183: 最後の王





 ティヴァナの王城を守る城壁が破られたのは、フィードニアが攻撃をしかけてきてから、僅か半月のことだった。難攻不落とまで呼ばれた城が、たった半月で蹂躙されることになるとは。王としての不甲斐なさをつくづく噛み締め、リュシアンは玉座に深々と腰掛けた。
 こうして玉座の上に居るのが己などではなく、亡き兄であったなら、果たしてこのような結果になったであろうか。それは否である。何度考えても、どう兄を過小評価してみたとしても、滅び行く祖国をこうしてただ見詰めるしか無い不甲斐ない兄の姿など、彼には想像することすら出来ない。
 このように無能な王を据えることになり、ティヴァナはなんと不幸であったことか。救いがあるのだとすれば、相手があのフィードニアの聖女の居る国だということである。彼女のように勇敢で慈悲の心を持ち合わせるフィルラーンが居る国ならば、残された不幸なティヴァナの民が惨い仕打ちを受けることも無いだろう。それに現在の副総指揮官であるハロルドという男は、嘗てフィードニアの敵国だったシエン国の兵士だったと聞く。ならばこの戦いで生き残ったティヴァナの兵士達も、フィードニア兵として生きていく覚悟さえあれば、そう悪いことにはならぬであろう。今となっては、クリユスやラオがフィードニアに居るというのもありがたい。
「さて……と」
 リュシアンは亡き兄が残した剣を握り締めた。きらびやかな装飾など無い、戦う為の剣だ。
 “リュシアン”という兄の名をこれ以上汚さぬ為に、己はどういう最後を遂げるべきだろうか。敵に首を取られる前に、自ら命を断つべきか。それともここで敵を向かえ、堂々と剣を合わせ倒されるべきか。
 兄ならば恐らく後者を選ぶだろう。自分には良く解らないが、戦って死ぬというのが戦士の美学であるようなのだ。あの名高いフィードニアの英雄相手ならば、敗れたとしても兄の名も面目が立つのではないだろうか。
 そこまで考え、だがリュシアンはいや待てよ、と首を傾げた。思惑通りここにあの英雄がやってきてくれればいいが、万が一将校位でさえ無いただの一兵卒がここに辿り着き、その者に倒されることになってしまったら、兄の名に傷を付けるどころの話ではないのではないか。豪傑と轟くその名は噂ばかりであったと、そんな風に兄の名が嘲笑されるのは彼にとって死ぬことよりも辛かった。
 暫し悶々と悩み、リシュアンはふと自嘲した。こんなことでさえ悩まなくてはならない己は、いかにも小者だ。ああ兄上、貴方のような立派な王となることが最後まで出来ず申し訳ありません。手にした剣に向かい、リュシアンは頭を下げた。
 敵兵を前に万が一無様な姿を晒すことになったら申し訳が立たない。ここはやはり自ら命を絶つべきだろう。ようやくそう決意し、鞘から剣を引抜いた。
 七百年続いたこのティヴァナ国を、己の治世で終わらせることになった不甲斐なさには、ただただ申し訳なく悔恨の思いだが、それでもどこか安堵する気持ちもあった。偉大なる兄の名とこの大国を背負うのは、自分には重すぎた。たった六年の短い治世ではあったが、己なりには必死にやってきたのだ。その結果がこれならば、それが己の力量だということだろう。
 リュシアンは剣を首にあてがうと、ゆっくりと息を吸い、吐いた。手に力を入れた瞬間、突然玉座の間の扉が開かれた。
 とっさにフィードニア兵がもうここまで辿り着いたのかと思ったが、そうではなかった。扉を開けた者達は、兵士ではない。この王城で働く宰相や政務官、侍女、それに料理人や下働きの者達だ。
「皆、そこで何をしている。戦いに巻き込まれぬよう、城外へ早く避難しろと伝えただろう!」
 もう既に皆外へ逃げたとばかり思っていたというのに、何故まだこんな所でぐずぐずしているのだ。いつフィードニア兵がここへ雪崩れ込んで来るかもしれぬ状況に、思わず厳しい声が出る。こうなってしまっては、己の民を出来るだけ無事生きながらえさせることが、王である己の最後の仕事なのだ。
「逃げません」
 宰相が一歩前に進み出ると、そう口にした。
「我々は皆で話し合ったのです。リュシアン王―――いいえ、フェルティス様がご一緒でなければ我々もここから動きません……!」
「な―――……」
 驚きの余り言葉が出ずにいると、皆が頷きリュシアンを取り囲む。
「私達と一緒に逃げましょう、フェルティス様。最後までリュシアン王の代わりなどしなくとも良いではありませんか」
「そうです、フィードニアが欲しいのは、今は亡きリュシアン様の首であって、フェルティス様の首では無いのでしょう」
「ならばフィードニアは墓を掘ればいいのですよ…!」
 口々に言う彼らを、リュシアンは何とか静まらせる。
「馬鹿なことを言うのではないよ、そんな屁理屈が相手に通用する筈が無いだろう。例え身代わりの王だとしても、私がこの国の王であり、そしてこの国を滅ぼす王なのだ。私はその責任を取らねばならない、逃げる訳にはいかないのだよ」
 分かってくれ、と一人一人を見詰めたが、皆は首を横に振る。
「責任というのなら、皆にあります。先王や王子、王女が次々とお亡くなりになられた時、そして貴方がリシュアン様として身代わりの王にご即位なされた時、それを知りその計画に加担した者は皆、運命を同じくした共犯者なのです。ティヴァナがこういう運命を辿ったのは、我々皆の責任です。ですから、フェルティス様がここに留まり命を落とすのならば、我々もまた後を追い死ぬ覚悟です」
 宰相は揺るがぬ決意を持って、そう言い切った。皆の生死はリュシアン次第ということか。これではまるで脅しではないかと、些か呆れた心持ちになる。
「そう言って貰えるのはありがたいが、それは無茶な言い分だな。幾らなんでも下働きの者や料理人達に国責がある訳ないだろう。私の為を思うなら、皆無事生き延び新しい国主の元で心安らかな生を全うして欲しい」
「それは出来ません!」
 宰相が叫ぶように言った。
「私は貴方がまだ乳飲み子の頃からこの城に仕え、時には貴方に勉学を教え、時には貴方の悪戯に困らされ、そして挙句には他国どころか自国の民さえ騙す大芝居にまで付き合わされてきたのです。今更違う者を主とすることなど出来ません。これは貴方の為ではない、己の為なのです」
 そうです、と言葉を発し、料理長がずいっと前に出た。
「私は王族の皆様に料理をお作りすることを誇りにしていたというのに、今更街で小さな飯屋なぞやる気にはなりません。それに私の作った食事でここまでお育てしたというのに、勝手に死なれても困るんですよ」
 ぶっきらぼうに言う料理長に、皆がくすくすと笑う。そして彼に負けじとするように、口々に「それなら私がおしめをお取替えしたのに」「フェルティス様の衣服をご用意していたのは私です」「乗馬をお教えしたのはこの私で」等々言い始めた。
「分かった分かった、皆のお陰で今この私がいるのだ。勿論皆には感謝しているとも」
 焦ったようにリシュアンは言い、国が滅びようとしているこんな時だというのに、何だか可笑しくなってきた。
「貴方の命は貴方だけのものでは無いということですよ、リュシアン様」
 扉の向こうから声がし、そちらを見ると弓騎馬大隊長のマルセルが居た。数人の兵士も共に連れている。
「テガン殿が今フィードニア兵を食い止めております。我らがお供します故、どうぞ城から脱出し、無事命をお繋ぎ下さることをお考え下さい」
「いや、しかし私は逃げる訳には」
 言葉を遮るようにマルセルはリュシアンの肩を掴み、目を見据えた。
「いいですか、貴方が生きている限り、ティヴァナは無くならないのです。ティヴァナの民は貴方がどこかで生きているというだけで、希望を持ち続けていられるのですよ。今は生き延びて、そして何時の日かティヴァナを再興する。それが貴方が王としてすべきことなのではないですか」
「ティヴァナの、再興――――」
 そんなこと、思ってもいなかった。この俺が、ティヴァナを滅ぼすこの俺が、再びティヴァナを興すことなど出来るのだろうか。
「そんなこと、私に出来るだろうか……」
「出来なくともやるのです。恐らく容易な道では無いでしょうが、我々がどこまでもお供をします。リシュアン王――――いえ、フェルティス王。これからは、貴方の本来の名を取り戻し、己の名で我らを導いて下さい」
 マルセルは片膝を床に付け跪くと、恭しく頭を下げた。
「私の、名に―――私は私に戻っていいのだろうか。偉大な兄リシュアンではなく、お前達を導くのがこの何も出来ぬフェルティスで良いのだろうか」
「良いに決まっているではないですか、フェルティス様!」
「フェルティス王こそ、我らの王です」
「皆……」
 胸が熱くなり、不覚にも目に涙が滲んだ。今まで己一人で国を背負っていたつもりになっていたが、自分はなんと臣下に恵まれた王だったのだろう。
「分かった、今は卑怯者の謗りを受けようともここから逃げ延び、何れ必ずティヴァナを再興する。フェルティスの名において、ここに皆に誓おう」
 わっと歓声が上がり、マルセルが満足したように立ち上がる。
「そうと決まれば早く脱出しましょう。皆が必死に時間稼ぎをしてくれていますが、フィードニア兵がここへ辿り着くのも時間の問題です」
「ああ、隠し通路に向かおう。皆、こっちだ」
 兄の剣を鞘に仕舞うと、フェルティスは皆を先導し玉座の間の奥にある隠し通路へ向かった。












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