45: 余所者達





 元シエン国領兵軍士であるハロルドは、同じく元シエン兵士を約一個中隊(約一千人)程引き連れフィードニアへ登城した。
 このような数の入軍など聞いておらぬと開門を渋るフィードニア兵士に、己が連れてきた兵士達のうち一兵たりとも欠ける事無く受け入れる事が出来ぬというなら、己の国王軍入軍も無いと言い放ち、更にはこの兵士達を従える事が出来るのは己しか無しと豪語して、まんまとフィードニア国王軍中隊長の座をもぎ取ったのだった。
 何とも狡猾な男である。

「何を仰るか、貴方ほど狡猾な男などおりはしませぬよ。それくらいやる男だと思ったからわざわざ説き伏せ入軍させたのでしょう」
 バルドゥルが己の顎鬚を撫で付けながら言った。
「この俺が狡猾とは心外だな。だがまあ、確かに野心を持つ男だとは思っていたがね。ユリア様に頭を下げさせたのだ、それに見合う働きはして貰わねばならん。――――おや、噂をすれば何とやらだな」
 例のごとく兵舎の食堂で不味い飯を食していたクリユスは、手にしたスプーンで入り口を指し示した。
 その先には噂の主、ハロルドが立っている。

「これはクリユス殿、貴殿とは一度酒でも飲みたいと思っていたのですよ。ご一緒して宜しいかな」
「それは光栄ですね。勿論ですハロルド殿」
 クリユスはにこりと笑ってみせる。
「辺境の地で腐っていたこの俺を国王軍へ誘って頂き、貴殿には感謝しているのです。それにユリア様にも……。期待に沿えるような働きをしてみせねばなりませんな」
「何を、既に一個中隊もの兵士を我が軍へもたらしている。 この先も元シエン兵やテナン兵士達を纏めていって頂きたいものです」
 ユリアに対する信仰心は確かに根付いている筈だが、それはそれとして己が置かれた状況をしっかり利用もする。面白い男だ。
「そうそう、先日ユリア様が俺の第七中隊をねぎらいに、わざわざ訓練場へ足を運んで下さった。俺もそうだが、部下達がいたく感激しておりましたよ」
「ほう…そうですか」
 そんな事は知っていた。いや、そもそもユリアを訓練場へ行かせ、第七中隊に声を掛けさせたのは、他でもないこのクリユスなのである。
 ほんの数ヶ月前まで敵国だった国の中枢である国王軍なのだ。今だに何かの罠では無いかと、いつか寝首を掻かれるのでは無いかと疑心を持っている者もいるだろう。余所者扱いをされ心許無く思っている者もいるだろう。
 そんな中、通常であればお目にかかる事さえ生涯叶わぬ筈の、神にも近い存在であるフィルラーンの少女が「良く来てくれた」と、「力を貸して欲しい」と直に兵士達に声を掛けたのだ。
 ――――感激しない筈が無いのである。

 ではあるが、クリユスは初めて聞いた話だという表情をつくり、ついでに感嘆の色をそこに浮かべてみせた。
「ユリア様は慈悲深いお心で我らをいつも見守って下されている。ハロルド殿が言われたように、我らもそれに報いるような働きをしなければならないと、心して戦いに臨むのです。故に彼女を戦女神と言う者もおりますね。いや、本来フィルラーンには似つかわしからぬ称号ではありますが」
「ほう、戦女神とは……成る程、分からなくもない」
 ハロルドは感心したように頷く。
 『戦女神』などと兵士達に言わせているのはいったい誰なのだという顔を、クリユスの向かいに座るバルドゥルは、勿論しなかった。いつも通り何食わぬ顔をするのみである。


「ほう、これはこれは。余所者同士気が合うとみえるな」
 談笑する三人に厭味な声を掛けてきた男は、第一歩兵中隊長ドゥーガルである。歩兵隊大隊長ブノワの腰巾着とも揶揄される男であるが、今日は一人であった。
「余所者だらけの国王軍など、世も末だ。あのように強引に中隊長の座をもぎ取るやり様など、我らにはとても思いつかぬ。あれが余所者のやり方というやつなのだろうな。…しかし受け入れるライナス殿もライナス殿よ。一個中隊程のシエン兵を入れてしまうなど、自ら敵の刺客を懐に受け入れるようなもの。わしもいつ寝首を掻かれるかと思うと、心配で夜も眠れぬわ」
 ドゥーガルは顔に刻まれた皺を更に深くさせる。
「ドゥーガル殿、ハロルド殿にはこちらから頼み込み入軍して頂いたのです。失礼な言動は控えて頂きたい」
「何だと」
 咎めるクリユスにドゥーガルは眉を吊り上げた。

「……ふん、そうであったな。この男を入軍させるようライナス殿を説得したのは貴様であったな。大方フィードニアを余所者で埋め尽くし乗っ取ろうとする魂胆なのであろう。まんまとと刺客を潜り込ませる事に成功したという事か」
「お言葉ですが」
 クリユスが反論しようと口を開きかけた時、今まで黙って聞いていたハロルドが、顎に生えた不精髭を擦りながら言った。
「さて…ドゥーガル殿でしたかな。確かに少し前まで敵対していた我ら旧シエン兵を、貴殿がお疑いになるのも無理はない事。ですが入軍する時に私が言ったように、私は己が信用出来ぬ兵士は一兵たりとも連れて来てはおりません。万が一私の部下がフィードニアに仇成すような事をしでかしたら、代りにこの私の首を切り落とされるが良しかろう。――――それでもまだご不満ですかな」
 厭味など意に介さずきっぱりと言い放つハロルドに、バルドゥルが高らかに笑った。
「いや、これはドゥーガル殿の負けですな」
「くっ………」
 ドゥーガルは愉快そうに己の髭を撫でつけるバルドゥルを睨みつけると、次に視線をクリユスに寄越した。

「ふん………それはそうとユリア様を戦場へ連れて行く件、ジェド殿が反対されていると聞いたぞ」
 今度は自分が攻撃を受ける番かと、クリユスは思わず肩を竦めた。
「ユリア様が戦場へ出るのなら、自分は戦場へは行かぬと申されているそうだ。ならばならってわしも戦場へは行かぬ事にしようと思っておる」
「……何ですと?」
 ジェドが出兵を拒否しているなど、初耳だった。それが本当であればフィードニアには余りに痛手である。まだあの男が抜けて十分に戦える程、戦力が整っていないのだ。
 顔色を変えたクリユスを見て、ドゥーガルは幾分満足げな顔になった。
「何を驚く。総指揮官の意に沿うのは軍人として当然の行為であろう? ブノワ殿にもそう進言するつもりでおる。恐らくわしに賛同して下さるだろうよ」
 確かに直情型のブノワをそそのかすのは、いかにも簡単に思えた。
 だが今のフィードニアで内部分裂を起こさせて得になる事など、何一つ無い。あるのは余所者と見下すクリユスの言うままに事が進んで行くことへの、子供じみた反発心のみであろう。
 この男が出兵しなくとも左程支障があるとは思わないが、ブノワまで巻き込まれると厄介だった。

「こそこそと何を企んでいるのか知らぬが、そう易々と思い通りにはいかぬという事だ」
 ドゥーガルは目を細め、勝ち誇ったように片方の口の端を吊り上げた。下衆な笑い方だった。
「ドゥーガル殿……思い違いです、我らは何も企んでなどおりませんよ」
「何を小賢しい事を、余所者の言う事など信用ならんわ」
 嘲笑を残し、ドゥーガルは立ち去って行った。


「……申し訳無い、ハロルド殿。ですがフィードニア軍の兵士達全てがあのような考えをする者達ばかりではありません。それは分かって頂きたい」
「何を言われる、貴殿が謝る事では無い。それにフィードニア兵全てが諸手を打って我らを受け入れてくれるとは、初めから思っておりません。これ位の事では何とも感じませんな」
「そうですか。それを聞いて安心致しました」
「しかし、どこにでもああいう男はいるものですな……」
 ハロルドが半ば感心するように呟いた。
 確かに、どこにでもいる男だ。使いようによっては役に立つが、今は少々目障りな男である。

「さて、うるさい蠅が一匹飛んでますかな」
 ハロルドが食堂の席を立ったあと、バルドゥルが酒を飲みながら独り言のように呟いた。
「そうだな、吼える役はブノワがいれば十分だ。無闇に周りを飛び回られるのは不愉快―――少し彼には黙って貰う事としよう」
 クリユスは酒を手にすると、涼やかに笑った。









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