36: 胎動2





 訓練場ではあちこちで、国王軍兵士と入軍志願者、はたまた入軍志願者同士での仕合が行われていた
 入軍試験は、剣、槍、弓、そして馬術と、それぞれの腕を試される事になる。
 どれか一つでも秀でた物を持っているのか、それとも全てに於いてそつなくこなすのか。それにより入軍後の配置も考慮されるのである。

 アレクは少なくとも、後者では無いようだった。弓の腕は贔屓目に見たとしても並程度、槍は多少人より扱える程度である。
「そんな腕でよくあれだけの大口を叩いたもんだな」
 目の前に立つアレクに、ロランは思い切り嫌味の言葉を吐いて寄越した。
「うるせえな、俺は騎馬隊志願だから弓なんかどうでもいいんだよ…!」
 剣を抜くアレクのその顔には、流石にいつものにやけた表情は無く、彼は不機嫌そうに眉間に皺を寄せる。
 ロランは幾分満足げに、腰に佩いた剣を鞘から引き抜いた。
 志願した通り、ロランはハーディロン家の嫡男であるこの男の、剣の試合の相手を務める事になったのだ。

 試合開始を告げる鐘が鳴った。
「来い、せめて剣くらいはまともに扱ってみせろよ…!」
「ぬかせ…! お前なんぞ一瞬で地面を這いつくばらせてやるぜ…!」
 アレクが走る。ロランに向け剣を振り下ろした―――速い。
 ロランは咄嗟に剣でそれを弾く。
 だが右に弾いたと思った剣が、次の瞬間には左脇めがけて降ってきた。
 弾かれた勢いのまま身体をくるりと回転させ、そのまま次の攻撃に繋げているのだ。最初に振り下ろされた剣より、更にその速さは増していた。
 ロランは左に手にする盾でそれを受ける。

「へえ――これを、避けるのかよ…!」
 アレクの顔に、驚きの色が混じった。
「どうした、一瞬で地面を這いつくばらせるんじゃ無かったのか」
 ロランは剣を振り反撃に出たが、今度はアレクの盾がそれを弾く。
「お前こそ、この俺をとっとと家に帰らせるんじゃ無かったのか、そんな剣じゃ俺は倒せないぜ…!」
「何を……!」
 再び剣が降る、弾く。それは幾度となく繰り返されて行く。
 剣を合わせながら、アレクの剣に僅かに押されている事をロランは自覚した。だがこんな男に負ける訳にはいかないのだ。

 ロランは観覧席にちらりと目をやった。ユリアがいる。彼女が見ているのだ、無様な姿など晒せる訳がなかった。
 ロランは剣を振った。
 何度でも、この男が倒れるまで振り続けてやる―――。
 振り下ろされる剣を薙ぎ払う。突く、楯で弾かれる。 いつの間にか肩で息をしていたが、それはアレクも同じ事だった。 こうなったら、気力の勝負なのだ。

「―――――そこまで……!」

 試合を制止する声が飛んだ。
 尚も剣を振り続けようとする二人の男の間に、クリユスが割り込んでくる。
「止めないか、馬鹿共が…!」
「クリユス隊長…! 止めないで下さい、こいつはこの俺が倒してみせますから…!」
「それは俺の台詞だぜ…!」
 掴みかからんばかりの二人に、クリユスの拳が飛んだ。
「お前達は決闘でもしてるつもりか? これは只の腕試しの仕合に過ぎん。実力が分かればそれでいい、勝敗を決する事など、どうでも良い事だ。これ以上戦いたいと言うのなら、訓練場から出て勝手にやれ」
「は……申し訳ありません、隊長」
 言われ、ロランは項垂れた。
 確かにクリユスの言う通りなのである。アレクの挑発に乗せられた自分が愚かだったのだ。
 ロランは殴られた頬を手の甲で拭った。こんな失態をユリアに見られてしまったのだと思うと、恥ずかしさのあまり観覧席の方を見る事が出来なかった。

「ち…あと少し戦ってたら俺が勝ってたのによ、上官に助けられたな。 まあしょうがねえ、今日の所は引き分けって事で許してやらあ」
 尚も減らず口を叩くアレクを、ロランは睨む。
「何が引き分けだ。お前の弓の腕は最悪じゃないか、俺は剣より弓の方が得意なんだよ。―――俺の方が弓の腕の分、お前よりも随分優っている」
 ふん、とロランは鼻を鳴らす。
「何だと、この――――」
「お止め下さい、若…!」
 顔を赤くし、ロランの胸倉を掴もうと手を伸ばすアレクの背後から、誰か叫ぶ声がした。

「ああ、とんだご迷惑をお掛けし申し訳ございません、中隊長殿…! ほら、若も誤って下さい。入軍試験を受ける身で相手と喧嘩するなど、言語道断でございますよ…!」
 クリユスに向かい何度も頭を下げる男に、アレクが煩わしそうな顔をする。
「ちえ…五月蠅い奴が来た」

 若、とアレクを呼ぶからには、ハーディロン家に仕える者なのだろう。この男も共に入軍試験を受けている。国王軍入隊の目付役として遣わされたといった所か。
 一見細身だが、付くべき所にきっちりと筋肉が付いている男だった。
 試験では、特に秀でた所は無い代わりに、どの武器もそつなく扱う事が出来る器用な所を見せていた。
 年の頃は二十五、六といった所だろう。
 目尻がやや下がった一重の細い目が、人が良さ気な印象を与える男である。
 また短く切り揃えられた、癖のない真っ直ぐな栗毛色の髪も、本人の実直な性格を表しているかのようだった。
 じろじろと眺めるロランの視線に気付いたのか、目付役の男はロランに対し頭を下げる。
「申し遅れまして、アレク様の側近を務めております、ユーグと申します」
「ああ…俺は国王軍第二弓騎馬隊第一小隊長ロランだ」 
 他人を調べる仕事を散々やっていたせいか、人を観察する癖がついてしまった己に、ロランは苦笑した。

「こんな男に頭を下げる必要などないぞ、ユーグ。国王軍に入隊したら、俺もお前も小隊長位にはなれる実力は持っているんだ」
「わ、若……!」
 不遜なアレクを、ユーグが慌ててたしなめる。
 こんな我儘男の傍に仕えるのは気苦労が絶えないだろうと、アレクの態度に冷や汗を掻きながら再び頭を下げるユーグに、ロランは思わず同情した。






 気が重かった。
 訓練上ではあちらこちらで兵士達の仕合が繰り広げられている。
 その全てを眺望する事が出来る場所で、ユリアはただこれらの戦いを眺めていなければならない状況が、苦痛で堪らなかった。
 只の入軍試験の為の戦いなのだから、恐ろしい事など何も起こらないとクリユスは言うが、真剣を持っての戦いなのだ、怪我人くらい出る事もあるだろう。
 腕を持つ兵士なら、相手を怪我させる事無く勝利する事が出来るのだとも言っていたが、では腕を持たない兵士同士の戦いならば、血が流れる事態にだってなるのではないだろうか。
 確かにクリユスやラオが戦った試合は、まるで演武を見ているようで、それ程の恐ろしさは感じなかった。 だがそれは彼らのように腕を持つ人間の戦いだからなのであって、今目の前で繰り広げられている兵士達の戦いは、どこか見ていて危ういものを感じるのだ。
 フィルラーンの性質なのだろうか、ユリアは戦いというものが恐ろしくて堪らなかった。

「―――おい、そんな仏頂面を晒していては、兵士達の士気が下がるだろう。もうお前に用は無い、さっさと塔へ帰れ」
 ジェドが冷たく言い放った。邪魔だと云わんばかりのその物言いが、ユリアの癇に障る。
「誰が好き好んでこんな所にいるものか、フィルラーンであるこの私がこの場にいれば、兵士達の気も引き締まるとクリユスが言うから―――。 お前の為に、ここに居る訳では無い」
 全ての仕合が終わるまでここを離れないようにと、クリユスに言われていた。
 そうで無ければ、ジェドに言われなくとも早々に塔へ帰っているというのに。

「お前が居たからと言って兵士の気が引き締まるとは俺には思えんな。逆に気が散るというものだろう」
「五月蠅い、お前に指図されるいわれなど無い。 ―――お前こそ、こんな所で眺めていないで試験の相手でもしていればいい」
「馬鹿を言うな。俺が相手をしたら、入軍出来る人間など誰一人居なくなるではないか」
 ふん、とジェドは詰まらなそうに鼻を鳴らす。
 何を傲慢な事をと言ってやりたかったが、それは確かに事実であったため、反論する事も出来ない。
 ジェドとここで言い争っていても不毛である。ユリアは再び訓練場へ視線を戻した。
「あ……!」
 視線の先で、倒れた者が居た。脇腹辺りが赤く濡れている。―――血だ、怪我をしたのだ。

「は、早くあの者に治療を……」
 ユリアは青ざめ、うろたえた。心臓がぎゅうっと締め付けられているようで痛かった。
「あれくらいかすり傷だ、一々騒ぐな」
「あんなに血が出ていて、どこがかすり傷なのだ……!」
 叫ぶユリアに、ジェドが煩わしそうに舌打ちした。
「だから塔へ帰れと言ったのだ。―――おい、救護班にあの男を早く治療させろと伝えろ。フィルラーン直々の命だ」
「は…!」
 近くでこの観客席の警備をしていた兵士が頷き、慌てて訓練場へと駆けて行く。
 暫くして、男が担架で運ばれて行くのが見えた。
「……お前に礼など言わぬぞ」
「礼などいらんから早く塔へ帰れ、目障りだ」
「目障りでも帰る訳にはいかないのだ、クリユスに仕合が終わるまでここに居ろと言われている」
 本当はラティで隠した手が、恐怖で震えていたが、ユリアは気丈に振舞って見せた。
 これ以上この男に弱みを見せたくなど無かったのだ。

「クリユスクリユスと……お前は随分あの男を信頼しているようだな。良くも騙されたものだ」
 不愉快気にジェドは言う。自分だけならまだしも、クリユスまで悪く言われる事は我慢がならなかった。
「騙すなどと、無礼な事を言うな、クリユスはそんな男では無い…! 少なくとも、お前よりはずっと信頼出来る男だ…!」
 彼はユリアが兄とも思う男なのだ。この世の誰よりも信頼していた。
「ふん…好きにしろ、他人を信用し過ぎて泣くのはお前自身の責だ」
「お前こそ誰も信用出来ないなどと、不幸な男だ」
 この精一杯の反撃に対し、ジェドが次にどんな悪態を吐いて寄こすのかと、ユリアは心の中で身構えた。だがジェドは予想に反し、次の言葉を発する事無く黙っている。
 やや拍子抜けしていると、突然ジェドの手がユリアが被るラティに伸びた。視界が急に狭くなる。
「な……何をする…!」
「塔へ戻らないというなら、仕合が見えないようそれを深く被っていろ。五月蠅くてかなわん」
「何を言って…………」
 ユリアはラティを取ろうとする手を止めた。いつの間にか手の震えが治まっている。
「……何のつもりだ。親切心のつもりか?」
 ユリアは悪態を吐いてみたが、ジェドはそれから一言も口を利かなかった。
 もしかするとこの男に気を遣われたのだろうかと思うと、ユリアの心に細波さざなみが立った。
 だがそんな訳が無いと彼女は思い直す。ユリアに対しジェドが優しさを見せるなど、有り得ない事だった。
 この男にそんな優しさがあるのだとは、思いたくなどない。死んでも、思いたくなかった。
 
 ユリアはジェドが座る椅子の、少し離れた場所に腰掛ける。
 入軍試験が終わるまで、少女はラティを深く被ったまま、ただ黙って椅子に座っていた。









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