47: 片翼の印2





「ユーグ…!」
 返事を待つのももどかしく、ノックするのとほぼ同時にアレクは扉を開けた。その行動に、部屋の主であるユーグは顰め面になる。
「若、扉を開ける前にノックをするのは基本的な礼儀ですよ。親しき中にも礼儀ありという言葉もあるように……」
「ああ、分かった分かった説教は後で聞く。―――それよりお前、ちょっと服を脱げ」
「――――――は?」
 ユーグはぽかんと目を見開くと―――実際は目に分かるほどその細目が開かれていた訳では無いので、これは主観ではあるが―――何を言っているのか分からないというような顔をした。
「いいから脱げよ、お前の背中に痣があるかどうか確認したいだけだ」
「痣? 何なんです?」
 説明を要求するユーグに焦れたアレクは、問答無用で彼を蹴り倒した。十分な説明を受け、納得しなければ行動しようとしないのは、ユーグの癖である。
 だが背中に痣が無かった時の事を考えると、わざわざ「お前の実の祖父が見つかるかも知れない」などと下手に期待をさせておいて、やはり勘違いだったなどと言える訳がないのだ。しかも痣など無い可能性の方が高いのである。
 ゆえにアレクは強行手段にでたのだった。
「ちょっと…なんの冗談ですか、止めてください……!」
 蹴り倒したユーグの上に馬乗りになり、アレクは無理矢理服をひっぺがす。この期に及んでまだじたばたと抵抗するユーグが無性に腹立たしい。
「この野郎、大人しくしろっての…!」
 何が悲しくてこの俺が、抵抗する男の服を無理矢理脱がさないといけないんだ。相手が女ならともかく、男二人でのこの光景は、我ながら寒気がした。

「――――――あ……」
 肩まで服を捲り上げ、アレクは手を止めた。左の肩甲骨の上に、探していたそれ(・・)はあった。
 鳥の翼に似た、三角形の痣―――『片翼の印』だ。
「はは、本当かよ……本当に、ありやんの」
「何なんですか、若……?」
 床に座り込み力無く笑うアレクに、やっと解放されたユーグが再び問うた。困惑したこいつの顔が今に喜びに変わる様を想像し、アレクはたまらなく楽しくなる。
「――――おい、俺に感謝しろよ、ユーグ。お前のじーさんを見つけてやったよ」
「じーさん……私の。 え……何を言って……。どういう事です?」
 ユーグは更に困惑した表情になる。―――なんて物分かりの悪い奴なんだ。
 血を分けた肉親など、既にいない身だと思っていたのだから無理は無いのだが、早くこの男を喜ばせたくて堪らないアレクは、思わず舌打ちした。
「お前の、血を分けた実のじーさんが生きてたんだよ…! それを俺が見つけてやったんだ、喜べ!」

 十七年前、あの老爺とその息子夫婦は、今にも滅びそうなフィードニアに見切りをつけ、大国トルバへ亡命しようとしたのだという。
 だがトルバへ行くためには、当時戦況の激しかったフィードニア周辺の国々を通らねばならず、その折に老爺は息子夫婦と離れ離れになってしまったのだった。
 何とか老爺一人はトルバへ行きつく事が出来たものの、息子夫婦とその孫の行方は知れず。十年後にフィードニアの戦況が安定し、国が持ち直して来た所でやっと帰国し家族の行方を捜してみれば、得た情報は無残にも息子夫婦の死の知らせだったのだそうだ。
 それでも救いは僅かにあった。確認出来たのは息子夫婦の死だけであり、孫の死は確認していない。ならば生きている可能性も十分にあるのだ。
 老爺は孫の生を信じ、情報の集まりやすい王都へ居を構え、孫の行方を探し始めたのだった。手がかりは名と年齢と、背中の痣のみである。
「――――それがお前ってわけだ、ユーグ」
 アレクは老爺に聞かされた身の上話を、ユーグに語って聞かせた。語りながら己自身が興奮してくるのをアレクは感じていた。
 ユーグをそれ程までに必死で探していた人間が居たのだ。それがアレクは嬉しかった。孤児と言っても、見捨てられた存在では無かったのだ。
 それが分かったユーグはどれだけ喜ぶだろうか。珍しく興奮したり、取り乱したりするのかもしれないとも思った。
 だがユーグはそんなアレクの期待とは裏腹に、話を聞くうちに次第に冷静さを取り戻していく。
「―――――そうですか、私の祖父を騙る者がおりましたか」
 話を聞き終わり、最初に喋った言葉はそれだった。
「騙るって―――何言ってんだよ」
「私が国王軍に入ったとたんに生き別れの祖父が名乗りを上げるだなんて、随分都合の良い話が有ったものです。アレク様、この戦乱の折、敵国はどのような手を使ってでも、フィードニアの情報を手に入れようとするでしょう。そう、例えば貴方のように簡単に情にほだされる人間を利用したりするのです」
 ハーディロン家の後継ぎとして、あなたはもっと思慮深くならねばなりませんと、説教が続く。
「うるせえな、そんな事俺だって分かってんだよ。そんな都合のいい話あるもんかと、俺だって最初は思ったさ。けどお前の背中にそんな痣があるなんて、俺だって知らなかった事をあのじーさんは言い当てたんだぜ?」
「そんな事どうとだって調べられますよ。別に私は深窓の令嬢である訳でも無いのですから、人前で服を脱いだ事くらい何度でもあるでしょう」
 溜息を吐くユーグに、アレクは腹が立った。喜ぶとばかり思っていた老爺の話を否定され、それどころか浅はかだと説教をくらうとは。何なんだ全く、嫌な奴だ。

 だがそれよりも、あの柔和で人の良さそうな顔をしたじーさんの事を、会ってもいないくせにただ詐欺師呼ばわりする事が許せなかった。
 こいつはじーさんに掴まれたあの腕の力強さを、その真剣な眼差しを知らない。あの必死な形相を知らない。だからそんな事が言えるのだ。
 それに何より、血の繋がりを疑いようも無い程、二人はよく似ていた。ユーグの痣を調べる事が出来ても、あそこまで似た人間を用意する事なんて困難である筈だ。
「いいから会いに行けよ。会ってじーさんが敵国の諜報員なのかどうか、その目で確認してくればいいじゃないか…!」
「その必要はありません。私は肉親などという存在には縁が無いものだと思っております。今更そのようなものなど望んではおりませんから」
 ユーグは冷たくも思える口調で、そう言い放った。
 だがユーグが、いつも家族に囲まれて過ごしていたアレクを、時折淋しそうな目で見ていたことを知っている。アレクが気にしないよう、そんなそぶりを見せないようにはしていたが、心の中では誰より家族というものを欲していたに違いないのだ。
「お前は怖いんだろう。軍の為だとか正論ぶった理由を付けて、だが本当は心を許してしまったあとで、万が一じーさんに裏切られたらと思うと怖いんだ」
「アレク様」
 ユーグは簡単に色々なものを諦めてしまう癖がある。この世に自分が望んで得られるものなど無いと考えているかのような、その態度がアレクには許せなかった。
 フィードニア国王軍に入り、小隊長というアレクと同等の立場になったユーグが、だが今だに臣下という立場を崩さない事もそうだ。折角自由になれる機会を自ら潰すこいつが、腹立たしくてならなかった。
「有りもしない罠に怯えて掴みとれるかもしれない幸福を放棄するなんて、大馬鹿だ。お前、もっと自分の幸せに貪欲になれよ……!」
 なかば怒鳴りながら言うアレクに、ユーグは小さく笑った。
「そうですね。若の仰る通り、私は怖いのです。小さな希望など初めから持たなければ傷付かないと、そう幼い頃に学んだ事を簡単には捨て去れません。……ですが若は少々勘違いなされている」
「何だよ」
「私の為にそのように、怒ったり喜んだりしてくれる貴方にお仕えしている今の私は、十分幸せだという事です」
 細い目を更に細くし、ユーグはそう笑った。









 ‘ライナスの女’を探して、二人の男が訪ねてきたと、マリーが言った。
「自分達もフィードニア国王軍の者だと名乗ってはいたけれど、本当にそうなのかは分からないわ。でも大丈夫、エルダが店に渡してるお金が効いているのか、あんたの事をばらすつもりは店にもないみたい。まあ、ばらそうとしてたらこのあたしが殴り倒してやったけどね」
 マリーは得意げに、己の胸を叩いてみせた。
「別に私は追われている訳では無い」
 この自分を探す者などありはしないというのに、ばらすも何も無いものだ。恐らくその二人の男も、本当にフィードニア国王軍の人間で、‘ライナスの女’というものにただ好奇心で会いに来たのだろう。あのふざけた男の部下に似付かわしい者達ではないか。
「でもここまで嗅ぎつけるだなんて、敵もあなどれないわね。けど安心して、あたしが絶対に守ってあげる」
 マリーはやや頬を紅潮させ、喜々とした瞳でエルダの手を握りしめる。すっかり夢物語の登場人物になりきっていた。
 ―――相変わらず人の話を聞かない女だ。
「もういいから、放っておいてくれないか。私は一人でいたいんだ」
 マリーの手を振り払うと、エルダは彼女から背を向ける。部屋を出て行ってくれと、無言で促した。
「ああ、そうだよね。折角久しぶりのライナス様との逢瀬の後なのだから、一人で余韻に浸っていたいよね」
「誰がそんな事を……!」
 勝手な妄想をいつまで続けるつもりなのか。思わず枕を掴み上げ投げつけようとした時、マリーの腹の虫が鳴った。
「あ…やだ、あたしったら喰い意地が張ってるもんだからさ。じゃあ、そろそろ退散するよ」
 恥ずかしそうにぺろりと舌を出すと、マリーはようやく扉へ手を伸ばした。だが直ぐにはそれを開かず、再びこちらへ振り返る。
「ねえ、本気だよ。あたしはあんたの味方だからね。―――あたしあんたと友達になりたいんだ」
 そう言うと、照れたようにえへへと笑い、マリーは扉の向こうへ消えた。
「友達………」
 何を突然言い出したのか、とっさにエルダには理解出来なかった。
 今まで軍隊という男ばかりの社会の中で生きてきて、自分の女になれと言われた事は幾度も有りはしたが、そのような事を言われたのは初めてだった。
 勿論他の兵士達と友情を育もうなどと思ったことなど、エルダ自身一度も無かった。女である己が一人の軍人として認められるには、そんなものに関わっている余裕など無かったのだ。寧ろ周りの人間は全て己の敵だとさえ思っていた。
 今もそれは左程変わってはいない。マリーに対して少しでも心を許すそぶりなど取っていない筈だった。なのにそんな自分と‘友達’になりたいとは、どういう心境なのか。
 人をどこぞの国の姫と盲目的に思い込んだり、全く変な女である。

 よく解らない女の事をいくら考えていても無駄であろうと判断したエルダは、思考を停止する事にした。手に持っていた枕をベットへ戻そうと振り返る。すると、何か固いものが足に当たった。
「スプーンか…」
 エルダはそのスプーンを拾い上げる。ライナスが訪ねて来た為、マリーに持たされここに運んだ食事の時の物だ。食器を下げる時に落としてしまったのだろう。
 ふと、腹の虫を鳴らしたマリーを思い出す。
 ――――そういえば、ライナスに運んだ食事は誰のものだったのか。
 よくよく考えてみれば、食事はいつも人数分しか作っていない筈だった。いつも最後に食事に行くエルダは、毎回最後の一皿のスープを食していたのであり、それが余っていた所を見た事は無かった。
 あの時丁度都合良く余分に用意されていたとは考えにくい。それはつまり、残された食事はエルダと、マリーのものだった訳で―――。
「あの、馬鹿」
 腹が減って当然である。マリーの食事をライナスに渡してしまっていたのだから。
 あの男に食事を出してやる必要など全く無かったというのに、余計な真似をする。勝手な妄想で勝手に気を使い、勝手に人の世話を焼く。なんて馬鹿な女なのだろうか。
 エルダは己の頬を、両手でぴしゃりと叩いた。
「―――――馬鹿は私だ……」
 何故あの場でそこまで思い至らず、食べるかどうかも分からぬ男へ食事を運んでやったのか。それは己が周りの事など考えていなかったからだ。周りの人間を気遣うという事など、思い付きもしなかったからだ。
 それは余りに人として恥ずかしい事のように思えた。

 一言謝りに行かなくては。侘びと、ライナスの事は勘違いとはいえ、一応エルダの為に食事を譲ってくれたのだから、礼も言うべきか。
(しかし、何と言えばいいのだろう)
 今まで自分は他人に詫びたり礼を言ったりした事が、あまり無かったのだという事実にエルダは気付く。どう考えても、素直にマリーに謝る自分というものが、想像出来なかった。
 彼女は暫く悩んだ後、何か別に食べるものを買って来ようという結論に達したのだった。









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