16: 双子
「お初にお目にかかります、ユリア様。 この度、国王軍第二弓騎馬隊第一小隊長に就く事になりました、ロランと申します」 イアンにそっくりな容姿で、その男はロランと名乗った。 「ロラン………?」 「そいつはイアンの双子の兄ですよ」 ユリアの狼狽する様子を見て取ったのか、ライナスが口を挟んだ。 「ロランは二年程前――ユリア様がここへ来る少し前から、国境警備の任に当たってましてね。ですが、まあイアンがあんな事になったんで、こっちへ呼び寄せたのです。イアンは小隊長の中でもずば抜けた腕を持ってましたから、代わりを務められる奴も中々いないのです」 「双子―――」 ユリアは不躾とは知りながらも、ロランを眺めずには居られなかった。 双子とは、こんなにも似ているものなのだろうか。 以前にも双子だという女性をユリアは見た事があったが、その二人はここまで似通ってはいなかった。 だがこのロランは、まるでイアン本人ではないか。 陽に透けると金にも見える、茶色い髪。そして茶色い瞳。笑うと眼尻の下がるその瞳は、誰の目にも好青年に見えた事だろう。 ユリアより二つ年上ではあったが、人懐っこく笑うそれは、まるで少年のようだったと、ユリアは覚えていた。 「北のシエンとの国境沿いに居りましたが、そこでもユリア様の噂は耳に入っておりましたよ。こうしてお会いする事が出来て、光栄に思います」 ロランは笑った。 (――――――――いや、違う) ぞくりと、ユリアの背筋に悪寒が走った。 姿形はそっくりそのままなのだが、何かがイアンとは違う、とユリアは思った。 「ですが噂から想像していたよりも、ずっと美しい方でいらっしゃいますね」 柔らかに笑うロランの瞳の奥には、何か悪意が潜んでいるような気がした。 「……世辞など、良い」 「世辞などと、これは私の本心です。――――いや、本当に、美しい」 ―――――怖い。 ユリアは微笑むこの男が、怖くて堪らなかった。 同じ顔だというのに、イアンには全く感じた事の無かった恐怖だ。 ――――いや、イアンにそっくりだからこそ、感じる恐怖なのかもしれない。 彼を死なせてしまった罪悪感が、ユリアに纏わりついて離れない。その思いが、同じ顔の男に恐怖を感じさせるのかもしれなかった。 「おい、フィルラーンを口説くな」 ライナスが笑いながらロランの肩を叩いた。 「ライナス様…口説くなどと、滅相も無い」 ロランは慌てて弁解をする。ロランの視線が外れ、ユリアは幾分ほっとした。 「ではユリア様、私どもはこれで。そろそろ訓練に戻らなくては、部下達に叱られますからね」 それでなくても先程みっともない所を皆に見せてしまったから、今日位は真面目に参加しておかなくては、とライナスは面倒そうに言う。 「ええ、今日は御苦労さまでしたね、ライナス。勝敗など関係無く、良い試合でしたよ」 頭を下げるライナスを前に、ユリアはクリユスの手を借り、今度こそ馬に乗る。 「それでは、行きましょう」 クリユスが手綱を引いた。 歩み始めた馬の背後から、面倒臭がりな所は以前と全く変わっていませんねと、ロランの呆れる声が洩れ聞こえた。 その声に棘は無く、それはまるで以前に聞いた、イアンとライナスのやりとりを聞くようで、ユリアは一瞬振り返りそうになった。 そんな自分に、ユリアは自嘲した。 イアンにそっくりで、だがイアンとは違う――――。そんな事、当り前では無いか。 例えどれ程似通っていようと、あの男はロランであり、イアンでは無いのだ。 双子の兄とはいえ別の人間。そんな当たり前の事なのに、自分は何を期待しているのだろう。 まるでイアンが生き返ったように錯覚するのは、自分の罪悪感を払拭したいが為の、只の逃避でしかないのだ。 ロランの中に毒を感じるのは、イアンとの違いを感じて思わず拒否してしまう、自分の心の所為なのだろう、とユリアは思った。 * 城下町の東門に近い場所に位置する、少し古い店構えをした飯屋の扉を、ライナスは押し開いた。 中から「いらっしゃい」と元気な声が飛んでくる。そこは彼が良く足を運ぶ馴染みの店だった。 勿論兵舎にも食堂はあるのだが、そこの飯は旨いとは言い難いものであり、他の兵士達の中にも、非番の日などに訪れる馴染みの飯屋を持っている者は多かった。 だが大概の兵士達は、訓練場への行き来に西門を通る事から、利便性の高い西門付近の飯屋へ入り浸る事が多い。 東門付近は比較的寂びれた店が多く、わざわざ足を運ぶ娯楽がある訳でも無い。故に兵士達の出入りが少ないこの飯屋は、ライナスにとっては気安い場所だった。 ライナスは店の中へ入り、いつも彼が座っている席―――別に指定席という訳では無いのだが―――へと目をやると、そこには既に先客がいた。 (――――これは、珍しい事もあるもんだ) そこには彼が良く知る黒髪の男が座っていた。 隣には美女が座って居り、しきりに男へ話しかけている。 女を侍らせているというよりは、一人で飲んでいた所に女が勝手に話しかけて来て、そして居座ってしまったのだろう。 あれだけの美女を横に座らせながら、つまらなそうな顔をする男にライナスは苦笑した。 (全く、勿体無いものだ) 二十三歳と若く、整った顔立ちをした彼は、文句無しに女を惹きつける魅力を持っているのだろう。 ――――ましてや、このフィードニアの国の英雄である。女が寄って来ない筈もなかった。 「ジェド殿、ここの飯屋は魚を煮たやつが旨いですよ」 話しかけるライナスを認め、ジェドが片眉を上げた。 「ここはお前の贔屓の店か。ふん、来る店を間違ったな」 「あら…あなた、ライナス様でしょう? まぁ、軍のお偉方が二人も集まるなんて、この店も大したものね」 美女が愛想良くライナスに合席を勧めた。 何を話しても反応の悪い英雄を、この美女も持て余していた所だったのだろう。 「済まないが、外して貰えるか。俺はこの人に話があってね」 「ま……私がいるとお邪魔なのかしら?」 この私を追い払うつもりなの、とでも言いたげな目をする。 自分の容姿に自信のある人間は、全くもってやっかいだ。 「折角あんたのような良い女と飲めるのを断るんだ、内密の話なんだよ、悪いな」 丁重に断ると、しぶしぶ女は席を立った。 今度はゆっくりと飲みましょうねと、英雄に言うのは忘れない。 「いや、英雄というのも中々大変ですな」 ライナスはジェドの向かいに座ると、店の主人に酒と適当な料理を注文をした。 「……内密の話だと? 俺はお前になど用は無いぞ」 「俺もそうですよ。今のは、あなたがさっきの女に辟易としているようだったから、追い払ってあげたんですよ」 「だったら何故そこへ座る。お前も邪魔だ、どこか他に空いてる席へ行け」 「ここは俺がいつも座る席なんです。 嫌なら、あなたがどけばいい」 ジェドは不機嫌そうな顔を、更に顰めた。 ―――昔に比べ、表情が多少豊かになったなと、ライナスはふと思った。 昔は全く表情の変わらない……いや、表情の全く無いガキであった。 ジェドが十一歳で軍へ入隊して来た時、ライナスは十八歳で既に歩兵隊の中隊長になっていた。 そしてそのライナスの隊へ、ジェドは配属されて来たのだった。 (まさかあのクソガキがこの国の英雄になるとはな) ライナスは苦笑しながら、運ばれてきた酒へと手を伸ばした。 「―――そういえば、ユリア様が連れてきた二人、入隊させましたよ。ラオという男を第三騎馬隊中隊長、クリユスを第二弓騎馬隊中隊長に就かせます」 「……好きにしろ」 ジェドは関心なさげに答える。ライナスはわざとらしく、溜息を吐いてみせた。 「自分の部下になるのですから、少しは興味を持って頂きたいもんですがね。 ああ―――あと、シエンの国境警備をしていたロランを戻しました。イアンの双子の兄です―――これも、関心湧きませんかね」 「湧かんな。お前の好きにしろと言っている、これ以上俺に何を言わせたいのだ」 「いえ、別に。ただ一応報告くらいはしておこうと思っただけですよ。総指揮官はあなたなんですから」 ふん、とジェドは面倒臭さそうに眼を細める。 自分もいい加減面倒臭がりだが、この男よりは仕事熱心な男だと、部下に言ってやりたいものだ。 「イアンと言えば――――あなたがあいつを処断したのには、驚きましたよ。 俺はあなたがそこまで国を想う人間だとは思っていなかったんでね」 ライナスは肉と野菜を煮込んだ料理を口にした。 「ああ、これは旨い。良かったらジェド殿もどうぞ」 ジェドはライナスの差し出す皿を無視し、無言で睨みつけてきた。その目はライナスの言葉の先を促している。 ライナスは肩を竦めると、大人しく皿を引っ込めた。 「この国には、ナシス様という高能力を持つフィルラーンが既に居る。 こう言っては何ですが、ユリア様は現時点では、国にとって居ても居なくても大差ない存在な訳です」 そう、フィルラーンは一人居れば、国の形は成り立つのだ。 逆を言えば二人目の存在など、大して必要としていない。 万が一ナシスに何か有った時に、もう一人フィルラーンが居れば替えが効く―――彼女の意味と言えば、極論を言えばそんな所だ。 勿論、フィルラーンは崇高な存在であり、不要だとか無意味だとか考える不届き者など、そう居りはしない。 だがこの男はそんな事などお構いなしに、不要なものは不要だと、あっさり切り捨ててしまえる男なのだ。 そう、普段の彼なら。 「そんな中途半端な存在のフィルラーンでも守ろうと思う程の親切心など、持ち合わせてはいないと思っていましたよ。 いや、これは失敬。いつのまにか国政に熱心になられた訳ですな」 「おい、何が言いたいんだ」 ジェドは明らかにイラついた様子で、ライナスを睨みつける。 「………………」 ライナスは酒を煽ると、息を吐いた。 「―――只の嫌がらせですよ。イアンを私は結構気に入っていたんです。嫌味の一つくらい、聞いてやってもばちは当たらんでしょう」 あの男は人殺しなのです、とユリア様は言った。何故責めないのかと。 イアンを気に入っていた。気にかけてもいた。 だが今でも、ライナスはジェドを 好きな女に指一本触れる事さえ許されず、戦場で死ぬ事も出来なかったイアンが、ただ哀れであるだけだ。 『人殺しなのです』 ――――ですがユリア様、人殺しは彼だけでは無い。この俺も、イアンも、他の兵士達も。同じくこれまでに幾人もの人間を殺めて来た。 そんな人間が、他人を責める事など出来るでしょうか。 戦場という狂気を知らない、あの清浄で真っ直ぐなユリアの瞳が、ライナスは苦手だった。 フィルラーンという、この世の汚れとは一番遠い所に居る存在が、手を血に染める男達の傍にいるなど、元々おかしな話なのだ。 居ても居なくても同じというなら、フィルラーンを捨てて只の女に戻った方が、彼女にとっては幸せなのだろうと、ふとライナスは思った。 「ふん、たかが一人の男を殺した所で、俺は何も感じん。お前にどう思われようが知った事では無い」 ジェドはつまらなそうに、肉を口へ運んだ。 「でしょうね」 そんな事は、とっくに承知だ。 ――――当時十一歳だった少年に、この国の明暗を賭けようと思った。 伊達に十二年、この男の傍に居たわけでは無いのだ。 |
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