59: 嫉妬





 戦いが終わり休息するのも束の間に、次の出兵が決まった。防戦一方だった先の戦いに対し、今度はこちらから先手を打ち、攻め込もうということらしい。
 行く先はボルテンである。先の戦いでは追撃する余力を持たず、その前は陥落直前でフィードニアが攻撃に合い、引き返す羽目になっていた。これでボルテンとは三度目の攻防になるのだ。
 そして勿論のことながら、ユリアもこの戦いに同行することになった。ジェドは前回同様に出兵を拒否したが、今回は出兵する兵を極力少なくした奇襲作戦である為彼がいなければ成り立たず、クリユスの画策により王の命が直々に下されることになった。 故に不機嫌ながらも、彼も出兵しているのだった。

「もう少しで旧テナン領へ入ります。ボルテンへはそこから迂回し入りますので、今暫くご辛抱下さい」
 一人の兵士がユリアの乗る馬車に来て、そう彼女へ告げた。
『旧テナン・シエン地方にて清めの儀式を行なう為、その地へと移動するフィルラーンと、その護衛に就いている国王軍』という形を取り、ユリア達は旧テナン領を目指して進んでいた。
 そこでフィルラーンの目立つ馬車を乗り換え、本軍は一気にボルテンへ入る。また領兵軍は三つの部隊に分かれそれぞれが別の場所から進行し、ボルテンの王都へ近づいたところで本軍と合流する計画となっていた。
 先の戦いで多少は痛手を受けているであろうボルテンを、ここで一気に叩き潰すのである。
 今回は兵数は少ないとはいえ、ジェドを含めた少数精鋭の部隊である。フィードニア兵士達は前回の戦いとは打って変わって意気揚々としていた。
「そうですか………ありがとう。あなたの、名は?」
「―――――は?」
 それは予期せぬ問いであったのだろう。兵士は何を問われたのか分からないという表情をし、ユリアを見上げた。
「あなたの名はなんと言うのです」
「あ……わ、私はフランク・コーデルムと申します……!」
 驚いたようにそう言うと、フランクは頭を下げた。
「報告ごくろうさまです、フランク。また何かあったら教えて頂戴」
「あ。そ、そんな勿体無い。勿論の事です……!」
 彼は再び平伏すると、その場から立ち去って行った。ユリアはその背中を見ながら溜息を一つ吐く。先日行なわれた酒宴の席以来、何か胸がもやもやとして、気分が悪いのだった。
 そもそもあの宴席の事は思い出すも腹立たしかった。とっさに「戦女神」とやらを演じてみせたものの、ジェドが両脇に侍らしていた給仕女二人と同じようにユリアを扱ったあの男に、内心でははらわたが煮えくり返りそうな程に怒りを感じていたのだった。
 その事を考えると今でも怒りが沸き起こってくる。そこまで考えて、「そうか、このよく解らないもやもやは怒りが消化されていない為なのかもしれない」と、そう思い至った。
 フィードニア軍がジェドに頼らずにいられる軍隊になるまで、あとどれ程の時を要するのだろうか。ジェド一人が居るか居ないかで、こうも士気が変わる兵士達の様子を見ると、それは気が遠くなりそうな程に先の事であるように思える。
 だがその日が訪れるのを、そう悠長に待っている心境にはとてもなれなかった。一刻でも早く、ジェドが国王軍から立ち去る時を迎える為には―――その為に己が出来る事と言えば。
 そう、神の言葉をこの口で騙り、兵士達の目に神の虚像を見せるしかないのだ。







 フィードニア国王軍は更に二手に分かれ、夜陰に交りひっそりとボルテンに入り込んだ。そして内部で再び合流する。
「まだ姿は見えませんが、領兵軍との合流地点はもうすぐです。様子を窺うため先程斥候をやりました」
 ラオの部下である、第一小隊長アルマンがそう彼に告げた。
「そうか。今夜はここら辺りで夜営だな」
 あまり深部に近づいての夜営は敵にむざむざとこちらの侵攻を告げる事になる。火を使える夜営もこれが最後になるだろう。あとは干肉でもかじりながら、一気に王都まで駆けるのみだ。
 ラオはちらりと馬車へ目をやった。旧テナン領で乗り換えた、質素な馬車である。だが余計な装飾が無い分、頑丈でそれなりに速く走らせる事も出来るのだ。―――まあ、乗り心地がどうなのかは知らないが。
 男ばかりの軍隊であればこの強行軍も何とも思わないが、流石に女二人がついて来ているかと思うと、幾分か気に掛かる。どうしたってユリアを戦女神などとは思えないラオにとっては、完全に戦いに集中できない分(いささ)か足手纏いとも思えるのだ。
 ――――いや、もしかしたらここに居るのがユリアだけであったなら、己の信念でここに来ているのだからこれくらい耐えるだろうと、左程気には留めなかったかもしれない。本来軍人気質の彼は、戦いに参加しようとする者には基本的に厳しかった。そう、つまりはユリアがどうこうというよりも、己でも情けない事に、ここにダーナがついて来ているからこそ、これ程までに気に掛かるのだ。
 前の戦いでは己が共に出兵出来ず、近くで守ってやる事が出来ないと気を揉んだが、共に出兵していればいたで何かと気苦労が絶えないものらしい。クリユスはよく平気な顔をしているものだと、ラオは思った。
 
 ライナスの指示により、やはりこの場で夜営の準備が進められることになった。他の兵士達と共に天幕を張り、ついでにユリア達の様子を見に行くと、彼女の為に天幕を張ってやっている兵士の一人が、ダーナに話しかけていた。ユリアには恐れ多くて滅多な事は話しかけられないが、ダーナなら気安く話しかけられるという事なのだろう。
 勿論ダーナもフィルラーンの世話役という役職上、決して身分が低いものでは無いのだが、そこは誰に対しても分け隔てなく笑顔で接する彼女に、兵士達はそれを忘れ、親近感を抱くようなのである。
 つまりは、ダーナに男共が群がるのだ。気苦労とはつまり、こういう事も含めて、である。
「おい、いつまで無駄話をしているつもりだ、さっさと持ち場へ戻れ…!」
「あ、はい。申し訳ありません……!」
 叱責され慌てて持ち場へ戻る男の背を見ながら、ラオは思わず舌打ちをした。あの兵士はクリユスの第二弓騎馬中隊の兵士じゃないか。全く上官が上官なら部下も部下だ。
「まあ…あの方を怒らないで下さいませ。疲れに効くという野草を教えて頂いていたのです。ユリア様にお出ししようと思っていたのに……」
 まだその薬草の食し方を聞いていないと、ダーナは幾分ふくれっ面になる。そんなもの、ただお前に話しかける為の口実じゃないかと、ラオは内心苛立った。
 どいつもこいつも、ユリアの為にと言えばダーナが喜ぶ事を知っている。
 彼女に気安く話しかける男共に、いっそ「こいつは俺の女なんだ」と怒鳴りつける事が出来れば気が晴れようものだが、それをダーナは許してはくれなかった。それは他の誰でも無い、ユリアにこの事を秘密にする為である。
「ユリア様の世話役であり続ける為に、私とラオ様が、その……本当の意味で結ばれる事が無いのだと知ったら、ユリア様はきっとお苦しみになるでしょう。これ以上ユリア様に心労をお掛けする訳には参りません」
 そうきっぱりと言うダーナに、ではこの俺の心労は良いのかなどと女々しい事を言う訳にもいかず。ラオはただ彼女の言い分に「分かった」と頷く事しか出来なかったのだった。
「ダーナ様、今そこでこれを見つけたのですが」
 一人不貞腐れているラオの前で、性懲りも無くまた別の兵士が、小さな花を片手にいそいそとダーナに話しかける。
「………馬鹿野郎、何が花だ。戦場に出てきて浮ついた事をぬかしてるんじゃねえ……!」
 思わずその男の首根っこを掴み、地面へ放り投げた。
「わあっ…! た、隊長……済みません……!」
 転がされた男は鬼気迫るラオの怒りに、青ざめながら頭を下げた。戦いを前に緊張感が足りませんでしたと、ラオのただ嫉妬から出ただけの言葉を、素直に受け止め反省する部下に、彼は幾分の罪悪感を感じた。
「ああ……いや………わ、分かれば良いのだ」
 適当に言葉を濁すと、ラオは逃げるようにその場を離れる。己の無様な姿をこれ以上(さら)したくはなかった。
(――――馬鹿野郎はこの俺だ。戦場に来て女に現をぬかしているのは、この俺自身ではないか)
 こんな浮ついた心でいて、あのジェドの背中に付いて行ける筈が無いではないか。今は戦いのみに集中するべき時なのだ。それをこうまで掻き乱されるとは、つくづく己が情けない。鍛錬が足らぬ証拠だ。

「いや全く、お前のそんな姿を見られるとは思わなかった。戦馬鹿も恋には盲目になるものなのだね」
 ラオが己を戒めていると、からかうような声が彼の背中へ投げかけられた。今はあまり聞きたくなかった男の声である。
 心底楽しそうに笑う親友の、この腹立たしい笑顔を殴り飛ばしてやりたいと、己は今までに何度思った事だろうか。
「五月蠅いぞ、クリユス。そもそもお前がユリアを戦場なんぞに連れ出すからこんな事に―――」そこまで言って、ラオははっとする。
「…………分かったぞ。お前、フィルラーンであるユリアに兵士達が言い寄る筈が無い事が分かっているから、そんな余裕な顔をしているんだろう。………変わりにダーナを狼の群れに放り込んだという訳か」
「おいおい」
 あまりなラオの主張に、流石にクリユスも眉を顰める。
「確かにフィルラーンに手を出せる男など、いる筈が無いと思ってはいるけれどね。だがダーナ嬢がユリア様と共に戦場へ来た事は、俺が画策したことではなく、彼女の意思ではないか。お前が思うように彼女を口説けないからといって、この俺に当たらないで貰いたいものだな」
 クリユスは肩を竦めると、これ見よがしに溜息を一つ吐いてみせた。人を馬鹿にしたようなその態度に、ラオの苛立ちは更に増した。
「ダーナの性格ならば、ユリアが戦場へ行くなら自分も共にと思うだろう。それ位見抜けないお前では無いだろうが。ひょっとすると、万が一の時はダーナが犠牲になってくれるとでも思っているんじゃないのか」
「――――いい加減にしておけよ、ラオ」
 挑発するようなラオの言葉に、クリユスの菫色の瞳に怒りが交った。
「まるで俺がダーナ嬢をユリア様の身代わりとして扱っているかのような物言いではないか。そんな汚名を受けるのはこのクリユスにとって、何よりも酷い屈辱だ。この俺が女性に対しそのような卑劣な行為をするなど、美の神フィリージュに誓ってありえない」
「何が美の神に誓ってだ。お前は目的の為ならどこまでも卑劣になれる、そういう男だろうが……!」
 言いながら、ラオは己の苛立ちのままにクリユスに殴りかかった。それをひらりと避けると、クリユスは首を横に振る。
「話にならないな。盲目さも過ぎれば愚かしいぞ、ラオ。―――――いいだろう、相手をしてやろうではないか」
 クリユスは腰に佩いた剣を鞘ごと地面に放ると、身軽になった身体で拳を握り、臨戦態勢を取った。
「ぬかしやがれ……!」
 ラオが振るった拳を再び避けると、クリユスは体制を低くし彼の足を蹴り崩す。耐えきれずに地面に尻餅をついたラオにそのまま掴みかかろうとし、だが逆にその手をラオは捕らえると、その身体を投げ飛ばした。
「ちょっと……隊長、何をやってるんですか……!」
 慌てて止めに来たそれぞれの部下であるアルマンとロランをついでに殴り飛ばし、ラオはクリユスの腹に一撃を入れた。その衝撃に彼はがくりと膝をつく。
「ぐ……こ…の、馬鹿力が……!」
 腹を抱え咳き込むクリユスに更に容赦なく殴りかかろうとすると、クリユスが直前で身体を捻り、足蹴りをラオの顔面に喰らわせた。強烈な蹴りに、流石の巨体も弾き飛ばされる。
「この、野郎……!」
 二人が立ち上がり、再び相対した、その時―――。
 斥候に出ていた兵士の叫ぶ声が、辺りに響いた。

「申し上げます……! 国王軍本体と領兵軍との間に、突如ボルテン兵が現れました……!」
「なんだと……!」
 ざわりと兵士達が声を上げ、ラオとクリユスは顔を見合わせる。
「――――だそうだ。一時休戦だな」
「仕方が無いな。――――気は済んだか、この馬鹿力」
 痛そうに腹を擦ると、クリユスはにやりと笑う。
「すっきりしたさ。―――女の事で腐るのはここまでだ。ここから先は、戦いの事しか考えん」
「戦馬鹿にはそれが似合っているな」
 殴り合って鬱憤を晴らしたラオに、クリユスは迷惑そうな顔をする。解っていてそれに付き合うこいつもこいつだと、ラオは豪快に笑った。









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