160: ジェド4 ユリアに出会って、ジェドの世界は大きく変わった。 ユリアはよく笑い、よく喋る子供だった。少年は話すことに慣れていなかったので、ただ相槌を打つことしか出来なかったが、そんな事は気にしていないようだった。 その満面の笑みに釣られてぎこちなく笑みを返すと、まるで贈り物でも貰ったかのように喜ぶ少女が、なんだかこそばゆい。嬉しいという感情や、楽しいという感情を、ジェドは初めて知った。 ユリアは何故かジェドが剣を操る所を度々見たがったが、それだけは頑なに拒否した。あの剣は今まで何人もの血を吸ってきた禍々しい物だ、この無垢な少女の目に入れることには抵抗があった。それに剣を振る自分の姿を見たら、いつか他の村人達のように、恐怖の目を向けられるようになるかもしれないと思うと、怖かったのだ。 他のことは何でも叶えてやりたいと思うのだが、それもなかなか上手くはいかなかった。ユリアは“おままごと”なることをよくやりたがったが、何をどうすればいいのか全く分からない。「ジェドはお父様の役よ」と言われても、彼は暴れる義父以外を知らなかったし、それを少女に告げたくは無かった。上手く相手をしてやれない自分がもどかしく、落胆させる度に胸が痛んだ。 なのでユリアが兎を見つけ、嬉々として追いかけようとした時は、やっと喜ばせてやることが出来ると安堵したものだった。自分にとってあんな小動物を捕まえることなど、造作も無いことである。ジェドは小枝を拾うと、兎に向かってひゅっと投げた。 難なく捕まえた兎を片手で掴み上げると、ユリアが恐る恐るそれを覗き込む。 「…うさぎ、死んじゃったの?」 「気絶しているだけだ。待ってろ、今 ジェドは短剣を取り出すと、手にした兎に刃を突き立てようとする。彼にとって小動物は食料という認識しかなかった。村の女達が食事を運んでこない事が度々あったので、少年はたまに自力で獲物を仕留めていた。故にこの時、ユリアも腹が減っているのだろうと思ったのだった。 ところが突然ユリアは顔色を変え、ジェドが掴んでいる兎にしがみ付くと、叫んだ。 「やだ……! だめ、殺さないで……!」 良かれと思った行動に、ユリアが顔色を変えている。訳が分からず内心パニックに陥った。 「変な奴だな…お前がこれを食べたいと言ったんじゃないか」 「食べたいなんて言ってないもん……! 殺しちゃだめよ、かわいそう」 「可哀想……?」 食料に対して可哀想と言う、その感覚がよく分からない。食べないというのなら、何故兎を追いかけようとしたのだろうか。首を傾げると、ユリアはジェドの手から、じれたように兎を奪い取った。 「かわいそうだよ、だってこの子が死んじゃったらこの子の家族が悲しむもの、殺しちゃだめ……!」 「家族……こいつが死ぬと、なんで悲しむんだ?」 “食料”の家族と言われても今一ピンとこない上に、ジェドにとって“家族”とは、自分を疎み殺そうとした存在でしかないのだ。誰かの死を誰かが悲しむという感覚も謎だった。困惑していると、急にユリアがわあっと泣き始めた。 「殺しちゃいや、かわいそうだよお……!」 わあわあと泣くユリアに、ジェドは慌てて短剣をしまう。なんだか分からないが、とにかく兎を殺したくは無いらしい。 「わ、分かった。分かったから泣くな。もう殺さない」 「………ほんとうに?」 やっと泣き止みぐすぐすと鼻を鳴らすユリアに、ジェドはぎこちなく笑みを作った。 「本当だ、お前が悲しいなら殺さない」 「約束だよ?」 「分かった、約束する」 そう告げると、やっとユリアは笑顔を見せた。安堵するのと同時に、ジェドは少し落ち込んだ。ユリアを喜ばせたいと思っていたのに、全く上手くいかない。 ――――殺しちゃいや、かわいそうだよ。 ユリアが泣き叫んだ言葉を、ジェドは頭の中で反芻する。その言葉は、ずっと後々にまで、ジェドの心に残ることになった。 ユリアを怖がらせたくない。そう思っているのに、一度村の青年達と喧嘩している所を見られてしまった事がある。 例の事件は村の大人達だけの秘め事であり、年若い者達には知らされていなかった。ジェドと関わる事は禁じられていたようだが、村の片隅でまるで特別待遇のように暮らす少年のことが、彼らにとって面白く無かったようだ。元々以前からジェドに絡んで来ていたこともあり、事件後も度々襲ってくる事があった。 普段ならば適当に痛めつけて帰してやるだけなのだが、彼らに周りを囲まれた時、ユリアがすぐ近くまで来ていることに気付き、冷や汗が出た。戦っている所を見られたら、ユリアはこの化け物のような力をどう思うだろう。 駆け寄ろうとしてくるユリアを、慌てて制するのと同時に、青年達が木の棒を持ち襲い掛かって来た。仕方が無い、巻き込んでユリアに万が一でも怪我などさせる訳にはいかない。一人から木の棒を奪い取ると、全員に速攻で当身を食らわせた。一撃で皆が倒れていくその様に、ユリアは何が起こったのか分からぬ様子で、ぽかんとしている。 「し……死んじゃったの……?」 恐る恐る近付いてくると、心配そうに倒れている男達を覗き込む。 「気を失っているだけだ、すぐ目が覚める」 もしこいつらを殺したら、ユリアはまた泣くのだろうか。そんなことを考え、ぞっとした。それは嫌だ、この少女を二度と泣かせたくはない。 ユリアの涙を前にして、少年が腹に抱えていた怒りも憎しみも、不思議な程に全て消え失せてしまっていた。この村を皆殺しにする事など、もう頭の片隅にも残っていない。ただユリアを泣かせたくない、怖がらせたくない。それだけだ。 「……………俺が、怖いか?」 まだ困惑している様子のユリアを、横目で見ながら恐る恐る聞くと、少女は弾かれたように顔を上げ、「ううん」と首を振った。 「この人たち、ジェドがやっつけたんだよね。すごいね、ジェド強いね。魔法使いみたい……!」 ぱあっと顔を輝かせるユリアに、ジェドは驚いた。自分のこの人外な強さが喜ばれるとは、思ってもみなかった。戸惑うジェドに気付かず、ユリアは凄い、凄いと繰り返している。 「…別に、たいした事じゃない」 ジェドは自分の顔が赤くなっていくのを感じた。人から褒められたことなど初めてだ。どうしてユリアは、こんなにも人を喜ばせる事が上手いんだろうか。 「出来た。ほら、見て見て、花かんむり!」 ユリアが嬉しそうに花冠を自分の頭に乗せる。 「見て、お姫様だよ」 得意げにくるりと回ると、スカートの裾を持ち上げお辞儀をしてみせる。 「うん、本当にお姫様みたいだ」 目を細めながら相槌を打つと、ユリアは嬉しそうに笑った。 「ジェドはね、騎士さまだからね。騎士さまはお姫さまを守るんだよ」 「ああ、守ってあげるよ。ユリアをずっと」 「ほんとうに? 約束だよ」 「ああ」 ジェドはくすりと笑った。ユリアは“約束”が好きらしい。今までに何度“約束”させられたか分からない。 「だったら、大人になったらわたし、ジェドのお嫁さんになってあげる」 「え……よ、嫁……?」 「うん、ずっと一緒だよ」 ドキドキした。こんな自分とずっと一緒にいたいと、本当にユリアは思ってくれているのだろうか。 黙っていると、ユリアが心配そうに顔を覗き込んでくる。 「だめ? ジェドはいや?」 「い……いや、そんなことは無い」 慌てて言うと、ユリアはにこりと笑う。 「じゃあ、約束…!」 もう一つ編んだ花冠をジェドの頭に乗せると、ユリアはジェドの頬に口付けた。 今までで一番、幸せな“約束”だ。顔が赤くなっているのが、ユリアにばれていなければ良いけど。 |
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