150: ティバナ王の決断





「なんだと?」
 ティヴァナの王城、王座の間でリュシアンは政務官の言葉に目を剥いた。
「ベスカを攻撃した首謀者を、取り逃がしたと言って来たのか、フィードニアは」
「はい、その通りでございます」
 重々しく頷く政務官に、国王軍総指揮官であるテガンが忌々しげに舌打ちをする。
「取り逃がしたのではなく、逃がしたのではないのか。首謀者は王族の者だそうではないか」
「王族位は既に剥奪されている男だと使いの者は言っておりましたが、それも眉唾ものですな」
 テガンの隣に立つ弓騎馬隊大隊長マルセルもまた、顔を顰めながら言う。
(――――やられた)
 リュシアンはぎゅっと拳を握り締めた。
 フィードニアは謝罪と共に貢物を寄越してきたが、それも形だけのものだろう。約定を勝手に破り、ティヴァナの傘下にある国へ攻撃をしかけておきながら、その首謀者を引き渡すことなく済ませられる訳が無いことなど、フィードニアとて百も承知の筈だ。
 これで許しては、諸外国に対し示しがつかぬばかりか、こうも馬鹿にされたのに何故攻めぬのかと勘繰られることになるだろう。そうなっては折角これまで強国ティヴァナの面目を崩さぬよう努めてきた、我らの努力も水の泡に帰すというものだ。
「フィードニアを攻めましょう、約定破りを許してはなりませぬ」
 テガンがそう声高に主張すると、先程の政務官が慌てて一歩前へ出る。
「いえ、お待ち下さい。フィードニアは国境警備隊の暴走だと、謝罪をしてきているのです。ここで攻撃をしかけては、我が国こそが逆に約定破りの謗りを受けることになるのでは」
「馬鹿な!」
 政務官の言葉がテガンの怒りに油を注いだ。
「なぜ我等の方が約定破りになるのだ。こうまで虚仮こけにされておきながら黙っていては、我らがティヴァナは良い笑いものではないか。いや、それどころか――――」
 テガンは一旦口を噤み、やや声を落として王座のリュシアンを仰ぐ。
「ティヴァナは今、先王の死を公表したばかりです。ここで少しでも我が国が弱っている所を見せれば、今は傘下に治まっている国々が、これを好機と攻め込んで来ぬとも限りませぬ。それでは折角フィードニアと同盟を結び、連合国を退けた意味が無い」
 テガンの言葉に、リュシアンは頷いた。
 その通りだ、ティヴァナはその面目に掛けて、フィードニアを許す訳にはいかぬのだ。
 そしてそれをフィードニアは…いや、フィードニアのクルト王は、解っているのだ。つまり我等はあの王に、まんまと剣を取らざるを得ぬ状況へ追い込まれたという訳だ。
「ええい、クリユス達は何をしているのだ。こういう事態にならぬよう、あの者達はフィードニアに未だ留まっているのではないのか!」
 テガンの怒りの矛先がフィードニアに居る二人に向けられ、マルセルが慌てて割って入った。
「それが、フィードニアにやった密偵の話によると、お二人は現在城の地下牢に幽閉させられているようなのです」
「何と!」
 王座の間に動揺が走った。
「もしや二人が我々ティヴァナの放った矢であると、フィードニアに露見したのか」
「分かりませんが、その可能性が高いかと……」
「ええい、何故それを早く言わんのだ!」
 激するテガンにマルセルは押し黙る。現在は彼がティヴァナ国王軍弓騎馬大隊長を担ってはいるが、マルセルにとってクリユスは、あくまで尊敬する上官なのだ。その男の不確かな状況を、軽はずみに口にすることは憚られていたのだろう。
 だがこのタイミングで口にしたのはいかにも拙い。皆の不安を増幅させるだけだ。
「それでは益々諸外国は、ティヴァナが約定破りをしたという見解へ傾いてしまうのではありませぬか」
「もしそうなったら、各国はフィードニア側に付いてしまうのでは」
「ならばどうするというのだ、フィードニアの約定破りを許すというのか。そのような無様な真似を諸外国が、いや我らが国民が許すと思うか!」
「お待ちを、国民が戦いを望んでいると判断するのは早計です、寧ろその逆なのではありませぬか」
「何を言う、ティヴァナの民は腰抜けではない!」
「皆、止めないか」
 議論が白熱して行くのを、リュシアンは制する。
 確かにティヴァナ側の約定破りと見なされる危惧も有り得なくはない。クリユスが警戒していただけあり、フィードニアのクルト王は曲者らしい。それ位の策を弄することなど造作も無いことに違いない。
 もしそうなったら、兵を出し逆に各国から孤立するのは、我がティヴァナとなってしまうだろう。
「リュシアン王、どうなさいますか」
 政務官が言い、皆の視線がリュシアンに集まった。
「フィードニアを攻めるべきです」
「いえ、ここは慎重に……」
 再び論争が始まろうとするのを、テガンが手で制す。
「ご判断を、リュシアン王。我等は皆、王の命に従います」
 沈黙がその場を支配する。王の決断を、皆が固唾を呑み待っていた。
 ――――――どうする。
 ティヴァナの運命が、己の決断に掛かっている。王としての重圧に潰されそうになるのを、彼は必死に耐えた。
 罠と分かっていて攻めるのか、それとも――――。
 リュシアンは目を瞑った。
 ふと脳裏に、フィードニアの美しいフィルラーンの姿が浮かんだ。
『今後貴女の国と戦うような事態にならぬことを、切に願っております』
 そう言ったリュシアンの言葉に、深く頷く少女の姿を。
『ええ、私もです』
 凛としたその声が、彼の頭に涼やかに響く。交わした握手に込められた想いの強さは、今でも忘れてはいない――――。

 リュシアンは暫しの瞑目の後、王座から立ち上がり皆に向かい告げた。
「首謀者が王族の者だというのなら、同じく王族の者に責を取らせればよいのだ。今から二十日以内にフィードニアの王族位にある者の首を、ティヴァナに寄越すよう伝えろ。それが出来ぬのなら、ティヴァナはフィードニアを約定破りと見做し、総攻撃を仕掛ける!」
 恐らく首は届かぬだろう。この戦いこそがクルト王の望むところであるのだから。
 だが罠と解っていても、引く訳にはいかぬのだ。ここで意気地を無くし、兄から引き継いだこの名を汚すことなど出来はしない。
 それに何より、それが国を背負ったティヴァナ王であるこの私自身の、矜持でもあるのだから。












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