186: 幸せの風景





 主要な街々を繋ぐ街道から少し外れた道を、馬車がゆったりと進む。小さな村が幾つか点々としているだけのその土地は、王都から近い割にはのんびりとした雰囲気を醸し出している場所だった。
 王都の賑やかな雰囲気も好きだが、こういう穏やかな土地も好ましく感じる。途中で見かけた湖もとても綺麗だ。内心では心を躍らせてはいるものの、ユリアはむっつりとしたまま横に座るジェドを睨み付けた。
「何だ、まだ怒っているのか」
 やれやれ、といった風に肩を竦めるジェドが勘に触り、ユリアは余計に頬を膨らませる。
「まだとは何だ、物扱いされれば誰だって怒るだろう」
「褒美と言われたのがそんなに気に入らないのか。ならば無理矢理お前を塔から攫えば良かったか? 邪魔立てする奴は皆殺しすることになるが、それでも良ければ今からでも攫ってやるぞ」
「なっ…そんな事は言ってないではないか」
 不穏なことを飄々と口にするジェドに慌てて首を振る。この男が言うと冗談に聞こえないから恐ろしい。ユリアが頷けば、本当にやってしまいそうだ。
「俺はそれでも構わなかったんだがな。だがお前が嫌がると思ったから、平穏にお前を手に入れられる手段を選んだんだ。文句があるならフィルラーンという責務を捨てられる方法を自分で考えるんだな」
 フィルラーンを己から辞することなど出来る筈が無い。それこそ逃亡でもしない限り無理だろう。ジェドの言うことはつくづく尤もであり、ユリアは黙った。
 そうなのだ、ジェドと共に生きて行く為には、これが最善の方法だったのはユリアも分かっている。実の所はただ単に、“ジェドに褒美として与えられた”という表現がどこか生々しく感じられて、己がこれからこの男のものになるのだということを急に実感し恥ずかしくなってしまっただけなのだ。照れ隠しにちょっとばかりごねてみせているだけなのである。
 顔が赤くなるのを見られないように、ユリアは尚も怒ったフリで顔を逸らす。隣でくくっと小さく笑うジェドの声が聞こえた。もしかしたらユリアの気持ちなど全てばれているのかもしれない。
 こんな風に意地を張り相手を撥ねつけると、以前はジェドの方もユリアを撥ねつけたものだったが、今は何を言っても機嫌を損ねることは無かった。それはもう、お互いの本心をちゃんと分かっているからなのだろう。
 ジェドが生還して以来、今までの思い違いを解消する為に、二人は少しずつ互いの話をするようになった。子供の頃の話になるとジェドは口が重くなるが、それでもぽつりぽつりと語ってくれる彼の物語は、ユリアが思っていたものよりもずっと悲しく辛いものだった。
 幼い頃からジェドとの再会を心の支えにユリアが生きてきたように、ジェドもまたずっとユリアを必要としてくれていたことを知ったときは、深い後悔に陥ったものだ。ジェドと再会してから実に六年の月日を無駄にいがみ合って来たのかと思うと、悔やまずにはいられない。勝手に相手の心を想像し、勝手に傷ついてきた己はなんと愚かだったのだろう。もしもその想像が真実だったとしても、それでも相手に己の心を打ち明けるべきだったのだ。相手に伝えようとしなければ、己の想いなど誰にも伝わることはないのだから。
「ジェ……ジェド。その……至らない私だが、これから……よろしく、な」
 自分の靴の先を見詰めながら呟くように言うと、ジェドが堪えきれないといった風に吹き出した。何て奴だ、人が折角今までの己を反省して、素直になろうと頑張っているというのに。
「なんで笑うんだ、私だって恥ずかしさを堪えているんだぞ、それを……!」
「すまん、すまん。別に馬鹿にした訳ではないぞ。只な……そういう可愛いことを口走るのは屋敷に着いてからにしてくれないか。襲いたくなって困るだろうが」
「な………何を言っているんだお前はっ……!」
 顔を益々赤くさせるユリアに、ジェドはぐっと顔を近づける。
「まあ、お前が場所を選ばないと言うのなら、俺も構わんのだがな」
「ばっ馬鹿、止めろってば……!」
「――――ちょっと、二人とも俺がここに居るっての忘れてませんか……!? こんな所でイチャつかないでよね〜!」
 ジェドの身体を必死に押し返していると、御者台の方から不機嫌そうな怒鳴り声がした。ユリアは馬車の窓を開けると、御者の隣に座りこちらを睨みつけているアレクに慌てて弁解をする。
「す、すまない、だが別に、私達はイチャつくとかそんな……ジェドがちょっとふざけていただけでだな……」
「もーいいですよ、別に俺に言い訳なんかしなくたって。新婚夫婦の馬車に同乗した俺が馬鹿だったんですから」
「夫婦って……わ、私達は、まだ婚姻を結んだ訳では無いぞ」
 一々顔を赤くするユリアに、アレクは詰まらなそうに目を細める。
「新居に着いたら式を挙げるんだから、もう同じことでしょ―――あ、ほら、そう言ってたら着きましたよ、向こうに見える屋敷がこのグレナンド領の領主の屋敷です」
 アレクが指差した方を見ると、遠くに小さな屋敷が見えた。領主が住む屋敷にしては小さめだが、緑色の壁に赤茶色の屋根の、優しく可愛らしい雰囲気の屋敷だった。
「それにしても、クルト王も抜け目無いですよね。師匠を国王軍から追い出したくせに、王都へ一日で戻れる距離の領地を与えるんだからさぁ。目と鼻の先に英雄がいれば、あちこちの不穏分子への牽制になりますもんね。まあ、王都からも俺のハーディロン領からも近いし、いつでも遊びに行けるからいいんですけどね、俺は」
「何を言っている、来るな」
 心底嫌そうに言うジェドに、アレクは「またまたー」と軽く返し、馬車は屋敷の前に止まった。
 ユリア達が馬車から下りると、屋敷の中から待ちわびていたかのようにダーナが飛び出して来た。そして次いで、ラオやクリユスら馴染みの面々が顔を出す。
「お待ちしておりましたよ、ユリア様……!」
 嬉しそうにダーナが迎えてくれる。皆先にこの屋敷に来て、祝宴の準備をしてくれていたのだ。
「おめでとうございます、ユリア様」
 クリユスが花束をユリアに渡すと、彼女の掌を取り口付けた。礼を言おうとした瞬間、脇からジェドの手が伸びクリユスの手を払う。クリユスは払われた手を痛そうに振って見せたあと、にこりと笑った。
「これはこれはジェド殿。挨拶さえ許さぬとは、フィードニアの英雄として先陣を切っていた勇猛な方とは思えぬ狭量さですね」
 笑顔を顔に貼り付けたままそう言うクリユスに、ジェドは眉間の皺を深くさせる。
「お前こそ、俺の忠告を忘れる程愚か者だとは思っていなかったがな。死にたいのなら素直にそう言え、望み通りにしてやるぞ」
「はは、ご冗談を」
 火花でも飛び散りそうな二人の不穏な雰囲気に、ユリアは慌てて割って入る。どうやら反りが合わないらしく、出くわす度にこうして喧嘩を始めるのだから困ったものだ。
「ところで傷はもう大丈夫なのか、クリユス。結構深い傷だったのだろう」
 クリユスはティヴァナの王都を攻めた折、矢傷を負った。つい最近まで訓練への参加も医師に禁じられていた筈だ。
「私は大丈夫ですよ。別に命に関わる程の傷ではありませんから、ジェド殿のように身を隠す必要もありませんしね」
 またさらりと嫌味を言う。人が折角話題を変えようとしているというのに、まったく手が負えない。
「ユリア、あの二人は放っておけ。あれで案外仲がいいんだからよ」
 頭を抱えていると、ラオが苦笑しながらそう言った。
「……そうなのか?」
「二人とも関心が無い奴にいちいち喰って掛かる男じゃないだろ。喧嘩するくらい相手を認め合ってるってことだろ、多分」
 そうなのだろうか。ただ単に仲が悪いだけのように思えるが。これで仲が良いのなら、男というものは良く分からない生き物だ。
「そんなことよりユリア、ダーナを宜しくな」
「ああ、勿論。こちらこそ、彼女には世話になりっぱなしだ」
 ジェドの妻になればフィルラーンでは無くなる為、当然ダーナもユリアの世話役ではなくなる。だがダーナはこれからも友人としてユリアの傍に居ることを望んでくれ、共にこの地へ移ることになった。暫くはこの屋敷に一緒に住むのだ。
 ラオの方は当分の間は国王軍に留まるらしい。大きな戦いが終結したとはいえ、まだ小競り合いくらいはあちこちで起こるであろうことを見越し、落ち着くまでは残ってやるのだそうだ。だがいずれはこのグレナンド領へやって来て、グレナンド領兵軍の兵士としてジェドの下に付くつもりのようだった。
「お前がここにやってきたら、ダーナと夫婦になるのだろう。それまでに他の男が言い寄ってこぬよう私が見張っておいてやる」
 私に任せておけ、と己の胸をどんと叩くユリアに、ラオは急に咳き込んだ。そういう意味での“宜しくな”だと思ったのは、どうやら図星だったようだ。
「ああ―――まあ、宜しく……な」
 でかい図体をした男が、顔をほんのり赤らめながらそう呟いた。

 ダーナに髪を花で飾って貰い、自分が持っている衣装の中で一番綺麗なドレスを着て、ユリアは一階の広間へ向かうべく階段を下りて行った。そこに集まった人々が、彼女を見てわっと歓声を上げる。ブノワやフリーデル等国王軍の面々だけではなく、近くの村の人々まで集まっているようだった。広間から人が溢れ、庭にも急遽席を設けてある。
 当初はこじんまりとした祝いの席にするだけの予定だったのに、いつの間にこんなに大げさな事になってしまったのか。よく見たらジェドを探し回っていた頃にお世話になった村々の村長や、ハンスまでいる。あの山奥からわざわざやって来てくれたのだ。
「凄いな……」
 思わずぽつりと呟くと、隣にいるダーナがにこりと微笑む。
「こんなものではありませんよユリア様。王都ではお二人のご婚姻を祝って連日お祭り騒ぎになっておりますし、今日の祝宴には参加出来なくとも、お祝いだけでもお伝えしたいと仰られている方々も多いのですよ。暫くは来客の対応で忙しそうですわね」
 どこか誇らしげにダーナは言い、そしてユリアに先に進むよう促した。
 ユリアが階段を下りきると、人々が左右に別れ、そこにさっと道が出来た。その先には、黒地に白の装飾が施された国王軍の正装に身を包んだジェドが居る。既に国王軍は辞しているものの、それしか正装を持っていないため仕方なく着たのだろう。装飾用の金の剣を腰に佩き、白いマントを肩に掛けたジェドは、とても格好が良くて思わず見惚れてしまう。
「何を呆けているんだ、早く来い」
 ジェドに促され、ユリアは慌てて彼の元へ進む。伸ばされた手に己の手を重ねると、ジェドが耳元に口を寄せた。
「お前の母親、病が好転して、今では日常生活を送るには支障無い位にまで回復しているらしいぞ」
「――――え」
 顔を上げると、ジェドが口の端を上げ、ユリアの頭をくしゃりと撫でる。
「お前がフィルラーンを辞したら、両親への援助が打ち切られるのだろう。だから調べさせたのだ。俺が今まで貰っていた俸禄で何とかするつもりだったのだが、そもそも随分前から殆ど治療費に金はかかっていないらしい」
 ユリアはぽかんとジェドを見上げた。どうしてジェドが、母の治療費云々という事情を知っているのだろう。彼に言ったことは無かった筈だが。
 ふと横を見ると、ジェドの後ろでにこりと微笑むクリユスと目が合った。もしかしたら彼がジェドにそれを告げたのだろうか。そうであるならば、成程、ラオが言うように二人は見た目ほど仲が悪くは無いらしい。
「お前の両親が住んでいる土地も調べた。少し遠いが、そのうち会いにいこう」
「……ああ、そうだな……」
 嬉しくて涙が零れ落ちた。ずっと母を気にかけていた、だがジェドの為に一度は見捨てようとした罪悪感に苦しんでもいた。ジェドとこうして共に生きることになった今も、心に重いしこりとして残っていたのだ。母の無事を知り、心が軽くなっていく。またあの優しい母に会えるのだと思うと、嬉しくて堪らなかった。
「ジェド、愛しているよ」
 ジェドの手を握り、溢れる想いを彼に伝える。その手を握り返して、ジェドは優しく笑った。
「――――俺もだ、ユリア。生涯お前と共に居ると誓う」
 ピューッと口笛が鳴り、広間が沸きあがる。人前だったことを一瞬忘れていたユリアは、気恥ずかしさに顔を赤らめた。
「ユリア様、本当に、おめでとうございます」
 ダーナが泣き崩れている。アレクが村の娘を口説こうとして、ラオに頭を殴られている。クリユスとジェドが、また嫌味を言い合っている。
 こんな幸せな風景が、これからの私の日常となるのだ。







END









この長い物語を最後まで読んで頂き、本当にありがとうございました。



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