4: 一人の英雄





 イアンは、戦死者たちが眠る墓地の片隅へ弔われた。
 戦いで死んだ訳では無く、何の罪も無いのに不当に殺されたのだ。どれだけ無念だった事だろうか。
 ユリアは花を摘み、イアンの質素な墓へ供え、祈る。
 どうか魂だけは安らかにけるように。
 彼の魂が、不浄の物になってしまわないように。
 ユリアはイアンの笑顔を思い出した。
 ―――何故こんな事になってしまったのだろうか。
 何故彼が死ななくてはならなかったのか、何故―――。
 それはユリアの所為なのだと、そう仄めかす様な事をジェドは言っていた。
 その時は否定したが、それはあながち間違ってはいないのかもしれない、とユリアは思う。
 ジェドはこの私を憎んでいる。
 だから、私を苦しめたいのだ。孤独にさせたいのだ。
 たかがその為にイアンが犠牲になったのだとしたら、自分の存在自体が彼を殺した事になるのではないだろうか―――。

 だが、だからといってユリアにはどうする事も出来なかった。
 剣を持ってあの男に対峙する事も出来ない。
 自分を消してしまう事も出来ない。
 ただ、祈るしかないのだ。

「これはユリア様。イアンの為に祈ってくれているのですか」
 振り返ると、片手に酒瓶を持ったライナスがそこに立っていた。
「処刑された身だというのにこうして埋葬してもらい、尚且つフィルラーンに祈って貰えるとは、幸せな奴だ」
 言いながらライナスは、持ってきた酒をイアンの墓へかける。
「処刑などと…イアンは何もしてなどいないのに、ジェドに殺されたのです。あの男は人殺しなのですよ」
「これは手厳しい事をおっしゃるな」
 ライナスは苦笑してみせた。

「ですがイアンも剣を握っていたと聞きましたよ。ジェド殿の事だ、恐らく一太刀かわせば不問に付すとでも言ったのでしょう。そうでなければ己の剣に手を触れる前に、あいつの頭は胴から離れている」
「……だから何だと…! 剣をお互い持っていたから平等だったとでも…? ジェドの剣を一太刀でもかわせる男など、私は見た事が無い。出来ないと分っていて課す条件など、無いのと同じです…!」
「まあ、確かに。私もジェド殿の本気の剣をかわせる自信は全く無いですからねぇ」
 ライナスは顎を摩りながら、呑気に言う。

「だが例えそうであっても、一騎討ちには違いない。 ただ処刑される所を、ほんの少しでもチャンスが与えられた。それを生かしきれなかったイアンが悪いのです」
「何故そんな冷たい事を……何故、ジェドを責めないのです…! あなたはイアンを可愛がっていたではありませんか。彼の死が、あなたは悲しく無いのですか?」
「……愚問ですな。奴は中々育て甲斐のある部下だった、今後が楽しみな奴でしたよ。惜しいと思わない筈がありません。 ……ですが、ジェド殿を責めるつもりなど毛頭ありませんね。ジェド殿が下した答えなら、私はそれを是とするだけです」
「……そんな……!」

 あんな男を信じると言うのか。
 ライナスや他の兵士たちは、ジェドを糾弾してくれるものと思っていたのに、よりにもよってジェドの方が正しいと言うのか。
 国民だけではない。副総指揮官という立場にいるライナスでさえ、ジェドを英雄視しているのだ。
 ユリアは背筋が冷たくなるのを感じた。

「ライナス…。何度も言いますが、イアンは死ななくてはならないような事は、何もしていないのです…! 貴方は自分の上官の事は信じられても、フィルラーンのこの私の言葉は信じられないのですか……?」
「いえ、そんな。……参ったな、私はイアンを罪人だと思っている訳では無いんですよ。……まあ状況を聞けば、イアンが何をしでかしてこうなったのかは、おおよそ想像が付きますからね」
 ライナスは、自身の頭を片手で掻きむしった。

「貴女が只の女なら、今頃俺は、女に振られたイアンのやけ酒にでも付き合わされてる所だったんでしょうがね。 ………あいつの罪は、惚れてはならない女に惚れ、触れてはならない存在モノに触れてしまった事です」
「……ではあなたも、私の所為でイアンが死んだのだと言うのですね」
「まさか…! そんなつもりは全く。……まあ言ってしまえば、今回の件は不幸な巡り合わせで起こった事故という事です。 少々軽はずみではあるが、同じ男としてはイアンの気持ちも解ってしまいますしね。かといってジェド殿も、自分の責務を全うしたというだけの事。 誰が悪いとか、間違っていたとか言いきれる話でも無いでしょう」
 ライナスは、ユリアの肩を軽く叩く。
「ましてや貴女が罪の意識を感じる事など、全くもって意味がない」

 だが誰にも罪が無いのに、一人の男が死ぬ訳が無いのだ。
 どう大義名分を付けた所で人殺しは人殺しではないか。
「ライナス…あなたはあの男を…ジェドを分っていないのです。だからあんな男を庇おうと思えるのです。そうでなければ、あの男を上官として敬う事など出来る筈が無い…!」
「これは…ジェド殿も嫌われたものですな」

 酒瓶に少しばかり残っていた酒を、ライナスはあおった。
 そしてにやりと笑う。
「無理も無い、あの方も性格にやや難がありますからね。……おっと、これは酒に酔った戯言ですから、ご内密に」
 ライナスは悪戯をして喜んでいる少年のような表情をした。

「ですがそれを差し引いて余りある力を、あの人は持っている。 私にとっては、畏敬の念を感じずにはいられない相手です」
「何を言うのです、貴方の方がよほど素晴らしい軍人ではありませんか。 私だとて、実質軍の総指揮を執っているのが貴方だということくらい、知っているのです」
 日頃塔に籠っているフィルラーンがそのような事を言い出すのが意外だったのか、ライナスは少し驚いた表情をした。
「まあ、確かにそうですが……。ですが、私には軍の指揮をするという、凡人でも出来る事をやっているだけですよ」
「それで充分ではないですか…! ジェドのようなやり方は、軍規を乱すとは思いませんか。私には、貴方が軍の総指揮官になった方が良いと思えてなりません」

 軍の体制について、口に出来る立場にない事は分っていたが、ユリアは言わずにはいられなかった。
 ジェドは総指揮官という立場にはいるが、実際に軍の指揮など、殆ど執ってはいなかった。
 ライナスの指揮の下、自軍が敵の軍と戦っている最中さなか、彼は一人で行動し、一人で敵を打つのだ。
「我々が敵軍と戦い相手の注意を引いている間に、あの人はいつの間にか、我々が落としたいと思っている首を落としているのです。 いつの間にか城に忍び込み城主の首を取っていた時もありました。まさに神技としか思えないことをしてのける方です。 私ごときでは、とても彼の代わりなど務められる筈がない」
 伊達に英雄と呼ばれている訳では無い―――それは分っている。
 だが、一人の人間がそれ程の力を持っていることが、ユリアには恐ろしかった。

 元々いつ滅ぼされてもおかしくない弱小だったこの国が、ここまで大きな国となったのは、ジェドの力によるものだと聞いている。
 小さな村に住んでいたジェドが、その才能を見出され、フィードニア国軍へ入ったのは十一歳の時。
 そしてある戦いの最中、彼はふらりと隊から離れて行ったかと思うと、戻って来た時には、その手に敵方の総大将の首を持っていたという。その時、わずか十四歳だったそうだ。
 人間離れした力を、人々は賞賛した。
 彼を失うことは、国の力を失うこと。
 王自ら彼を英雄と呼び、彼は瞬く間に地位と権力を手中にした。
 そして、それは男を傲慢にしたのだ。

 今は確かに、このフィードニアの英雄に違いない。
 ――――だが、もしこの男がこの国に反旗を翻したら、どうなるというのだ。
 この男に頼り切っているこの国は、滅びるしか道は無いのではないか。
 この我儘で傲慢な男に、この国の明暗が握られている事に、どうして皆恐怖を覚えないのだ。
「私は……一人の英雄より、軍規を乱さぬ纏まった軍の有り方の方が、国にとって良いように思えるのです」
「まあ、確かに一理ありますな。……ですがユリア様、ジェド殿の事を分っていないのは、もしかしたら貴女の方かもしれませんよ」
 そう言いながら見つめてくるライナスの目が、何か言いたげである事にユリアは気付いたが、少女はあえてそれを無視した。
「………結構です。あの男の事など、分りたくもありませんから」
 分りたくなど無い。
 あの男の戦いの日々など。
 そして、十一歳の少年が募らせた、この私への憎しみなど……。

「……さて、酒も無くなった事だし、私はこれで……」
 墓の上に置いていた空の酒瓶を回収し、兵舎へ帰ろうとするライナスの背に、ユリアは声をかけた。
「イアンがあなたに……約束を駄目にしてしまったと、謝っておいてくれと、そう言っていました…」
 ライナスは振り返らず、そうですか、と一言つぶやいた。








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