175: 帰城






 ダーナが衣服を荷袋に詰めながら、困ったように両眉を下げた。
「どうしましょう、とても入りきりませんわ」
 初めは必要最低限の荷物だったものが、この一年もの間に一つや二つ位の荷袋では納まりきれない程に増えていた。季節が変わり新しく揃えた衣服や、訪れた近隣の町や村の住人から贈られた絨毯や木彫りの置物、装飾品なんかもある。
「贈り物は持って帰らなくてはな。仕方が無い、入りきらない衣服は捨てていこう」
 帰路は馬車を使う予定だったが、それでもそう多くの荷物が乗る訳ではない。私物は道中に必要な着替えと路銀さえあれば何とかなるだろう。
「どれもユリア様にお似合いなものばかりですのに、勿体無いですわね……」
 ユリアの衣服を眺め少々名残惜しそうな顔をしたが、それでも全ては持ち帰ることが出来ぬのはダーナも分かっている。気を取り直して荷物を選別し始めた。
「私も手伝おう、これを詰めればいいんだな」
「あ、駄目ですユリア様。そのように適当に詰めてしまっては、幾らも詰められませんわ」
 丁寧に隙間無く荷袋に詰め、少しでも多く持ち帰ろうとしているらしいダーナに慌てて荷袋を取り上げられる。
「ここは私がやっておきますから、ユリア様は散歩でもしていて下さいませ」
 そう天幕から追い出されてしまったユリアは、仕方が無くダーナの言う通り陣営内を散歩することにした。

 長らく膠着状態にあったティヴァナとの戦いに好機が現れたのは、つい最近の事である。ティヴァナと対等に戦うフィードニアの姿に勝機を見出したのか、リュオードとバレイがティヴァナ側から寝返りフィードニアに味方するようになったのだ。
 バレイ国は旧トルバ国の右上に位置している為、進軍するとティヴァナは退路を断たれることになる。故にティヴァナは撤退を余儀なくされ、ベスカ国内まで下がることになった。フィードニアは追撃の為ベスカ国へ進軍することになり、今陣営を敷いているこの旧トルバの国境地帯を離れることになった。
 兵士達は陣営を囲む柵を取り壊したり、天幕を解体したりと忙しく働いている。明日の朝にはベスカ国へ向け出発するようだった。
「ユリア様」
 辺りをぶらついていると、クリユスが声を掛けてきた。
「城にお戻りになるそうですね」
「ああ…城にはナシス様がいるとはいえ、これ以上私の我侭でフィルラーンの職務を放棄し続ける訳にはいかないからな。この陣営も解体されるし、この辺で区切りをつけるべきだろう」
 この地を後にすることに未練が無いかといえば嘘になるが、それでもジェドを探し続けて既に一年が経つ。ここでこれ以上探して何か進展があるとは、もう思えなかった。
「私の天幕も解体して貰わなくてはいけないからな、日が暮れる前にはここを発ち、今日は近くの村に泊めてもらう予定だ」
「そうですか。私が護衛に付けられれば良いのですが、軍を抜け出す訳にもいきません。くれぐれもお気を付けてお戻り下さい」
「大丈夫だ、ハロルドが腕の立つ者を二名程付けてくれると言っていたからな。お前こそ、ここから先は敵国の領地へ進軍することになるのだ、気をつけて行ってこいよ。――――もうこれ以上、親しい者の死の知らせなど聞きたくは無いからな」
「ユリア様……」
 クリユスは言いよどむように口を噤んだ。いつからか、「ジェド殿はきっと生きていますよ」などという気休めを口にすることは無くなった。もう誰も彼が生きているとは思っていないのだ。ユリア自身でさえ、心のどこかでは諦めかけている。
「邪魔をしたな、クリユス。お前も明日の出立の準備で忙しいのだろう、支度に戻るがいい。二度と会えぬ訳ではない、別れは言わないぞ」
「ユリア様――――」
 立ち去ろうとするユリアの腕を、クリユスが掴んだ。
「もし……ユリア様、もしも―――……」
 少し逡巡した後、意を決したようにユリアの瞳を覗き込む。
「もしもこのままジェド殿がお戻りにならなかったら、ユリア様、私と―――」
「ジェドは、戻ってくる」
 遮るようにそう言うと、クリユスは目が覚めたかのように、はっと目を見開いた。
「ジェドは生きているよ、クリユス。例え可能性が低くとも、最後までそう信じていたいんだ」
 例え二度と戻ってくることが無かったとしても、生還を信じ続けている限りは、ユリアの中でジェドはまだ生き続けるのだ。もし諦めてしまったら、その時点でジェドはこの世から消えてしまう。そんな気がした。
「そう―――ですね。ジェド殿はきっといつか戻ってくる。ああ、そうだな」
 苦笑すると、クリユスはユリアの腕を放し、代わりに頭をくしゃりと撫でた。
「俺はこれからも、何があってもずっとお前の兄だ。覚えていてくれ、ユリア。辛くなったら俺を呼べ、いつでもこうやってお前を甘やかしてやるからな」
 そのままユリアの頭に口付けると、優しく微笑み手を離す。
「ああ―――ありがとう、クリユス」
「それでは、私はそろそろ戻りますよ。いつまでもサボっていると怒られますからね」
 気障ったらしい仕草で片手をひらりと胸元にやり、恭しく頭を下げると、クリユスはユリアに背を向けた。

 散歩を終え天幕に戻ると、ユリアの予想より遥かに多くの荷物をきっちりと馬車に詰め込んで、ダーナが待っていた。
 二人で皆に挨拶をして回り、日が暮れる前に護衛と共に出発した。その日は予定していた通りに近くの村に泊まり、翌日から本格的な旅路となる。
「済まないが、少し遠回りして帰ってもいいだろうか」
 地図を見ながらユリアは、最短距離で帰ることの出来る街道ではなく、山ぞいに迂回する帰路を指し示す。迂回路と言っても、この一年の間に既に訪れている村ばかりである。ジェドに関して何か目新しい情報が得られるとも思えなかったが、最後の足掻きだ。
「分かりました。街道に比べれば少々道が悪い場所もあるかもしれませんが、危険な所ではありませんから、問題はありません」
 護衛兵が承諾し、ユリア達は大きく迂回した道を行くことになった。
 山ぞいを走るその道は、護衛兵の言う通りに悪路が少なからずあり、途中馬車の車輪が穴に嵌まることも何度かあったが、それでもなんとか順調に進んで行った。村や町を通るたびに立ち寄ったが、やはり何の情報を得ることも出来なかった。
「これは、フィルラーンの聖女様。こんな小さな村で大したもてなしも出来ませんが、どうぞ今夜は私の家でお寛ぎ下さいませ」
 その村に立ち寄ったのは、出発から十日程発った日の夕暮れのことである。到着すると村長が出迎え、村長自らの家へユリア達を案内した。
 ユリアがこの山ぞいの道を通り王都へ戻ろうとしていることは、既に先々の村まで話が伝わっているらしく、村を二つ三つ通った辺りから、到着すると既にもてなしの用意が整っているということが多くなった。
 過剰なもてなしは断るようにしていたが、宿の用意はありがたく受けることにしている。申し出通り、今夜は村長の家に泊めて貰うことにした。
「何も無いところですが、山の幸だけはふんだんに取れますので、どうぞ召し上がって下さい」
「まあ、とても美味しそうですわ」
 ダーナが歓喜の声を上げた。卓上には茸や山菜の料理、それに山で取れる獣の肉の煮込みなどがずらりと並んでいる。
「これは、お心遣いありがとうございます」
「お口に合えば良いのですが。あの、ところで……」
 村長は何かを言いかけたが、迷うように口を噤む。
「何でしょうか?」
 こちらから水を向けたが、逡巡した末に「いえ、何でもありません」と首を横に振る。
 何だろうかと思いはしたが、特に追求しないまま食事を終えた。だが席を立とうとした時に再び村長が何かを口にしかけ、更には部屋を案内しながらも何か言いたげにユリアに視線を寄越す。
 翌朝ユリア達の出立が近付くと、目に見えてそわそわとしだす村長に、流石に放っておくことが出来なくなった。
「何か私に伝えたいことがあるのならば、仰っては頂けませんか。これでは気になって出発することが出来ません」
「あ、いや、これは……気付いておいででしたか」
 驚いたように目を見開く村長に、これで気付かぬ馬鹿者などいるかと内心思いはしたが、顔には出さぬように先を促す。
「“清め”を行って欲しいという願いでしたら、遠慮なく言ってくれてかまいませんよ。泊めて頂いた礼もしたいですし」
 フィルラーンが折角来たのだから、清めの儀式をして欲しいと望む村は多い。本来は穢れを祓うものだが、広い意味では災厄を祓う儀式であるとも言えるからだ。
 この村もそれを望んでいるが頼み辛いのかと思ったのだが、村長は慌てて首を横に振る。
「い、いえ、そうでは無く。……その、確かな話ではないので、ユリア様にお伝えしていいものやらと考えあぐねていたのですが……」
 意を決したように、村長はユリアに向き直る。
「ユリア様、宜しければ貴女に会って頂きたい者がいるのです。ここから幾つも山を越えた山深い場所にある集落に住む者なのですが、丁度数日前に麓に下りて来ておりまして」
「それは、構いませんが……」
 先を急いでいる訳ではない。だが意図が分からず首を傾げるユリアに、村長は言葉を選びつつ続ける。
「その――――実はその者が言うには、丁度一年程前にその集落の近くに流れる川で、負傷した兵士を助けたらしいのです」
「え」
 どきりとし、思わずダーナと目を見合わせた。それは、もしや―――ー。
「ですがそれがフィードニアの英雄だと決まった訳ではないのです。負傷した兵士など、先の戦いで幾らでもおったでしょうし、その男も名を一切名乗らぬようで。ただ、最近になってようやく傷が完治してみたら、グルを一撃で倒すほど強い男だったそうで……」
 グルとは山奥に住む大きな体躯を持つ獣の名である。ミューマ程凶暴では無いが、それでも出くわせば命は無いと言われる獣だ。
 心臓が早鐘を打った。それ程強い男で、しかも助けたのが丁度今から一年前。もしかしたら、それはジェドなのかもしれない。
「違っていてもいい、詳しく話を聞かせて欲しい。早くその者に合わせてくれ」
 掴みかからんばかりのユリアの勢いに気圧されたように、村長は慌てて頷く。
 己の言葉遣いが素に戻っていることにも構ってはいられなかった。この一年の間、全く掴めなかった希望の光を、僅かに捉えた気がした。


















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