18: 弓騎馬隊





 騎馬隊一小隊の人数はおよそ2百〜3百。そして一中隊は約一千程である。
 フィードニアの大隊は騎馬隊五千、弓騎馬隊二千の合わせて七千で形成されている。
 歩兵隊は一小隊五百程、中隊は二千、大隊が一万五千程である。さらにその小隊の中で重戦車隊などに分かれているようだった。
 これだけの大国となっているにも関わらず、国王軍総計が三万にも満たないとは、クリユスには驚愕の事実だった。
 ティヴァナ国に追随する領土を持っているというのに、そのティヴァナでは、フィードニアの軽く三倍の兵士を抱えている。
 それ程フィードニアの兵士は精鋭なのかと思えば、クリユスが見る限り、そうでも無いようだった。
 寧ろティヴァナの兵士達の方が鍛え抜かれ、統率も取れており、将校クラスの武人も優秀な人材が多いように思える。
 ユリアで無くとも、この軍では危惧を抱かずにはいられないだろうと、クリユスは思った。
 ―――尤も、軍の内情に関わる事の無いフィルラーンのユリアが、どこまで知っていてそれを危惧しているのかは分らないが。
 だが不思議な事に、当のフィードニアの軍人が、この現状で危惧を覚えていないのである。
 フィードニアの軍人が、愚かな男ばかりという訳でも無いだろう。 ライナスという、中々に抜け目の無い男もいるのだ。
 つまりはそれほどまでに、フィードニアの英雄の力が大きいという事なのか。
 だが一人の男の存在が、数万の兵士に匹敵する程大きなものなのだとは、クリユスには俄かには信じがたい事であった。

 クリユスがフィードニア国軍第二弓騎馬隊中隊長に命ぜられてから、約一ヶ月が経っていた。
 自分の隊の中で、それなりな人材だと思える人間は、第四小隊長のバルドゥルと第一小隊長のロランくらいか。
 バルドゥルは五十半ば頃の男である。幾分老齢に近づいた年齢ではあるが、体力も剣の腕も衰えを見せてはいない。
 本人いわく、若い頃は血気盛んだったが、歳を重ねたぶん思慮深くなったとの事であるが、その辺の若い兵士達より余程血の気は余っているように見えた。
 そして思慮深いというより、老獪ろうかいだと言った方が正しいだろう。 クリユスにとっては、嫌いでは無い男だった。

 ロランは弓の腕も剣の腕も、文句は無かった。
 十九歳という若さからか、多少無謀な策を考える節はあったが、勇猛と取れない事も無い。
 たしなめると素直に従う柔軟さも持っており、これからもっと伸びる男であるといえる。
 ただ、ロランに初めて会った時に見せた、ユリアの怯えるような態度が気に掛っていた。
 ユリアが触れたがらない話のようだったので、あえて彼女には問わなかったが、後に耳に入って来たロランの弟が不敬罪で処刑されているという話と、ユリアの態度を合わせ見ると、おおよその想像は付いた。
 自分を襲おうとした男と同じ顔の男など、気分の良いものである筈も無い。そういう事なのだろう。
 
 ロランは馬に乗りながら、弓で的を射る訓練を行っていた。
 並んだ的の前を走りぬける。的の中心を四つ目まで打ち抜き、最後を外した。
「どうした。最後を外すなどと、集中力が足らん証拠だぞ」
 その横で、同じく馬上から五つの的を射抜いてみせたバルドゥルが、楽しそうに言った。
「たまたま今外してしまっただけですよ、バルドゥル殿。人の失敗を笑うなんて、人が悪い」
 ロランは不貞腐れた表情をする。
「バルドゥルの言う通りだ、ロラン。 たまたま外しただけなどと言っていると、大事な場面で外す事になる。十本射たら、十本が思った通りの場所に突き立っているようでなければ、訓練の意味など無い」
「あ…クリユス殿」
 ロランがクリユスの姿を認め、頭を軽く下げた。
 クリユスは馬を走らせ、次々に矢を放った。それは全て的の真ん中を射抜いている。
「いいか、十本の矢が常に十の的を射抜いてこそ、重要な一本の矢を当てる事が出来るのだ」
「はい、申し訳ありません、クリユス殿」
 言い訳をした自分を恥じるように、ロランは頭を下げた。
 
 その時、訓練場が俄かにざわついた。
 何事かとクリユスはそちらへ馬首を巡らせる。
 その先には、大きな赤毛の馬に跨った、フィードニア国の英雄が居た。
「なんと…総指揮官殿がここへ現れるとは、珍しい事もあるものだ」
 バルドゥルが白髪交じりの顎鬚を、指で撫でつけながら言った。
 確かにその通りである。 クリユスがここへ来てから、ジェドが訓練場に現れる事など初めての事だった。
 ジェドは真っ直ぐに、クリユスの方へ馬を歩ませて来る。
 馬上の英雄は、舞踏会で感じた以上に、尋常では無い覇気を纏っていた。
 対峙しただけで気が怯みそうになるのは、初めての経験だった。
 だがそんな姿を部下に見られる訳にもいなかい。クリユスは努めて平静さを保ってみせた。

「お前か、クリユスという男は」
「はい、クリユス・エングストと申します。一ヶ月程前から、第二弓騎馬隊中隊を任して頂いております。以前からジェド殿にはお目通り願いたかったのですが、やっとそれが叶いました」
「ふん、余計な挨拶など面倒だからな。 俺は軍の編成に興味は無い。ライナスには好きなようにやれと言っている」
「では、今日は何故この私にお会い下さったのですか」
「そのライナスが、お前ともう一人の男に会っておけと五月蠅いのだ。 ―――成程、油断ならん眼をしている」
 ジェドはにやりと笑った。
「お前はこの国で直ぐ頭角を現すだろうと言っていたな。―――風が、吹くか。面白い」
「――――風」
 クルト王もそのような事を言っていた、とクリユスは思った。
「何でも無い、こっちの話だ。 さっき言ったように、俺は軍の編成に興味は無い。お前達は好きなように出世して、好きなようにこの軍を扱えばいい。――――この国を滅ぼさぬ限りはな」
「ジェド殿―――」
 ジェドの思惑が、全く読めなかった。
 クリユスの心中など、軽く見透かしているようでもあり、逆に何もかもがどうでもいいと思っているようにも見えた。

「ところで、お前達はユリアと親しいようだが――――可笑しな話だな。幼少の頃からラーネスに籠っていた筈のフィルラーンが、軍人と知り合うとは」
「ああ…我々はラーネス近辺の国境沿いに務めておりましたので、近くの町で偶然お会いしたのです。まあ、ユリア様はこっそり抜け出して来ていたようですが」
「呆れた不良娘だな。それで道徳を説くとは、空々しい話だ」
「いえ…幼少の頃の話ですから」
「別に責めている訳では無い。フィルラーンも只の俗人と同じだと、そう思っているだけだ」
 ジェドは馬首を返した。 既にもう、クリユスには興味を無くしたようだった。
 ―――それにしても、フィルラーンを只の俗人だと公言するとは。
 神をも恐れぬその不遜な態度が、だが何故かこの男には似つかわしい、とクリユスは思った。
 どこか人を惹き付けるものを持っている。この男を軍から追放するなどと、中々に骨の折れる仕事になりそうだった。

 クリユスは苦笑しながら、つい眼で追っていた英雄の後姿を、視界から離そうとした。
 その瞬間、背後からクリユスの横を何かが通り過ぎた。 矢だ。
「―――――ジェド殿……!」
 クリユスが叫ぶより早く、ジェドは振り返りざまに自身を襲う矢を掴み取った。――――見事だ。
「何をやっている…!」
 クリユスはだが内心の感嘆を抑え、矢が放たれた方へ振り返ると、怒鳴った。
 そこにはロランが居た。
「申し訳ありません。手が滑りました」
 ロランは馬から降りると、地に両手を付け詫びの言葉を口にする。
「申し訳無いでは済まぬ。お前は自軍の将へ向け矢を射たのだぞ。……それがどういう事か、分かっているのか」
 クリユスの叱咤にも、ただロランは申し訳ありませんと繰り返すだけだった。
 クリユスが部下の失態を詫びようとすると、ジェドはくく、と低く笑った。そして矢を片手で折って捨てる。
「こんなもので俺が死ぬと思うか。舐められたものだ」
 つまらなそうに言うと、ジェドはロランを責めるでもなく、今度こそこの場から立ち去った。
 
 地に伏せるロランは、微かに震えている。
 ――――自分の犯した失態に、怖れおののいている。普通に考えたら、そう取れるだろうと思った。
 只の失態であれば、だ。
「――――お前の弟は、ジェド殿の手に掛って死んだそうだな。不幸な事だとは思うが、それは不敬罪によるものだと聞いている。それを恨むのは、お門違いでは無いのか」
「…………いいえ、クリユス殿。そんな事は思ってなどおりません。今回の事は、ただ私の不注意によるものです」
 俯くロランの表情は、分からなかった。
「そうか。だがお前は暫く謹慎していろ、ロラン。 わざとであろうと無かろうと、将へ矢を向けた事に変わりはしない」
「――――――はい、クリユス殿……」
 ロランは立ち上がると、馬に乗りそのまま兵舎へと戻って行った。
「……バルドゥル」
「は」
「ロランの弟はどういう男だった?」
「そうですね、人好きする奴でしたね。まあ、不敬罪などという言葉が、およそ似合わぬ男ではありましたな」
「そうか」
 そんな弟の突然の死に、ロランが納得出来ないでいるのも当然であるのかもしれない。
「だが今はロランを我が軍から失うのは、少しばかり痛いな…」
 クリユスは一人呟いた。
 やらねばならぬ事は多い。今は内輪揉めに気を病んでいる時でも無いのだ。
「バルドゥル、お前に頼みがある」
「何なりと――――おっと、これは」
 バルドゥルがクリユスの肩越しに後方を見やり、嫌そうな顔をした。
 視線を追うと、メルヴィンがこちらへやって来る所だった。

「ジェドが今、ここへ来たそうだな。何の用だったのだ? 珍しい事もある」
「新しく入った私を見に来たようですよ」
「今更か? 呑気なものだ」
 メルヴィンは呆れたというように顔を歪ませる。
「そうですね。ジェド殿は軍にあまり関心を持っておられない様子ですね。――――それに、生まれも卑しい身だそうで。……正直、そのような方が総指揮官だとは、このクリユス、少々戸惑っておりますよ」
「うむ、そうなのだ。腕は立つかも知れんが、総指揮官に相応しい人間だとは、私も思わぬ」
「ええ……血筋を考えますと、やはりメルヴィン殿を置いて相応しい方は、他に居ないように私には思えてなりません」
 メルヴィンは満更では無いという顔をした。
「ふん、それはそうだろう。だが王があのような者を登用する策などを打ち立てるものだから、下賤の者が大きい顔をする」
「腕が多少立った所で、それだけです。 彼が一万の兵士の働きをするというのなら、一万の兵士を用意すれば良いだけの事。さすれば、貴方を総指揮官として認めぬ者などおりましょうか」
 メルヴィンは驚いたように、目を見開いた。
 測るようにクリユスを暫し凝視すると、目を細め、言った。
「――――待て、ここでする話でもあるまい。 今度私の屋敷に来るが良い。酒でも飲みながら、話そうでは無いか」
「はい、是非伺わせて頂きます」
 バルドゥルは少し離れた所で、何も聞いていないとばかりに、素知らぬ顔をしている。
 それが老獪だというのだ、とクリユスは心中で笑った。









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