182: 帰還





 フィードニア軍はベスカの地でバレイ軍と合流し、ティヴァナ軍と再び睨み合った。ティヴァナにはベスカから増援があり、態勢を整えての迎撃である。
「ティヴァナとの戦いは、これからが本番です。今この地でティヴァナをくだしたとしても、本国を攻めるのは容易ではありません。ティヴァナは地の利を知り尽くした自国での戦いに強く、領兵軍は猛者揃いです。特に王都は長きに渡り敵襲を退けてきており、難攻不落の城と謳われている程です」
 クリユスの言葉に皆は神妙な顔で頷いたが、それでもここまでティヴァナを追い詰めた自負があるのだろう、目は闘志に燃えている者ばかりだ。その気持ちを削ぐようなことはしたくはないが、これからの戦いは厳しくなるであろうことを、知っていて貰わなくてはならない。
 正直なところ、ジェドがいないこのフィードニア軍がティヴァナ国を打ち破るのは、かなり厳しいとクリユスは思っている。元々そういう目論見でジェドを排斥し、両国の同盟を維持させようとしたのは、このクリユス自身だからだ。互いの傘下にある国々の軍事力を加味したとしても、両国の力量はやはりティヴァナに分があるだろう。
「ああ、肝に銘じて置こう。ティヴァナを知り尽くしたクリユスとラオがこっちに居るというのはありがたいな。だがティヴァナ本国を攻める前に、ベスカを突破せねばならん。そっちを危惧するのはそれからだ」
 ハロルドが言い、クリユスは頷く。確かにその通りだ。ベスカだとて強国、まずはティヴァナとベスカの連合軍を倒さねばそこから先へは進めないのだ。
 戦略について議論を交わしていると、斥候に出していた兵が慌てて天幕の中へ飛び込んできた。
「も、申し上げます……! 軍議の最中申し訳ありません、ですが火急の用件で、お伝えしたい事が……!」
「何だ、敵襲か……!」
 尋常ではない様子の兵士に、ブノワが剣を取り立ち上がる。
 ティヴァナに先手を取られたかとその場に緊張感が走ったが、兵士は首を横に振った。
「いいえ、そうではなく――――総指揮官殿が……ジェド総指揮官殿が、たった今戻られました……!」
「な―――なんだと……!」
 俄かには信じられず互いに顔を見合わせる。ジェド殿が、生きていた――――。
 クリユスは思わず天幕を飛び出した。それに続くように、皆がこぞって天幕を駆け出る。それは本当なのか、この目で見て確かめなくてはとても信じられなかった。
 先程の兵士に導かれ走ると、向かったその先は既に人混みが出来ていた。熱狂じみた騒ぎの中、それでも将校達の存在に気付いた兵士たちは彼らに道を空ける。
「ジェド殿―――……」
 人だかりの向こうに居る男が目に入ったとき、クリユスはこぼれるように息を吐いた。生きていたのだ、本当に。
「ジェド殿……よくぞ、よくぞご無事で……!」
 ブノワが感極まったような声を上げた。ジェドを前にして、初老の兵士は唇を震わせ、涙ぐみさえしている。尊貴派のブノワは平民出身のジェドを常から疎んじているように思っていただけに、この反応は意外だった。いつの間にか派閥を飛び越えた信頼感がこの男の中に生まれていたらしい。
「ああ、皆には心配をかけて済まなかったな」
 ジェドがまるで宥めるように、ブノワの肩にぽんと手をやった。それを見て、逆にラオやアレクがジェドの肩や腕を軽く叩く。
「本当です。あんたが姿を消して、この一年の間生きた心地がしませんでしたよ」
「師匠、一体どこに隠れてたんですか、傷は大丈夫なんですか」
 鼻をすするアレクをうっとおしそうに手で追い払いながらも、その目には以前のような冷たさが見受けられなかった。
 ――――どこか、雰囲気が変わっただろうか。
 一歩引いた場所から彼を眺めながら、クリユスはそう思う。どうしたことか、彼が常に纏っていた怜悧さが消えている。以前はこのような気安い態度を相手に許す男ではなかった。
「皆、ジェド殿が戻って来た以上、我らの勝利は決まったものだ。これから総攻撃で目前の敵を蹴散らし、ティヴァナの王都へ向け進軍するぞ……!」
「おおーーーー!」
 ハロルドの言葉に、兵士達は鬨の声を上げる。湧き上がる陣営内を尻目に、クリユスはすれ違いざまにジェドに声を掛けた。
「ジェド殿、ユリア様が貴方をずっと探しておられたのですよ」
 クリユスは幾分責めるように言ったが、ジェドは意に介する様子も無く頷いた。
「ああ、ここに来る前に会った。山奥まで探しに来るとは、見かけによらず案外タフな奴だ」
 そう言い、くく、と笑う。この広い大地で、ユリアはとうとうジェドを見つけ出したのか。その想いの深さに敬服せざるを得ない。
「そうですか……」
 では彼女の想いも彼に伝わったのだろう。ならばこの男を変えたのは、やはりユリアなのだ。安堵感とも寂しさともつかぬ複雑な想いが胸中に飛来し、クリユスは思わず苦笑する。
「―――私は、貴方のことが嫌いです」
 目を見据えそう言うと、ジェドはふんと鼻で笑った。
「何を今更。言われなくとも知っているし、俺もお前が嫌いだ」
「ではお相子ですね」
 クリユスは拳を上げると、それをジェドの胸に当てた。
「覚えておいて下さい。ユリア様を再び泣かせるようなことがあったら、この私が決して許しはしませんから」
「お前こそ、ユリアに手を出したら殺すぞ」
 ぴりりとした空気が流れ二人の男は睨みあう。だが暫くの牽制のあと、クリユスは崩れるように笑った。
「―――お帰りなさい、ジェド殿。貴方が帰ってきてくれて本当に良かった」
「ああ」
 ユリアの為というだけでなく、自分でも本当に意外だが、ジェドが生きて戻ったことが思いの他嬉しかった。この男が嫌いだが、どうもそれだけでは無いらしい。ブノワ然り、人の心というものは全く複雑に出来ている。





 ジェドが再び加わったフィードニア軍は、生まれ変わったかのような強さを見せた。
 今まで英雄一人に頼りきっていた兵士達も、もう彼が絶対的な存在ではないことを知っている。彼は決して神などではなく、死ぬこともあるのだということが身に沁みて分かったのだ。己達がまずはしっかり戦わなければ奇跡など起きぬことを、それぞれが自覚していた。
 ハロルドの采配は豪胆且つ的確で、ベスカやバレイ軍を打ち破る頃には、英雄の名の下に潜んでいたその存在もたちまち各国の知るところとなった。
 第六騎馬中隊長に昇格したアレクはメキメキと力を付け、次第にラオの第三騎馬中隊と共にジェドの両翼として名を馳せることとなる。ブノワは変わらずその猛将ぶりを見せつけ、フリーデルは常に戦局を冷静に見詰めハロルドを助けた。
 だが何より目を見張るものがあったのは、ジェドの強さである。元々神がかった強さを持ってはいたが、死地から甦った男は更なる進化を遂げていた。
「何ていうか、前より絶対的なものがあるんだよなあ。無茶をするのは前と変わらねえんだが、それでも無茶じゃねえっていうのか。上手く言えねえけどよ」
 そうラオが彼を評した。それに同意しアレクも頷く。
「それに前と違って、退路を失くす様な戦い方をしなくなったような気がするんだよな。厳しいところに突っ込んで行っても必ず突破出来るって安心感があるから、俺もちょっとくらい無茶が出来るっていうかさ」
 それはジェドが生きたいと思っているからだろう、とクリユスは思う。以前はどこか、いつ死んでも構わないと思っているような所があの男にはあった。だが今はユリアの為に生きねばならぬと思っているに違い無い。生への執着、それが更にあの男を強くしたのだ。

 フィードニア軍は国境を破りティヴァナへ進軍した。そして領兵軍を蹴散らし、破竹の勢いで王都を目指す。ジェド復帰から実に僅かひと月の後には、大国ティヴァナの喉元へ喰らいつく事になったのだった。













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