19: 罪






「ユリア様、クリユス様のご使者がお見えになっておりますよ」
「使者? 何だ改まって…ここへ直接来れば良いものを」
 毎日の日課である、神への祈りを聖堂にて捧げた後であった。
 日は天頂より随分傾いている。ケヴェルの刻(16時)になる頃か。
「例えユリア様と親しくしている方とはいえ、立場上は中隊長に過ぎません。そうおいそれとフィルラーンの塔へ来る訳にもいかないとお考えなのでしょう」
 ダーナは少し寂しそうに言った。
 クリユスにもラオにも、一ヶ月前の試合以来会ってはいなかった。
 用があるというのなら使者など立てず、顔を見せて欲しかったが、クリユスも忙しい身だ、我儘を言う訳にはいかないだろう。

 ユリアはダーナと共に使者の待つ一階広間へ降りて行った。
 そこに、一人の兵士が居た。ユリアに気付くと、彼は片膝を付き跪く。
「………ロラン」
 ユリアは青年の顔を見、思わず呟いた。
「これはユリア様。この私を覚えていて下さったとは…」
 ロランは顔を上げ、笑った。 
 ―――この場所は、イアンが死んだ場所だった。
 同じ顔がこうしてユリアに笑みを向ける。 ユリアの足は、知らずのうちに震えていた。
「ク……クリユスの、使いだと聞きました。用件は、何なのです?」
「クリユス殿が、ユリア様をお呼びなのです。 用件は私は聞いておりませんが、内密にお越し頂きたいと」
「ここでは駄目なのですか」
「一介の兵士が我が物顔で出入りできる場所では無いと、仰っておりました。―――それに、内密のお話のようで」
「まあ―――何か進展があったのかもしれませんね」
 ロランには聞かれないよう、ダーナがユリアに耳打ちする。
「では……そこへ案内して頂戴、ロラン」
 言ったものの、行きたくないとユリアは思った。
 クリユスには会いたいが、ロランと共に行くという事が、何故か不安で堪らなかった。
「はい。――――ですが、ダーナ様はお連れする訳には参りません」
「――――え」
 ユリアの後ろに控えているダーナは、驚きの声を上げた。
「何故ですか? 私はユリア様の世話役です。ユリア様が職務に就かれている時以外は、お傍を離れるつもりはありません」
「ですが私はクリユス殿に、ユリア様をお連れしろとのみ聞いております。貴女の名前がクリユス殿の口から出ていない以上、私は貴女をお連れする訳には参りません」
「ま…まあ―――」
 憤慨するダーナを、ユリアは制した。
「…しょうが無い、今回は私一人で行って来る。クリユスには、次はダーナも呼ぶように言っておこう」
 ユリア様がそう仰るのなら、とダーナは渋々諦め、ユリアの外出の準備に取り掛かった。

 ダーナは白く、金の刺繍が施されたラティを持って来た。そしてそれをユリアに被せようとしたが、ロランに止められた。
 お忍びで行くのだから、フィルラーンを主張する装いなど困るというのだ。
 しかし何も被らなければ、ユリアの長い金色の髪もまた、目立つものである。
 ロランはフィルラーンの侍女用のラティを持って来させた。薄く茶色いそれは、さほど目立つ物では無い。
 人の目に触れても、次女の一人が出掛けている所だと思うだけだろう。
「ユリア様に、侍女用のラティを着させるなどと……」
 ダーナは益々不満げにロランをめ付けたが、ロランはそれを無視した。

「――――では、こちらへ。ユリア様」
 ロランが片手で塔の出入り口を指し示した。
 ―――――行きたくない。 足が、重かった。
 それと同時に、こんな事を考える自分をユリアは恥じた。
 ロランとは一度顔を合わせただけだというのに、しかもほんの少し言葉を交わしただけだというのに、このように不快な気持ちを持つなどと、ロランに対して余りに失礼では無いか。
 イアンの死のイメージを、ロランに結び付けているのだ。 
 そんな己の勝手な想いで負の感情を抱くとは、なんて傲慢な心なのか。
 私の心は、なんと醜く汚いのだろう。

 ユリアは不安を無理やり心の中へ押し込め、ロランの導くままに馬へ乗った。
「さあ、参りましょう」
 ロランが馬の手綱を引き歩き始める。
 やはりその姿がイアンと被って見えてしまい、ユリアは慌ててロランから視線を外した。

 ロランは馬を引き、城下町の西門をくぐる。
 訓練場へ行くには、この門を潜る事になる。やはり行く先は訓練場近くなのだろう、とユリアは思った。
 通常であれば今は軍の訓練の真っ最中である時刻だ。中隊長であるクリユスが、あまり長く訓練場を離れる訳にもいかないだろう。
 だからクリユスがユリアを待つ場所も、恐らく訓練場近くの場所なのだろうと、ユリアは漠然と思っていたのだ。
 だが門を出て少し歩いた所で、ロランは訓練場への道から急に方向を変えた。
「ロラン……行先は、どこなのです?」
 ユリアに不安が再び襲って来た。堪らずユリアはロランに問う。
 ロランはユリアを仰ぐと、にこりと笑った。
「―――――貴女は、馬鹿なひとだな」
「――――え」
 ロランの放った言葉の意味が分からなかった。
 戸惑うユリアを余所眼に、ロランはユリアの乗る馬にひらりと跨った。
 そして馬を走らせる。
「ロ――ロラン……! 何なのですか……?」
 急に走り出した馬に振り落とされそうになり、ユリアは慌ててたてがみにしがみついた。
「どこへ行くのです? ―――ロラン、馬を止めて頂戴……!」
 ユリアは叫んだが、ロランは聞き入れない。
 自分をどこへ連れて行こうというのか―――その先に、本当にクリユスは居るのか。
 漠然とした不安ではない、ユリアは今度こそはっきりと恐怖を感じた。

 馬は森に入ると失速したが、ロランがユリアの体を放さなかったので、降りる事が出来なかった。
「ロラン…。こ、ここにクリユスが居るのですか?」
 そうであって欲しいと、それは問いというより、ユリアの願いだった。
 ふと、ロランがユリアの耳に顔を近づけ、呟く。
「――――ユリア様。俺の弟はね、見てるこっちがじれったくなる位、女に不慣れで純粋な男だったんですよ」
 ロランは馬を止めた。
 ユリアに回していた腕を放し、ユリアを解放する。 
 慌てて馬から降りるユリアを、ロランは馬上から見下ろした。
「好きな女がいても、声をかける事すら出来ず、遠くから見ているだけの男でした。――――それが、フィルラーンを強姦しようとしただと……?」
「ち…違う、そんな事……!」
「不敬罪としか公表されていませんが、フィルラーンの塔で死んだのだ、皆そう言っている。冗談じゃないと思いませんか? ユリア様」
 冷たい目だった。 ユリアは一歩、後ずさる。
 ロランは馬から降りると、鞍に取り付けていた弓を手にした。
「―――――おまえが誘ったんだ。そうだろう? おまえと、あの男でイアンをなぶり殺したんだ。何がフィルラーン、何が英雄だ……!」
 ロランはユリアに向け、弓を引いた。
「ち―――違う……! 私は、そんな事はしていない……!」
 体が震えた。
 ロランが矢を放つ。
「ロラン………!」

 その矢はユリアの被る薄茶色のラティを、後ろの樹に縫いとめた。
「――――なあ、教えてくれよ。あんたにイアン以上の苦しみを与えるには、どうしたらいい? 体中にこの矢を打ち込んでやろうか。ああ、それとも強姦されて、ただの女に戻されて生きて行く方が屈辱なのかな? イアンがやったというのなら、その続きを俺がやってやるよ……」
 ロランの眼は座っている。
 ぞくりとした。ユリアの全身の肌が粟立ち、震えが止まらない。
 ―――――本気なのだ。本気で彼は、復讐の為ユリアを犯し殺そうとしている。

「や――――止めて………っ!」
 ユリアは樹に縫い止められたラティを脱ぎ捨てた。
 どう弁解しようと、イアンが死んだ事は事実だった。何を言ってもきっと今のロランには届かないであろうことを、ユリアは悟った。
 震えて上手く動かない足を必死に動かし、その場から逃げる。
 更に矢がユリアの白いドレスの裾を貫き、そのまま樹に突き刺さった。
 ユリアを一思いに殺そうと思えば、その矢一本で出来るであろうに、こうやって追い詰めて恐怖を煽っているのだ。
 矢は樹に深く刺さっており抜けなかった。
 ロランの方を振り返ると、彼は顔に冷笑を浮かべ、ゆっくりとこちらへ歩いて来る。
 
 ―――――――嫌だ。

 ユリアはドレスの裾を思い切り引っ張った。スカートが裂け、繋ぎ止められていた樹木から解放される。
 代わりに足があらわになったが、構ってなどいられなかった。 
 ユリアはまた、必死に走った。

(――――――誰か、助けて……!)
 願ったが、こんな所を誰が通りかかるというのか。誰も助けなど来る筈が無い、助かるには自力で逃げきるしか方法は無いのだ。
 ユリアはただ、走るしかなかった。











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