15: 試合4





 二つの闘気が激しくぶつかり合った。
 それは先程のクリユスとメルヴィンの試合とは、明らかに違う戦いだった。
 繰り出される剣の応酬は目まぐるしく、そして一太刀一太刀が重い。
 見ている者に息をつく暇さえ許さぬようで、ユリアはいつの間にか手を強く握りしめていた。

 ユリアとダーナ、それにクリユスの三人は、試合場の脇の一席でこの試合を観戦していた。
 そこは一般の兵士達が居る大衆席と違い、身分の高い者の為に作られた席だった。

 ――――これが、副総指揮官クラスの人間達の戦いなのか。
 クリユスの戦いは、剣舞を見ているかのように洗練されたものだったが、この二人の戦いはまるで、重戦車がぶつかり合っているかのようだ。
「凄いな……」
 ユリアの口から、思わず零れる。クリユスがそれに賛同するように頷いた。
「ライナス殿の剣の腕は、やはり凄いですね。……恐らく、その辺の国の総指揮官でさえ凌ぐ腕前をお持ちでしょう。 ……ですがそれはラオも同じ事。剣の腕のみならば、ティヴァナの総指揮官よりも上だったのです」
 ただ軍の総指揮には向かない性格だったのだ。ラオは指揮をするより、一番に敵の中へと突っ込んで行きたいという人間だった。
 本人は副指揮官という立場でさえ不満げで、大隊長か中隊長位が丁度いいといつも言っていたと、クリユスは笑った。
「剣の実力のみであれば、総指揮官クラスの戦いです。 これは中々見られるものではありませんよ」
 玩具を前にして喜ぶ少年のように、クリユスは眼を輝かせた。 こんな表情をする事もあるのだなと、ユリアは少し意外に感じたが、だがユリアにもダーナにも、何がそこまで楽しいのかは理解出来なかった。
 現に、この試合が単なる腕試しだと分かっているから、このように観戦などしていられるが、もしこれが命のやり取りをする実戦だったなら、一秒でもユリアにはこれを正視している事など出来ないだろう。

 ――――命のやり取り――――。
 ふと、ユリアの脳裏にイアンの笑顔が浮かんだ。
 そして、その最後も。

「―――ユリア様、どうされたのですか」
 急に青ざめ体を震わせるユリアに、クリユスは顔を曇らせた。
「いや―――……試合を見ていたら、気分が悪くなったのだ……。私は元々、戦いなど好まない」
 吐き捨てるように言うユリアの肩を、ダーナが庇うように支える。
「まあ、大変……!ユリア様、部屋へ戻りましょう。元々このような戦いの場など、ユリア様には縁遠い場所なのですわ」
「戻る……? それは、困りますユリア様。例え勝敗は関係無い試合だとしても、意味はある試合なのです。既にこの試合にフィルラーンのユリア様が立ち会っている事は公然としている事。勝者に貴女が祝福を与えるのを、兵士達は期待しているのですよ」
 物腰は柔らかいが、それは反論を許さぬ声だった。 
「まあ……! この様な状態のユリア様に、尚もここへ居ろなどと、何という冷血な事を仰るのです…!」
 怒るダーナを、ユリアは止めた。
「――――いい、ダーナ。少し恐ろしい事を思い出してしまっただけだから……。 クリユスの言う通りだ、私はこの試合を、そして事の成り行きを見届けなくてはならない。―――そもそも、私が始めた戦いなのだから」
 クリユスは何も言わず、ただその菫色の瞳を和らげた。
 そして、試合場へと視線を戻す。
「―――さあ、もうすぐ、決着が付きますよ」


 ライナスが振り下ろした剣を、ラオは盾で受け止め、弾き返す。そしてその勢いのまま剣をライナスの腰へ目掛け振った。
 咄嗟にライナスは体を捩り、皮一つの差でそれを避ける。
 だがそれによってバランスを悪くしたライナスに、ラオが更に剣を振ろうとするのを、ライナスは相手の目前へと盾を突き出し視界を奪い、その隙に体勢を整えた。
 戦い始めてから随分と経つというのに、一向に疲れを見せぬ戦いだった。
 だがそうは見えなくとも、確実にお互い疲弊していますよ、とクリユスが言う。
「先に隙を見せた方が負けるでしょう、ほんの一瞬の隙を見せた方がね」
 それ程実力が均衡しているのだ。

 日が少し傾いて来た。ラオは日を背に立ち、ライナスへ向かい飛んだ。
 振り降ろす剣が、日の光を浴びて、光った。 

 わあ、と場内に歓声が沸き起こった。
 地が震えているような感覚がする程の、凄まじい歓声だ。
 ユリアは先程の恐怖での震えとは違う、体の震えを感じた。

 ―――ライナスの剣は弾かれ地面に突き刺さり、ラオの剣がライナスの首へ付きつけられていた。
 一瞬の隙を付いたのは、ラオだったのだ。

 ユリアはクリユスと共に、二人の元へ―――試合場へと、上がって行った。
 フィルラーンのユリアの登場に、兵士達は歓喜の声を上げた。
「――――参った。くそ、やられたな」
 ライナスは溜息を付き、立ち上がる。
「一瞬日の光に目が眩んだ。 お前、わざと日の光を背にしたな」
「いや、偶然ですよ」
「ふん…まあどっちにしても、俺の負けだ。体力ももう持たなかったしな。……言っておくが、俺があと五つ若かったら、この俺が勝っていたぞ」
「ですがあと五つ若かったら、俺は二十一です。ライナス殿が二十五だとして、やはりこの俺の方が体力が有り余っている頃ですね」
「こいつめ…」
 ライナスはラオの肩を軽く叩いた。
 そしてラオの手を持つと、兵士達へ向け手を上げさせた。
 歓声の中、ユリアは二つの試合の勝利者である、ラオとメルヴィンに祝福を与えた。
 勝利をもたらした彼らの剣に口づけをし、跪く勝利者にそれを手渡す。
 それが祝福の儀式だった。



「ここで二人の入隊を許さなかったら、負けた腹いせに相手を追い出した、胆の小さい男だと思われますな」
 試合場から引き揚げ、控え室への連絡通路の途中で、ライナスが呟いた。
「ライナス……では」
 ライナスは、歯を見せて笑った。 日に焼けて浅黒い肌に、白い歯がくっきりと浮かび上がる。
「二人の入隊を許しましょう。 この俺を負かしたのだ、俺の代わりに副総指揮官になるか?」
「冗談、勘弁して下さいよ。 ここの副総指揮官は、軍の総指揮をやってると聞きましたよ。副総指揮官のポジションでさえ辟易していたのに、ご免こうむりますよ」
 ラオは本気で嫌そうに言う。
 只の一兵士として加えてくれればそれでいい、と言うラオに、欲の無い奴だとライナスが笑った。

「冗談はさておき、最初は中隊長辺りで入って貰う事になるだろう。新参者にいきなり大隊長の位を与えると、良く思わん者も多く出るだろうからな」
 その言葉に、ラオとクリユスは揃って頷く。
「それは勿論です。……ですが一つ。私をメルヴィン殿の下に置いて頂きたいのですが」
「……さっきの試合といい、メルヴィンに取り入るつもりか? ……何を企んでいやがる」
「企むなどと、とんでも無い事です」
「白を切るか。 お前がそのつもりなら、俺はお前の入隊を取り消したっていいんだぞ。そもそもお前の試合は糞みたいなもんだった、あんな試合で、この俺がお前を軍に入れるなどと、よく思ったものだ」
 ライナスは凄んでみせたが、クリユスは変わらず笑顔を崩さなかった。
「ですが、貴方は端から入隊を拒むつもりは無かったでしょう。 フィルラーンのユリア様が推薦した男であり、王も少なからず興味を示した。ならば貴方はそれを拒む立場にいる訳でも無く、ただ形式上二人を任され、何か問題を起こした時には責任を取らねばならない。全く、面倒な事になった。 ――――と、まあこんな目をされていましたよ、最初にお会いした時にね」
 涼しい顔で言うクリユスに、ライナスは鼻白む。
「……やっぱりお前は気に喰わん男だ」

 控え室前に預けてあったラオとクリユスの手荷物を回収し、ユリア達は外へ出た。
「二人とも、塔までユリア様を送り届けたら、荷物を纏めておけ。 後で一人兵士を寄越す、兵士達の宿舎へ案内してもらえ」
「はい、ありがとうございます」
「配属は考えておくが、まあラオは騎馬隊か歩兵隊の中隊長、クリユスは弓騎馬隊の中隊長辺りだろうな。 フィードニアは弓騎馬隊が独立して大隊を組んではおらんのだ。 騎馬隊大隊の一角に弓騎馬中隊がある形になる――――メルヴィン配下には違いない。それでいいな?」
「充分です、ご思慮頂きありがとうございます」

 何はともあれ、二人がフィードニア国王軍へ入隊する事が出来たのだ。まだこれは長い計画の、ほんの始まりにしか過ぎないが、ユリアは一先ず安堵した。
 フィルラーンは軍へ介入する権限は持たない。ここから先は、ラオとクリユスに任せるしかないという事が、少し歯痒い思いはあるが、それもしょうがない事だった。
 ライナスがユリアを乗せる為の馬を引いてきた。ユリアはクリユスに手を貸り、その馬に乗ろうとした。
 その時、ふと眼の端に、知った顔が見えた。
 知った顔―――だが、そこに居る筈もない顔だ。
 ユリアの顔から、一気に血の気が引いた。

(まさか―――――そんな、筈が)

 ユリアは恐る恐る、その人物の方へ顔を向ける。
 只の見間違い、目の錯覚なのだと信じて。
 だが間違いでは無く、錯覚でも無い。その人物はそこに居て、そしてユリアの方へゆっくりと歩んで来た。
 その人物と、目が合った。
 
(だけど、そんな筈が―――――無い)

 茶色い髪の、若い男だった。
 ユリアは息を飲み込んだ。
 その男は笑う。人好きのする笑顔だ。
 
「イ…………イアン…………」

 そこに居る筈の無い、生きている筈も無い男が、ユリアの目の前に立っていた。









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