像だに出来なかった筈だった。だが実際は彼女の居る陣営を目掛け、ボルテン兵はつき進んだのだ。
「後陣から離れない護衛らしきフィードニア兵がいた事から、咄嗟に誰だか知れぬがそこに要人が居ると、ボルテンは読んだのでしょうか」
 ロランが言った。
「いや…先に現れたボルテン兵は、フィードニア本軍を後陣から引き離そうとしていたのだ。最初から狙いはユリア様の居た後陣だった可能性が高いな」
 少なくとも、そこに重要人物が居る事を、初めからボルテンは知っていたのだ。
「ロラン」
「は」
「フィードニアに―――しかも国王軍に連なる人物の中に、恐らく内通者がいるだろう。そいつを、何としてでも探し出せ」
 クリユスの言葉にロランは僅かに驚いた顔をしてみせ、次に眉間に皺を寄せた。
「フィードニア国王軍内に、内通者……そのせいでユリア様が危険な目に合われたのだとしたら、許せないな……」
 後半は撤収作業に勤しむフィードニア兵達を見ながら言った。ロランの瞳の中に、怒りのようなものが混じっている。
「承知しました。俺の命に変えてでも、見つけ出してみせます」
 クリユスに一礼を取ると、ロランは彼らの中へ混じるように、兵士達の―――仲間の元へ戻って行った。

 内通者はボルテンに通じているというよりは、恐らく連合国の中心であるコルヴァスかトルバと通じているのだろうと、クリユスは予測していた。
 だとするなら、今回のボルテンの動きはそちらからの指示であると思われるのだが、それにしては些か不可解であった。その戦い方が、あまりに稚拙なのだ。
 少数で攻め込んできたフィードニアを、これ幸いと大軍でもって叩きつぶそうとするでも無く、狙った後陣からさえも、ジェドが引き返しボルテンを蹴散らすと、粘ることもなくあっさりと引いて行ったのだ。
 偶然鉢合わせたと取れなくもない程度の兵士達で、だがこちらの動きを読み取っていると感じられる行動を、わざわざ取っているようにも見える。全く意味不明なのだ。敵の真意が読み取れず、不気味だった。
 ―――何としても、内通者を見つけ出さねば。
 このままではジェドをどうこうする前に、フィードニアが連合国に倒される事にも成りかねないとクリユスは思った。
 いつの間にか連合国の中心から、何か目に見えない糸が四方に張り巡らされているような、そんな気持ちの悪さを彼は感じ取っていた。












「最近ライナス様ってばご無沙汰だねぇ。戦場にでも行っているのかしら、ご無事だといいけれど」
 そうマリーは詰まらなそうに言った。
「さあ…フィルラーンのユリア様の護衛で、旧テナン領へ行くと言っていたが……」
「ユリア様……!」
 エルダの部屋でベットに転がり、上半身をだけを起こす格好で片手を頬に付けていたマリーが、それを聞きがばりと起き出した。
「お目に掛かった事は無いけれど、ユリア様って女神のように美しいひとだと聞くよ。……そんな方とこんなに長く旅をするだなんて……!」
 何か間違いでも起こったらどうしようと、一人おろおろとし始めるマリーを、エルダは呆れたように眺めた。
「フィルラーンに万が一でも手を出せる筈が無いだろう。それに別に一緒に旅をしている訳ではない、あの男は多くの護衛の中の一人に過ぎないのだ」
 事実をただ述べただけのつもりであるエルダの言葉に、マリーは楽しそうな表情をする。
「エルダはライナス様を信用しているんだねぇ……。ああ、そうだよね。ライナス様がエルダを裏切るなんて、そんな事ある筈ないよね。それにユリア様がどんなに美しい方であっても、エルダだってきっと負けていないんだから」
「そんな事を言っているのでは無いだろう……」
 裏切るとか、裏切らないとか。二人はそんな関係では無いのだ。ライナスがフィルラーンに手を出して成敗されたというのなら、寧ろエルダにとって好都合なのである。まあ、自分の手で殺す事が出来なかった事に幾分の悔しさは感じるかもしれないが。

 マリーの食事をライナスに渡してしまった日、詫びに外の飯屋で包んで貰った食事を持ち、彼女の部屋の扉を叩いた。詫びらしい言葉をきちんと口に出来なかったエルダではあったが、その意図を読み取ったマリーは素直に喜び、そして少し照れたように「あの時はちょっと食欲が無かったから、丁度良かったんだよ」と笑った。勿論それもエルダを気遣った言葉なのだと、今なら気付く事が出来る。
 それ以来、以前にも増してマリーは人懐っこくエルダに纏わりついて来るようになったが、しかし何故が前のようにそれを鬱陶しいとは思わなかった。
 勝手なマリーの思い込み癖も、聞き流していれば良いだけなのだ。
「友達か……」
 以前エルダに対して言ったマリーの言葉をふと思い出した。『あんたと友達になりたいんだ』と。口にしたつもりは無かったのだが、ぽつりと口に出していたらしく、マリーが「え?」とエルダに顔を向けた。
「何て言ったの?」
「………なん、何でも無い」
 エルダはしまったと顔を背けたが、マリーは逃してはくれなかった。ぎゅっとエルダの手を握ると、嬉しそうに、そして少しからかう様な顔をする。
「友達って言ったでしょ? 言ったわよね。それってあたしの事、友達だって言ってくれたの?」
「そんな事言ってない……!」
「嘘よ……!」
 あたし嬉しい、と抱きついて来たマリーを体から引き剥がしながら、エルダはその直情ぶりに困惑した。ライナスと言い、この国はこういう思い込みの激しい人間が多いのだろうか。
 このように好意を臆面も無くぶつけてこられる事に、彼女は慣れていないのだった。
「しつこいぞ。お前、そろそろ客が来始める時間だろう? もう自分の部屋へ帰れ」
「あん、もう照れ屋なんだから……!」
 マリーの背中を強引に押し部屋から追い出すと、エルダは溜息を付いた。―――誰が照れ屋だ。
 
 この国に来てから調子が狂う事だらけである。何故だか火照る顔を冷ます為、部屋に涼しい空気を入れ込もうと、エルダは窓に近づいた。そしてぎくりとする。
 窓枠の隙間に、小さな紙切れが挟まれていたのだ。
(いつの間に――――)
 動悸が早まる。読まなくともその紙切れの内容と、送り主は分かった。
「ベクト様……」
 手に取って見てみると、やはり予想したとおりの人物であった。柔和な老爺である外見とは裏腹に、トルバ国王軍の裏組織であり、今彼女が在籍している暗殺部隊の隊長、ベクト。
 その老爺からの呼び出しの手紙であった。

 ライナス暗殺に与えられた猶予期間が終わったのだ。
 エルダはがくりと床に膝を付くと、絶望感と共にその紙切れを強く握りしめた。









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