158: ジェド2





 少年は村外れにある牢代わりの小屋に閉じ込められた。
 数日の間、食事も水も彼に与えられる事は無かった。雨漏りしてきた水を飲み、喉の渇きだけは何とか凌げたが、それよりもここへ連れて来られた時に向けられた、少年に対する村人達の恐怖の目の方が辛かった。
 だがあの死体の腕にある蜥蜴の刺青を見れば、あの男達が盗賊団である事が分かる筈だ。そうすればきっと、少年がこの村を救う為にあの男たちを殺めたのだということが、皆にも分かってもらえる筈だった。
 右手の震えは未だに止まらない。少年は己が許される時を、ただじっと待っていた。
 そしてそれは、八日目の夕暮れ訪れた。少年が藁の上に寝そべりながら、屋根の隙間から僅かに差し込む緋色の光をぼんやりと眺めていた時、戸の外から声が掛けられたのだ。
「……ジェラルド、わ…私よ……」
 少年はがばりと起き上がると、戸の前まで駆けた。か細いその声は、母のものだった。
「ジェラルド、今まで放っておいて、ごめんなさいね……。やっと皆が許してくれたのよ。相手は、盗賊団だったのでしょう。私達を……あなたは助けてくれたのね……」
 ああ、分かってくれたのだと思った。初めて母から掛けられた優しい言葉に、少年は胸が熱くなった。やっと自分は母を喜ばせることが出来たのだ、初めて自分は、正しい選択をしたのだ。
「役人が来て、色々調べが終わってからでないと、あなたをここから出すことは出来ないみたいなの……。でもスープを持って来たのよ、飲みなさい……」
 戸の下の小さな板が外され、そこからスープが入った椀が差し入れられた。まだ湯気が上る温かいスープからは、良い匂いがした。
 少年はその椀を受け取ると、夢中で飲んだ。こんなに食事を美味しいと思ったのは初めてだった。体と共に、心まで温まっていく。これが嬉しいということなのか、幸福ということなのか。
「はは――――飲んだ。飲んだのね……?」
 戸の向こうの母の声が、急に冷たいものに変わった。どうしたのだろうと顔を上げると、その瞬間に、胃の腑が煮え滾るように熱くなった。
 込み上げてきたものを吐き出すと、吐しゃ物は血で赤く染まっていた。全身が痺れ、眩暈がする。
 何。何だ―――――これは。
「か――――かあ、さ……」
 戸の向こうにいる母の方へと手を伸ばすと、弾ける様な叫び声がした。
「私をそんな風に呼ぶんじゃ無いよ! お前なんか、私の子じゃない。私はこんな化け物を生んだつもりなんて無いんだ。死ね、早く死ね、このおぞましい化け物が……!」
 少年はその場に崩れ落ちた。激しい拒絶の声で、やっと理解した。毒なのだ。母がくれたスープには、毒が入っていたのだ。
 そんなにも、自分は母に疎まれていたのか。殺したいと思う程に。俺が化け物だから。おぞましい化け物だから。
 外に付けられた錠が開く音がし、戸がゆっくりと開いた。少年が目をそちらにやると、入ってきたのは母では無く、この村の長老だった。
「ジェラルドよ、母を悪くは思うな。お前を殺すことは、我ら村人の総意なのだ。母親なら警戒しまいと、ただわしらに遣わされただけなのだ」
「な……ん、で……」
 吐いた時に毒が喉も焼いたのか、声が上手く出なかった。理不尽な死に抵抗するささやかな声に、長老は静かな声で告げる。
「わしらはお前が恐ろしいのだ。お前のその、人外の強さがな。……成程、確かに今回お前は、わしらを助けたのかもしれん。お前が我らの守り神となってくれるのならば、これ以上に頼りになる者もいないだろう。だが、お前は今でさえこの村の暴れ者で、厄介者だ。このまま先もずっと我らを助けるとは、とても思えぬのだ」
 別に暴れたくて暴れていた訳ではない。皆が殴ってくるから、反撃していただけじゃないか。それでも、俺が悪いのか。
「今回の一件で、お前の強さに皆、恐れをなしている。そのようにまだ子供の体であの盗賊どもを倒してしまったのだ、このまま大人になってしまえば、どれ程のものになるのか、最早我らには想像もつかぬ。今お前を生かしておけば、我らはお前の心一つで村を潰されるであろう恐怖に、ずっと怯えて暮らすことになるのだ」
 この村を潰そうと思ったことなんか、一度も無い。皆が俺を必要だと言ってくれさえすれば、これからだってずっとこの村を守っていくのに。
 それなのに、お前達は俺を殺すのか。俺が、化け物だから。
「許せよ、ジェラルド。村の為なのだ……」
 戸の外から、数人の男がぞろぞろと入ってきた。複数の手が、少年の体に伸ばされる。
 ―――――――――嫌だ!
 何故。どうして俺が死ななくちゃいけないんだ。こんな力、俺が望んで得た訳じゃないのに……!
 抗おうにも、体を思うように動かせない。少年は複数の手に掴まれ、引きずられて台車の上に乗せられた。
 ――――――――――やめろ、放せよ、やめろ……!
 少年の体の上に、布が被される。台車はゆっくりと動き始めた。
「おい、こいつ確かに死んでるんだよな」
「そうだろう、もうピクリとも動かないじゃないか」
「動いたら困るぜ。あの血の海を見たかよ。本当に、こいつ化け物だぜ……」
 囁きあう男達の声が意識の遠くで聞こえた。化け物、化け物、化け物。皆の声が、木霊のように響く。
 ああ、そうか―――化け物として、忌み嫌われながら死んでいく。それが己の運命なのだ。

 少年の体は、ミューマという凶暴な獣が住む谷底へゴミのように捨てられた。崖の上から落とされた少年は、運が良いのか悪いのか、途中に生えていた木々に何度かぶつかり下へ落ちた。身体のあちこちを打ちつけ傷だらけにはなったが、少年はまだ生きていた。
 落ちたところには、月霊草が群生していた。月霊草は、ミューマが嫌う草花だ。これがある所には近寄らないため、谷から村に続く一本道にはこの花を植えている。
 空から落ちてきた獲物を喰らおうと、数匹のミューマがのそりと近付いて来た。しかし獲物が月霊草の中にいる為、近寄れずにいる。彼らはそれでも諦めきれずに辺りをうろうろとして離れなかった。
 少年は三日の間、内臓が煮え滾るような痛みにのた打ち回り、いつミューマに喰い殺されるか分からぬ恐怖に苛まれ続けた。こんなに苦しむくらいなら、いっそ首を撥ねてくれた方が良かった。この苦しみさえ、化け物に生まれたが故に受けねばならぬ仕打ちなのか。
 四日目の朝、少年の体から激痛が消えた。痛みはあったが、もう耐えられぬ程では無かった。毒は少年を苦しめたが、少年を殺しはしなかった。
 起き上がる事はまだ出来なかったが、少年は初めて周囲に意識が行くようになった。辺りが血生臭いことに気付き顔を動かすと、すぐ近くの、月霊草が生えていない所に喰い散らかされた何者かの残骸があった。獣ではない。服や剣も散らばっている。
 少年はその服や剣に見覚えがあった。あの、盗賊団の躯だ。村人達が、この男達の躯をこの谷へ捨てたのだ。少年と同じように。
 あの村は今回の忌まわしい出来事を、全て無かったことにするつもりなのだ。盗賊団も少年も、ミューマに喰わせて綺麗さっぱり消し去るつもりなのだ。そして何事も無かったかのような顔をして、暮らして行くのだろう。薄っぺらい平和を守りながら。
 ―――――はは。
 乾いた笑いが少年の内側に湧き起こった。
 ―――――この村の人間も、この盗賊達も、同じじゃないか。
 己に害がある者や都合の悪い人間は屠り、己たちの利の為だけに生きる。ああそうか、人という生き物は、きっとそういうものなのだ。
 あんな人間達の愛情を、今まで必死で得ようとしてきたのだと思うと、滑稽で堪らなかった。いや、母や村の皆に媚び、盗賊を殺した己も同じだ。なんて浅ましく、なんて愚かだったのだろう。
 五日目には、体に感覚が戻ってきた。痺れも抜け、少年はやっと体を起こすことが出来た。
 ふらつきながらも立ち上がると、少年は盗賊たちの躯の方へ歩いていった。思えば可笑しな話だ。この盗賊達の躯を先に喰っていなかったら、ミューマは空腹に耐えかねて、月霊草の匂いも構わずに少年を襲ったかもしれない。己が殺した盗賊団の躯に助けられ、盗賊団から守った村人達には殺されかけた。なんとも皮肉ではないか。
 少年は、盗賊達の傍らに落ちていた剣を拾った。これもどこからか盗んで来たのだろう、綺麗な剣だった。月霊草から離れた少年を、ミューマが襲ってきた。それを、手にした剣で倒した。
「ははは……くく……」
 二、三頭のミューマを次々に殺していったが、命を奪う恐れも、罪悪感も、もう何も感じなかった。きっと村人達を殺すことにも、もう何も感じないのだろう。いつの間にか右手の震えも消えていた。
 少年が村に戻ると、村人達は皆凍りついたように固まった。恐怖に顔を引きつらせ、許しを請い地にひれ伏す。
 少年はそんな村人達を冷ややかに眺めながら、長老の前に立った。
「―――なあ、あんたの言うことは、確かに間違ってはいなかったみたいだ。俺の心一つで村を潰されるであろう恐怖に、これからは皆、ずっと怯えて暮らすことになるんだろう。ああ、確かにその通りだな」
 少年は笑った。ずっと笑うというものがどういうことなのかを知りたかった。それは彼が望んでいた笑いでは無かったけれど。

 村人達は少年を化け物と言ったが、それは違う。あの時、少年はまだ人間だった。
 村人達に毒を飲まされ、谷に捨てられて――――――少年は今、化け物になったのだ。













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