58: 対立





戦いが終わり、帰還した兵士達に酒が振る舞われる事になった。
 無論一応の勝ち戦とはいえ、他国を落とすことが出来た訳でも無く、敵の侵攻を何とか防ぐ事が出来たという位の事であるから、戦勝の祝いと言うよりは労いの酒である。
 それでも兵士達にとっては無事こうして帰還することが出来たのだから、喜びの酒には違いなかった。
 それに何より、今回のこの酒の席にはユリア様が顔を出されるらしい―――そんな噂が兵士達を余計に浮かれさせているのだった。
 戦いにユリアが同行していたのだから、この酒宴にも参加するだろうと言うのもあるが、普段なら兵舎で酒が配られる位のものであるのに、今回は城の広間が彼らに開放されているというのもまた、その信憑性を増しているのであろう。
 ユリアがここへ来るのか来ないのか。それをクリユスは勿論知っていたが、期待感を煽るのも悪くは無いので黙っているのだった。
「飲んでおられますかな、クリユス殿」
 声を掛けてきたのはハロルドだった。先程から見ていると、まだ宵の口だというのに既に随分酒が進んでいるようだったが、それでも幾分か声に陽気さが混じる程度で、足腰もしっかりしており口調も真っ当なものである。余程の酒豪であるらしい。
「これはハロルド殿。今回の戦いでの目覚しい活躍ぶり、このクリユス感服致しましたよ」
「なにを、たまたまです」ハロルドは口の端を吊り上げた。
「ユリア様に良いところを見せようと、あの時私の部下たちが血気づいたのはいいが、勢いが空振りし両軍が揉み合う塊の中から弾き飛ばされましてね。そこで隊を少し迂回させ無理矢理に何とか捩じ込ませてみたら、そこが敵の主力部隊の横っ腹だったと、まあそんな所でして」
 運が良かったのですと謙遜して言うが、その運を切り開いたのもまた己であると確信している光の強さが、その眼の中にはあった。こういう眼が、クリユスは嫌いでは無かった。

 もしシエン国が未だ存続していたならば、恐らくそう遠くない未来に、彼はシエン国王軍でハロルドという名を轟かせる事になっていただろう。そしてそうなっていたら、間違い無くジェドが狙う首の一つに入ることになり、つまりはフィードニアとの戦いの折に、確実にその命を終える事になっていたのだ。
 逆にもう少し戦いが早く起こっていれば、誰の目にもその存在は止まらず、彼は一生腐ったまま国境警備の任に就いていたかもしれない。
 正に紙一重の運をハロルドという男は掴み取ったのだと、クリユスにはそう思えた。いや、そういう運を掴み取る事の出来る男だからこそ、覇者の器を持っていると言えるのかもしれない。
 ハロルドが中隊長の座に何時までも大人しく甘んじているような男では無いと、クリユスは確信していた。そんな野心を秘めた眼を読み取ったからこそ、クリユスは彼をフィードニア国王軍へ招き入れたのだ。
いずれにしても、あなたはこの戦いで活躍してみせた。これで旧シエン兵を煙たく思う兵士達の風向きも、少しは変わる事でしょう」
「そうですな。まあ、今の所我らを認める者と、頑として認めぬ者は半々と言った所ですかな。それでも少しは良い方向に行っている。私を推薦して頂いたクリユス殿と、そしてユリア様にこれで少しは顔向けが出来るというものです」
 そういうと、ハロルドは再び宴席の中へ戻って行った。

 確かにハロルドは今回見事活躍して見せた。だが王都へ戻ってみれば、スリアナ軍のエルウンゴン山越えと、それを見事に読み当て撃退してみせたジェドへの賞賛に、すっかり話題は塗り替えられてしまったのだ。内心は面白くないと思っている筈である。
 クリユスにしてみても、ジェドの活躍によりユリアの影が薄くなるという事実に一度は腹立ちもしたが、一方でハロルドのようにジェドに対し憤懣を抱く者が出てくれば、それはそれで悪くない結果であるともいえた。
 既に起こってしまった出来事は仕方がない。だがこれ以上の勝手な行動は謹んで貰わねばならぬのだ。
 さて、とはいえ獣の神をどう御するべきか―――。

 クリユスが宴席の場を見渡すと、兵士達が盛り上がる輪から少し外れた場所に座り、二人の女性に囲まれ酒を飲むジェドの姿を発見した。中々の美姫達に給仕を受けているというのに、その顔は何が不満なのか、いかにもつまらなそうである。
「ジェド殿、私もご一緒させて頂いても宜しいですか」
 話しかけるクリユスをちらりと見ただけで、あとは無言のままのジェドの態度を、クリユスは勝手に肯定と解釈し彼の斜め向かいに座った。
 手前に居る女性が愛想良くグラスに酒を注ぎ、クリユスに差し出しす。それを受け取ると彼も笑顔を返した。
「このように美しい姫君達を独占しているというのに、そのようにつまらなそうな顔をするとは、罪深い方ですね」
「ふん、連れていきたければ連れて行くがいい」
 興味が無さそうにそう答えるジェドに、クリユスは苦笑した。この男にとってはこれ程に美しい女性も空気と同じなのか。この世に女性という存在以上の関心事などあるまいと、真剣にそう考えているクリユスにとっては、何とも理解し難い男である。
「ところでジェド殿、エルウンゴン山でスリアナ軍の侵攻を見事食い止められたそうですね。流石ケヴェル神とも称されるお方です。―――しかしスリアナの動きを見破られたのなら、我らにもそうお教え願いたかったものです」
 勝手な動きをされては困るのだと、クリユスは口の端に滲ませた。いささか挑発的なこの言葉に、だがジェドは眉ひとつ動かさない。
「見破った訳では無い。俺が連合国軍側ならフィードニア軍の大半が出払っていたあの時、奇襲をしかけるには好機だと思っただけだ。だがそもそもお前達にそれを言ったとして、フィードニアに本当にあるかも分からぬ襲撃に割く兵があったとも思えんな」
「それは………」
 確かにその通りである。先のボルテン・グイザード連合国軍との戦いでは、ぎりぎりの所で何とか勝利する事が出来たのだ。あれ以下の兵力では恐らく敗退することになっていただろう。
 かたやエルウンゴン山を越える道ならば、大軍で渡って来るという事は困難である筈だ。例えそれが可能だったとしても、そもそも大軍を引き連れ目立ってしまっては奇襲の意味が無いのだから、やはり最小限に抑えた兵力での侵攻であると考えられる。つまりはジェドにとって第三騎馬中隊が残っていれば十分撃退出来る戦いだったのだ。
「しかし…ならば勝手に行動を取られて良いと言うものでもありません。皆が同じように勝手に振る舞えば、軍の統制というものが破綻してしまいます。それは総指揮官殿とて同じ事、思う事があるのならば軍法会議でそれを話してからにして頂きたい」
「煩い男だな、お前は。ライナスは俺のやることに一々文句など言っては来ないぞ」
 言いながらジェドは眉間に皺を寄せたが、だが言葉とは裏腹に少しばかりその眼の中には愉悦の色が混ざっているように、クリユスには感じられた。

 その時、にわかに宴席の場がざわつき、兵士達の視線が一点に集まった。クリユスが振り返ると、そこには着飾った姿でこの宴席に現れ、皆に向かい軽くお辞儀をしているユリアがいた。
 普段宝飾品をあまり好んで身につけない彼女ではあるが、今日は額や首、手首など、様々な所を華美な宝石が彩っている。そしてどうやら化粧も施しているようであった。
「高価な宝飾品は身に付けている人間までも高貴であると、見る者に錯覚を与えるものです」とダーナを巻き込み彼女を説得したことが、どうやら功を奏したようである。
 ユリアが動くたびに、身に付けた宝石が揺らめく姿はどこか神々しく、まるで美麗な絵画を見るようだった。
 暫くの間その姿に見惚れていたクリユスは、それはただ単に己が彼女のこの姿を見たかっただけに過ぎない説得であった事を、自覚してもいた。
「これはユリア様。貴女のあまりの美しさに、このクリユス眩暈さえ覚える程です。これでは美の神フィリージュでさえ貴女の前では霞んでしまうに違いありません」
 ユリアの前へ行くと、クリユスは右手を胸に当て、彼女に向い深々と頭を下げる。そんな彼にユリアは苦笑し「お前の所為で肩が凝りそうだ」と小さく呟いた。
「――――ユリア様、ご気分が優れませんか?」
「こんな重いものをあちこちに付けさせられて、優れるものか」
「いえ、そうでは無く……」
 軽口を言うユリアの表情はどこか固く、幾分顔色が悪いようにクリユスには見えた。
 そう彼女に問おうとした時、ユリアの名を呼ぶ声が飛んだ。そう、英雄の声だ。

 ジェドは空のグラスをユリアに向け突き出した。
「な―――――」
 皆の前で、こともあろうに彼女に酒を注げと言っているのか。
「お待ち下さいジェド殿。それはユリア様に対し余りに無礼ではありませんか」
 頭を殴られたような衝撃と今すぐに剣を抜き彼に切りかかりたい程の怒りを抑え、クリユスは何とかその言葉を搾り出す。この男はフィルラーンである彼女をいったい何だと思っているのだ。
「無礼だと? お前こそこの俺を誰だと思っている。例えフィルラーンであろうと、この俺に逆らう理由には成りえぬのだ」
「恐れながらそれは先の戦い以前の話でありましょう。既にユリア様はただフィルラーンであるというだけでは無く、今やフィードニアの戦女神であらせられるのです。 例えこの国の英雄であろうと、彼女を跪かせる訳には参りません」
 真っ向から英雄の目を見詰め言い放つクリユスを、ジェドは鼻で笑った。
「戦女神だと? そんな戯言知った事か。―――もういい。貴様になど用は無い、引っこんでいろ」
 五月蠅い虫を追い払うような仕草で手を振ると、ジェドは再びユリアの名を呼んだ。
「―――ユリア、早く俺に酒を注げ」
 有無を言わせぬ口調に、ユリアの身体がぴくりと動く。
「ユリア様、貴女がそのような事をなさる必要はありません……!」
 半ば怒鳴るようにクリユスは言った。
「貴様、死にたいのか」
 あくまで邪魔をしようとするクリユスを、じろりとジェドが睨みつけた。その眼光の強さは、思わず後ずさりしたくなる程の威圧感を持っている。知らずのうちに汗が滲み出てきたが、だがここで引く訳には行かなかった。
 皆の前でジェドに酒を注ぐと言う事は、誰の目から見てもユリアよりもジェドの方が立場が上なのだと、そのように映るに違いなかった。戦女神は軍神の従属であると皆に知らしめてしまう事になるのだ。それではわざわざ彼女を戦女神などに祀り上げた意味が無いではないか。
「この私を殺すと言われるか。―――これは異な事を仰る。腹が立ったという理由で自軍の兵士を切り捨てては、英雄の名が落ちようものです。けれどそれでも宜しければ、どうぞお切りになるが良いでしょう」
 クリユスは顔に笑みを浮かべ―――だがその眼は挑戦的に、ジェドに言い放つ。
 ここで言葉の通りに殺されたとしても、それはそれで構わなかった。わざわざ声を荒立てたのは、兵士達の注目を集める為である。戦女神であるフィルラーンの少女を庇おうとした兵士を、無下にも切り捨てた暴君という構図を兵士達に植え付ける事が出来るのなら、己の死も無意味では無い。
「この俺に楯突くとは面白い男だ。―――――だが、気に入らんな」
 ジェドはゆっくりと立ち上がると、腰に佩く剣に手をやった。
「覚えておけ、英雄の名などいつ捨て去っても惜しくは無い。―――そんなものでこの俺を御す事など出来ぬと」
 薄く笑う、目の前に立つこの男から放たれる覇気に、クリユスは思わず膝をつく。比喩などではなく、本当にケヴェル神を目前にしているような錯覚に、彼は囚われた。

「―――――――もう良い」
 その空気を壊すように、凛とした声が響く。
「たかだか酒を注ぐかどうかの話で、何故切り捨てるなどという話になるのです。このような宴の席で無粋極まりない。それ程に力が余っていると言うのなら、我らがフィードニアの為、次の戦いでお使いなさい」
 それはユリアの声であって、だが今までのユリアとは違う気高さがあった。
「今日 (わたくし)達がこうして宴を楽しむ事が出来るのも、全て神が我らに与えたもうた祝福に他なりません。皆それに感謝するのです。さすれば次なる戦いでも、きっと――――神は、我らを見守って下さるでしょう」
 そう、ユリアは神を演じているのだ。
 クリユスはユリアの前に跪いた。ハロルドを筆頭に、他の兵士達もその場に跪く。
「―――何の真似だ、それは。神の真似ごとでもしているつもりか?」
 唯一その場に立ちあがったままのジェドが、嘲るような声をだした。
 ユリアはドレスの裾を持ち上げ軽く会釈をすると、小さく微笑みを作る。
「酒を注げと言われるのなら、幾らでも注ぎましょう。あなたにも神のご加護があらんことを」
 それはまるで女神が英雄へ祝福を与えているかのような光景だった。――――しかしこの宗教画のごとく見える光景の内側では、既に静かなる戦いが始まっているのだ。









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